1/4話 春
全4話の短編。ジャンルはボーイミーツガール(?)です。よろしくお願いします。
「春チャレンジ2025」の期間中に全話を上げる予定です。
ど田舎ではないけれど決して都会でもない。そんな場所にある平凡な普通高校の一室に、僕、岡田穂波は座っていた。
席は教室の一番後ろ。教壇に立つ先生と、行儀よく座るクラスメイト達の後ろ姿を見渡すことが出来る。
受験や就職を控えた三年生という学年のせいか、眠ったり内職している人間はこの教室には居ない。
しかし今日はゴールデンウィーク明け初日、しかも昼休み前の古典の授業だ。切り替わらない連休の感覚と空腹に、僕はとても集中する事ができず、いつものように隣の席へ話しかけてしまった。
『そういえば二宮さん。実は昨日見せた漫画、しばらく前にアニメ化してるんだけど、今週末一緒に見ない?』
すぐ右隣に座る二宮さんの様子を伺えば、彼女はこちらを一顧だにせず黒板を見つめていた。
その中性的な横顔は非常に整っていて、深い知性が滲み出ているかのようだ。短めのポニテもとても似合っている。
平均的な体型の僕より頭半分ほど座高が高いけど、足もすらりと長いので単純にスタイルが良いのだ。多分、身長は180cmを超えるんじゃないだろうか。
セーラー服の着こなしには一部の隙もなく、お手本として生徒手帳に写真が載ってそうな程だ。
そんな彼女の姿に見惚れていると、声をかけた数秒後にやっと答えが返ってきた。
『--それは、主人公が寄生生物に右腕を乗っ取られるあの漫画かい?
ふむ。どう映像化されたのか非常に興味を唆られるところだけれど…… 岡田君。今は授業中だよ?』
カッ、カカッ……
二宮さんの指摘に応えるかのように、先生が黒板でチョークを削る音が教室に響く。
あの先生、授業中はいつもああして黙々と板書をするのだ。多分僕らより、黒板に向き合っている時間のほうが長いんじゃ無いだろうか。
『うん、知ってる。でもあの先生の板書は教科書の内容そのままだから、二宮さんと雑談していた方が余程有意義だと僕は思うんだ』
『……その言葉はとても嬉しいけれど、学生の態度としては褒められたものでは無いね』
『それはその、ごめんなさい…… でもその点、二宮さんの授業態度は完璧だね。
座り姿は背筋がピンと伸びた綺麗な姿勢だし、瞬きひとつせずに黒板を見据えている。授業中の私語も皆無。正に理想的な女学生って感じだよ』
『う、うん。ありがとう。君はいつも私の事を褒めてくれるね…… けれど、先程も言ったように今は授業中で--』
二宮さんはそう嗜めつつも雑談に付き合ってくれる。この人は真面目だけどそれ以上に優しいのだ。
あと絶対口にしないだろうけど、きっと彼女もこの授業に退屈しているのだと思う。
そうする内に終礼の鐘が鳴り、先生は静かに終了を宣言してそそくさと帰っていった。
クラスメイト達は嬉しそうに隣席と机を合わせたり、人気のパンを買うために購買に走ったりしている。
僕はそんな中、一人鞄から取り出したお弁当を広げ始めた。すると。
「岡田君、ちょっといいですか?」
僕と二宮さんの間に入るように、クラス委員長の富田さんが立っていた。
黒髪の長い三つ編みに眼鏡、品行方正成績優秀。彼女ほど優等生という言葉の似合う学生も居ないだろう。
「--アッス……」
一方僕は、彼女と目を合わせることもままならず、やっと一言だけ返事のような何かを発した。
委員長はそんな僕の様子を気にする様子もなく話をを続ける。
「進路希望調査の用紙、まだ提出して無いですよね? 締切はゴールデンウィーク前だったんですが……」
「……あ」
すっかり忘れていた。慌てて鞄の中を漁ると、奇跡的に記入済みの書類が出てきた。
第一志望に通信制大学の名称だけが書かれたその用紙を両手で持ち、無言でおずおずと委員長に差し出す。
「はい、確かに受け取りました。ありがとうございます」
委員長は用紙を受け取ると、僅かに微笑んで去っていった。
ほっと息を吐いて昼食に戻ろうとすると、彼女が別の男子生徒にも声をかけているのが見えた。
「あ、待って下さい大友君。進路希望調査、大友君も提出していませんよね?」
「あぁ……? 俺は実家の土建屋継ぐから、進路もクソもねぇよ」
教室を出ようとしていた所を呼び止められ、彼、大友君は不機嫌そうに委員長を見下ろした。
金髪ツーブロック、筋骨隆々で眼光鋭く、声も野太い。この学校では珍しいくらいの典型的不良といった風貌だ。
そんな彼と委員長が話す光景にはいまだにハラハラしてしまう。しかし、彼女はさっき僕と話したのと同じ調子で台詞を続ける。
「今言ってくれたそれを、用紙に書いて提出するんですよ。あと、お昼時にそんな言葉を使わないで下さい」
「……っち。めんどくせぇなぁ」
委員長に押し切られ、大友君は大義そうに自分の席に戻った。素直に用紙を提出するつもりのようだ。
委員長がすごいのは、僕のようなコミュ障とも、大友君のようなワイルド過ぎる人とも、ああしてフラットに話してくれるところだ。
クラスメイト達の話では、小学校から今に至るまでずっとクラス委員長らしい。筋金入りだ。
心の中で委員長に賛辞を送って昼食に戻ると、隣から少し呆れ気味な声が飛んできた。
『岡田君…… 毎回思うのだけれど、君、私と他の人とで話す文字数が違い過ぎないかい……?
富田さんとは他の人より話せるようじゃないか。もう少し彼女と話す機会を増やして、会話の練習を--』
『二宮さん。人には得手不得手があるんだよ。他の人と話すのが不得手でも、僕は二宮さんと話す方が得手の方で良かったと思っているよ』
『ま、また君はそうやって…… まるで軟派男のような言いようじゃないか……』
満更でもない様子の二宮さんと話しながら昼食を終え、午後の授業を消化すると、時刻はあっという間に放課後となった。
当番のクラスメイト達が面倒そうに掃除を始め、帰宅部や他の部活に向かう人達が教室から出ていく。
そんな中、僕は今日一番のやる気を体に漲らせながら立ち上がった。
『さ、お待ちかねの掃除の時間だよ、二宮さん!』
『本当にこの時間になると嬉しそうだね、岡田君は…… ではその、よろしくお願いするよ』
『はい!』
元気に返事をして、自前で用意した専用の清掃用具を机の上に広げる。
この瞬間が、僕の人生で最も満ち足りた時間と言っても過言では無い。
しっかり手袋を着用し、手に柔らかい布を持った僕は、それで二宮さんの頭頂部から足先までを丁寧に乾拭きを始めた。
法悦感に浸りながら、布の面を変えながら丁寧に丁寧に、力を入れ過ぎないように優しく埃を取っていく。
手袋越しに伝わってくる二宮さんの温度は冷たい。髪も、肌も、そして服さえも硬く滑らかで、一様に青銅色だ。
そう。朝からずっと僕の会話に付き合ってくれていた二宮さんは、教室に据えられたブロンズ像なのだ。
なぜ教室の中にブロンズ像が座っているのか。その経緯は何というか、時代の流れと、それを逆手に取った変人との化学反応の結果とも言えるものだった。
薪を背負いながら本を読む二宮金治郎のブロンズ像。大体の人は、小学校在学中などにこの像を見たことがあるはずだ。
学生にはとても馴染み深いこの像だけど、近年、老朽化や歩きスマホを助長するなどの理由から撤去が進められている。
さらにこちらの方が適切だからと、座って本を読んでいる座像に置き換えられるパターンもあるのだとか。
それで、細かい経緯は分からないのだけれど、僕の通う高校にも新たに二宮金治郎像を建てようという話が持ち上がった。
しかし僕らの学校の校長先生は、少々捻くれていて変わり者だった。
高校の敷地内の時代に合わせた座像が設置しようという話に、彼は待ったをかけた。
曰く、偉大な経世家である二宮金治郎の像を、雨晒しにするのは如何なものか。もっと間近で学生を見守って貰うべきでは。
この言に高校の理事会は反論できず、校長先生主導の元、三年生の教室の一室に像を据える計画が進められた。
天才の呼び声も高い新進気鋭の彫刻家も起用され、像の製作は順調に進んだ。
そうして教室に据えられたのが、この可愛い二宮さんである。
当然、話が違うだろうと各方面から批判は噴出した。
机に座って本を広げているけれど、セーラー服を着ているし、どう見ても女学生である。これは二宮金治郎像では無い。
そんな声に、我らが校長先生はのらりくらりと立ち向かった。
二宮金治郎は男性であるが、セーラー服を着て何が悪いというのか。この像は確かに中性的な顔立ちをしているが、なぜ女性と決めつけるだろうか。
多様性の許容と勉学への真摯な姿勢を体現したかのようなこの像を、あなた方は否定するのか?
その反論に批判は急速にトーンダウンし、結局なし崩し的に今の状況に落ち着いた形だ。
正直詭弁もいいとこだと思うけれど、僕は校長先生に最大限の賛辞を送りたい。僕がコミュ障でなければ、校長室に乗り込んで握手してハグさせて頂きたいほどだ。
ところで、お察しの通り僕は銅像とかフィギュアが大好きだ。三年生に上がり、二宮さんのクラスに配属された時は狂喜した。
クラスの係決めの際には、なけなしの積極性を注ぎ込んで二宮さんのお掃除係に真っ先に挙手した。
以来、平日は勿論、休日も学校に通って心を込めてお手入れして差し上げた。
そうして数週間が過ぎたある日の休日、いつものように二宮さんを拭き上げていると、突然脳内に凛とした女性の声が響いた。
『--休みの日にまで手入れしてくれるのは非常にありがたいけれど、こんなブロンズ像に貴重な青春の時間を割いてしまっていいのかい?』
「え…… 今の、誰……!?」
手を止め、驚いてあたりを見回すも誰の姿も無い。いや、そもそも今の声は耳ではなく脳に聞こえた。
奇妙だけど、そんな表現がしっくりくるような聞こえ方だったのだ。
『まさか…… 私の声が聞こえたのかい……!?』
また聞こえた綺麗な声に、僕は自分の目の前に座るブロンズ像を凝視した。
僕が勝手に二宮さん呼んでいたその像は、今日も瞬きすらせずに教壇の方を見つめている。
ただの像が喋るわけがない。でも、他に声を発しそうな存在は周囲に見当たらなかった。
『う、うん。もしかして…… 二宮さんが話しているの……!?』
『二宮さんとは私のことかい? ああ、その通りだ……! 本当に驚いた。私の声を聞いてくれたのは、君は初めてだよ!』
彼女の表情はやはり微動だにしなかったけれど、その声は喜色と興奮に満ちていた。
以来、僕と二宮さんの関係は劇的に変化した。今では学校にいる間は殆どずっと会話をしている。これまで出来たことはなかったけれど、これが友人という関係なのかもしれない。
二宮さん曰く、彼女の記憶は教室に据えられた瞬間から始まっていて、生みの親である天才彫刻家から受け継いだらしい知識だけがあったそうだ。
なぜブロンズ像である二宮さんに自己と呼ぶべきものがあり、しかも像の見た目に合わせた女性人格であり、僕とだけ会話できるのか。
それらはゴールデンウィークが明けた今も分かっていない。
天才彫刻家の腕が、作品に魂すらも吹き込む高みにあったせいなのか、それとも単に僕の願望により生じた幻聴なのか……
正直、後者の方が可能性が高いんじゃないかとも思っている。でも、今後精神科や脳外科にかかるつもりは一切無い。
これがもし夢なら、絶対に醒めてなんか欲しく無いからだ。
長い回想を終える頃には、二宮さんのお手入れも終盤に差し掛かっていた。
乾拭きの後の薄めた中性洗剤による洗浄、水拭き、そして仕上げの乾拭きを終え、僕はふぅと息を吐いた。
『はい、今日のお手入れ完了です。おつかれさまでしたー』
『ありがとう。君こそおつかれさまだよ、岡田君。私に皮膚感覚は無いけれど、こうして丁寧に手入れして貰えるのは気持ちがいい気がするよ。
ただ、その…… 君に身体中余す事なく吹き清められることに対しては、やはり若干の恥ずかしさを覚えてしまうな……』
『え…… い、嫌だった……?』
この世の終わりのような気持ちで二宮さんの顔を見返すと、焦ったような声が返ってきた。
『い、いや! 全くもって嫌じゃないよ。ただ、股座や臀部のあたりを執拗に拭かれるのが気になってしまって……』
『なら良かった! あの辺は埃が溜まりやすいから、掃除にも時間がかかるんだ。決して他意は無いよ?』
綺麗にして差し上げたいという気持ちが九割を占めているのだから、残りの一割は丸めてしまっても良いだろう。うん。
『うーん、まぁ、それはそうなんだろうね…… すまない。折角丁寧に手入れしてもらっているのに、変な事を言ってしまったよ』
『ううん、全然気にしないで! あ。頼まれたやつ、図書館から借りてきたよ。これ、二宮金治郎さん本人じゃなくてお弟子さんが書いたものなんだね』
鞄から取り出したのは、『報徳記』という二宮金治郎の伝記だ。彼について知るにはこの書籍が一番らしい。
『そうらしいね。いや、助かるよ。私の生みの親も一通り読んだようなのだけれど、人間の記憶は完璧でな無いからね。
私の中で所々あやふやな部分があるんだ。本当にいつもありがとう、岡田君』
『いえいえ。それじゃ、読み上げるよ』
他のクラスメイト達が全員去った夕暮れの教室。僕が本を読み上げ、時折その内容について二宮さんと雑談を交わす。
そんな楽しい二人きりの時間は、瞬く間に過ぎていった。
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