第六十二話 押し寄せる悲しみ
第六十二話 押し寄せる悲しみ
絢の死から一週間が経った頃、三原屋では
「今までの事を見直しな! これは、お前たちの為でもあるんだ!」
采は大部屋で妓女たちに話している。
それは『禿を叩くな』ということである。
玉芳の言葉も最初は聞き入れるが、つい感情的になって叩いてしまうことを注意していたのだ。
しかし、妓女たちは言葉を聞き流しているようにも見える。
それは (私もゲンコツを落としてきたからね~) 采も反省しているようだ。
そして不思議と無傷だった禿がいる。 古峰である。
古峰は采に叩かれたことがない。 ゲンコツすら回避してきた。
「そういえば、どうして古峰だけ叩かれなかったんだろう……?」
梅乃と小夜は不思議に思っている。
「う 梅乃ちゃん、小夜ちゃん…… そんな目で見ないで」
つい、古峰は心を読んだように言い出すと
「う~ん……」 二人は古峰の言葉を聞かずに悩んでいた。
(この悩み方は、いつか私も叩かれればいいと思っているな……) 古峰の勘がそう言っていた。
そして昼見世の時間が終わった頃、
「梅乃、小夜……鳳仙楼に行ってきな! 主人の話でも聞いてやるんだ」
采は、見舞いの名目で三人を鳳仙楼へ向かわせる。
“コンコン ” 梅乃が鳳仙楼の戸を叩く。
「こんにちは~」 梅乃が明るい声で挨拶をすると
「あぁ……梅乃ちゃんに小夜ちゃんか…… この前はありがとな」
鳳仙楼の主人は覇気のない声で呟く。
「あの……これ、お婆からです」 小夜が見舞いの品を主人の前に差し出す。
「すまないね……采さんにも、よろしく伝えといてくれ……」 主人は最後まで元気がなかった。
(当たり前だよな……)
そして三原屋に戻った二人は、鳳仙楼の事を話すと
「そうか……まぁ、ゆっくり立ち直るといいな」 采まで言葉が弱くなっていく。
数日後、梅乃たちが大門の前を通ると
「なんか、大門が騒がしくない?」 小夜が言い出すと、梅乃と古峰が大門に目を向ける。
「なんだ? だれか有名な人でも来ているのかな?」
梅乃が得意の『首を突っ込む』ことにする。
「すみませ~ん。 誰か来ているんですか?」
混雑をかき分け、騒ぎの中心の中に入っていく。
(本当に躊躇が無いのよね~) 小夜と古峰が苦笑いになると、梅乃が輪の中で絶句する。
「まさか……? 鳳仙花魁……?」
そこには綺麗な衣装の鳳仙が大門の前に立っていた。
「梅乃? 梅乃じゃないか」 鳳仙が梅乃に気づくと、
「花魁……お久しぶりです」 梅乃が抱きつく。
「久しぶりだね。 それにしても大きくなったね」 鳳仙はご機嫌だ。
そこに小夜と古峰がやってくる。
「花魁、お久しぶりです」 小夜も挨拶をすると
「小夜と古峰だよね? 久しぶりだね」 鳳仙が二人を抱きしめる。
「ところで鳳仙花魁は、どうして吉原に?」 梅乃が訊くと、
「そうだよ。 今回の件で来たんだ。 それと……」
鳳仙が姿勢を正して深々と梅乃たちに頭を下げる。
「花魁……」
「鳳仙楼のこと……絢のことも全て迷惑を掛けちまったね。 すまなかった」
鳳仙が頭を深く下げると、
「そんな……やめてください」 小夜が鳳仙を止めている。
今回の件で、黙っている訳にはいかないと思ったようだ。
梅乃は玉芳に手紙を書いていた。 鳳仙楼の件や、定彦から指名が入ったことなど日記のように手紙で知らせていたのだ。
「それで、おじさんが元気なくなってて……」 梅乃が話すと、
「手紙……玉芳姐さんから聞いたよ。 一緒に来てくれるかい?」
そして鳳仙たちが鳳仙楼にやってきた。
“ダン ダン ダンッ―” 鳳仙が力強く戸を叩く。
「はい……えっ?」 主人が戸を開けると、鳳仙の涙混じりの顔を見る。
「父様……」 鳳仙が涙を流すと
「鳳仙……」 主人が鳳仙を抱きしめる。
妓女や若い衆も亡くなり、生きている妓女たちも布団で伏せっている。
ましてや殺人事件のあった妓楼に生き抜く力は無かった。
「お前たち、大丈夫かい?」 鳳仙は、堪らず妓女たちのもとへ向かうと、
「姐さん……」 布団の中から すすり泣きが聞こえる。
そこに岡田も往診でやってきて。
「主人、残った妓女たちは……」 言いかけた所で、岡田が言葉に詰まる。
「これは先生……久しぶりでありんすな……」 鳳仙が軽く会釈をすると、
「花魁……久しぶりです」 岡田も挨拶をする。
長いこと岡田は吉原で堕胎の仕事をしていた。 鳳仙楼からも依頼があって、顔見知りでもあった。
「先生……鳳仙楼を救って頂き、ありがとうございます」 鳳仙が岡田にも頭を下げると
「いや、いい……実際には梅乃や小夜たちが頑張ったから……」
岡田が説明すると、
「梅乃は何になりたいんだ……?」 鳳仙は、つい聞いてしまう。
(やっぱり聞かれるんだな……) 梅乃が困惑した表情になる。
「まず、診ていこう。 梅乃、用意を……」
岡田が言うと梅乃は袖をまくり、襷を掛ける。
「梅乃……?」 鳳仙がキョトンとすると、
「梅乃は医者の卵みたいなものですから……」 小夜が微笑んでいる。
岡田の処置に梅乃がサポートで入る。
まさに医師と看護師のように手際が良かった。
「姐さん、お水を飲んでください」 梅乃が伏せっている妓女の上半身を起こし、ゆっくりと水を飲ませる。
「先生、何か薬を飲ませますか?」
「いや、薬を飲ませると身体に残っている水銀が吸収されてしまう。 とにかく水をのませて小水を出させるんだ」
こうして生き残った妓女の七人を診ていく。
「梅乃……」 鳳仙は唖然と梅乃を見ていると
「ところで、お前は何しに……?」 主人が鳳仙の顔を見つめる。
「そりゃ、実家がこんなんじゃ心配になるでしょ!」
その言葉に主人が泣き始める。
「お前、実家なんて……」
これは玉芳も同じことを言っていた。 妊娠して安定期に入り、吉原に顔を出したとき
「お腹の子が安定したから、里帰りだよ」 という言葉だ。
鳳仙も吉原で育っていた。 同じ境遇だった二人の故郷は吉原である。
「その実家が大変な時に来ない訳がないでしょ!」
鳳仙は涙ながらに声を張り上げると、
「姐さん……」 妓女たちも涙を流している。
誰もが廃業を覚悟していた所に、救いの女神がやってきたのだ。
全員の目に希望が宿っていく。
しかし、そこには違う涙を流している者がいた。
「梅乃……」 その涙に小夜が反応する。
梅乃が台所に向かうと、大粒の涙を流す。
「絢……」
小夜も台所に向かって手を合わせる。
「あ 絢ちゃんは、この台所で毒を飲んで……』 古峰も説明しながら涙を流す。
(絢……友達が泣いてくれてるよ……) 鳳仙も台所に向かって手を合わせた。
「私は誰も救えていない……赤岩先生も、絢も……」
そう言って、梅乃は膝から崩れ落ちると
(いかん……) 岡田が梅乃に駆け寄る。
「―??」 岡田の行動に鳳仙が驚くと
「ぜぃ ぜぃ……」 梅乃の呼吸が変わってくる。
「梅乃―」 岡田は梅乃に抱きつき、背中をトントンと叩く。
梅乃の呼吸が荒くなると、
「梅乃、ゆっくり吐いて……吸って……」 を、繰り返す。
「梅乃、しっかり……」 小夜が声を掛けると、梅乃の身体の力が抜けていく。
「いかん― 過呼吸から気絶した! 主人、布団を貸してくれ」
岡田が叫ぶと、主人が布団を敷く。
「梅乃……」
梅乃は命を取り留めたものの、鳳仙楼でグッタリしていた。
「すまない、梅乃ちゃん……」 主人は何度も謝っている。
「今、謝らなくていい」 岡田が主人を止めると、
「梅乃は、とても十三歳とは思えないような経験をしている。 自身が殺されかけ、それを助けた医者が亡くなり……今度は親友の死だ。 それで身が変になってもおかしくない……」
岡田が言うと、全員が黙ってしまう。
「だ だからお婆は、梅乃ちゃんを遣り手の席に置いていたんだ……」
古峰が言葉を漏らすと
「梅乃が遣り手に……?」 鳳仙の眉間に力が入る。
「はい。 赤岩先生が亡くなってから、梅乃は遣り手を覚えさせられていたんです……」 小夜が説明すると、
「そっか……」 鳳仙は、梅乃の頭を撫でる。
それから時間が経ち、梅乃の意識が戻ってくる。 全員で頭を下げ、三原屋に戻ると
「すまなかったね……」 采が鳳仙に頭を下げる。
「いいえ……梅乃が鳳仙楼を救ってくれましたから……」
梅乃は二階の玉芳の部屋で横になっている。 その横で小夜と古峰が看病をしていた。
「それで、どうして梅乃を遣り手に……?」
「アイツには妓女は無理なんじゃないかと思ってね……」
鳳仙は、采の真意を聞く事が出来なかった。
余所の妓楼で育った者が聞いてはいけないと思ったからだ。
「とにかく、鳳仙楼が立ち直るには主人が立ち直ることだ。 三原屋でも出来ることはするからさ……」 そう言って、采は仕事に向かっていった。
それから鳳仙は妓楼に向かい、看病をする。
(どうして梅乃が遣り手に……?) 看病をする鳳仙だが、どうしても気になっていた。
その頃、梅乃は二階の部屋で泣いていた。
(赤岩先生…… 絢…… 会いたいよ……)
そこに采が部屋に入ってくる。 梅乃が泣き腫らした顔で眠っている姿を見ると
「ふんっ―」 采は、掛け布団を掛けて出て行く。
「小夜、今日はお前が菖蒲に付きな」 采が指示をすると、
「はい……って、梅乃は?」
「今日は休ませる。 班長がカバーしてやんな!」 采が言うと、信濃の遣り手を任せて外に出ていく。
そして、采が鳳仙楼に出向いていた。
「采さん……」 鳳仙が驚くと
「お前に話しがある……」
采の表情が硬くなっていく。




