3/4話 秋
夏の暑い時期が過ぎ去り、草木の色づく涼しい季節。僕と二宮さんは、いつものように放課後のひと時を一緒に過ごしていた。
晩秋の今は入試の時期も間近に迫っているけれど、二宮さんのおかげで僕の学力は目標とする大学の合格基準を余裕で超えていた。
しかし、相変わらず面接対策は進まない。二宮さんに対してはすらすらと志望動機やら在学中に打ち込んだ事などを話せるのだけれど、他の人に対してはお察しだ。
両親相手の練習だとぎりぎり面接の体は成す。だけど担任の先生に対しては数分と持たない。途中で汗と動悸が激しくなりすぎて、あまりの顔色の悪さに先生の方からストップがかかってしまうのだ。いや、本当にどうしよう、これ……
ともあれ、勉強や進展のない面接練習ばかりでは気が滅入ってしまう。僕らは受験対策を途中で切り上げ、一緒に本を読むことにした。
二宮さんの緑青色の整った横顔を眺めながら、彼女と本の内容について語り合う。本当に至福の時だ。
『『古事記』かぁ…… やっぱり忍者のことなんて書かれて無かったな』
読み終えた本を閉じながらそんな事を呟くと、二宮さんから不思議そうな声が返ってくる。
『なぜ忍者なんだい? 彼らが活躍したのは江戸から戦国時代。古事記が成立したのは奈良時代だそうだから、載っているわけが無いと思うのだけれど……』
『えっと、やたらと古事記のことを引用してくる忍者漫画があってさ。今度持ってくるよ』
『ふぅん…… それはまた、新たな発想が得られそうな作品だね。おっと、もう陽が落ちてしまうな。岡田くん。ちょうど読み終わった事だし、今日はこの辺にしておこう』
『え…… あ、ほんとだ』
二宮さんの声に窓を見ると、すでに夕陽は沈みかけていた。
『ふふっ。楽しい時間というのは本当すぐに過ぎ去ってしまうね……
最近、君と会っていない時と、会っている時の体感時間の差についてよく考えるよ。時間が相対的な物であると、頭ではなく感覚でも理解できた気持ちだ。
この時がいつまでも続けばいいのにと思うけれど、君もあと数ヶ月で卒業か…… 寂しくなるね』
二宮さんが発した言葉に、僕は喉が詰まったようになってすぐに反応できなかった。
ブロンズ像である彼女の表情はアルカイックスマイルで固定され、その体も微動だにしていないはずだ。
しかし僕の脳がそう見せるのだろう。彼女の目が悲しげに伏せられ、背筋も気落ちしたように少し丸まっているように見えた。
--仮に僕の計画がうまくいったとしても、彼女に大手を振って会えるのは四年後。大学を卒業してここの事務職への就職が成功した後だ。
もっと時間がかかるかもしれないし、正直今のままでは受験の段階で失敗する可能性も高い。ぬか喜びはさせられない。だから、僕は今言える精一杯の言葉で答えた。
『うん…… でも、卒業してもきっとまた会いに来るよ。絶対に、必ず……!』
『--あぁ、楽しみにしているよ…… ほら、そろそろ本当に帰らないと。ご両親が心配してしまうだろう』
声を明るい調子に変えた二宮さんに急かされ、僕は名残惜しい気持ちからのろのろと帰り支度を始めた。
すると、ガララッ! と勢い良く教室のドアが開く音がした。驚いて入り口の方を振り返ると、そこにいたのは学校随一の不良、金髪ツーブロック男子の大友君だった。
「あん? おめー確か…… 岡田だっけか? 一人で何してんだ?」
「--アッス……」
ぐぅ……! やっぱり全然喋れない。いや、だって元々人と会話するのが壊滅的に苦手なのに、この人見た目が怖いんだもの。萎縮してしまう。
「--ま、どうでもいいけどよ。お、あったあった。やっぱしここだったか」
僕から興味を失った大友君は、自分の机の中を覗き込んでスマホを取り出した。どうやら忘れ物を取りに来ただけのようだ。
ならすぐに教室を出て行くだろう。そう思ったのに、なんと彼はつかつかと僕の方に歩み寄ってきた。え…… な、何!?
びびって固まっていると、彼は僕ではなく二宮さんの前に足を止めた。そして、僕と彼女をじろじろと見比べる。
あ…… 何か猛烈に嫌な予感が--
「ふーん。そういやちゃんと見たことなかったけど、こいつ、よくできてるよなぁ?」
べしっ。
『むっ……』
音が聞こえるほど乱暴に、大友君は二宮さんの頭に手を置いた。
同時に頭に響く二宮さんの不服そうな声。その瞬間、腹の底から激烈な怒りが込み上げ、言葉が口を突いた。
「触るな」
「--あ……? 誰に物言ってんだぁ、てめぇ……!?」
最初はぽかんと僕を見ていた大友君が、その表情を怒りに歪ませて僕を見下ろす。
誰って、君にだよ。無礼者。
『ま、待て岡田君! 私は気にしていない! 落ち着くんだ!』
二宮さんの必死の静止が聞こえた気がした。しかし、今はそれよりも言う事とやる事がある。
「皮脂や汗の塩分は、ブロンズ像の腐食の原因になる。手、どけて」
「腐食だぁ……? あ、おい」
大友君の声を無視し、僕は掃除用具を取り出して二宮さんの頭頂部をクリーニングし始めた。
薄めた洗剤で汚れを拭き取り、水拭きし、柔らかい布で乾拭きする。そんないつものお手入れをし終わる頃には、僕の気持ちも落ち着いてた。
そして、先ほどの自分の発言を思い出し血の気が引いて行くのを感じる。ま、まずい…… 僕の人生はここで終わってしまうかも知れない。
恐る恐る大友君の方に視線を向けると、彼の怒気は霧散し、何やらバツの悪そうな表情を浮かべていた。あ、あれ……?
「あー…… なんか悪かったな。あんましその、ブロンズ像? の扱いは知らねぇんだ」
「う、ううん……! こっちこそごめんなさい! 失礼な事を言ってしまって……!」
意外過ぎる素直な謝罪に、僕は彼にがばりと頭を下げた。腐食云々はただの方便だ。ちょっと触れたくらいでそんなに急激に影響が出るわけじゃない。
僕はただ、他の人間が気安く二宮さんに触れるのが気に入らなかっただけなのだ。自分の短慮さと幼稚さが嫌になる。
「いや、気にすんな。おめー確かこれのお世話係か何かだったよな? 本気でやってる仕事を邪魔されたら、そりゃむかつくだろうよ。
ガキの頃、親父が綺麗に均した生コンに悪戯して死ぬほど叱られたのを思い出したわ……
--おめー、こーゆうの好きなんか?」
大友君は、手は触れず、視線で二宮さんを示しながらそう言った。
「あ、うん。銅像とかフィギュアとか…… アニメとか漫画も結構……」
咄嗟にそう答えたものの、面接対策で身につけた、質問に対してプラスアルファで返答する癖が出てしまった気がする。余計なことを言ったかも……
「へぇ…… なぁ、あれ見てるか? 才能の無い落ちこぼれ主人公が、ヒーローの学校に入って成長していくやつ」
「あ…… み、見てるよ。今確か三期目だけど、一期から見てる。 --あの、もしかしてだけど…… 大友君の髪型って、主人公の師匠に寄せてたり……?」
「岡田、おめー……! ありがとよ! 気づいてくれたのはおめーが初めてだぜ!」
それから僕と大友君は、漫画やアニメについて関を切ったように話し始めた。
自分が両親や二宮さん以外の人と普通に会話できていることに途中で気づき、心底驚愕した。彼と衝突して和解したことで、何かが吹っ切れたのだだろう。
多分僕は、本心の見えない他人というものを怖がり過ぎて、話せば分かり合える事もあるという単純な事を見落としていたのだ。
大友君とは意外に趣味が合うらしく、彼が口にした作品を僕は殆ど網羅していた。正直とても嬉しい。僕は今、初めて二宮さん以外の人との会話を楽しいと感じている。
恐怖心はいつの間にか霧散し、僕の彼に対する印象は、一本筋の通った男気のある好人物というものに切り替わっていた。思い起こしてみれば、彼が誰かに暴力を振るったりする所を見た事が無い。
以前の僕は、そのワイルドな見た目や聞こえてくる噂のみで彼がどんな人物か判断していた。これは深く反省すべき事だろう。
「おいおい、なんだよおめー! 結構話せんじゃねーか! てっきりその口は飾りだと思ってたぜ!」
「あはははは…… 僕もそう思ってたよ。こんなに喋らされたのは初めてかも」
大友君と完全に打ち解け、軽口まで叩き合っていると、ガラリと静かにドアを開ける音がした。
今度は誰だろうと入り口を見ると、長い三つ編みの眼鏡女子、クラス委員長の富田さんだった。
「あれ。二人とも、こんな時間に何してるんですか?」
「あ? うぉ、もう外真っ暗じゃねぇか。委員長こそ何してんだよ。こんな時間に」
「図書委員の仕事が長引いでしまって…… それで、帰宅しようと思ったら教室の電気がついているのが見えたので、誰かが消し忘れたのかと思って戻ってきたんです。それより珍しい組み合わせですね?」
委員長の指摘に、僕と大友君はなんとなく顔を見合わせてしまった。
「別に虐めてたわけじゃねぇぞ? 趣味について熱く語り合ってただけだ。なぁ岡田」
「えっと…… うん。大友君とは意外と趣味が合うみたいなんだ」
そう答えると委員長は大きく目を見開き、それからなんだかとても嬉しそうに頬を歪めた。
「そうなんですか…… その、なんだか良いですね! うん…… いいコンビって感じですよ。
あ、あと、別に虐めを疑っていた訳じゃないですよ。大友君がそんな人じゃ無い事は知っていますから」
「そ、そうかよ。 --あー、てかもうそんな時間だよな。じゃあまたな、岡田。委員長」
「う、うん。またね」
大友君は照れたように頭を掻くと、教室の出口に向かった。しかし、そこに委員長が待ったを掛けた。
「大友君。そういえば途中まで帰り道一緒ですよね? あと、この暗い中を女子が一人で帰るのって、結構危ないと思いませんか?」
「--わかったよ。送ってきゃいんだろ? ったく……」
「ええ、ありがとうございます! では岡田君、また明日」
「ま、また明日」
なんとか返事し、連れ立って教室から出ていく大友君と委員長を見送った後、僕は強烈な疲労感に襲われた。
そのまま崩れるように椅子に座ったところで、二宮さんがとても興奮した様子で話し始めた。
『す…… すごいじゃないか岡田君! あの屈強な男に立ち向かうだけじゃなく、和解し、あんな風に楽しげに会話するなんて……! この数十分で、君は本当に劇的な成長を遂げたよ!
あぁ、この感動…… とても言葉だけでは全てを伝えきれない! 動けぬこの身が口惜しいよ!』
彼女のブロンズ製の体は、やはり座った状態で微動だにしていない。
しかし、その声色は今にも踊り出しそうほど喜色に満ちていた。
『あはは…… ありがとう二宮さん。大丈夫、伝わってるよ。そんなに喜んでくれてありがとう……
僕自身びっくりしたよ。人とこんなに話せるなんて。それを楽しむ事ができるなんて…… でも、本当に疲れた……
--うん。やっぱり僕にとって二宮さんて特別だよ。話してると本当に楽しいし、とても落ち着くよ……』
『……! --さっきの彼よりも、かい……?』
『そりゃあ…… うん。何せこんなに疲弊しちゃってるからね…… あ、僕も帰らないと。そろそろ両親がそわそわしだす頃だ。じゃあね二宮さん、また明日』
『--ああ、また明日…… さようなら、岡田君』
興奮と歓喜に満ちていた二宮さんの口調はトーンダウンし、いつの間にか何かを深く考え込むような調子に変わっていた。
しかし、疲労困憊で家路についた僕は、彼女の変化に気づく事ができなかった。
そしてその翌日から、あれほど饒舌だった二宮さんは、一切僕の声に応えてくれなくなってしまった。
お読み頂きありがとうございます。
よければブックマークや評価、いいねなどを頂けますと励みになります。
合わせて下記も連載中です。よろしければこちらも是非。
【亜人の王】王道異世界転移もんむす小説
https://ncode.syosetu.com/n6589io/
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。