第十楽章
『属性』の話の後に少し休憩をとった三人。と言っても周りには貴重な資料も多くある訳で、何か食べたり飲んだりできる訳でもない。更にウィルにしてみると、興味本位で動き回ってしまえば戻ってこられないだろうという思いがあったために、結局椅子に座ったまま、しばらくエンフィととりとめのない話をしていただけだった。
「……んじゃ、そろっと再開するか」
「はい」
「よし。……じゃあ、さっそく質問だ。フィアールカと全く同じ方法で、同じ力を持つ接続者は、今この世界にいるかいないか?」
まったく同じ方法ということは『精霊の楽譜』を持っているということで、同じ力はそこにフォルツァンドが宿っているかという意味である。精霊たちの名前は固有のもので、人間と違い、決して他者とかぶることは無いのだとか。そう考えると、おのずと答えは出てくる。
「いない、です」
ウィルの言葉に満足そうにうなずくエンフィ。合っていたことにほっとしたのも束の間、彼はまた新たな質問を投げかけてくる。
「じゃあ、過去、もしくは未来では?」
一瞬「え?」と声をあげそうになるが、すぐに理解し考え始める。
今持っている楽譜は、もちろんずっとウィルが持っていたわけではない。フォルツァンドから受け取ったものであるため、その前は彼が持っていたのだろうとは想像できる。けれど、その前はどうだろう。
少し考えて、不安ながらも自力で答えを導き出す。現世界で迷う様子のないフォルツァンドが、一度しかつながっていないなどということは考えにくい。
「……い、る……?」
「正解。――――だからこそ、この資料があるんだよ」
誇らしげに示すのは、最初に持ってきた巨大な本。さっきからずっと机の上に置かれたままで、半ば忘れかけられていたものだ。エンフィは無造作に、複数ページをばらりとめくる。見た感じ装丁は新しく、重要ではあるのだろうが、扱いに細心の注意を払わなければいけない物ではないようだ。
見てみろ、と促されたウィルもその本を覗き込む。横から同じように見ようとしていたフォルツァンドが、うわぁと呆れたような驚いたような声を出した。
「……あーあ、今はこんなのあんのかよ……」
「便利だろ? ここまでまとめんのにだいぶ時間がかかったとか、俺の担当だった師匠は言ってたぜ」
書かれているのは文字だけで、図はほとんどない。しかしその文章をよくよく見ると、ウィルにもその重要さと大変さがよく分かった。
ページの一番上には名前、その横には両刃、小刀など、武器や防具など“物”の種類、そしてその下には、今度は短い名前が書かれている。そして残った空白部分を埋めるのは、年代と場所が書かれた、おそらくは活動の記録。――――ここまで書かずとも、もう分かるだろう。この本には過去の接続者と媒体、そして精霊の全記録が記されているのだ。
本来接続者は数が少なく、詳細が知られている者も少ない。けれど、ここには。
「ただ、これも完全じゃなくてな。今ここにあるのは、大体あっても五、六十年前くらいまでだ」
完全に同じものを探すための資料ではないのだという。例えば、エンフィの持つ小刀に宿る精霊、ファッカはこの資料には載っていなかった。しかし、小刀という媒体の記述があれば、どんな力を使えるのか、ということを予測できる。
つまり、ウィルの持つ『精霊の楽譜』の記述がなくとも、同じ『楽譜』を使う接続者の記述があれば。それをもとにして、力の高め方や、戦い方などを考えることができるのだ。
ところが。
「――――うわ、珍しいな」
驚きと困惑が混ざり合ったエンフィの声。その指は既にめくることをやめている。
「『精霊の楽譜』とフォルツァンド、はっきりと載ってるぜ」
媒体一つにつき、接続者は一人。そしてその媒体が別の人間のもとに現れるのは、前の持ち主が死んでからである。それを考えれば、五、六十年前に記載された接続者が、いまだ現役で活動していることも少なくない。
更には媒体の中には、新たな接続者のもとに現れるまでに長い期間がかかるものもある。もちろんそれぞれの媒体によって違うのだが、それを抜きにしても、資料として書かれているものと完全に合致する確立は低いのである。武器の中でも数が多い剣などならともかく、ウィルのように特殊な媒体は特に。
おそらくそれが、驚きの意味。では、困惑の意味はというと。
「どうなってんだ……? 活動の記録も、力の詳細も、ほとんど書かれていない……」
その資料に書かれているのは、ほんの数行のみ。すぐ隣のページと比べても、その空白の異様さが見て取れる。
思わずウィルがフォルツァンドを見ると、彼は困ったように笑い、何かを言おうと、何度か口をぱくぱくとさせた。だがやがて諦めたのか、ため息をついて話し始める。
「それ、なぁ……リートが放浪ばっかしてて、ほとんど中継地点に戻ってきてなかったから、なんだ。そのころは確かまだ、組織形態も決まったばっかの頃で……な」
つまり、ウィルの前任であるリート=カリヨンは混乱期の接続者であり、組織というものにしばられない自由人だったのだという。そのため、資料を作成しようとしても彼がどこにいるのか分からず、仕方なく彼を知る者で後々作成したのでは、というのがフォルツァンドの見解だった。当事者である精霊がそう言うのだから、実際そうなのだろう。テーブルの向こうでエンフィが額を押さえる。その様子を見ていたウィルも、全く関係ないにもかかわらず、全力で謝りたい気持ちになった。
だがその時、フォルツァンドが小さく「それだけじゃあねーけどな」と言ったのを、ウィルは聞き逃さなかった。その意味を聞こうとするが、立ち直ったエンフィの声に遮られてしまう。
「……ま、でもないものはしょうがないな。それに、全くの無駄って訳じゃない」
そう言って彼が指をさしたのは、精霊の名前が書いてある欄だった。そこは他の資料と同じく、しっかりと文字で埋まっている。
「いや、同じじゃないぜ。よく見てみろ」
こういう時、エンフィは決して答えをくれない。その声にこたえ、ウィルはもう一度、細かい文字をよく見てみた。すると、確かに他の資料とは違うことに気づく。
書かれているのは文字ではなく記号であり、更にはそれが、複数回に渡って改行されているのだ。――――それが意味することは。
「楽譜に宿ってるのは、フォルツァンドだけじゃない……?」
「そういうこと、だな。――――だろう、フォルツァンド?」
エンフィの問いかけに、「まーな」と言って肩をすくめるフォルツァンド。ウィルは驚きのあまりに、何も言うことができない。
「複数接続ってのは、確かに補助属性には多いけど、ここまで多いのはあんまり見たことないな。……ま、『楽譜』だってことを考えたら、納得できなくもないけどな」
『曲』を数多く集めた冊子が『楽譜』である。一曲一曲、似た旋律のものはあっても、全く同じものはない。曲そのものに精霊が宿っているのだと考えれば、楽譜に複数の精霊が宿っていても何もおかしな所は無いだろう。
納得し、ウィルは再びその名前に目を落とす。しかし、その記号の読み方は分からない。
「あったりまえだろ。俺たちは楽譜なんだから、音が大事なんだよ。だから名前の文字は分かっても、音は“その時”まで分からないようになってんだ」
“その時”を楽しみにしろよ、とフォルツァンド。“その時”とは、その精霊に認められた時だという。
「フォルツァンドとつながるのだって、まだまだちゃんとできないのに……!?」
よほど愕然とした表情をしていたのだろうか、エンフィとフォルツァンドがそろって笑い出す。
「複数接続か。できればすごい接続者になりそうだな」
「へーきに決まってんだろ。俺がいるんだから」
エンフィの期待にすごい勢いで首を振り、フォルツァンドの励ましに少し落ち着いて。
その日一日が終わった後も、なかなか寝付けなかったウィルだった。