表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/68

第五十九話 椿と山茶花

 第五十九話    椿つばき山茶花さざんか



 明治八年 正月。 

  「年明けですね。 おめでとうございます」 妓女たちは大部屋で新年の挨拶をしている。



 すると文衛門が大部屋にやってきて、

  「今日は正月だ。 朝食は雑煮だぞ」 そう言うと片山が大部屋に雑煮を運んでくる。



  「良い匂いだし、湯気が出てる~♪」

 この時代に電子レンジはない。 なかなか温かいものを食べられることは少なかった。


  「まだまだ餅はあるからな。 どんどん食べなさい」


 妓女たちが喜んで食べていると、匂いにつられた梅乃たちが大部屋にやってくる。


  「良い匂い~」 鼻をヒクヒクさせた梅乃の目が輝く。

  「梅乃は餅、何個食べる?」 片山が聞くと


  「三つ♪」「私も~」 小夜も三本の指を立てている。

  「わ 私も三つ……」 古峰も遠慮せずに頼んでいた。



  「美味しいね~♪」 年に一回の雑煮に舌鼓を打つ妓女たちであった。



 この日、三原屋の妓女の多くは口の下を赤くしている者が多い。

  「まだヒリヒリする……」


 餅を伸ばして食べていたことから、伸びた餅が顎に付いて火傷のような痕が残ってしまった。


  (がっつくから……)

 すました顔をしている勝来の顎も赤くなっていた。



 梅乃たちは昼見世までの時間、掃除を済ませて仲の町を歩いている。

 そこには千も一緒だった。


  「千さん、支度とかはいいの?」 小夜が聞くと、

  「私は張り部屋には入れませんので……」


 千は新造であり、まだ遊女のようには扱われない。 それに入ったとしても妓女数名からは良く思われていないので、入ったら険悪なムードに耐えきれないのも分かっていた。



  「それに、三人と仲良くしていた方が私としても嬉しいので……」

 千が言葉をこぼすと、梅乃たちは顔を下に向ける。


  「私、何か変な事をいいました?」 千がオロオロすると、

  「なんか、嬉しくて……」 小夜が小さな涙をこぼす。



  「う 梅乃ちゃんと小夜ちゃんは大変な時期を送っていました。 わ 私もだけど……」


 古峰の言葉は千にとっても重い言葉だった。 気遣いの子が苦労話をすることで、余計に納得してしまうからだ。



  「でもね。 私たちは三原屋だから良かったんだ」

 小夜がニコッとする。


  「う うん。 私も」 古峰も微笑むと、千はホッとした表情になる。




  「梅乃~ 小夜~」

 仲の町で呼ぶ声が聞こえる。 二人が振り向くと絢が走ってきた。


  「絢~ 珍しいね。 どうしたの?」 梅乃が聞くと、

  「ちょっと来て!」 絢は梅乃の腕を掴む。



 向かった先は鳳仙楼である。

  「梅乃ちゃん、診れるかい?」 鳳仙楼の主人がオロオロしている。


  「失礼しんす―」 梅乃は袖をまくり、妓楼の中に入っていく。

  「わ 私も、失礼します」 小夜が続いて入っていく。



  「私たちは?」 千が慌ただしくしている姿を見ると、

  「お お姉ちゃんに任せればいいです」 古峰は冷静だった。


  「絢、誰を見ればいい?」 梅乃が見たのは、鳳仙楼の妓女数名が苦しんで横になっている姿だった。


  「全員なんだけど、どうしよう……」 オロオロする絢に

  「絢、大量にお湯を沸かして。 小夜は、古峰に岡田先生に連絡をって」 梅乃の指揮のもと、一斉に動き出す。



  「古峰、岡田先生を呼んできて。 千さんはお婆に報告」 小夜が指示をすると、


  「は はい―」 走って三原屋に向かう。


  「梅乃、古峰に話したよ」

  「ありがとう。 じゃ、コッチから行くよ」

 梅乃が言うと、小夜と二人で布団を並べる。 妓女たちを診やすくするためだ。


  「おじさん、これで全員ですか?」 梅乃が主人に聞くと、

  「まだ二階に……」 主人は二階を指さす。


 梅乃が走って二階へ駆け上がると、

  「これは……」 


 そこには絢の指導係である瀬門が倒れていた。 梅乃は瀬門を布団の上に移動させると



  「大丈夫ですか? 返事できますか?」 梅乃が聞きながら瀬門の口に耳を寄せる。


  (息が弱い。 それに、この匂い……)

  「失礼しんす―」 梅乃は瀬門の服を脱がすと、


  「小夜、水を……」 小夜は一階へ行き、水を取りにいく。


 梅乃は瀬門の腹部に耳を当てる。

  (なんだ? 何か腑が活発なのかな?) 静かに聞いていると


  「梅乃、持ってきたよ」 小夜の声が響く。

  「静かに」 梅乃が言うと、小夜は黙る。



  「なんだ? この音……」 そして梅乃は瀬門の口に鼻を寄せる。

  「この匂いが気になる……嗅いだ事があるぞ……」


 その時、梅乃は思い出す。

 以前に露店での堕胎薬を販売していた騒ぎがあり、堕胎薬を飲んだ妓女と同じ匂いだった。


 (まさか? 大量の水銀?) 梅乃が気づき、

  「小夜、瀬門姐さんに大量に水を飲ませて。 小水をどんどんと出させて」

 梅乃が指示をすると、 「分かった」 小夜は瀬門に水を飲ませようとするが、


  「そっか……」 梅乃は瀬門の上半身を起こし、

  「姐さん、三原屋の梅乃です。 しっかり水を飲んでください」 そう言ってから口に湯飲みを運ぶ。



 (そうやって飲ませるのね……)

 小夜も梅乃の行動から学んでいく。


  「任せるからね」 梅乃が小夜に引き継ぐ。

 梅乃は一階へ走って向かうと、岡田が大部屋に着いていた。



  「梅乃、これは……?」 岡田が驚いている。

  「二階にも一人います。 小夜に水を大量に飲ませるように言いました」


  「すみません、おじさん……たすきを貸してください」

 梅乃は鳳仙楼の主人から襷に紐を借り、袖をまくって準備をする。


 梅乃と岡田は布を指に巻いて口の中に入れる。

  「うげーっ」 妓女の一人が嘔吐する。


  「古峰、水を」 「はいっ―」 古峰が嘔吐した妓女に水を飲ませると、

  「うげー」 また吐き出した。


  「古峰、続けて。 中が空っぽになるまで吐かせて」 梅乃が声をあげる。

 古峰は黙って続けていく。



 こうして六名の処置が完了すると


  「すみません……ありがとうございます」 鳳仙楼の主人が何度も頭を下げる。

  「それはいい……しかし、どうしてこうなった?」 岡田が主人に聞くと、



  「雑煮を作っていて、食べ始めて少しすると娘たちが倒れはじめまして……」

 それに気づいた梅乃が


  「絢……雑煮の鍋はどこ?」 梅乃の目が厳しくなる。


  「もう片付けてて……」 絢の声が小さくなると

  「おじさん、鍋はどこですか? あと、作ったのは若い衆ですよね?」 梅乃の声が厳しくなる。


 主人が台所に案内すると、若い衆も倒れていた。

  「虎次―っ」 主人が若い衆を抱き起こすと


  「梅乃!」 岡田が呼ぶと、梅乃が頷く。

 大部屋に若い衆を横にして、梅乃の細い指で口の中を刺激するが


 (感触がない? まさか?)

 梅乃は若い衆の服を剥ぎ、胸に耳を当てる。



  「梅乃……」 岡田が声を掛けると、首を横に振った。

  「そうか……」 岡田が肩を落とす。



  「これは一体……」 主人が泣きながら聞いてくると、

  「これには毒が入っていたようだ。 恐らく水銀だろう」 岡田はため息を吐くように言う。


  「誰がこんな事を……」


  「わかりませんか? 台所に行き来して、倒れていなかった人は誰ですか?」

 梅乃が言うと


  「まさか……?」 主人は絢を見る。



  「絢、どうして……?」 梅乃が近寄ると、


  「来ないで。 梅乃……怖かったから呼んだけんど、間違いだった……なんで治しちゃうのよ―」 絢の目から涙が溢れる。


  「……それは絢が呼んだから」


  「来てとは言ったけど、治せとは言ってない……もう終わりだわ」

 絢は、泣きながら雑煮の残り汁を飲み干す。



  「絢―っ」 梅乃が絢を抱き寄せ、口の中に指を入れると


  「痛いっ― 離して、絢」 梅乃が指を入れた瞬間に、絢が梅乃の指を噛んでいた。



  「梅乃―」 そこに小夜が絢に身体ごとぶつかっていく。

  「ぐっ―」 絢が口を離し、苦しんでいく。


 梅乃は指を押さえながら見ていると、絢が動かなくなった。

  「先生、今です」 梅乃が声をあげると、岡田が抱えて指を口の中に入れる。


 しかし、絢は反応しなかった。

 梅乃は絢の胸に耳を当て、さらには手首で脈を測るが


  「絢……」 梅乃の目に涙が溢れていく。

  「絢……」 小夜も涙を流し、手を合わせる。



 この三人は、玉芳や鳳仙の案で勉強をした仲だった。 そんな幼なじみの死に、報われない悔しさだけが残っていく。


 その後も梅乃と岡田は鳳仙楼の妓女を診ていく。

 警察も来て、犯人は絢と断定。 そして鳳仙楼の主人の手で絢の亡骸を浄閑寺に投げていくのである。


 梅乃は、絢が瀬門から日常的に折檻を受けていた事を話すと、

  「そうだったのか…… 絢、すまない……」 主人は泣き崩れていく。



 三原屋では小夜が采に報告をする。 


  「玉芳の言った通りになったな……」 采が言葉を漏らすと、

  「何のことです?」 横で聞いていた菖蒲が采の顔を見る。



  「「禿を叩くな」って、アイツが言っていたろ? こういう結果を招くことも予想していたんじゃないかね?」 采がキセルに火をつけると


  「これは大事でしたが、近いことが起きていたかもしれませんね……」



 鳳仙楼では、梅乃と岡田が看病を続けている。

 しかし、梅乃が疑問に思っていることがあった。


 (これだけの人数を殺そうとするには、大量の水銀が必要になる……絢は、どうやって水銀を手にいれたんだろう……?)


 梅乃は苦しんでいる妓女を見て、花に例えていた。

 妓女とは危険と隣り合わせで、花をひとひらずつ落としていくのが山茶花。

 そして、絢のように綺麗に咲いてから一気に花ごと落ちてしまう椿……


 見た目は区別がつきづらいし、どちらが美しいかは分からない。



 しかし、梅乃には花魁への道が険しいことが分かった日であった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ