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夫の好きな人  作者:
1/3

引っ越し

まだ見慣れない道を、コンビニ弁当を片手に歩く。景色を眺めながら、新しい生活の実感を少しずつ噛みしめる。

10分ほど歩くと、新居のマンションが見えてきた。

私、遠藤有希ゆきと夫の遠藤叶多かなたは、先月結婚式を挙げ、今日からこの新居で暮らし始める。

引っ越しの手伝いには、私の学生時代の友人であり、叶多の元同僚でもある結城真琴まことが来てくれていた。彼女は結婚を機に退職し、今は時間を持て余しているらしい。


インテリアにこだわりがある真琴は、新居の家具の配置をあれこれと考えてくれている。テーブルはここ、観葉植物はここと、引っ越し業者に指示を出しながらテキパキと仕切ってくれる頼もしい存在だ。

今も叶多と一緒に残り、引っ越し作業に励んでいる。


マンションに着き、部屋の前に立つと、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「ただいま」と声をかけながら玄関を開けると、予想通り、真琴と叶多が楽しそうに話している。

叶多は私に気づくと、一瞬目を見開き、その後、眉間にしわを寄せた。

しかし、すぐに笑顔を作り、「おかえり」と迎えてくれる。

けれど、その笑顔の奥には、どこか隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

何に苛立っていたのか、その時の私にはわからなかった。




叶多とは、上司の紹介で出会った。私の上司と叶多の上司が友人だったのだ。

何度かデートを重ねるうちに、彼からプロポーズされた。

私は彼に一目惚れしていて以降、会うたびにその人柄にも惹かれていたので、迷うことなく「よろしくお願いします」と答えた。


結婚が決まり、一足先に結婚していた真琴に報告すると、驚くことに彼女と叶多は知り合いだった。

2人が勤めていたのは大手企業。同じ会社とは知っていたものの、まさか接点があるとは思っていなかった。

それが分かると、真琴は以前にも増して私たちに会いに来るようになった。気兼ねなく会えるのが嬉しかったようだ。それに、彼女は全く料理ができないため、料理を教えてほしいという名目で、一緒にキッチンに立つこともあった。何でも器用にこなすタイプの真琴が私を頼ってくれるのが嬉しくて、頼まれればついつい世話を焼いてしまう。もちろん、材料費はもらうが。




引っ越しも落ち着き、新居での生活にも慣れてきた頃。

テレビを見ていた私の隣に、叶多が腰を下ろす。

どこか言いにくそうな表情を浮かべながら、口を開いた。

「今度の金曜日、会社の同僚を連れてきてもいいか? 新居を見てみたいらしい」

突然の申し出だったが、特に反対する理由もない。

「もちろん、いいよ」

そう答えると、叶多はどこかホッとしたような顔を見せた。




当日、真琴が「久しぶりに会社の人と会いたい」と言って、早めに来てくれた。

料理は私が作り、真琴は部屋の片付けや掃除をテキパキとこなしてくれる。

しばらくすると、叶多が同僚たちを連れて帰ってきた。

「手土産に」と、お酒を差し出される。

「奥さん、お邪魔します。結城も久しぶりだな」

「どうぞ、お入りください」

そう返しながら、同僚たちをリビングへと案内し、私はキッチンへと移動した。


料理を運んでいると、楽しそうな真琴の声が耳に入った。

「この料理、私が作ったのよ」

久しぶりに再会した元同僚たちに、見栄を張りたかったのだろう。


実際は、全て私が作ったものだ。昨夜遅くまで下準備もしていた。

けれど、私は何も言えず、ただ笑うことしかできなかった。

叶多も何も言わない。真琴が料理ができないことも知っているはずなのに…。


同僚たちの視線が痛い。まるで「友人に料理を作らせて、自分は何もしなかったのか」と言いたげだった。

こんな空気では、本当のことを言いたくても、言えなかった。嘘つきだと思われても困る。

居たたまれなくなり、私はそっとキッチンへと逃げ込んだ。

リビングからは、真琴や叶多、そして同僚たちの楽しそうな笑い声が響いていた。

結局、同僚たちが帰るまで、私はキッチンにこもっていた。


同僚たちが帰るということで、私も叶多と一緒に玄関まで見送りに行く。

「今日はお招きありがとうございました。結城、料理おいしかったよ。ありがとな」

同僚の一人が、真琴に感謝の言葉をかけた。

その言葉に、胸がざわつく。

結局、彼らの中で私は"友人に料理を作らせて、自分は何もしなかった女"なのだろう。

今更、それを否定することもできない。

真琴も感謝の言葉をごく当然のように受け取ると、笑顔を浮かべながら同僚たちと一緒に帰っていった。

玄関のドアが閉まる音が、妙に重たく聞こえた。




全ての片付けを終え、一息ついた頃、スマホの画面が光っているのに気づいた。

真琴からのLINEだった。

『何も言わないでくれて、ありがとう』

短いメッセージ。

私はしばらく画面を見つめたまま、指を動かせなかった。

言いたいことはたくさんあった。でも、何を返せばいいのかわからなかった。

結局、私はそのメッセージに返事をすることができなかった。

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