第八十話 進路
第八十話 進路
ある日の午後、昼見世が終わり采は売り上げの計算をしていると
“クンクン……” 周囲の匂いを嗅ぎ出す。
「お婆、何か匂う?」 妓女が聞くと、「なんか匂うんだよな」
その言葉で妓女は匂いを確かめだす。
「お前じゃなないのかい?」 妓女が古峰を睨むと
「いえ、わ 私じゃありません―」 古峰は両手を振って否定する。
以前、強盗が入った時に古峰が放尿して逮捕に至った。 それから匂いが古峰という事に繋がっていた。
(あれはお婆が出せというから……)
古峰は痛い過去を思い出してしまった。
「ただいま戻りました」 梅乃と小夜が買い物から帰ってくると、
「どうしたのです?」 大部屋の空気の違いに気づき、梅乃が訊く。
「お お婆が匂うって言って、私が疑われたの……」 古峰が泣き顔で梅乃の腕を掴んでいる。
「去年じゃない……」 小夜も呆れたように話すと、
「お前たちは違うのかい?」 妓女たちはニヤニヤしながら三人を見る。
(まだ子供の感覚だったのか……)
夕方になり、引手茶屋に向かう準備を始める頃、
「梅乃、さっき話が来て花緒に付いてくれるかい?」 采が言うと
「わかりました。 じゃ、いってきます」 梅乃が駆け足で向かっていく。
(梅乃は引っ張りだこだな……) 小夜は横目で梅乃を見ていた。
「さ 小夜ちゃんも声が掛かっているんだし」 古峰が小夜の肩を叩くと
「そ、そうね…… もっといい女にならなきゃ」 小夜の意識は妓女へと向かっていっていた。
「失礼しんす、梅乃です」 梅乃は花緒の部屋の前で声を掛ける。
「待ってたよ。 入って」 花緒は笑顔だった。
(体調も良さそうだし、よかった)
以前に起きた腹痛も改善され、主人は家事を真面目にするようになっていた。
「さぁ梅乃、行くわよ」 花緒が外に出ると、見物客の視線を集める。
「通ります。 みは……鳳仙楼の花緒花魁が通ります」 梅乃が大声を上げると、 「お前、三原屋と言おうとしたろ?」 花緒がツッコんできた。
「すみません……初めてなので」 梅乃は笑って誤魔化す。
その後、無事に引手茶屋に到着すると
「花緒姐さん……」 声を掛けて来たのは菖蒲である。
「菖蒲……体調は良くなったの?」 花緒が訊くと
「おかげさまで……」 菖蒲は頭を下げて引手茶屋の奥に行ってしまった。
それを見て梅乃は感づいてしまった。
(なれるはずの花魁を腹痛で花緒花魁に譲ってしまったのは、気分も良くないよな……)
「ふん…… 行くよ、梅乃」 花緒も気分を害したのか、少し言葉が荒くなっていた。
引手茶屋で指名された妓女は客と落ち合う時間、禿を部屋から離れた場所で待っていなければならない。
それまでは目の前の通りの仲の町を眺めて時間を潰していると
「梅乃ちゃん?」 声を掛けてきたのは野菊である。
「野菊姐さん、おひさしぶりです」 梅乃はニカッと笑う。
「相変わらず、いい顔ね♪ しかし、髪を短くしたんだね~」
「色々とありまして……」 梅乃が困った顔言うと、
「この前、梅乃ちゃんと同じような髪をしている女性が仲の町を歩いていたわね……」
(まさか……) 梅乃の顔が血の気が引いたような色になっていく。
「どうしたの?」 野菊が顔を覗き込むと、
「いいえ、何でもありません……」 梅乃は野菊から視線を逸らした。
(玲さんが吉原に? 今度は何を企んでいるんだ……?)
「梅乃、行くよ」 花緒が茶屋の部屋から出てくると、静かに鳳仙楼に向かっていく。 派手にしたい客と、静かに見世に入りたい客がいるのだ。
そして酒宴となり、梅乃は困った顔をする。
「どうしたの?」 花緒が訊くと、「私、酒宴まで居てよろしいのでしょうか?」
「そういえば……」 そこは花緒も聞いていなかったようだ。
「とりあえず、お婆に聞いてきます」 そう言って、梅乃は鳳仙楼を出ていった。
「あ、梅乃。 お婆が探してたぞ~」 そう言うのが片山である。
「は~い」 梅乃は遣り手の席まで行くと
「何時まで付き合っているんだい! まさか酒宴まで参加しようとしていたのかい?」 采が睨む。
「すみません…… どこまでか聞いてなかったもので……」
「そうだな…… それは、花緒がお前を必要とするかを試したのもある」
采が言うと梅乃はもちろん、影で聞いていた古峰も驚いている。
(まさか、これで花緒姐さんの資質を計ろうと……) 気遣いの古峰は気づいてしまう。
「そうなんですね。 床入りまでを覚えさせようとしたのですね……」 梅乃は見事に勘違いをしていた。
采と古峰はガクッと身体を滑らせる。
(お姉ちゃん、大きく違うよ……) 思わずツッコミたくなるが、横から聞いていて怒られるのが嫌な為に黙っていた古峰であった。
「そ それは無いんだが……」 流石の采も困った表情になっている。
(なんだ、違うのか……)
「今日から、お前は片山に付きな」 采が指示をすると
(今度は台所か……あまり料理なんてしないしな) 梅乃は返事をし、台所に向かった。
吉原では、身請けをされる妓女は正妻より妾が多い。
『元、花魁』 その泊として金持ちや大名の男衆は身請けをする。
つまり高級なアクセサリーとして妓女を買っていくことだ。
身請けされた妓女は屋敷で暮らしていくのだが家事が出来ない。 お飾りの女性として置いておくか、「役にたたない」などと言われて屋敷から出されてしまうケースもある。
追い出された妓女は恥ずかしさのあまり吉原に戻ることも出来ず、夜鷹にまで成り下がってしまったりする。
見世としては、妓女は家事が出来まいとも関係ない。 高く売れれば良いのだ。
梅乃の家事は、料理以外なら出来る。
「潤さん、よろしくお願いいたします」 梅乃は台所で頭を下げる。
二人は台所で並んで茶碗などを用意する。 仕出しの食事がメインになるが、汁物や白米などは温かいものが良いので妓楼が用意している。
梅乃が作業を始めると
「まさか梅乃とこうして出来るとは……」 片山が感慨深そうに話し出す。
「そうですね…… 私に物心がついた頃に潤さんが来て、面倒をみてもらいましたから……」
片山は明治が始まったばかりの頃、彰義隊のメンバーで上野戦争をしていた。
怪我をして倒れていた時、花魁だった玉芳に助けられたのだ。
その恩から片山は三原屋で働いている。 先代の若い衆である橘から指導を受けて、若い衆の筆頭となっていた。
そこに采が台所にやってくると
「おい、片山。 梅乃にも何か一品、作れるようにしてやんな」 指示をしていく。
片山は頷いた後、黙って梅乃を見つめる。
「どうしました?」 梅乃がキョトンとすると、「い いや、何でもない」 慌てて片山は汁物に入れる野菜を切り出す。
「これは何ていうものですか?」
「これは白菜。 あとで人参を切るからな」 片山は野菜を教えながら作っていった。
(まさかとは思うけど、梅乃に身請けでも来ているのかな?)
そんな心配をしてしまう。
翌日、早起きをした梅乃が台所に顔を出す。
「おはようございます」 梅乃が声を掛けると、片山は忙しそうにしていた。
そっと横に入り、片山の仕事を眺める。
「どうした?」
「いえ、潤さんがいつ鳳仙花魁に結婚を申し込むのかと……」
梅乃が言うと、片山が肩を落とす。
(余計なことを言ったかもしれない……) 梅乃は少し反省してしまう。
片山は鳳仙に恋をしていた。 病気で引退してからも片思いは続いていたのだ。
「すみません…… 潤さんは何年も三原屋で働いているじゃないですか。 もう結婚してもいいのかな~と思って……」
梅乃が言うと、片山の手が止まる。
「それは三原屋に恩があるからだよ。 怪我をして助けてくれたお婆や玉芳花魁に恩があるから……」
「そうですね。 私や小夜も潤さんに遊んでもらったりしましたもん♪」
梅乃がニカッと笑うと、片山は優しい目で見つめる。
「ごめんください……」 三原屋の玄関で男性の声がすると
「はーい」 対応したのは千である。
「懐かしくて、近くを通ったから来てしまいました……」
この男性は、橘 仙次郎という。 三原屋が小見世の頃から若い衆として働いていた者だ。
「はい……」 千がキョトンとすると
「初めての顔だから驚くだろうね。 そう、お婆はいるかい?」 橘が言うと、千は采の部屋に向かう。
「お婆、千です。 お客様ですが……」
しばらくすると采がやってくる。 橘は中に入り、大部屋を見つめていた。
「なんだい? 勝手に入って……って、橘かい?」 采の目が見開く。
「ご無沙汰しております。 お婆も元気そうで……」
橘が挨拶をすると、早速動きだす。
「ごめんよ……」 橘が台所に入ると 「橘さん? おひさしぶりです」 片山は何度も頭を下げた。
「懐かしい…… お元気でしたか?」 梅乃が笑顔を向けると
「??」 橘は不思議そうな顔をすると 「新しい若い衆かい?」 橘は笑顔になり梅乃の肩をポンポンと叩く。
それを見ていた采が吹きだす。 「プッ― 橘、忘れたのかい?」
そして小夜がやってくる。 「お客さんですか?」声を掛けると
「お~ 小夜か? 大きくなったな~」 橘が笑顔になる。
「はい。橘さんもお元気そうで……」
「小夜もそうだが、梅乃はどうした?」
「あの……私ですが……」 梅乃が恥ずかしそうに言うと
「お前……てっきり男の子かと……」
久しぶりの再開に、三原屋には笑いが出ていた。
すると橘が真面目な顔になり、 「そろそろお前も結婚したらどうなんだ?」 片山を見ると
「そみません。 三原屋の仕事で満足していますし、まだまだ……」 片山は苦笑いになる。
「好きな女性は居るんですけどね~」 これに小夜が揶揄うように言うと、
「それは急がなきゃいかん! お前、すぐにでもやれ!」 橘が片山の肩を叩く。
そんな時、三原屋の玄関で声がする。
「ごめんください……」
「この声は……」 片山は気づいてしまった。 この声は鳳仙である。
「凄いタイミングですね……」 梅乃は笑顔で玄関に向かう。
小夜が玄関を指さすと 「小夜、どうした?」 橘がキョトンとすると
「潤さんの 想い人……」
すると、橘の目つきが鋭くなる。 采は初めて知ったようで、目を丸くする。
「連れてきました~♪」 梅乃はニコニコしながら鳳仙の腕を引っ張ってきた。
「片山さん……」 鳳仙と片山は固まったままだった。




