第七十一話 娘のような息子
第七十一話 娘のような息子
吉原に朝がやってくる。 梅乃が誘拐されて一ヶ月が過ぎていた。
季節は初夏を迎え、朝の気温も高くなってきた。
「はぁ…… なかなか眠れなくなったな」 お歯黒ドブを眺め、息を落としているのが定彦である。
「お おはようございます……」 定彦に声を掛けてきたのは古峰だった。
「古峰ちゃん…… どうしたんだい? こんなに朝早く……」
「お お願いがあって来ました」 古峰は真面目な顔で頭を下げると
「お願い?」 定彦がキョトンとする。
「わ 私を吉原から出してください」 古峰がお願いを始める。
「古峰ちゃん、足抜は重罪だよ? 本気で言っているのかい?」 定彦は、本気を感じながらも古峰に確認していると
「で 出来ることは、私は何でもします…… お願いします……」
「う~ん……」 定彦は頬を指で掻きながら悩んでいる。
「お願いします」 古峰は外にもかかわらず、膝をついて頭を下げると
「ちょっと…… 止めておくれよ」 慌てて止めに入る定彦。
「そうだ! 古峰ちゃんは、何でもするって言ったね?」 定彦が微笑む。
「は はい。お姉ちゃんを助けられるなら……」 古峰が涙目になると
「なら、おいで……」 定彦が古峰の腕を引っ張り、河岸見世の中に古峰を入れる。
(もしかして、このまま定彦さんに水揚げされる?) 古峰は震え、身構えると
「ほら、これを挿して……」 定彦は、古峰の髪に簪を付けると鏡で見せた。
「よく似合うよ♪ これを付けていてくれるかい?」 定彦がニコニコする。
「あ あの……私の身体じゃ……」 古峰は、声を震わせると
「ぷっ―」 定彦が吹き出す。
「古峰ちゃんは十三歳だろ? 私は子供の身体に興味ないよ。 本来なら好きな人の方が良いが、ここは吉原だ。 大事にしておきなさい」 定彦はニコッとする。
(興味ない……) 軽くショックを受けた古峰だが、まだ子供である。 これも吉原で生活をしているからであろうか、女と見られていない事を気にしてしまう。
古峰はトボトボと帰っていく。
「さて、私も動こうか……」 定彦は着替えをし、大門の前を通り抜ける。
「今日は呼ばれかい?」 会所の者が定彦に話しかけると
「えぇ、大座敷でしてね……」
そう言って、定彦は吉原を後にしていく。
梅乃は、玲の父親の傷口を確認していた。
「よし、だいぶ良くなりました。 おじさん、来週には抜糸をしましょう」
「そうか、すまなかったな……」
玲の父親が軽く頷くと。梅乃は “ニギニギ ”を見せる。
「えへへ……」 笑顔の梅乃は
(赤岩先生…… 私でも誰かを救うことができました……)
自分を誉め、静かに感謝をしている。
「さてと……」 梅乃が階段を上がり、二階へやってくる。
「姐さん、失礼しんす……」
「梅乃……」 洋蘭が笑顔を出すと、梅乃もニカッと笑う。 これだけで心が通じあっていくようになっていた。
そこに玲の父親が入ってくる。
「洋蘭、すまなかった…… お前を、もっと守ってあげれれば……」
洋蘭は涙を流す。 これまでの我慢が報われたような光景だった。
梅乃は黙って二人を見つめると、
「おじさん、もう一つ……」 本宅を指さした。
それから玲の父親が本宅の屋敷に向かう。 そこには梅乃も一緒に付いていく。
「ようやく傷が治ってきた。 ここに帰ってくるのも久しぶりだな……」
父親は大きな椅子に座る。 その横で梅乃は屋敷の中をキョロキョロしている。
「そこの坊主…… 盗みなんてするんじゃないよ! それに売女が触ると汚れるからね」
本妻は相変わらず冷たい態度だ。
「そうですね。 私なんて醜く、卑しい出ですから……」 そう言って、梅乃が笑う。 この笑みに本妻はドキッとする。
「奥様……」 使用人が本妻に近寄り、耳打ちをすると
「なんだって?」 本妻が慌てている。
(何があったんだ?) 梅乃がキョトンとすると、本妻が玄関を開ける。
梅乃が玄関を見ると、そこには大柄の派手な衣装で身を包んだ美女が立っていた。
「もしかして、定彦さん……?」 梅乃の目が大きく開くと、
「ただいま。 母上様……」 定彦はニコッとする。
すると、本妻が顔を赤くして怒り出す。
「お前…… この家を出て歌舞伎役者なんてものになりやがって…… この親不孝者!」 本妻は、定彦に向かって怒鳴り出すと、
「そんなに怒るな! 定彦、よく帰ってきたな」 父親は笑顔を見せる。
「これは父上様…… すっかり良くなったようですね。 そこの梅乃ちゃんのおかげのようですね」 定彦が色気のある仕草で、チラッと梅乃を見る。
「ところで、お前は何をしに帰ってきたんだ?」
正妻が言うと、定彦が微笑み
「梅乃ちゃんを連れ戻しに来ました……」
「私?」 梅乃は自身に指を向ける。
「そこの坊主のことかい? さっさと連れていきな! 家が汚くなるからね」
「私?」 ここでも梅乃が自身に指を向けると、
「それなら話が早い。 それでは……」 定彦が梅乃の腕を掴もうとする。
「待ちなさい……」 ここで父親が声を出すと、定彦の手の動きが止まる。
そこに数秒の空白の時間が流れる。 梅乃は、その時間が長く感じていた。
「私は、この梅乃ちゃんに恩がある。 これを返さないといけないから、この子は預かっておく」 父親は笑顔を出して言う。
「それにしても、女形には無理が出てきたんじゃないか?」
定彦の身長は六尺ほど。 現在の百八十センチほどだ。
「思ったより伸びてしまいまして……」 定彦が照れたように話すと、
(きっと、お互いに会いたかったのかな……) 梅乃は微笑ましい光景に微笑んでいる。
「梅乃ちゃんは、吉原で花魁になる子です。 その道中を一緒に歩きたくて女形を続けています……」 定彦の言葉に、梅乃の頭に衝撃が走る。 過去には玉芳の道中に参加した定彦の言葉で意識が遠のく。
「あわわ……」
「それに、その頭じゃ吉原で笑いものになってしまう。 まだ、髪が伸びるまでいなさい」 父親の言葉で決まってしまうが、これに納得いかないのが正妻である。
「どこまでも私を愚弄して……」 本妻の名は時子。 元は徳川の流れの松平家の子だった。
気位が高く、鋭い目線は使用人たちも恐れている。
(でも、迫力なら喜久乃花魁の方があるかな……) 梅乃は、皮肉ながらも吉原の遊女と比べてしまっていた。
そこに梅乃が一歩前に出て、
「おばさん…… 遊女が嫌いなのは洋蘭おばさんのせいですか?」
「そうよ! あの女は、私達から何もかもを奪おうとしているのよ!」 時子の眼光が鋭くなると、
「な~んにも知らないんですね……」 梅乃が呆れた表情をする。
「何よ! 小娘の分際で……」
「おばさん。 遊女は何を頑張っても妾は妾なんです。 それでも良いと、覚悟を決めて吉原を出ていくんですよ…… それなのに遊女、遊女と馬鹿にして……」
十四歳の娘は、いい大人の令嬢に呆れ顔を見せていた。
「おじさん。 一回でも洋蘭姐さんは正妻を欲しがりましたか?」
「いいや、一度も……」
「遊女は妾となったら、わきまえて行動するんです。 私のような子供でも、禿と呼ばれる頃から言い聞かされているんですよ。 いつか、私も妾として身請けされたら洋蘭姐さんのように暮らしていると思います……」
梅乃が真顔で時子を見ると、
「嘘よ…… そんな事があるわけないわ! 定彦だって、歌舞伎で食べていけなくなって家に帰ってきたんじゃないの!」
「おじさん…… 昔から、こんな人だったんですか?」 梅乃がチラッと時子を見ると、
「ちょっと、そういうフシがあったかな……」 父親は苦笑いをする。
「それに、私は金が無いから来た訳じゃなく……」 定彦も説明するが、
「嘘よ…… みんな嘘つきよ!」 時子が叫んだ瞬間
“バシャー”
梅乃が花瓶を逆さまにして、時子に水をかける。
「えっ―?」
これには全員が固まってしまった。
「お金持ちって、こんなに聞き分けがないんですね…… 私は吉原の子で良かったと思います。 こんな風じゃなくて良かった……」
梅乃が時子を蔑んだ目で見る。
梅乃は無言で屋敷から外に出る。 屋敷の庭には、たくさんの花が並んでいる。
梅乃が庭で花を見ていると、静かに土屋が横にやってくる。
「土屋さん。 ここの土は、お金持ちの家だから栄養がいいんですか?」 梅乃が小声で聞くと、
「いいえ、どこの土も一緒だと思いますが……」
それを聞いて、梅乃はニコッとする。
「どこの土でも、立派に咲いている花は偉いですね」 梅乃が花に微笑むと、土屋がドキッとする。
「梅乃様……」 (いや、錯覚か? どこかの女神のように見えた……)
すると、屋敷から大柄の花がやってくる。
「定彦さんは、本当に綺麗ですよね」 梅乃がニカッと笑うと、
「久しぶりに、やってみるかい?」 定彦が微笑む。
庭の真ん中、梅乃と定彦は大人の色気の授業を始める。
「そう! 梅乃ちゃん、目線……」 定彦の指示で、梅乃が流し目を送る。
「いいね! そこで、腰を前に……」 と、定彦が言った瞬間に梅乃は
“ドスンッ―” 豪快に倒れてしまった。
「いてて…… まだまだ……」
こうして定彦と梅乃は楽しんでいく。 それを二階の窓から玲と洋蘭が泣きながら見守っていた。




