第六話 縁日
第六話 縁日
「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こす。
「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎたか……」 玉芳は頭を押さえている。
「今日は、九朗助稲荷様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」
吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。
九朗助稲荷では毎月、午の日は縁日とされている。
出店が並び、毎回賑わっていた。
「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。
この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり
「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。
「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。
この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博している。
しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。
「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。
そして、九朗助稲荷に到着し三原屋全員で手を合わせる。
「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っている。
「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていく。
縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。
「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。
当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で周囲はザワついていく。
妓女が車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。
「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞くと
「様子見……ですな」
妓女に体調の異変など、当たり前である。
長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクもある。
妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。
そのほとんどが梅毒である。
「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。
文衛門が玉芳の頭を撫でる。
三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。
“最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。
「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」
文衛門の優しさに、玉芳は察したようだ。
そして、三原屋には重い空気が流れる。
中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。
(玉芳花魁が梅毒と決まった訳じゃないのに……)
梅乃は、イライラしていた。 これは梅乃だけではなく、菖蒲と勝来、小夜も同じ気持ちである。
「花魁、失礼しんす……」 様子を伺いに来た梅乃は、玉芳が寝ていることを確認する。
「よし……」 梅乃と小夜は、京町二丁目の奥にある九朗助稲荷に走っていった。
「おい……梅乃ちゃんと、小夜ちゃんだよね……?」
声を掛けてきたのは長岡屋の花魁、喜久乃だった。
「喜久乃 花魁……」 梅乃と小夜が頭を下げる。
「大丈夫か? 玉芳、死んだのか?」 喜久乃の言葉に
「いくら喜久乃 花魁でも怒りますよ……」 梅乃が細い目をして喜久乃を睨む。
「じょ、冗談だよ……それで、玉芳はどうなんだ?」
「原因が分からないのです。 梅毒の症状はなくても潜伏期間もありますし……と、言っていました」
「そうか……一緒に戦った仲間だ、一緒に祈ろう」 喜久乃と梅乃たちは、一生懸命に祈った。
「ありがとうございました」 梅乃が喜久乃に頭を下げると、喜久乃はニコッとする。
「知ってるか? 梅毒に掛かっても、治ったヤツは稼げるらしいぞ」
喜久乃は笑顔で話す。
吉原では、今までで数千人もの梅毒に侵された者がいる。
その中でも、自力で治した妓女や、薬で治した妓女もいる。
そうした妓女は、『次にかからない。 克服した女』 として、もてはやされ賃金が高くなっていったのだ。
しかし、梅毒になど なりたくはないものである。
「この世界は、色々な恐怖とも戦っているんだ。 そこから這い上がった者……それが花魁と呼ばれるのさ。 だから玉芳も、きっと善くなるよ」
喜久乃らしい、エールの送り方であった。
「これ、玉芳に渡してくんなんし……」 梅乃が喜久乃から簪を受け取る。
喜久乃は簪を渡すと、どこかに去っていった。
「やっぱり、花魁は凄いな……」 梅乃と小夜は、感動していた。
梅乃たちが妓楼に戻ってきて、
「花魁、いかがです?」 玉芳に話しかける。
「だいぶいいよ」 玉芳の顔色も、少し良くなっていた。
「これ、喜久乃花魁から渡してくれって……」 梅乃は、玉芳に簪を手渡した。
すると、
「アイツ……私を死に体だと思いやがって……許さん!」
玉芳が布団から立ち上がり、興奮している。
「だから違うって~」 慌てて押さえる梅乃と小夜であった。
それから三日後、玉芳は元気になっていた。
「花魁、良かったです~」 一階の大座敷では、玉芳の回復で盛り上がっていた。
「お前の強運には、驚いたよ……休んだ分、頑張って働きな」
采のキツイ言い方も、愛情表現だと誰もが知っていた。
「早速だが、指名だよ」 采が言うと、
「はいさ!」 気合十分な玉芳であった。
「花魁、通ります♪ 三原屋の玉芳花魁、通ります♪」
梅乃の声が一段と仲の町に響いていく。
そして、引手茶屋で喜久乃とバッタリと会うと
「おや? 私が死んだと思っていた喜久乃花魁。 元気かえ?」
挑発するように玉芳が先制を仕掛けると
「おや? 不死身でありんすな……香典代わりに渡した簪、貰ったかえ?」
喜久乃も、負けてはいなかった。
そして、二人はニコッとする。
(カッコイイ……) 誰もが振り返る花魁の力を見せられた瞬間であった。
酒宴が始まり、馴染み客はご機嫌だった。
「いや~ 花魁が病で臥せったと聞いて、どうしようかと思ったよ~」
「それで、他の見世にしようかと思っていた訳?」
少し、拗ねたように見せる玉芳のテクニックは至宝である。
その姿に、梅乃も見惚れていた。
そして朝。
後朝の別れを済ませた玉芳のアクビと同時に浅草寺の鐘が鳴る。
「おはようございます」 小さな声で、玉芳に挨拶をしたのが小夜である。
「おはよう、早いのね」
「はい、何か眠りが浅かったみたいで……」 小夜も小さなアクビをしている。
「まだ早いから、布団に入ってなよ」 玉芳は言葉を残すと、二階に戻っていった。
それでも寝れなかった小夜は、一人で九朗助稲荷に向かっていた。
早朝なのに九朗助稲荷の周辺が騒がしく、小夜が覗き込む。
(人が多いけど、何をしているのかしら……?)
すると、人だかりの中からヒソヒソ話しが聞こえてきた。
『まだ若いのに……』 そんな言葉だった。
「すみません……あの、どうしたのですか?」 小夜は勇気を振り絞って、見物人に聞いてみた。
「ほら、あそこ……近江屋の妓女だろ? なんで お歯黒ドブに……」
他の妓女が指さす場所は『お歯黒ドブ』である。
吉原を取り囲むように川からの水が来ては溜まっている水たまりのような場所である。
吉原の水を流している場所で、花魁のお歯黒を落として黒くなった水が溜まっているからと、そう呼ばれていた。
そんな場所に妓女が浮いていたのだ。
小夜は小さな手を合わせる。
(朝から嫌なものを見ちゃったな……) 小夜が肩を落とし、三原屋に帰ろうとしていた時、
「―ッ?」 小夜は何か視線を感じ、振り向いたが誰も居なかった。
(気のせいか?) 小夜が視線を下に向け、気を取りなおそうとした瞬間
「ひっ!」 目の前に、同じような年齢の女の子が立っていた。
「あの……何か用?」 小夜は恐る恐る話しかける。
「あの人……誰か知ってる?」 見知らぬ女の子が口を開いた。
「さっき、噂では近江屋の人って言ってたけど……」
近江屋は大見世であったが、ここ数年で失墜して中見世になったと聞いていた。
「そう……近江屋の人。 私も近江屋の禿なんだ」 女の子は、静かな声で話し出した。
「そうなんだね……」
「禿、頑張らないとね……秀子姐さんみたくならないように……」
女の子は、薄っすらと涙を浮かべていた。
「秀子さんて言うんだね。 残念だったね……」 小夜の言葉では、これくらいしか言えなかった。
「うん……またね」 女の子は振り返り、そこから帰っていった。
小夜もトボトボと歩いていく。
そして三原屋に小夜が戻ると、
「小夜、どこに行ってたの? 起きたら居なかったから……」 梅乃が心配していた様子で話しかけてきた。
「うん……九朗助稲荷まで……」
「そっか、何をお願いしてたの?」
梅乃の言葉に、小夜は言葉を選び
「お願いできなかった……」 小夜は下を向いた。
「どうして?」 梅乃は首をかしげたが、この後に知ることとなる。
「あぁ……あれね。 私と同じくらいの娘なのよ」 こう言ったのは菖蒲である。
「簡単に言うと、イジメね。 近江屋って、古い妓楼なんだよ……だから、慣習も古くて、イジメがあっても見て見ぬふり……中から腐ると営業でも出て来ちゃうからね……」 菖蒲が寂しそうに話している。
「……」 梅乃は言葉を失った。
「でも、ここは玉芳姐さんが優しいから安心して働ける……」 菖蒲が言いたかったのは、これが本音だった。
「さっ、暗い顔しないで……しっかり勉強するんだよ」 菖蒲が笑顔で梅乃の頭を撫でる。
「花魁、失礼しんす」 梅乃と小夜が玉芳の部屋に入り、朝の起床の手伝いに来ていた。
「今は雨ですね……さっきまでは晴れていたのに」 小夜は窓を開け、空気の入れ換えをしていた時
「うん? あの子……」 小夜は、九朗助稲荷で会った女の子を見つけた。
「うん? あの娘は誰だい?」 玉芳も小夜と同じ娘が目に入る。
「今朝、九朗助稲荷で会った子です。 近江屋の禿と言っていました」
「そっか……」
そして、小夜と梅乃が見世の前の掃除を始めていると、近江屋の禿が小夜を見ていた。
「こんにちは……」 小夜が近江屋の禿に手を振ると
「会いたかった……」 近江屋の禿が駆け寄り、涙目で小夜の手を握った。