第十二楽章
軽やかで伸びやかな、リズムとメロディ。
それは曲の題名にある通り、まだ見ぬ新たな地を思い浮かべた時の、あの高揚感を思い起こさせる。更に、同じ旋律に強弱をつけて繰り返すことで、期待や不安が徐々に高まってゆく感覚が表現されていった。
ほんの二十小節程度の短い曲だが、弾きやすさも相まって、何百小節もある曲にも引けを取らない満足感を得られる。
旋律を五回ほど繰り返すと、フォルツァンドから止めるように指示が出た。ちょうど指が慣れてきた頃だったので、少し名残惜しそうにしながらも鍵盤から手を離す。
「弾くだけじゃ、効果はねーからな。効果を出すには、やることがあるんだ」
何をするのかと首をかしげるウィルに、彼は曲の題名を読み上げるように言った。
実は楽譜に書かれている「曲名」というのは、その曲の呼称だけではない。その曲がどのようなジャンルに属しているか、第何番目の曲かなど、細かな情報も書かれている。それらの情報は聴く方にしてみれば大した意味を持たず、必要とされることも少ない。しかし媒体や接続者にとっては重要な――――呪に等しいものなのだ。
題名に比べて小さな文字のそれをよく覚え、間違えないよう恐る恐る声に出す。
「……行進曲第一番作品1ピアノ独奏、通称『旅立ち』」
ウィルの言葉が終わると同時に、フォルツァンドの姿が淡く光ってかすみ始めた。見つめる二人の前で、その体は小さな光の球となる。と、突然それが二つに分かれ、ウィルとエンフィそれぞれの中に入り込んだ。
しかし、そのまま特に何も変わった様子はない。二人がいぶかしげに首をかしげると、それを待っていたかのように頭の中に『旅立ち』の曲が流れ始めた。驚いているウィルには、フォルツァンドの声も聞こえてくる。
((これが、『録音』だ。小節を繰り返した回数分力の段階が強化される。……ま、持ってみれば分かるぜ))
強化が終わっているということをエンフィにも伝え、二人でピアノの縁に手をかける。簡単な号令と共に力を込めると、先程まであった重さが嘘のように軽々と持ちあがってしまった。しかも持っている感覚もほとんど覚えない。
ウィルが思わずまじまじと自分の手元を見つめていると、反対側からくん、と引っ張られた。はっと我に返って足を動かす。そうだった。訓練場に持っていくために、ここまで来たのだ。
頭の中に響く曲のお陰で、軽々と進んでいく二人。そんな彼らに、周りからは奇異と驚愕の視線が向けられた。
*****
「さて……とりあえず必要なものはそろったな」
ピアノを隅に置くと、エンフィが何かを考えるように腕を組んだ。ちなみに既に音は止んでおり、フォルツァンドもウィルの肩辺りに戻っている。彼の説明によると、効果をいつまで続けるかは、接続者であるウィルの意志と精神力によるのだとか。
エンフィはしばらくウィルとフォルツァンドを交互に見た後で、ウィルに向かってピアノの前に座るように指示をした。
「今フィアールカがどれくらい接続者としてできるのかを知りたいんだ。補助属性なのは分かるんだが、これから俺と少し戦ってもらう。……確か、攻撃用の曲があったな?」
エンフィが言っているのは、もちろん『剣舞』のことだ。その確認に思わずうなずいてしまうが、戦ったことなど最初の一度しかないウィルは戸惑う。しかしエンフィの方はそのうなずきに、既に用意をしてしまっていた。断ることのできる雰囲気ではない。
不安を抑えきれずにフォルツァンドを見上げると、彼はいつものように快活な笑顔を見せた。ほんの少しではあるが、楽しそうにも見える。……ほんのわずか、周りに味方がいないのでは、と思ってしまったウィルだった。
しかし、それもエンフィが媒体を取り出すまでのことだった。
「本気で行くぜ、ファッカ」
その名前を聞いた瞬間、フォルツァンドの表情が変化する。
彼にはエンフィの精霊に対し、とある理由で苦手意識があるのだ。しかしどうやら“戦い”に気を取られ、そのことを忘れていたようである。思わず逃げようかという様子を見せるが、時既に遅し。退路を断つかのように、目の前を小刀がかすめた。
「フォルにい……遊ぼぉ……」
幼さの強い顔つきの精霊、ファッカ。その性格も容姿に違わず、甘えたがりだ。
しかし、それは普段の話である。
投げられた小刀が壁に当たり、軽い音を立てて突き刺さる。その音に、ウィルは慌てて楽譜を開いた。
投げられる小刀と閃く長剣。それらが擦れ合い、甲高い音を立てる。
エンフィの投げる小刀はファッカによって制御され、狙いを過たずにフォルツァンドを襲い続ける。彼はそれを、ウィルの奏でる旋律に合わせて踊るように払い続けた。しかし小刀が止むことはない。
「これじゃきりがねえか……。よし、ファッカ、フィアールカを狙え」
小さくつぶやかれた言葉に、ファッカは敏感に反応する。その直後に投げられた小刀を追って、彼はウィルの方へと迫っていった。
あと少しで届くというところで、間一髪、フォルツァンドが横から弾き飛ばす。きん、という硬い音に続き、小刀が床に落ちる音が響いた。
「痛いぃ……フォルにいのばかぁ……」
「なんでだよ! ウィルに当てる訳にいかねーだろが!」
泣きそうな声で不条理に言い募る精霊を回収し、エンフィはウィルに止めるよう声をかける。なおも悔しそうな精霊をなだめながら、小刀を片付けた。
「今日はこのくらいにしよう。今の強さも分かったしな」