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第七十六話 迫る圧力

 第七十六話    迫る圧力



 喜久乃が吉原を去って数日が経った。 長岡屋では新しい花魁に喜久陽が襲名なのだが道中は行っていない。



 そこで妓楼主は挨拶回りをする。

 「それで、今回は喜久陽が襲名いたします。 今回の道中なのですが……」


 三原屋に来て説明をしていると、


 「もし何だったら派手にやらないかい? 鳳仙楼で菖蒲が花魁を襲名するから二人でやろうか?」 文衛門が提案すると、


 「それじゃ菖蒲ちゃんに悪いだろう?」 長岡屋の主が柔らかく断っていると、その言葉に文衛門は察する。


 (菖蒲が子供だからって馬鹿にしているな……)


 主人の「菖蒲ちゃんに悪い……」という言葉が物語っていたのだ。 どう考えても菖蒲より喜久陽が上だからと言わんばかりだ。



 「そうですか、残念です」 文衛門が長岡屋の道中を譲った形となった。



 文衛門が機嫌悪く三原屋に戻ってくると、妓楼の中は察したように静かになってしまう。


 「どうした?」 文衛門がキョトンとすると、妓女たちが苦笑いをする。

 (あれで機嫌悪いのを隠しているつもりかしら……)



 そこに勝来が二階から降りてくる。

 「とと様、丸わかりですよ」 そう言って勝来が微笑むと、


 「そうだったか…… 済まなかった」 素直に謝ってしまう可愛い文衛門である。


 「それで、どうしたんです?」 勝来が訊くと、

 「長岡屋の喜久陽が花魁になるので道中の案内に来たのだが…… 菖蒲と一緒にやろうと言ったら断られたんだ……」



 「それで何が悪いのです?」 勝来が平然としていると、

 「それが、「それじゃ、菖蒲ちゃんに悪いから」と言う理由で断ってきたんだよ」


 文衛門が言うと、妓女たちの目が険しくなる。

 「それって、菖蒲姐さんを馬鹿にしているって事ですよね?」 勝来の眉間に深いシワが入ると


 「そういう意味だろうな……」 文衛門が息を吐く。



 「見返してやらないといけませんね……」 勝来の鼻息が荒くなっていた。



 「ただいま~」 そこに梅乃が戻ってくる。

 「おかえり~」 小夜と古峰がパタパタと玄関までやってくると、

 「ヒソヒソ……」 小夜が梅乃に耳打ちをする。 先ほどの事で勝来が憤慨していた事だ。



 「まぁ、勝来姐さんはプライドが高いからね~」 梅乃があきれ顔をしていると

 「お前は姐さんが馬鹿にされて悔しくないのかい?」 勝来の怒りが梅乃にまで飛び火する。



 全員が勝来をなだめる。 梅乃には大人の事情を理解するには早かったようだ。



 そして、喜久陽の花魁道中の日がやってくる。 そこには多くの観衆が来ていた。


 「喜久陽、たくさんの人が来ているぞ。 目立てば長岡屋が完全に頂点に立つぞ」

 主は喜久陽にハッパを掛けている。 喜久陽は震えながらも頷いていた。



  “カンッ カンッ カンッ―”

 拍子木の音が響き、喜久陽が見世から出てくる。 観客たちが声を出し、盛り上げていた。


 「喜久陽― 日本一!」 喜久陽は少しの笑みを振りまき、外八文字を始める。



 勝来は睨むような目で喜久陽を見ていた。 やはり菖蒲を馬鹿にされた事を根に持っていたのだ。



 大門の前に来ると、歓声が一段と大きくなる。 喜久陽が振り返って水道尻まで向かう時、



 「あっ―!」 慣れない高下駄が足に絡まり、倒れてしまう。


 「喜久陽!」 主が抱きかかえ、名前を呼び続ける。 周囲は静まり返ってしまった。



 「誰か!」 主が大声で助けを呼ぶと、

 「行くぞ!」 岡田の声に反応した梅乃が人の輪の中に入っていく。


 「姐さん、大丈夫ですか? 梅乃が喜久陽の肩に手を回して抱きかかえる。

 意識を確認すると、岡田が喜久陽を抱えて長岡屋まで運んでいく。 梅乃は高下駄を持って付いていった。


 「先生、お湯ですか?」 「いや、冷えたものを持ってきてくれ」

 梅乃と岡田の連携が始まる。


 「先生、水と手ぬぐいです」 「そこに置いて、呼吸と脈だ」 

 梅乃は息を確かめ、手首から脈を測る。



 「先生、問題ありません」 梅乃が声を出し、喜久陽の着物の裾を上げると


 「せ 先生……」 梅乃の顔が青くなる。

 「どうした?」 岡田が覗き込むと、喜久陽の足が腫れている。 高下駄で転ぶ際、足首を捻ったのだろう。



 「とにかく冷やします」 梅乃は絞った手ぬぐいを足に巻き付ける。

 「他に打った場所を探してくれ」 岡田が指示をする。 喜久陽は女性であり、服を脱がせる訳にもいかず梅乃に頼んでいる。



 「分かりました。 花魁、失礼しんす―」 梅乃は豪華な着物に手を掛け、一枚ずつ脱がせていく。


 「うぅぅ……」 痛がる喜久陽に

 「花魁、少し我慢してくださいね」 梅乃が声を掛けながら脱がせていくと



 「これって……」 梅乃が見たものは、腰から太ももにかけて紫色に変色した肌だった。


 「先生!」 梅乃が呼ぶと、岡田が喜久陽の肌を確認する。

 「これは……」 二人が驚くのも無理はない。 この変色は


 「梅毒……」 梅乃が声を出してしまうと

 「喜久陽―」 主は声を出して泣き叫んだ。



 喜久陽は、喜久乃の引退が近づくにつれて客を取り漁っていた。 跡目争いに負けたくない一心だったのだろう。


 花魁になったのはいいが、お披露目の初日に見つかってしまったのだ。



 「あはは…… 見ちまったかい。 頑張ったのに報われなかったね…… 神さんは本当に居るんすかいね……」 そう言って、喜久陽は涙を流す。



 同じように梅乃の目に涙が溢れてくると、

 「お前は優しいね…… 吉原では花魁の私より有名でありんすからね……」


 喜久陽は、身体から力が抜けたように眠ってしまう。


 「とにかく休ませてください。 お薬は先生が持ってきますので」 梅乃は頭を下げて長岡屋から出ていった。



 その後、岡田とともに梅乃が薬を届ける。

 「すまない、梅乃ちゃん……」 主人が二人に頭を下げると


 「それで、姐さんをどうするつもりですか?」 梅乃が訊く。

 「それは……」 主人は答えられなかった。



 梅乃は喜久陽に薬を飲ませて帰っていった。



 三原屋に戻ると、勝来が一階の大部屋にいた。

 「ただいま戻りました……」 梅乃が声を掛けると、

 「どうだい? あの花魁は?」 勝来が梅乃を見る。 梅乃は黙って首を横に振った。


 これは “治る見込みがない”ということだった。


 「そうか…… そうまでして喜久乃花魁に近づきたかったんだね……」

 これは、どの妓女にも言えることだった。 三原屋では玉芳という絶対的な花魁のもと、誰もが憧れたからだ。



 梅乃には、翌年に勝来が花魁を襲名することが言えなかった。

 (今、話したら勝来姐さんも喜久陽花魁と同じようになる。 言わないでおこう……)



 季節は初夏。 梅乃の髪が伸び始める。

 「梅乃~ やっと髪が伸びてきたね♪」 小夜がニコニコして髪を触ってくる。


 「うん。 元のようになるのは何年かかるやら……」 梅乃もニコニコしていた。


 そんな中、三原屋に鳳仙楼の主人が来ていた。

 「それで、菖蒲のお披露目なのですが……」 主人の言葉から始まると


 「何をモタモタしているんだい?」 采はイライラしていた。 花魁姿が見たくて出したのに、一向にさせる気がないように見えていたからだ。



 「わかっております……」 主人の躊躇には理由があったのだ。

 「なんだい? はっきり言ってごらんよ」



 「ここ最近、妓女たちの頑張りが凄くて…… 菖蒲さんより良いのです」

 主人が言い出したのはコレだった。 菖蒲は数多くの客より、少ない客だが深く愛されるタイプだった。


 優等生タイプの菖蒲には派手さが少ない分、客引きには劣るものがあったのだ。



 「チッ― 勝手にしな」 采は冷たく引き離す。


 それから采は梅乃を呼び出す。

 「梅乃、鳳仙楼に行って菖蒲を見てきておくれ」 梅乃は急いで鳳仙楼に向かうと


 「菖蒲姐さん―」 梅乃が慌てて鳳仙楼の中に入る。

 そこには腹を押さえ、苦しんでいる菖蒲の姿があった。


 「どうしたんですか?」 梅乃が妓女たちに訊くが返事をしない。

 「まさか……」 梅乃は妓女たちを睨むと



 「梅乃かい……?」 菖蒲が声を掛けると 「姐さん!」 梅乃が抱きかかえる。

 


 その後、菖蒲からの聞き取りで菖蒲はストレスからの腹痛をおこしていたらしい。


 「すまないね…… 環境が変わって、なかなか順応できずにいたんだよ」


 これには梅乃も困ってしまう。 (順調にいけば花魁になれるのに……)


 「すまない…… 三原屋さんには迷惑を掛けっぱなしだよね……」

 妓女たちは口を開く。


 「どうしてこうなったのです?」 梅乃が訊くと、

 「それは慣習が違うからだよ……」 信濃が遣り手の席から立ち上がってくる。


 「誰もが、お前みたいに発揮できる訳じゃないんだよ…… 私だって同じ。 遣り手だから済んでいるが、経営だったら怖いものさ」

 信濃は目を伏せた。 (信濃姐さんでも辛いのか……)



 「でも、これじゃ……」 梅乃が困ってしまうと、

 「お婆に話してくれるかい? たぶん変わらないと思うけど……」



 梅乃はトボトボと歩いて三原屋に戻る。 そこには千が立っていた。

 「千姐さん……」 梅乃が驚くと、 「梅乃ちゃん……なのかな? 何か疲れていそう……」 千は梅乃の頭を撫でる。



 (どうしよう…… 涙が出そうだ)

 千は気配りが上手で、心を持っていくのに長けている。 以前にも、寝たふりをしている古峰の頭を撫でて泣かせてしまったほどだ。



 「ありがとうございます。 千姐さん」 梅乃は笑顔を出して采の所に向かう。

 黙って千は梅乃を見送った。



 「お婆、失礼しんす」 梅乃が采の部屋に入り、鳳仙楼での現状を話すと

 「ふぅ……」 采は話を聞いて肩を落とした。



 「梅乃……今まで済まないね。 お前ばっかり嫌な役目を与えてしまったね」


 「いいえ~ ここが私の家ですから、守っていくのが当然です」

 そう言って、梅乃はニカッと笑う。



 そして、梅乃が采の伝令で鳳仙楼に走って行く。

 「すみません、父様……」



 梅乃が主人の部屋に通され、采からの伝言を伝えると

 「わかった…… すまないね」 主人は肩を落とす。 これほどまでに腐敗してしまっていた妓楼だったとは、思いもしなかったのであろう。



 そして梅乃は菖蒲の部屋にむかう。

 「姐さん、失礼しんす」 「うぅぅ……どうしたんだい?」 菖蒲は布団から顔を覗かせると


  “バッ―” 布団を剥がしていく。


 「お前、何を……?」 驚く菖蒲に、 「帰りますよ、姐さん」 梅乃は小さな笑みを出す。



 梅乃が小声で事情を話すと

 「そんな…… 私は花魁には役不足だと……?」


 「そういう訳ではありません。 姐さんは、まとめ役というか……花魁とか華やかさとかが違うと思うのです」


 「すまない……私は中途半端なんだね。 芸子も辞めて、玉芳花魁のように……なんて思ったのだけれど、器が違ったんだね……」


 菖蒲は涙を流す。 憧れの玉芳のようにはなれない自分を責めていると

 「姐さんは、もっと良い場所がありますって……」 梅乃は正座をして菖蒲に向き合った。



 それから菖蒲は三原屋に戻っていく。 腹部を押さえ、懸命に荷物は運んでいくと


 「菖蒲さん、大丈夫かい」 ここで声を掛けてきたのは喜十郎だった。

 「喜十郎様……」


 明治八年、初夏。 菖蒲は三原屋に戻り、鳳仙楼の花魁になったのは


 「よろしくお願いいたします」 花緒が花魁に襲名したのだった。



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