第六十話 笑う三日月
第六十話 笑う三日月
夕方、引手茶屋に向かう梅乃は勝来と千と一緒だった。
「最近、勝来姐さんの共をしてなかったな~」
「お前が誰かを贔屓にしていたんじゃないかい?」 勝来が笑いながら梅乃を見ると、
「贔屓というか、お婆に目を付けられたから……」 シュンとしていた。
ここ最近、梅乃は遣り手の席が多い。 本当に妓女にしたいのか疑問に思ってきていた。
「それは梅乃さんが凄いってことですよね?」 ここで千が会話に参加すると
「そうとも言うな……私や菖蒲姐さんでも遣り手の席は無理だから……」 勝来が言うと、千は不思議そうな顔をする。
「どうしました? 千さん」 梅乃が顔をのぞき込むと
「今、遣り手の席はお婆と、梅乃さんと信濃姐さんですよね? 信頼されているんだな~と」
遣り手は帳簿や金の管理をする。 見世にとって重要なポジションだ。
その大役を信濃や梅乃に任せることが出来る采の度胸も凄かった。
千堂屋に入ると
「お前たちは待ってなさいね。 それに梅乃……お前は特にだからな! 千、ちゃんと見張っておきなさいよ!」
勝来が釘を刺すと、奥の座敷に入っていく。
「梅乃さん、どうして勝来姐さんに言われたのです?」
千が興味本位で聞くと、梅乃は数々の失敗を話した。
引手茶屋で待っている時にも玲を追いかけていったり、気になれば飛び出して命を落とす寸前までいったことなど……
(壮絶すぎる……それでも行こうとするから釘を刺されてるなんて……)
千は梅乃の顔が判断できないが、興味を持ってしまった。
「梅乃ちゃん……」 野菊が声を掛けてくる。
「野菊姐さん、こんばんは……」 梅乃と千が頭を下げると、
「久しぶりじゃない? お付きなんて……てっきり遣り手になるんだと思ってたわ~」 野菊がクスクスと笑う。
「いえ……どうも、私はダメらしく遣り手の席でお婆から監視されているみたいで……」 梅乃がシュンとする。
「そんな事ないわよ。 采さん、信頼できる人にしか遣り手を任せないわよ」
野菊が言うと、千が何度も頷く。
「本当に梅乃さんは凄いと思います……」
千は梅乃を称えている。
すると、他の見世の客まで梅乃に話しかけてくる。
「梅乃ちゃん、久しぶりに見るな~ 元気にしてたかな?」
「ありがとうございます。 八兵衛様もお元気そうで……」
梅乃は久しぶりの客の名前も覚えていた。 遣り手の場所に座っていたからだろう。
(凄い……) これには野菊と千が驚く。
そして、その後も通る客は梅乃に声を掛けていく。
「よっ! 梅乃ちゃん」 「こんばんは~」
大見世、三原屋を使った客は梅乃にも優しく接していたのだ。
(これじゃ、小夜さんが嫉妬する訳だ……)
千は、三原屋の構図が分かってきたようだ。
それから勝来たちは三原屋に戻り、酒宴となっていく。
「千、上手ね~」 千が覚えたての舞を披露すると、勝来が拍手をする。
梅乃も雰囲気を楽しんでいた。
すると、勝来の座敷の襖が開く。
全員が襖を見ると、信濃が正座をしていた。
「梅乃、ちょっと……すみません、梅乃を少々お借りします」 信濃が頭を下げると、梅乃はキョトンとしながら廊下へ出て行く。
「どうしたんです?」
「それが、お前を指名したいと言ってきた客が来てるんだよ……」
信濃が梅乃に耳打ちをする。
「私ですか? 私は妓女じゃありませんが……」
「わかってるわよ。 とにかく、玄関まで」 そう言って、梅乃と信濃が玄関まで行くと、
「定彦さん―?」 梅乃は驚きで大声を上げてしまう。
「梅乃ちゃん、こんばんは……指名、大丈夫かな?」 定彦はニコニコしながら聞いてくるが、
「あの……私、妓女じゃないので大丈夫とか言えなくて……」
梅乃が困った様子でいると、
「采さんは?」 「本日は外出していますが……」 信濃が答える。
「そっか……じゃ、出直すか」 こうして定彦は帰っていく。
「なんなの? あの男性……」
「定彦さんて、玉芳花魁の師ですよ」 梅乃は何かを感じ取っていた。
それを陰から見ていた者がいる。 古峰だった。
翌朝、食事が始まり大部屋には妓女や禿が朝食を食べていると
“チラッ ” 古峰は梅乃を意識している。
顔こそ見えないが、千も古峰の動きを気にしていた。
そして采が出てくると、
「お婆……」 信濃が采に昨夜の指名の話をする。
「何? 定彦が……?」 采の目つきが険しくなる。
「それで、男の格好だったのかい?」 采が確認すると、信濃が頷く。
「ふぅ……」 采が大きく息を吐き、
「梅乃、ちょっと来い」 采が手招きをする。
「お前、定彦から指名を受けたんだって?」
「はい。 妓女じゃないから……と、断りました」 梅乃が下を向くと、
「なんて顔してんだい? 下を向く必要があるかい?」 采は判断が正しかったと言いたいが、なかなか出てこない。
「ほら、売り上げも見ていますし……頑張った方がいいかな~とも思いまして……」
「お前……朝から涙を誘うんじゃないよ! ちょっと来な!」 采は、梅乃の言葉にウルッと来てしまった。 現状では三原屋の売り上げは厳しい。 それを知っているのは采、信濃、梅乃の三人だけだ。 遣り手しか帳簿を見ていないからだ。
采の部屋に入ると、茶箪笥がある。 その上には金色の三日月形である髪留めがあった。
「お婆、これ何?」 梅乃は躊躇なく聞くと、
「これは髪留めさ。 付けてみるかい?」 采は、髪留めを持って梅乃に見せる。
前髪の少し上、正面に三日月が見えるように付けていく。
鏡を見せ、神話の天照大御神の額にある太陽のような姿が写し出されると、
「綺麗~」 梅乃は金色の三日月に見惚れていく。
「お前が花魁になったら、これを付けて道中をしてくれるかい?」 采の優しい目が梅乃を見る。
「いいの……?」 梅乃は目を潤ませる。
「だから、小夜や古峰と競争をするんだよ」 こうして采は梅乃にハッパを掛けた。
これには意味があった。 以前に、古峰が梅乃に「梅乃ちゃんは花魁になりたい?」と聞いたことがあった。
それに梅乃は 「花魁とかは考えてないけど…… お婆とか、お世話になった人の役に立ちたい……それだけ」 そう答えていた。
それを後から聞いた采は泣いていたと言う。
玉芳も同じように、三原屋の事だけを考えて花魁になったことも知っていただけに、采の心は家族のような愛情を持っていた。
「でも、花魁になろうってニギニギしていたんじゃないのかい?」
采は思い出したかのように話すと、
「花魁になったら、揚げ代も高いから早く年季が明けちゃうし……まだずっと三原屋に居たいんです……」 梅乃が下を向くと、
“バチン―” 采が梅乃の頬を叩く。
「えっ?」 梅乃は叩かれた頬を押さえる。
「分かったような口を叩きやがって! お前と小夜を拾ったのは私だよ! 女衒から買った訳じゃなく、拾ったのさ! 年季証文なんか最初から無いんだよ。 このハナタレ!」 采が怒鳴ると、梅乃から髪留めを外す。
「お婆……」 梅乃は涙を流した。
「お前と小夜は三原屋の娘なんだ。 年季なんて言葉を出すんじゃないよ……」 そう言って、梅乃を抱きしめる。
それから梅乃は変わらずに過ごしていたが、
(何故、年季が無いって話したんだろう……?) 不思議に思ってしまう。
「あんまり聞くと、また叩かれるからいいか……」 そう思って仕事に励んでいった。
数日後、引手茶屋の千堂屋から指名の読み上げがやってくる。
夕方前、引手茶屋から妓楼に指名を伝えることになっているのだ。
「すみません、千堂屋ですが……」 千堂屋の若い衆が三原屋にやってくる。
「はーい」 これに遣り手が帳簿を持ってくる。
「勝来さん一名、酒宴ですね。 菖蒲さん一名、酒宴……」
これを『読み上げ』と言う。
「そして最後ですが……」 千堂屋の若い衆が言葉に詰まる。
「なんだい? 歯切れ悪いね……」 采が不思議そうな顔をすると
「あの……あと一件ですが、梅乃ちゃんなんです……」
「……なんだって―?」 采が驚く。
「それも、前から入っていたんですよ……」 若い衆は、前回も指名を受けていた事実を話すと、
「それで、どんなヤツだい?」 これには采も慎重にならざる得なかった。
「以前は河岸見世の人でした……今回は女の方でしたが……」
「女? どういうことだろうね……わかった。 梅乃の指名も受けておくよ」
采は、考えても仕方ないと思い指名を受けた。
夕方、采が梅乃を呼ぶ。
「梅乃……お前に指名だってよ。 どうする?」
「それって……」
「んっ? 何だい? 心当たりがあるのかい?」 采が梅乃を見ると、
「たぶん、定彦さんだと思う……」
「なんだって? 定彦が?」 采の手が震える。
「でも、せっかくの指名ですから断るのも良くないです……」 梅乃の目に力が入る。
「一応、周りは固めるからな。 何かあったら声を出すんだ。 見世の事を考えて我慢するんじゃないよ!」 采は、そう言って遣り手の席に戻った。
そして引手茶屋に向かう直前、
「梅乃、小夜 ちょっとおいで」 采が梅乃と小夜を部屋に呼ぶ。
「どうしました?」
「これを着ていきな」 采の部屋には小さめの着物が飾ってあった。
「うわ~ 綺麗……」 梅乃と小夜は驚いている。
「少し早いが、指名だからな。 初陣、頑張りな!」 采が説明すると、信濃が入ってくる。 着付けの手伝いだ。
着替えを済ますと、采が三日月の髪留めを付ける。
「これでよし! しっかり稼いでくるんだよ」 采は梅乃と小夜の両肩を掴み、気合いを入れている。
「はいっ―」 二人は声を揃え、大きく返事をする。
そして仲の町を歩く二人。 少し後ろには古峰と千も同行している。
「なんか梅乃、花魁になったような感じね♪」 小夜がニコッとすると、
「ん~ あんまり花魁とか興味ないんだよな……」 梅乃が息を漏らす。
「どうして?」 小夜がキョトンとすると、
「身請けとか興味ないし、ずっと三原屋に居たいからさ……」
梅乃の言葉に衝撃を受ける小夜。 小夜は結婚願望があり、いつかは身請けされたいと思っていた。
「だから、花魁は小夜でいいと思う……」 梅乃の本心だが、小夜は寂しく思ってしまった。
「私だって、梅乃とずっと一緒にいたいと思うよ……」 小夜は梅乃の手を握る。
そして千堂屋についた梅乃が主人に話をすると、
「随分と着飾ったな~ おーい、野菊~」 主人が野菊を呼ぶ。
「あら、梅乃ちゃん、小夜ちゃん……素敵よ。 でも、相手が違うかな……」
野菊が困った顔をする。
(どういうこと?) 全員が思った。 そして野菊が奥の座敷を案内すると、
「待ってたよ。 梅乃ちゃん……」
そこには綺麗に女装をした定彦が待っていた。
(こりゃ負けたわ……) 指名をされた梅乃を始め、全員が落胆してしまった。
あまりにも定彦が目立ってしまう為、梅乃たちは早々と千堂屋を出て三原屋に向かった。
(しかし、身長差よ……)
定彦は六尺近い(現代の約百八十センチ)なのに、梅乃は五尺(現代の約百五十センチ)にも満たない差に全員が言葉を失う。
小夜や古峰も梅乃と同じくらいの身長である。
どんなに着飾っても、女装をされた定彦には目立たなさを感じてしまう。
梅乃の頭上に光る三日月も笑っているようだった。




