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Nocturne 《夜想曲》  作者: Nebel
始まりの旅
4/15

第三楽章

 ――――ウィル=フィアールカっ!!

 

 霧の中で、声が聞こえる。誰かの声。

 誰の声だろうか。ライアット? ……いや、違う。

 

 ――――思い出せ! 俺の名前をっ!!

 

 この声を知っている。

 懐かしい声。いつだったか、以前に聞いたことがある。

 悲しい記憶と共にある、あれは、そう。

 

 母の、葬式の後。

 

「――――っ!! フォルツァンドっ!?」

「よしっ!!」

 

 頭にかかっていた霧が晴れていく。

 ぼんやりとした感じが消えていき、視界に色と景色が戻る。

 目の前には見覚えのある、小さな人型の影――――精霊。

 

「ようやく接続(つなが)れたぜっ! やり方は覚えてんだろうな、ほらっ!!」

「えっ、あっ!!」

 

 精霊――――フォルツァンド――――がウィルに向かって何かを投げる。慌ててそれをつかむと、それは分厚い一冊の本だった。

 表紙は固く、黒地に流れるような銀の文字が描かれている。その表紙を開くと、記憶通り、ある一ヵ所でしか開けなかった。

 

精霊の楽譜(パルティトラ)!! それに、このページは……」

「覚えてるみてーだな。それなら、それをどうするかも……分かるな?」

 

 ピアノで、この曲を弾けばいい。それは分かっている。

 

「う、うん。……でも、僕」

 

 弾けない、と言おうとした。

 元々、誰かから技術を習っていた訳でもない。母が弾いているピアノを聴くのが好きだっただけ。

 そして母が死んだあの日からは、自分からピアノに近づくこともしなかった。どこからか音が聞こえると、思わず立ち止まり聴いてはいたが……それだけだったのだ。

 そう言おうとしたが、顔を上げると、フォルツァンドは険しい表情をしていた。その強さに、思わず言葉の続きを呑み込む。

 

「弱音を吐くくらいだったら、逃げりゃいいだろ。あいつが作った時間を、最大限に利用して。……あいつは、そのためにお前の身代わりになったんだろ?」

「そんなっ……!!」

「じゃあ、お前はどうするんだよ。ここでボーっと見てるつもりか? ……言っとくけどな、時間はねぇ。今大事なのは、できるかできないかじゃない。お前がやるかやらないかだ。……お前は今、何を、どうしたいんだ?」

「……僕、僕は……」

 

 ぎゅっと強く目をつむり、下唇を噛む。

 怖かった。もし、できなかったら、助けられなかったら――――自分のせいで、ライアットが死んでしまうから。……母と同じように。

 でも。

 もし今自分が動かなかったら。やったことがないからと、これ以上ぐずぐずしていたら。――――結果は同じ。いや、もっと悪い。

 自分が彼を、見殺しにする。

 

「……ごめん」

 

 楽譜を抱いて、走り出す。向うのは――――もちろん体育館隅にある、小さなスタンドピアノ。

 今、何をしたいかなんて、決まっていた。フォルツァンドの言う通り、できるかできないかを考える意味はなかった。

 

 ――――やらなきゃ、ライアットは助けられない。

 

 自分に出せる最高速度でピアノに駆け寄り、ふたを開ける。このピアノは誰でも自由に使えるように、普段から鍵がかかっていないことが幸いした。

 唯一開くことができる『剣舞(バイレ=エスパーダ)』という曲のページを開き、閉じてしまわないように気をつけ、楽譜を置く。

 これで、準備は整った。

 

(……失敗しないように……)

「あんま硬くなるんじゃねーぞ?」

 

 緊張していることに気付いたのか、フォルツァンドが明るく声をかけてくる。

 

「音楽ってのは、“音を楽しむ”から音楽なんだろ? だったら、完全に楽譜通りなんか、つまんねぇ。お前の音を、楽しめばいいんだ」

 

 そう言って、なんの気負いもなく、にか、と笑う。その笑顔が、とても心強くて。

 ……気づいたら、緊張は霞のように消えてしまっていた。

 

「……うん、ありがとう」

 

 椅子に座って、深呼吸を一つする。そして曲を始めるべく、最初の音に指をかけた。

 

 高く高く、そして強く。

 いくつもの音があふれだし、体育館中に響き渡り、跳ねまわる。

 ホールが音に、支配されていく。




 *****



 

「あー、良い音じゃねーか。まだ若干硬いけど、こんだけの音が出せれば十分だ。……んじゃ、俺もやってやるか」

 

 何もない空間に、何かをつかむように片手をひらめかせる。するとその手には、さっきまでは無かった一振りの剣が握られていた。

 ――――今ウィルが弾いているのは、剣舞という曲。それは、その名の通り、剣をたずさえて行う舞踊のことだ。

 

現世界(こっち)で動くのも、久々だな……よっ、と」

 

 フォルツァンドはそう言って、空中でくるりと一回転する。そして地面に足をつけた時、その姿は既に、人間の青年程の大きさになっていた。

 

「行くぜ、ああぁっ!!」

 

 裂帛の気合とともに、魅縺へと飛び出していく。その速度は、人間と比べて格段に速い。数メートルの距離を一瞬で詰め、優雅な動きで剣を一閃させる。

 魅縺はその攻撃によってライアットから離れ、後方へと回避した。

 

「お゛ォア゛ぁぁァッ!!」

 

 怒ったように咆哮する魅縺。しかし、フォルツァンドがその声にひるむ様子はない。

 

「……残念だが、お前の言葉はここの奴らには伝わんねーぞ? ったく、こっちに出てこなくったって、お前の未練は流転世界(むこう)で解消してもらえるってのに……馬鹿というか、一途というか」

 

 言葉は悪いが、その口調は決して魅縺を見下していない。ただ、切ないような諦めの音だけが響いている。

 魅縺に対して言葉を紡ぎつつ、ウィルの奏でる曲に合わせて、攻撃を続ける。魅縺は何とかそれを避けているが、フォルツァンドの舞に圧され、反撃の余地はない。

 ウィルの指が、一際強く、鍵盤を叩く。曲調は猛々しさを増し、クライマックスへと差しかかる。

 一瞬だけフォルツァンドの動きが止まり、素早く後方へと距離をとった。

 

「ウィルの音は聞こえたか? ……もしあれが気に入ったなら、次の生でまた聴きに来い」

 

 晴れやかに笑うと、フォルツァンドは剣を持ち直した。旋律に合わせ、朗々と詠い始める。

 

「――――もしもお前が強いなら 弱者のための武器を持て

 

 もしもお前が弱いなら 強者のもとで庇護を待て

 

 自分の強さが分からないなら 俺のもとに集い来い

 

 俺は司配者 強さの精霊フォルツァンド

 

 ……俺は強者だ。お前に庇護を、与えてやるっ!!」

 

 ピアノの音が、低い方から高い方へと、段階的に上がっていく。その音には勢いがあり、力強さもある。――――そして同時に、とても優しい音だった。

 その音を聞いて、フォルツァンドの表情が、思わず、といった様子でほころぶ。

 

「……よかったな、お前。送り手があいつで、さ」

 

 そのまま、音の流れに合わせて駆け出し、剣を振るう。その攻撃は柔らかく、滑らかな軌跡を描き――――そして魅縺を両断した。

 



 *****




 フォルツァンドが剣を振るうのが、目の端で見えた。斬られた魅縺の姿が、泡のようになって消えていくのも。それを見ながら、ウィルは曲の最後を弾き続ける。

 もっとうまく弾きたい。そんな思いでいっぱいだった。この曲の強さを、もっと音に表したい。そして、もっと優しい音で、弾きたい。

 この『剣舞』はとても力強くて、勇壮な曲だ。恐怖に対して向かっていくための、勇気を与えてくれるような。そして、すべての困難を、打ち破ってくれるような。

 ……でも、今はそれだけではいけない気がした。

 魅縺となってしまったのは、強い思いがあったから。それがなんなのかは、自分たちには分からない。それなのに、存在そのものから否定をして、力尽くで送り返すのはあまりにも気の毒だ。

 だから、少しでもその強い思いが落ち着くように、優しい音で奏でたい。

 

 指が最後の鍵にかかる。

 その澄んだ余韻が消えた時、魅縺の姿は、体育館のどこにもなかった。

 


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