第六十三話 采の決断
第六十三話 采の決断
「あの、采さん? 今なんて?」
「ちゃんと聞いてなかったのかい? 梅乃を鳳仙楼で面倒をみてほしいんだよ」
采の言葉に、鳳仙は自身の耳を疑った。
「ちょっと待ってくだしんす……梅乃と言えば、三原屋の顔になる禿じゃないですか? どうして?」
「あのままじゃ、梅乃は潰れてしまう。 私や小夜とも距離を置いて、自分を見つめ直す期間が必要なんだよ。 医術からも離れ、『本当に自分のやりたいこと』を見つけてほしくてね」
采はキセルを吸い出す。
「これは、私の勝手な意見でございますが…… 采さんの本心でしょうか?」
鳳仙は自信がなかった。 吉原を離れて時間が経っている。 ましてや玉芳の子供を預かることに自信が持てずにいたからだ。
「そりゃ、ウチの子だよ。 最後まで育てたいが、今の梅乃には三原屋が窮屈になっちまっている…… これは梅乃の為だからな」
采は、自分の心にも説得しているようであった。
「それで、玉芳には話していますか?」
「いや……」
「わかりました。 鳳仙楼で預かります」 鳳仙が頭を下げると、采は黙って三原屋に戻っていく。
鳳仙が大きく息を吐くと、「どうした?」 主人が鳳仙を見る。
「生きるって事は大変でありんすな~」
そう言って、伏せっている妓女の面倒を始める。
梅乃は、布団の中で目を覚まさずに朝を迎えた。
「やっと起きたかい…… 話がある」 采は梅乃に話すと一階に行ってしまう。
「??」 梅乃は慌てて布団をたたみ、采の部屋に向かう。
「お婆……梅乃です。 入ります」 梅乃が采の部屋に入る。
「……」 小夜と古峰は黙って見ていた。
そして、采が梅乃に話すと
「……お婆……今、なんて?」 呆然とする梅乃に
「これからお前は、鳳仙楼の禿として行くんだよ!」 采は、言った瞬間に背を向ける。
すると、「もう、私は要らない子なの? また私は捨てられちゃうの?」
梅乃は涙をボトボトと流す。
「早く行きな。 売っちまったんだ…… 鳳仙が待ってるよ」
采の声が震えている。
「そうですか…… 今まで……拾ってくれて、ここまで育ててくれて ありがとうございました……」 梅乃は膝をつけて頭を下げた。
梅乃が采の部屋から出ると、
「梅乃? 何があったの?」 小夜と古峰がやってくる。
「売られた……小夜、古峰…… 花魁になってね」 梅乃は涙を流してニギニギをすると、
「やだよ…… お婆に言ってくる」 小夜は采の部屋の戸を開ける。
「小夜です。 お婆……」 「後で話す」 それだけで小夜は部屋から出された。
梅乃は支度を済ませ、三原屋の玄関に立つ。 そこには三原屋の全員が立っていた。
「ありがとうございました。 お元気で……」
「梅乃……」 玄関では菖蒲と小夜が泣き崩れる。
勝来と古峰は呆然としていた。
梅乃が出て行くと、
「お婆―ッ」 血相を変えた菖蒲が部屋に入る。
「なんだい?」 振り向く采の顔を見て、菖蒲は言葉が出なくなった。
「お婆……どうして?」
そこには涙を流す采が呆然と立っていた。
“ドンドン―” 「失礼しんす」 梅乃は鳳仙楼に入っていく。
「鳳仙花魁、よろしくお願いいたします」 梅乃が頭を下げると、
「よく来てくれたね、梅乃……」 鳳仙は笑顔で迎える。
「さて、禿の服を用意しなきゃね―」 奥の部屋に行くと
「うっ うっ……」 鳳仙は泣き始める。
(いつも元気で笑顔だったのに、あんな絶望した表情で……)
「梅乃ちゃん、よろしくな」 主人が笑顔で迎えると、
「父様、よろしくお願いいたします」 梅乃は膝をつけて頭を下げる。
「……」 主人は言葉にならなかった。
「それでは姐さんたちの看病から始めますね」 梅乃は二階へ行き、瀬門の様子を診る。
「姐さん、どうですか? 身体の痺れや、お腹が痛いとかはないですか?」
「すまないね……手伝いに来てくれたのかい?」 瀬門が弱々しい声で言うと、
「手伝いではありません。 鳳仙楼の禿になりました梅乃です」
挨拶をすると、瀬門が驚きの表情を見せる。
「そうかい……」 瀬門は梅乃から視線を逸らす。
梅乃は瀬門の表情から察してしまった。
(絢のことで後悔しているんだろうな……)
それから一階に向かって、妓女の世話をしていく。
(なんで、こんないい子を渡しちまったんだい) 鳳仙は、采の決断に頭を悩ませていた。
夜、梅乃は妓女に白湯を与えていく。 水分を多く摂らせ、排尿を促していく。
肩を貸し、便所の手伝いまでしていく。
それを見ていた主人が
「鳳仙……梅乃ちゃんを返そう。 これじゃ、あの娘の未来を奪ってしまうよ」
主人の言葉に鳳仙が怒鳴る。
「そうやって、絢の未来を奪ってしまったんじゃないのかい―?」
鳳仙の叫びに、妓女たちは黙ってしまう。
「お前たち、梅乃を見てどう思う? 世話をしてもらって、どう思った? 梅乃は絢と同じ歳なんだよ!」
すると、 「やめてください。 鳳仙花魁」 梅乃は寂しそうな顔をする。
「私、捨て子だったんです。 それで、また捨てられて……もう、行くところがなくて鳳仙楼で拾ってもらいましたから……なので、笑顔でいたいのです」
そう言って、梅乃がニカッと笑う。
大部屋が静まり返ってしまう。
「あぁ、梅乃。 今、二階で布団を敷くからな」 主人が言うと、
「父様、私も行きます」 そう言って、二人は二階に向かっていった。
朝、三原屋では小夜が早くに起きていた。
「お おはよ。 小夜ちゃん」 古峰が挨拶をすると、
「おはよう、古峰……」 小夜は笑顔だった。
そして、いつも通りに玉芳の部屋から掃除を始める。
「さ 小夜ちゃん……」 古峰が声を掛けると、返事もせずに小夜は掃除をしていた。
(そうだよね。 何も考えられないよね……)
後朝の別れを済ませた菖蒲と勝来は、
「ちょっと行ってみようか?」 鳳仙楼に向かっていく。
「来たのはいいが、何て声を掛けるのよ?」 菖蒲たちは悩んでしまう。
鳳仙楼の前、戸を叩けずに引き返していった。
「今、思うと梅乃って凄いわね……」 菖蒲が言うと
「私も思いました……今、戸すら叩けないのに梅乃は躊躇なく行きますもん」
少し離れた所で見る梅乃の凄さを感じられるようになった。
鳳仙楼では、
「うげー」 妓女は激しく嘔吐している。
「姐さん、しっかり!」 梅乃が背中を叩き、介抱している。
「すまない……」 妓女が言葉にすると
「いいんです。 水を飲んでください」 湯飲みを渡し、どんどんと水分を含ませる。
「では、次―」 梅乃は順番に妓女の世話を始める。
腹部に耳をあて、腑の活発さを確かめる。 そして手首から脈を確認していく。
「だいぶ良くなってきました。 ただ、食べるものより水や茶の方がいいです。 栄養はありませんが、小水が近くなりますので治りも早いはずです」
梅乃が説明すると、鳳仙と主人は『ポカン』としている。
(梅乃は医者になったのか?)
そして一週間が過ぎると、妓女たちは回復してきた。
「梅乃ちゃん、ありがとうね……」
妓女はお礼をいうが、『梅乃ちゃん』と呼んでいた。 まさに他人行儀だ。
「なんだい? 梅乃は鳳仙楼の禿だよ! なんで他人行儀なんだい?」
鳳仙が笑いながら言うと、
「なんか、三原屋のイメージがあって難しいです……」
「でも、三原屋でも禿だよ。 私から見たら、姪っ子みたいだもん」
鳳仙が笑う。 それは玉芳は姉、その姉の娘として梅乃を姪と感じていたのだ。
「それに、梅乃ちゃんって禿でも立場が違うというか……」
「立場?」 これには鳳仙と梅乃までもが首を傾げる。
「う 梅乃って、そんなに偉かったの?」 鳳仙は、キョトンとして梅乃を見ると慌てて首を横に振る。
(私って、余所の妓楼から どんな風に見られていたんだ?)
それからも梅乃は一生懸命になって鳳仙楼で汗を流す。
梅乃が来て二週間が経つと、妓女は普通の暮らしが出来るようになった。
「よし、これなら大丈夫そうだな。 梅乃、よくやったな」
岡田が往診に来て、梅乃を誉めると
「えへへ~ 赤岩先生や岡田先生が教えてくれたからです♪」
梅乃は岡田にニギニギをして見せる。
岡田にも笑顔で応えるが、目の奥では寂しい表情をしている。
それを鳳仙や岡田は見逃さなかった。
「岡田先生……たくさんの妓楼を回ってらっしゃるのでしょう? その時は相棒をお貸ししましょう。 もちろん、妓女と同等の給金は頂きますが……」
鳳仙がニコッとすると、岡田も微笑み
「妓女と同等か……高くつく相棒になってしまったな」
「そうですね。 大見世、鳳仙楼でございますから…… では、十銭」
「十銭?」 岡田が驚く。
十銭は、現代で換算すると千円程度である。 妓女を抱くだけでも一円は掛かるのだが……
「鳳仙楼は、大見世と言っても売り上げはありません。 もはや死に体でございます。 そんな妓楼でも金を稼がなくてはいけません」
「わかった。 その助手をコキ使ってやる」 岡田は笑顔で承諾する。
「さぁ、梅乃! 仕事だよ! しっかり稼いでおいで」 鳳仙が梅乃の肩を掴むと、
「はい。行ってきます」 梅乃は岡田の後を追いかけていった。
「凄い子だな……」 主人は笑顔で梅乃の後ろ姿を見ていると、
「お前たちは梅乃を見て、どう思った?」 鳳仙が聞く。
「それは凄いとしか……」
「それは周りが許し、認めたからこそ梅乃が育ったんだよ! お前たちは絢の才能の開花どころか、見つけられなかったじゃないか……」
こう話すと、主人や妓女たちは下を向く。
そこに二階から瀬門が降りてくると、
「もう一回、やり直そう…… もし、禿が来てくれるようになったら、しっかり育てよう。 梅乃に負けない禿をさ……」
そうして瀬門も大部屋に入り、出直しを図っていく。
「ひさしぶりだね~」 昼見世の時間、妓女たちは二週間ぶりに張り部屋にやってきた。
そこに鳳仙が声を掛ける。
「この張り部屋の床を見てごらん…… 毎朝、梅乃が雑巾掛けをしていたんだよ。 お前たちが伏せっている期間、看病しながらでも毎日張り部屋の掃除をしていたんだ」
「梅乃……」 看病や掃除などを全てやってしまう梅乃に驚きと感謝を持ちつつ
「よし、この七人で花魁を目指すよ!」 瀬門が声を掛けると、全員が最高の笑顔で客引きをする。
こうして鳳仙楼は、再出発をすることが出来たのだ。




