Prologue
どこまでも続く青空の下に、一台の黒いグランドピアノが置いてあった。
とある町の中心で、普段は散歩中や、買い物に疲れた人が椅子に座って一息をついているその場所。しかし今日は、ピアノを中心にして半円形に座席が作られ、多くの人が集まっている。
しばらくして、ピアノの隣に一人の青年が姿を現した。それに応じるように、人々から歓声が上がり、大きな拍手が送られる。
青年は優雅に一礼、穏やかな笑みを浮かべた。
「今日は、こんなにも大勢の方に僕の演奏を聴きに来ていただけて、とても嬉しいです。――――この世界と重なる、同異世界の調べ、精霊たちの音楽を、どうかお楽しみください」
そして、広場に音があふれ出す。
次々と奏でられる曲目。力強い曲や、物悲しい曲、のどかな丘や厳粛な教会のイメージが聴衆の間を駆け巡り、流れ去ってゆく。
それらの音に呼ばれたのか、演奏している青年の周りに、時折小さな姿が現れる。かれらはみな嬉しそうに、青年の音に聞き入っている様子だ。
――――拍手を忘れるほどの演奏に、時間もあっという間に過ぎていった。
「……みなさん、今日は本当にありがとうございました。次が、最後の曲です。この曲は、ぼくが一番最初に作った、とても大切な曲なんです」
そう言って、青年は椅子に座りなおす。
彼の演奏会では、決まって最後に流す曲がある。そしてその曲こそが、彼の創ったすべての曲の中で、一番人気のある曲なのだ。――――しかし、その曲について、知られていることは少ない。
「それでは、聞いて下さい――――」
*****
「おにいちゃん! これ、あげる!」
演奏会を終え、片付けをしていた青年のもとに、幼い女の子が駆け寄ってきた。その手には、根のついたままのオレンジ色をした小さな花。
青年は驚いた顔をしたが、すぐにその少女の前にしゃがんで、優しく話しかける。
「きれいな花だね。僕がもらっていいの?」
「うん! あたし、おにいちゃんのピアノ、だいすきだもん!」
どうやら、その子も演奏会を聴きに来ていたようだ。青年は「ありがとう」と言って花を受け取る。受け取ってもらえた少女は、とても嬉しそうだ。
「あのね、おにいちゃん。あたしね、あの、いちばんおしまいのがいちばんすき!」
「わあ、ありがとう。どんなところが好き?」
「きいてるとね、すっごくやさしくて、すっごくうれしくなるの。でもね、おしまいのほうになると、なんだかきゅうってなるの」
きらきらと目を輝かせて話す少女を、彼は微笑みながら見つめている。しかしその笑みは、先ほどまでと比べてほんの少しだけ、悲しそうだった。
青年が演奏会で一番最後に弾く曲。その曲について、彼は一度も詳しく語ったことがない。彼が最初に作曲した曲だということ以外は、謎に包まれているのである。――――一体、どのような思いが込められているのだろうか。
「ねえ、このきょくには、おなまえはないの?」
少女の無邪気な疑問。青年は困ったように笑うと、視線を遠くに移しながら、小さく「あるよ」とつぶやいた。
明確にどこかを見つめているような彼の様子に、少女もつられてそちらを見る。しかし、そこには町が続いている以外は何もなかった。
「大切な友達と、同じなんだ。……特別に、教えてあげるよ。この曲の、名前は――――」
*****
青年の名前は、ウィル=フィアールカ。
“世界を鎮める者”と呼ばれている、稀代の音楽家である。
このお話は、彼がそう呼ばれる前の物語。
幼い彼の心に刻まれた、大事な大事な物語。
この話についての、感想、意見、何でもいいので、書いてもらえるとうれしいです。それを基に、いろいろ修正を加えていきたいと思っています。誤字、脱字があった時は、同じく感想から教えてください。
現在、隔週更新で進めています。