第六十九話 桔梗
第六十九話 桔梗
この日、定彦は三原屋に呼ばれて座敷に座っていた。
「すみません、定彦さん…… こんなに久しぶりなのに……」 玉芳はお茶を出す。
「そうだね。 十数年ぶりだもんね…… それにしても、綺麗になった」
ここでは時間外に男の出入りがあると、客が流れ込んでも迷惑になるので定彦は女装をしていた。
(背も高く、綺麗……)
「何を言いますか。 定彦さんこそ、色気が増しているんじゃないですか?」
玉芳は、師との再会に笑顔だったが
「それで、梅乃の事でありんす…… 連れて行ったのは玲と聞きました。 玲は、以前に梅乃を殺しかけて逮捕状が出ていると聞きましたが……」
「その件だよね。 本当に妹が迷惑をかけました」
定彦が静かに頭を下げる。 その姿は美しく、歌舞伎役者だった頃を彷彿させるものであった。
「それで、梅乃を何処に連れていったんだい?」 采が定彦を睨むと、
「きっと、実家になります」
「案内しておくんなんし……」 玉芳が立ち上がると、
「私は舞台子になった時から家を勘当されていまして……」 苦笑いをする。
「定彦さん― 今は梅乃の大事でありんすっ― また殺されるんじゃ……」
玉芳が言うと、
「それはない。 玲は梅乃ちゃんが好きなんです! 以前、梅乃ちゃんが生きていたことを知った玲は、ホッとしていましたから……」
「そんなの信用なりませんっ― 今すぐ梅乃を帰してください!」
これには堪らず菖蒲が口を挟むと
「菖蒲…… すまない。 私は実家に帰れないんだよ……」
こうして話は平行線のまま時間が過ぎる。
「では、実家の場所を教えてください。 私が向かいますので……」
玉芳が言うと、定彦は黙ってしまう。
「どうしました? 言えないのですか?」 玉芳の目が鋭くなり、定彦を睨むと
「止めておきなさい、玉芳…… 安易に近寄れないし、あの家は政府から監視されているんだ……」
「どういうこと?」
「玲とは異母兄妹なのさ。 私が本家の子で、玲は妾の子…… そこは中が悪くて当然だが、私達の父は政府のやり方に反対している家なんだ。 つまり幕臣なのだよ。 それで名のある家は華族となり、繁栄という名目で監視されている家なんだ……」
この話に、全員が黙ってしまう。
「それなら勝来の家も武家だろ。 なんとか話はできないのかい?」
采の言葉に勝来は困ってしまう。
「話にならないくらいの家柄です。 私の家は、大名家に使える者でしたから……」
「この勢いで怒鳴り込んでも、家にも入れず…… 騒ぎにすれば、吉原ごと消し去られることだって……」
定彦の言葉に、全員が息を飲む。
「この家紋、わかるかい? 唯一、家の繋がりを残したものなんだ……」
定彦は、着物から見える家紋を見せる。 そこには桔梗の家紋があった。
「茗荷谷へ行ってごらん。 そこには桔梗の家紋が入っている屋敷があるよ。 そこが私の実家さ」 定彦が説明すると、お茶を飲み干す。
それから玉芳と鳳仙が、支度を始める。
「行くでしょ?」 鳳仙が声を掛けると、玉芳は下を向いている。
ここで玉芳は悩み出す。
(もし、私が怒鳴り込んでいったら……三原屋はおろか、主人の佃煮屋までもが圧力を掛けられたりでもしたら……)
「玉芳……お前は気にしなくていい。 ここは女郎の問題だ。 鳳仙にも迷惑掛けちまったね」 采がキセルを吸いながら背を向けると、
「このババァ! 一人で背負うつもりかよ?」 玉芳が言葉を荒げる。
「お前はもう、一般の者なんだよ。 大江様や、佳に何て言うつもりだい?」
「……」 采の言葉に、玉芳は言葉が出なくなっていく。
「とりあえず、帰ろう……」 鳳仙は、玉芳の肩に手を掛ける。
梅乃は、玲の屋敷で看病を続けていた。
「ゆっくり、私の方へ……」 梅乃に玲の父親が身体を預ける。 そこには、かなりの重さが乗っかってくる。
「背中に力は入れないでくださいね。 糸が弱いですから、切れると大変ですので」
梅乃がアドバイスをすると、玲が食事を運んでくる。
こうして、看病を続けること一週間。 父親は話せるくらいまで回復してきた。
「顔色も良くなりました。 まだ傷口が塞がった訳でもないので、安静にしてくださいね」
梅乃が声を掛けると、父親は黙って頷いた。
「梅乃ちゃん、私は貴女に どう感謝を返したらいいか……」
玲は涙を浮かべていた。
「それなら、髪を切ってもらえると助かります」
「髪を??」 玲が目を丸くすると、
「はい。 横と後ろですが、ハゲになっていまして……」
梅乃は恥ずかしそうに後頭部を見せる。
「私もよ」 玲も同じように見せると、
「知っています? 禿って、ハゲと書くんですよね」 梅乃の言葉で、玲までもが笑ってしまう。
そして、 “ゾリッ ゾリッ ”
梅乃と玲は、頭を丸めてしまった。
それを見た玲の父親は目を丸くしている。
梅乃は、頭を丸めながらも敷地の中で過ごしていく。 玲は恥ずかしさもあり、屋敷から出る回数が少なくなっていた。
(しかし、至るところに花の紋があるんだな……) 梅乃が見渡していると、
「これは桔梗の家紋と言うんだよ」 こう説明するのは、梅乃を誘拐した玲の付き人だった。
「あなたは……」
「土屋 万作です」 土屋がニコッと微笑む。
「私は、玲様の付き人であります。 旦那様に使えていましたが、あの事件が起きてしまってからは玲様を守っています」
「そうなのですね。 土屋様は、私にも優しくしてくれましたよね~」
梅乃がニカッと微笑むと、
「本当に、梅乃様はお天道様のようですね」
「えっ? 頭がですか?」 梅乃が頭をペシペシと叩くと、土屋は後ろを向いてしまう。
(笑いを堪えているな……) 勘がいい梅乃は、すぐに気づいてしまう。
そこに、本宅の屋敷から中年の女性が出てくる。
「そこで何をしているの? ここの屋敷を我が物顔で使わないでちょうだい」
そう言って、女性が梅乃と土屋を睨むと
「すみません、奥様。 すぐに戻りますので…… それと、旦那様の怪我を治してくれたのが、この娘になります……」
土屋が説明すると、女性は梅乃を見る。
「この娘? 坊主じゃないの」 女性は鼻で笑って、屋敷に戻っていった。
(吉原の外でも嫌味な人って、いるんだな……)
「土屋さん、この紫の花は何ていう花ですか?」
「これは、この家の家紋と同じで桔梗という花になります」
(吉原では見ない花だ…… いっぱい花の種類があるんだな~)
梅乃は順応性が高く、この屋敷の中でも目新しいものに目を向けていった。
梅乃が屋敷に戻ってくると、 「おかえり。 梅乃ちゃん」 玲は笑顔だった。
土屋は坊主になった玲を見ると、黙って背を向ける。
(笑いを堪えているな……) 梅乃は土屋に細い目を向ける。
「土屋…… 笑いたきゃ笑え」 玲が呟くと、土屋の背筋が伸びる。
「そういえば、ここの二階はどうなっているのです?」 梅乃が聞くと、玲はドキッとする。
「……」 しばらく玲が黙っていると、
「失礼しました」 梅乃は頭を下げる。
「いいよ。 梅乃ちゃんだから話せるわ。 来て」
玲は梅乃に二階へ案内をすると、奥の部屋から女性の声が聞こえる。
「かごめ かごめ……籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に……」
梅乃がコソッと部屋を見ると、女性は布団から身体を起こして歌いながら外を見ている。
それに、何年も換気してない部屋。 入浴すら感じられない臭いに 「……」 梅乃は言葉にならなかった。
「この家に来て、私を出産してから……」 玲が話し出す。
この女性は、玲の母親だった。 玲の母親は元女郎で、父親の妾となり屋敷に住むようになっていた。
当然ながら、正妻からは猛反発にあう。 そして玲を出産してからは、風当たりが強くなったそうだ。 そして気を病んでしまったとのこと。
「しかし、このままでは悪くなる一方です。 なんとかしてあげたいです」
梅乃は女性に話しかける。
「こんにちは。 私は梅乃といいます」 笑顔を見せると、
「……」 女性は反応しない。 黙って、梅乃を見つめている。
そして、目を逸らすと
「かごめ かごめ……籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に……」
外を見つめ、歌いだしてしまった。
それから梅乃は、女性に食事を運んでくる。
「おばさん、一緒に食べましょう」 皿をテーブルに並べると
「……」 女性は無言で食事を摂っていく。
「ここは、何という地名ですか?」 梅乃が話しかけるも、女性は黙々と食事をしていく。
「……」 これには梅乃も言葉を失ってしまう。
梅乃は黙って女性を見ていると、急に食べている皿を引っ張る。 驚いた女性が梅乃を睨むと
「私は梅乃です。 吉原から来ました。 おばさんも女郎だったのですか?」
梅乃の言葉に、女性の目が大きく開く。
「ああぁぁ……」 女性の声に反応した梅乃が、
「いいんですよ。 私は、女郎にもなれない禿でしたから」
そう言うと、女性は涙を流していく。
「梅乃……」 「はい、そうでありんすよ。 姐さん……」 この言葉で通じあっていく。 これが郭言葉である。
郭言葉とは、吉原などの花街で流行った言葉である。 地方から売られた娘が、方言を出していると笑われた為に生まれた言葉とも言われている。
「私、洋蘭ってんだよ……」 女性が言いだすと
(これは、花街の名前だな) 梅乃は理解した。
それから梅乃は母親に寄り沿い、父親の看病を続けていく。
そこに玲は、感謝と誘拐した後悔が頭をよぎっていく。
「なんか、梅乃ちゃんを誘拐したことを後悔してきました。 こんないい娘を……」
土屋の目に涙が溜まっていく。 正妻との狭間に立たされて気を病んでしまった女性への同情と、梅乃の献身さで頭が下がっていたようだ。
そこに梅乃の大きな声が響く。
「洋蘭姐さん、お風呂が沸きました。 入っておくんなんし……」
(洋蘭? 姐さん?) 土屋は吉原を知らなかった。 誘拐するにも間違えて小夜の腕を掴んでいた。 玲も女郎としてではなく、武器の密輸に吉原を使っていただけである。 郭言葉さえ知らなかったのだ。
すると、洋蘭は席を立つ。 梅乃が手を持つと、静かに風呂場まで歩いていった。
(何年も動かなかったのに……)
梅乃が合図をすると、 「はっ―」 玲は慌てて母親の部屋に入り、シーツなどを交換する。 窓を開け、空気の入れ換えもしていく。
これは『梅乃が生んだ奇跡』ほかならない。
玲は涙を流して、掃除をしていくのであった。
「姐さん、髪を洗いますね……」 梅乃は何度も髪を洗うが、
(泡が出ない……)
それでも風呂に入れたのが良かった。
「姐さん、指名が入るまで ゆっくりしてください」
梅乃は、当時の事を再現するかのように接していく。 こうして母親の気を楽にしていった。
「梅乃ちゃん、本当に感謝だわ。 私、誘拐してまで何をしていたのかしら……」
玲が大粒の涙を流す。 梅乃は黙って見ている。
庭に咲いている桔梗の花も、微笑むように優しく揺れていた。




