第七楽章
ライアットと別れた後、ウィルは頼まれた買い物を済ませるために、いくつかの店を回った。
するとそこでも、ウィルが学校で倒れたということと接続者であるという話が話題となっていたようで、寄る店寄る店――――さらには寄らない店からも――――“お祝い”もしくは“お見舞い”と称した、商品であるはずの野菜やら果物やらを手渡されてしまった。もしかしなくとも、買ったものの量より多い。その量は、近くで農作業をしていたおじさんが、見かねて台車を貸してくれたほどだ。
ウィルがお金を払おうとしても受け取らず、悪いからと返そうとしても再び載せられてしまうため、最終的にありがたく受け取ることにした。
そのまま家に帰ると、あまりの多さに、クーシュとバリエントに大笑いされてしまった。
……その日、ウィルの家の夕飯がいつになく豪華だったことは、言うまでもないだろう。
*****
次の日、早朝。
まだ太陽は顔を出したばかりで、木々の高さに負けてしまっている。辺りは薄暗く、ようやく足元が見える程度だ。
そんな早い時間に、ウィルは家の前に立っていた。
「そのまま行っていいのか?」
「……うん。昨日のうちに言ってあるから……」
父もクーシュも、連日の農作業で疲れているはずだ。自分の見送りをするよりも、まだゆっくりと眠っていてほしかった。
「そか。……んじゃ、行くか」
フォルツァンドの声に小さくうなずき、ウィルはゆっくりと歩き出す。できるだけ家を振り向かないように、なじみ深い景色を見ないようにして道だけを見て歩き、あっという間に村と外の境まで来た。
一度だけそこで足を止めると、深呼吸をして一歩を踏み出す。
「ちょーっと待った!!」
「ふわぁっ!?」
光のあまり射さない森の中でいきなり聞こえてきた声に、ウィルは冗談でなく跳び上がって驚いてしまった。さらには着地に失敗し、強く尻餅をついてしまう。
痛みに顔をゆがめ、腰をさすっていると、目の前に手が差し出された。見上げると、楽しそうなライアットの姿。
驚いたのと痛いのとで何も言えずにぼけっとしていると、手をつかまれ、問答無用でぐいっと引っ張り上げられる。
「言っとくけど、俺だけじゃないからな」
ライアットの言葉に彼の後ろへと視線を戻すと、そこには村のほとんどの人がそろっていた。彼の斜め後ろには、いつものように微笑んでいるルユーナの姿が見え、端の方には苦笑いを浮かべたバリエントとクーシュの姿まである。いないのは小さな子供達だけだ。
その人数に呆気にとられていると、再びライアットが口を開いた。
「……お前さ、ウィル。きのう俺と会った時にはもう、俺らになんも言わないで行く気だったろ?」
混乱していた頭が、急速に落ち着きを取り戻していく。どうしてそれを、ライアットが知っているのか。
思わず唯一知っていた家族の方を見るが、彼らは違うというように首を振る。
「そんなん、聞かなくても分かるっつーの。……昨日、お前の様子がちょっと変だったから、もしかしたらと思って、お前と別れた後におじさんに確認しに行ったんだよ」
ライアットの言う“おじさん”とは、もちろんバリエントのことである。どうやら昨日、「用事がある」と言って別れた後、彼はウィルの家に行っていたらしい。ライアットの確認に対し、始めはバリエントもクーシュも何も言わなかったが、最終的には今日のことを彼に教えたのだという。その後彼は村の中を走り回り、それを全部の家に伝えたのだとか。
驚きのあまりにウィルが呆然としていると、ルユーナがゆっくりと近寄ってきた。
「まったく……アンタは何でもかんでも自分の中に押し込めて、そのまま片付けようとしちまうんだからねえ……。ほら、私からのお祝いだよ」
ルユーナがそっと、小さくたたんだものをウィルに手渡す。ウィルがそれを開くと、それは彼女が昨日作ってくれると言っていた鞄だった。
大きさは楽譜を入れてもまだ余裕があり、他にも多くの物を入れられそうだった。生地なども丈夫なものが使ってあるにもかかわらず、鞄自体の重さはほとんどない。
肩ひもの幅も広く、ウィルが中に様々なものを入れてかけていても、負担にならないように考えられて作られていた。
もちろんウィルも、彼女の手芸の腕は知っている。しかし、昨日の昼間に約束をして、それから作り始めたにしても、こんなに早く作れるものなのだろうか。
ウィルの驚いたような表情を見て、ルユーナは笑みをもっと深くする。
「……すぐに作ってやると言っただろう? どうせこんなこったろうと思ったからね。……まあ、作っている時にライアットが来て、アンタが今日の朝早く行くって聞いた時には驚いたけどねえ」
おかげで装飾がつけられなかったよ、と残念そうなルユーナだが、鞄に使われた生地の素朴さが、十分にデザイン性を発揮している。
「多少の無理なんて、アンタ達のためなら誰だって喜んでするだろうよ。だってアンタは、この村に住む人間みんなの大切な子供なんだから」
それとも、と言葉を切って、からかうような表情を浮かべる。
「本当に、村のみんなに会って行くのが嫌だったのかい?」
ウィルは少しの間、黙ってうつむいていた。
そして鞄を持つ手にぎゅっと力を込めると、小さく、かすれそうな声でつぶやく。
「……ちがいます」
「みんなに会って行ったら、一人になった時が、もっとさびしいと思ったから……」
村のみんなに見送られた後は、独りになってしまったという思いが強調されてしまう。そうなれば、弱い自分では耐えられない。
それならば、誰にも会わずに、最初から一人で出てきた方が、寂しさは軽減される――――そう思った。
さらには、出立も早くしなければと感じていた。なぜなら、行くのを延ばせば延ばすほど、行きたくないという気持ちが強くなると思ったから。
だからこそ、翌朝早く、誰にも会わずに出かけることを決めたのだ。
そう言ったウィルの目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。こらえようとしていたが、そろそろ限界だった。
……やはり、寂しく、不安だったのだ。
そんなウィルの頭が、やや雑になでられる。顔をあげると、いつの間にかバリエントが優しく笑って立っていた。それに対してウィルの涙は止まるどころか、関を切ったようにあふれだした。
「まったく……子供はわがままを言うのが仕事だと言ったのにねえ。ライアットを見てごらん。わがままを言ってばかりじゃあないか」
「ルユーナばあちゃん! それはねーよ!」
いきなり矛先を向けられたライアットの情けない叫びに、辺りに笑いが広がってゆく。涙の止まらないウィルも、思わず小さく笑ってしまった。
「私たちが、アンタに寂しい思いなんてさせると思ったのかい? ……馬鹿だねえ。どんな時であろうと、最高に幸せな記憶で打ち消してあげるよ」
「あーっ! ばあちゃんばっか、ずりぃぞ! いいか、ウィル! なんかあったら絶対とんでってやるからな! 疑ってんなら、今度行ってやるから待ってろよ!」
「お前がいつ帰ってきてもいいように、ちゃんと片付けておくからな。帰りたい時に帰ってこい。帰りたくても帰れないってんなら俺が……」
「バルは駄目。代りに俺が迎えに行ってあげるから、安心して。それに……今度から俺も、野菜を売りに行こうかな。そうすれば、その時に会えるよ」
励ましはそれだけではない。その声に続くように、集団のあちこちから、一つ一つの言葉を確実に聞き取ることが不可能なくらいの声があがる。
その声にウィルはまた涙があふれそうになるが、今度はそれをきれいに飲み込む。そしてその代わりに、満面の笑顔を浮かべてみせた。
最後の涙が一粒、頬の上を滑っていった。
*****
いつの間にか、太陽の高さが、木々の高さに勝っていた。辺りは見違えるように明るく、地面も遠くの景色も、よく見えた。
ウィルは全身で村の人たちを振り向くと、静かに、強く、声を出す。
「……いってきます!」
村の人達の「行ってらっしゃい」の声に背中を押され、ゆっくりと歩き出した。その顔に、もはや不安や寂しさは見られなかった。
強く光る太陽に照らされた涙の跡が、うっすらと残るだけだった。