第七十九話 くすぶり
第七十九話 くすぶり
夏の終わり、梅乃は香梅楼の前を通る。 いつものように散歩をしながら九朗助稲荷で手を合わせていたとき
「梅乃ちゃん……」 声を掛けてくる。 梅乃が振り返ると 「定彦さん―」 声を出し、駆け寄っていく。
「相変わらず、人懐っこいな…… これじゃ、また誘拐されちゃうよ」 定彦はニコニコしながら話す。
「その時は、今度こそ外の景色を楽しみますよ」 梅乃は十四歳、立派な返しが出来るようになっていた。
「遣り手をやってから上手になったね……」 これには定彦も驚いている。
「定彦さんは、まだ陰間茶屋をやるんですか?」 梅乃が訊くと、
「そうなんだよ…… ここの家賃も苦しくなっているしね……」 定彦は、ここ最近の事情を話し出す。
明治、外国を意識するようになり高価な物が出回っていきている。 物価も上がり、金が掛かることから吉原を撤退しようか悩み始めたようだ。
「どうするかね……」 定彦は悩んでいる。 芸子としても食べてはいけないし、陰間茶屋も取り締まりが厳しくなってからは大きな営業も出来なかった。
「だったら、洋蘭姐さんの所で若い衆はどうです?」 梅乃が提案すると、
「大丈夫かな? 私の母親はアレだよ……」 定彦は苦笑いをする。
定彦の母親とは、平八郎の正妻の時子である。 妾として来た洋蘭とは仲が悪く、吉原に住んでしまったほどだ。
「あぁ……」 梅乃も思い出し、苦笑いになる。
しばらく二人が考えた結果。
「行ってみましょう!」 梅乃は定彦の手を握り、香梅楼へ向かった。
「こんにちは」 梅乃が声を出す。 中から洋蘭が顔を出すと「―っ!」 言葉に詰まってしまった。
「姐さん、何もオバさんの事じゃなくて……」 梅乃が説明しようとすると洋蘭は玄関を閉めてしまった。
梅乃が申し訳なさそうな顔をすると、 「梅乃ちゃんが悪い訳じゃないよ」 定彦は慰めの言葉を言って河岸見世に戻っていく。
「はぁ……」 梅乃がため息をついて、三原屋に戻ろうとすると
「梅乃……」 洋蘭が声を掛ける。
「姐さん、どうして……?」 梅乃が声を出すと、洋蘭は周囲をキョロキョロとし始める。
「あの、オバさんはいませんよ」 梅乃がニカッと笑うと、ホッとしたような顔をする。
そして梅乃が定彦の事情を話すと、「そんな……」 洋蘭は驚いていた。
定彦は歌舞伎に舞台子を経て、修行の身として男に抱かれていること話す。
「それで……あの人が怒ったの?」 洋蘭の言う「あの人」とは時子である。
「陰間とは知らないようでしたが、歌舞伎の世界に入ってから家を勘当されたと聞きました。 なので、姐さんに恨みがあるとか監視している訳じゃないんですよ~」
梅乃が説明すると、洋蘭が息を漏らす。 安心したのだろう。
そこに古峰がやってくる。
「う 梅乃ちゃん…… 帰ろう」 古峰は梅乃を呼びにきたようだ。
「わかった~」 梅乃は頭を下げて香梅楼を後にする。
三原屋に戻った梅乃は、空気の違いを察する。
「古峰、ここ最近は妓楼の空気が変じゃない?」 梅乃が小声で話すと、
「あ あれだよ……」
そこには小夜の姿があった。 まだ小夜も禿だが、客から声を掛けられる事が増えて顔つきが変わってきた。
「小夜さん、私がやります……」
そこに千がやってくると、小夜の雑巾掛けを手伝おうとしている。
「千さん、新造になった千さんに掃除なんて……」 断っている小夜も口調が大人になっていた。
「小夜、私がやるから」 梅乃が手を出す。 雑巾を渡せと言うかのように。
「梅乃……」 呆然とする小夜の表情が、どこかぎこちない……
昼見世が始まる。 すると小夜は外に出て張り部屋を眺めていると、
「小夜~ 何を見ているの?」 梅乃がヒョコっと顔を出す。
「あぁ、梅乃か…… なんかさ、来年にはここに入って仕事をするんだな~って思って見ていたの……」
「そうだね…… いつの間にか大人に近づいたんだね」 梅乃も感慨深げに張り部屋を見る。
「ねぇ梅乃……私達はどんな妓女になるんだろう?」 ポツリと漏らす小夜は不安そうだった。
「小夜は花魁になるんでしょ? 堂々としていればいいよ。 そして私は遣り手で支えるからさ」 梅乃がニギニギをすると、小夜も合わせたようにニギニギを返す。
梅乃は花魁というポジションに興味がない。 ただ采や三原屋の事が好きで、ずっと三原屋で暮らしたいと思っていた。
「梅乃~ お婆が呼んでるよ~」 妓女が張り部屋から声をあげる。 見世の奥で采が呼んでいたようだ。
「行ってくるか……」 梅乃が手を振ると、小夜は小さく頷いた。
(でも、三原屋で絶対なのは梅乃なのよね……)
小夜には梅乃が必要なのだが、同時に三原屋でも必要とされている。 そんな存在が羨ましく感じている。 つまり嫉妬である。
(小夜さん……)
これには千が早くに気づいていた。
昼見世が終わると、小夜は仲の町を散歩している。 梅乃が遣り手の席で帳簿の整理、古峰は鳳仙楼の様子を伺いに出ていた。
「どうしたの?」 小夜に声を掛ける声がする。 振り向くと、
「葉蝉花魁……」 小夜は頭を下げる。
「なんだか浮かない顔だね…… どうしたんだい?」
それから二人は茶屋に向かう。
「あの…… 私は自分に自信がなくて……」 小夜は小松屋の花魁に悩みを話してしまった。
葉蝉は喜久乃が引退した後、一人横綱のように花魁を背負っている。 大見世の衰退ではないが、目立つ妓女が出なくなったのが原因だろう。
小夜には葉蝉が輝いて見えていた。 葉蝉は二十一歳、遊女としては最高の年齢だ。
「それで、何で自信がないんだい?」 葉蝉は茶を飲む。
「わからないんです……」 小夜が自身の着物をギュッと掴む。
「ふう…… 本当は分かっているんだろ? 梅乃ちゃんじゃないのかい?」
葉蝉の言葉に、小夜は動揺して肩を揺らすと
「本当に梅乃なのでしょうか?」 小夜が自身に問いかけるように話す。
葉蝉は小夜を見つめた。 その目は玉芳のように慈愛に満ちた目だった。
「小夜ちゃん、私も玉芳花魁を見てきたよ。 禿をしながらでも、自分の見世の姐さんよりも玉芳花魁が好きだった…… 憧れがあっても私は玉芳花魁にはなれない。 でも近づきたいと必死に頑張った。 この結果なんだよ…… 小夜ちゃんは小夜ちゃんでいい! 梅乃ちゃんが高い壁なら、乗り越えずにそっと寄りかかったらいいんじゃないかな?」
葉蝉も梅乃という存在は大きく感じている。 しかし、人と張り合っても仕方ない事を話す。 小夜は黙って頷いていた。
小夜が三原屋に戻ると、ある妓女が話をしている。
「来年には小夜と梅乃が新造として出てくる…… これは私たちの危機だよ」
その言葉が小夜の耳に入ると、足が震え出す。
(今まで仲良くやってきた姐さんたちを敵にするってこと? 嫉妬して梅乃を避けたら敵になってしまうの?)
これは三原屋だけではなく、吉原全体が客の取り合いになっていくことを知った小夜。
(こらからは敵として見なくてはいけないのかな……)
そんな時、 「小夜~」 梅乃の声がする。「どうしたの?」 小夜が梅乃の所に行くと
「遣り手の仕事から出られなくてさ……」 梅乃は紙を渡す。
「菖蒲姐さんの宴席の仕出し…… 頼める?」
「わかった~」 小夜は引き手茶屋に川本屋に走っていくと
(あれ、あの人……)
仲の町を歩いていると、見覚えがある女性を見かける。
「誰だっけかな? 話せば思い出すかもしれない」 小夜は女性に挨拶をする。
「こんにちは」
「あ、えっ? あぁ、こんにちは……」 女性が挨拶を返す。
「珍しいですね。 吉原だと長い髪が当たり前なのに、姐さんは髪が短いのですね……」
小夜が話しかけた女性は玲だった。 なかなか接点が少なく、小夜は覚えていなかったのだ。
「そうかい? 短い方が楽なんだよ。 吉原には居ないのかい?」 玲が言うと、
「一人だけいます。 梅乃って言うのですけど、姐さんくらい短いですよ」
「梅乃…… 貴女はどこかの妓女なのかい?」
「いいえ、三原屋の禿をしています」 小夜が元気に答えると
「そう…… よかったら、私と仲良くなってくれるかい? 私、まだ吉原が浅くてね……」 玲は笑顔で話す。
「はい。 また……」 小夜は引手茶屋に走っていった。
「そう…… あの娘も三原屋か」 玲は呟き、小見世の方へ消えていった。




