第七十三話 故郷
第七十三話 故郷
「お久しぶりです……」 玲の父親は、有馬 平八郎 薩摩藩出身で、華族となって東京に住んでいた。
倒幕に参加していた薩摩藩だが、中には幕臣の者もいた。 この有馬家がそうである。
「お前、洋蘭を身請けしてから何をしているんだい? てっきり幸せな生活を送れていると思ったのだが……」 采が平八郎を睨むと
「いえ、采さん…… この屋敷だって、洋蘭の為に……」
「お前、それで幸せだったかい?」 采が洋蘭を見ると、黙って下を向いてしまった。
「男ってのは、馬鹿だね…… 屋敷や金を与えれば満足すると思っている…… 全員が同じじゃないんだよ! 最初は金があれば嬉しいが、慣れてしまえば飽きるもんだ。 それに、こんな屋敷に閉じ込められれば尚更だ」
采の説教が始まると、梅乃は黙って聞いていた。
「それにだ…… このガキが坊主になった経緯を教えな! これでもウチの娘だよ。 勝手なことをされて黙っている訳にはいかないんでね……」
“カンッ―” 采がキセルでテーブルを叩くと
その瞬間、梅乃と洋蘭が “ビクッ―”と姿勢を正す。 二人にとって、采は怖い存在だった。
平八郎は服を脱ぎ出し、背中を見せる。
「この傷です…… これを梅乃ちゃんと娘の玲が自身の髪を使って縫ってくれました」
「……」 采は黙って傷跡を見る。
「政府の者に斬られ、もう少しで命を落とすところを梅乃ちゃんが救ってくれたのです」
平八郎が話すと、采はチラッと梅乃を見る。
「お婆…… ここは政府に加担している医者ばかりなんだって。 だから医者を呼ぶと殺される危険があるから、私を誘拐したみたい……」 梅乃は聞いた通りの説明をすると、
「さらったヤツを呼びな!」 采の目が険しくなる。
そして梅乃が呼びに行くと、「……」 采が無言で玲を睨む。
玲は目を伏せたまま、采に頭を下げた。
「お前、梅乃を殺そうとした挙げ句、今度は誘拐か……」 采の目が鋭くなる。
すると、洋蘭が玲の横に立ち頭を下げる。
「お婆…… 娘が申し訳ありません……」
「お前の娘だったのか…… この始末、どうしてくれる?」 采は完全に怒っていた。 以前に梅乃が死にかけている。 それは玲が仕組んだことで、今度も玲が誘拐をしたからだ。
「お前、吉原を恨んでいるんだろ? だから梅乃を誘拐し、安全な場所に移してから吉原の者を消そうとしたんじゃないのかい?」
この言葉で全員に衝撃が走った。
玲は黙ったまま俯いている。
「玲…… 本当なのかい?」 洋蘭が震えた声で聞くが、玲は返事をしない。
「お婆……どうして?」 梅乃が采に聞くと、
「ここの場所は定彦から聞いていたから分かっていたけど、色々と拾ってから来たんでね。 時間が掛かっちまったよ……」
采は吉原で情報収集をしていたようだ。
「身近な鳳仙楼から手を掛けたのは運が悪かったね。 禿の弱みにつけ込み、殺人を誘導したのは お前だろ……」 采が玲を睨むと
(玲さんが絢を……?) 梅乃が驚いている。
「玲さん、本当ですか?」 梅乃は握りこぶしを作りながら震えていると、
「何を言いますか…… そんな証拠がどこに……」 玲が笑っている。
「玲…… お前が大量の水銀を集めていたのは知っているんだ。 薬屋などを使って、堕胎薬と称して水銀を集めていたよね……」
定彦は陰間で、顔に白粉を使う。 そこには多くの鉛が入っており、水銀などを扱う業者と知り合い、仕入れていたのだ。
「これだから吉原の人は嫌いだ…… お母様を嫌い、馬鹿にし、気が病んでしまったのも、お母様が吉原だったのがいけないんだ……」 玲は涙を流し始める。
(確かに女郎の娘として非難されてきたのだろう…… だからって吉原を責めるのには無理がある) 梅乃は冷静に解釈を始める。
「それで偶然、梅乃と知り合って好きになったから助けようとして誘拐したんだろ? 屋敷に置いておけば、後は全員を何とかしようと……」
采はキセルに火をつける。
「だったら何だって言うの? 梅乃ちゃんは渡さない。 この家の子になるのよ! お父様だって、養子にって言ったんだから!」
玲が強気になると、平八郎が口を開く。
「玲……お前がやったことは誰も喜ばないことだよ。 むしろ、梅乃ちゃんにも軽蔑されてしまう……」
「お父様、何を言っているの? お母様を見て、何とも思わないの?」
玲が叫んだ瞬間だった。
“パチン―” 洋蘭が玲の頬を叩いた。
「ああぁぁ……」 洋蘭は、また言葉が出なくなってしまった。 采と会った時には言葉が出ていたが、強いストレスで心に負担が掛かってしまったようだ。
「姐さん……」 梅乃が洋蘭を抱きしめると
(梅乃……) 采は梅乃を見て頬を緩める。
「とにかく、吉原に関わるな。 そして梅乃は連れて帰るからね」 采が言うと、平八郎が頭を下げる。
「お婆……」 梅乃は采に抱きつく。 采も梅乃を抱きしめた。
「……」 誰もが美しい光景に涙した瞬間、
“ポカンッ―” 采が梅乃にゲンコツを落とした。
「えっ?」 全員が目を丸くすると
「だいたい、お前がウロチョロするから こうなったんだろっ! 反省しろっ!」 そして采は追撃のゲンコツを落とした。
(髪が無いからモロだ……) 誰もが梅乃に同情してしまう。
そして采の救出により、無事に梅乃は屋敷から解放される。
(お婆……ありがとう) 梅乃は采と手を繋ぎ、吉原に戻って行った。
吉原では、一ヶ月が過ぎても小夜と古峰は落ち込んでいた。
「ただいま戻りました……」 玄関で声がすると
“ドタドタ―” 小夜と古峰が玄関まで走る音がする。
梅乃の帰りを「まだかまだか」と待っていたようだ。
「お帰りなさい……って」 二人は落胆の表情をする。
「何よっ! その顔は……」 帰ってきたのは信濃だった。 信濃は鳳仙楼の遣り手を頼まれていて、売り上げ金を持って三原屋に帰ってきただけだった。
「い、いや…… おかえりなさい」 古峰が頭を下げると、
「はいはい。 お婆は、まだ帰ってこないの~?」 信濃は疲れた表情だった。
「ま まだです。 梅乃ちゃん、どうしているんだろう……」
「何よ! まさか梅乃が死ぬはずないじゃない」 小夜が古峰の表情に憤る。
「ち ちがう― ただ心配をしているだけ」 必死に弁解をする古峰。 それでも小夜は、梅乃の悪い方への考えが許せなかった。
(そうだよね。 一番心配しているのは小夜ちゃんだった……)
そんな時、三原屋の玄関が開く。
「戻ったよ……」 采の声が聞こえると、全員が玄関に集まる。
采の後ろからヒョコッと梅乃が顔を出すと、 「……」 全員が梅乃を見て驚く……
「う 梅乃ちゃん……だよね?」 古峰が恐る恐る声を掛けると
「そうだよ。 古峰、みなさん ただいま戻りました」 梅乃がニコッとする。
しかし、周りの雰囲気は静まりかえっていた。
(どうした?) 梅乃が唖然としていると、 「お前の頭だよ」 采が深く息を吐く。
(そっか…… 坊主だから分からなかったのか) ようやく梅乃が理解をすると
「梅乃、まさか…… 梅毒じゃ……?」 小夜が小声で言うと、妓女全員が数歩下がっていく。
「ただ、頭を丸めただけですよ! まだ感染するような事はしていませんから」 病気を疑われた梅乃は不機嫌な表情を浮かべる。
こうして梅乃は、出向してから二ヶ月以上が過ぎて戻ってきた。
「ほら、夜見世の準備だよ! お婆、私は鳳仙楼に戻りますね」 信濃は戻っていく。 立派に鳳仙楼の女将のような雰囲気になっていた。
「久しぶりだな~ 誰と引手茶屋まで行くかな~♪」 梅乃は早くも仕事をする気になっていたが
「お前は疲れたろう。 今日は休んでいいよ」 采は優しい目をして梅乃を見る。
(なんか優しい目…… この後には恐ろしいことが待っている……)
梅乃は、過去の経験から後の想像をしてしまった。
「しばらく二人だったから平気だよ。 休んでて」 小夜が言うと、梅乃は見惚れている。
「何よ? どうしたの?」 小夜が驚いていると
「小夜……なんか変わった?」 梅乃が目をパチパチさせる。
「何もないわよ。 さっ! 古峰、やるよ」 小夜が声をあげる。
「お前が居ない時、小夜は一人で気を吐いていたんだ。 ある意味、お前のおかげかもね」 采はキセルを吹かせ、安堵の表情を浮かべると
(みんな変わっていくんだな……) 梅乃も薄らと笑みを浮かべる。
夜も更け、禿たちが部屋に戻ってくる。 梅乃は三つ並んでいる布団の奥側に寝ていた。
“スッ―” 襖が開き、小夜と古峰が梅乃の布団に入ってくる。
「わっ― ビックリした~」 梅乃が声を出すと、
「梅乃、どうして端で寝ているのよ。 真ん中で寝てよ!」 小夜が梅乃の腕を掴んで真ん中の布団に移動をさせると、梅乃を挟むように小夜と古峰が布団に入ってくる。
「よかった…… 無事で帰ってきて」 小夜が梅乃の手を握ると
「ず ずっと待ってたよ。 梅乃ちゃん……」 古峰も梅乃の手を握った。
「ただいま……」 梅乃も安心したように声を出す。
(ただいま、故郷……) そして静かに眠りについていったのであった。




