第六楽章
父親との会話の後、てこてこと畑の横を歩いているウィル。ふと横道に視線を向けると、少し離れた所から、自分に近づいてくる小さな姿が見えた。それが誰だか分かった瞬間に、その人影に向かって駆け出す。
「ルユーナさん!」
ルユーナと呼ばれた老婦人はその場に立ち止まり、にこにこと穏やかな笑みを浮かべながら、ウィルが着くのを待っている。
彼女の名前はルユーナ=フォート。ウィルの住む村の村長である。
彼女はウィルの母が死んだ時、特に親身になって接してくれ、その後も何かとウィルだけでなく一家まとめて面倒を見てくれているのだ。
それだけが理由ではないが、とにかくウィルはルユーナのことが大好きだった。
「元気だねえ、ウィル。もう体はいいのかい? 今、ちょうどアンタの家に様子を見に行こうとしてたんだよ」
「はい、大丈夫です。……ごめんなさい、心配かけちゃって」
学校にいた時に倒れたということもあり、どうやらいろいろな人に心配をかけてしまっているらしい。なんだかとても申し訳ない気分になる。
「何を言ってるんだい。子供は大人に心配をかけるのが仕事だよ。……何にせよ、元気なのはいいことだ」
そう言うと、言葉をちょっと切って、満面の笑顔を浮かべる。
「……すごいねえ、ウィル。アンタが接続者だなんて」
「あ……、ありがとうございます」
「何かお祝いでもしようと思ったんだが……。……ん? なんだい、ウィル。その鞄は?」
ルユーナの視線は、ウィルの鞄をとらえている。しかしその鞄は、異様なまでに四角く膨らんでいた。もちろんその原因は、分厚い楽譜である。
ウィルの持っていた小さな鞄は、ちょうど楽譜にぴったりの大きさだったようで、その輪郭を正確に表していた。ちなみに財布やメモなどは、上の方に少しだけ残っていた隙間にのせてある。
控え目にそのことを告げると、ルユーナは苦笑いを浮かべながら、楽譜を見せてほしいと言ってきた。引っ張り出すのにあちこちにひっかかり、やっとのことで取り出す。
「ああ、意外と大きさがあるんだねえ。……よし、祝いと言っちゃあなんだが、私がちょうどいい大きさのものを作ってあげよう」
「え……? でも、あの、ルユーナさん……」
「気にするんじゃないよ。私が作ってやりたいだけなんだから。……すぐに作ってやるから、楽しみにしておいで」
ルユーナの言葉は嬉しかった。
彼女は裁縫や編み物など、手芸全般が得意なのだ。村で定期的に開かれる市にも毎回出品し、その丈夫さや使い勝手の良さ、そして安さから、すぐに売り切れてしまう。……とはいえ、彼女自身作ること自体が好きだと公言してはばからないことから、村のそれぞれの家には、彼女が作った何らかが最低でも二つはあるのだが。
そんなこともあり、ウィルもルユーナの手先の器用さや速さはよく知っている。しかし、彼にはその申し出を受けられない理由があった。それはさっきのバリエントの言葉に関連して、自分で決めたことだった。
だがそれを決めた理由が理由で、何をどう決めたのか、をルユーナに言うこともできない。
結局どうしようかあれこれ迷っている間に、ルユーナはにっこりと笑って行ってしまった。
*****
「……ルユーナさんに、悪いことしちゃうね……」
「まぁ……今のまんまで行くんならな。のばすとかすれば、話は別だぜ?」
「それは……ダメだよ、フォルツァンド。だってそうしたら……」
「おーい、ウィルーっ!!」
フォルツァンドと話し込んでいて前を見ていなかったウィルは、ふいに聞こえた馴染みのある声に慌てて視線を向ける。そこには、いつものように勢いよく走ってくるライアットの姿があった。
「ライアット!! もう大丈夫なの? けがとかは?」
矢継ぎ早に畳みかけた質問に、ライアットはにかっと笑って、その場でぴょんぴょんとジャンプをしてみせる。どうやら、怪我もないし調子が悪くもない、と言っているようだ。
その様子に、ウィルはほっとして小さくため息をつく。
「よかったぁ……。……ごめんね、僕のせいで……」
「あのなあ、言っとくけどな、俺はお前よりも強いの! あのくらいで、ケガなんかするわけねーだろっ! ……いいか、見てろよ! 次があったら、今度こそ俺がぶっとばしてやるからな!」
「……うん、そうだね。……ありがと、ライアット」
ライアットの言い方は乱雑ではあったが、逆にそれがウィルにはありがたかった。
*****
「なあ、そう言えば、なんかで聞いたことあるんだけどよ……」
いつまでも立って話し続けているのも大変だからということで、ライアットは木の枝に座り、ウィルはライアットが座っている木の根元から上を見上げている。自分ではすぐに落ちるんだろうなー、などと考えていると、ライアットがふと思い出したという様子で聞いてきた。
「なに?」
「接続者って、ワサトに集められて、一、二年勉強するんだって?」
「あ……。…………うん」
それこそが、朝バリエントから聞いた話だった。
現世界にある大きな大陸といくつかの島、そして大陸内に点在するそれぞれの都市を最終的にまとめているのが、ワサトという中央都市だ。ワサトには王城もあり、政治、経済、文化など、すべてのものの中心である。各都市は、大まかなワサトの方針に従いながら、自治を許されているのだ。
そして、魅縺という現世界全体にかかわる脅威に対抗する力を持つ接続者の管理や育成も、もちろん中央都市ワサトの管轄であった。その『育成』部分にかかわって、『接続者には、始めにワサトにおいて必要事項の学習義務を課す』という決まりがあるのだとか。
その期間は人によって違うらしいが、平均で一、二年という話である。その間に、接続者のルールや、それぞれの力の使い方など、さまざまなことを学ぶのだろう。
「ってことは、ウィルも行くんだよな?」
「……うん」
そう、ウィルも接続者である限り、行かなければならないのだ。
しかし問題なのは、そのためには最低でも一年――――要領の悪い自分では、もっとかかるかも知れない――――の間、この村から離れなければいけないことだ。ウィルの村からワサトまでは、片道だけで一日かかる。しかもそれは大人の足での平均で、ウィルのような子供の足では、その倍以上かかるだろう。そうなれば、簡単には戻ってこられない。
衣食住は市が負担してくれるという話だが……たった一人、見知らぬ都市で暮らすというのは不安が残る。
「そっか……。……まぁ、心配すんなよ! なんかあったら、俺がそっちまで飛んで行ってやるからな!」
「ええ? だ、だってライアット、ワサトまではかなり遠いんだよ? それに、どうやったら“なにかあった”ってわかるのさ……」
「なめんなよ、ウィル。俺は父さんと一緒に、ワサトまで一日で行ったことがあるんだからな! あん時は歩いてたけど、本気になって走ればもっと早く着くに決まってんだろ! それになんかあったってのは、お前がワサトから叫べばいいんだよ」
「……僕の声じゃ、そんなに届かないよ……」
ライアットの言葉に苦笑いを浮かべつつも、ウィルは何となく心が軽くなる気がした。一人で遠い所に行くのはとても怖かったが……いざとなったら、もしかしたらライアットが来てくれるかもしれない。
もちろん、歩いて一日の距離を走り続けることは、いくらライアットでも不可能だろうし、ウィルの声が届くはずもない。
けれど、そう言ってくれるだけで嬉しかった。
「とにかく、ワサトに行く日が決まったら、ちゃんと教えろよ? 村のやつ全員集めて見送ってやるからな!」
ウィルは、ただ苦笑いを浮かべていた。彼ならやりそうだったから。
ライアットはそんなウィルの様子を知ってか知らずか、「ちょっと用事があったから、またな!」と言って、元気よく走り去って行った。
……ライアットが見えなくなってから、ウィルは小さくため息をつく。
ライアットにも、ルユーナにも答えられなかった。なぜなら、ウィルはもう決めてしまっていたのだから。
あすの朝早く、誰にも会わずにワサトへと向かうことを、決心してしまっていたのだから。