第五十五話 意外性
第五十五話 意外性
明治六年 秋
千は新造として歩み出す。 この教育担当は勝来になる。
「どうして私なのよ……」 勝来は不満そうだ。
「みんな当番のように回ってくるのよ」 菖蒲が説明すると
「姐さん……」 勝来は肩を落とす。
「まだ良い方よ。 顔の識別が出来ないだけでしょ? 私なんか野菊さんだったんだから……」
菖蒲は過去に千堂屋の野菊を教育していた。 馴染みの店であり、菖蒲にとって窮屈な毎日だった。
「確かに、野菊さんはキツいですよね……」
「そうよ。 本当に傷物にでもなっていたら大変だったわよ」
「姐さん、失礼しんす」 勝来の部屋に梅乃がやってくる。
「梅乃、どうやって千が顔の識別が出来ないって分かったの?」 勝来が聞くと、
「掃除していて班長の小夜じゃなく、私や古峰に報告をしていました。 禿服って同じだから見分けが付かなかったんだろうな~って」
「なるほど……」
「それで、姐さんたちは千さんの何を困っているのです?」 梅乃がキョトンとすると、
「そういえば、何を困っているんだっけ?」 勝来がポカンとすると、菖蒲と梅乃はガクンと滑る。
「つまり、勝来姐さんは初めての新造に戸惑っているんですね?」
梅乃の鋭い言葉に、勝来は言い返せなくなっていた。
「私たちみたいに接すればいいと思いますけどね~」
「それは、お前たちは玉芳花魁に育てられたから……」 ここで勝来の声が小さくなる。
「でも、玉芳花魁だって母親になっていた訳でもなく私たち四人を育ててくれたじゃないですか…… さらにはお婆だって……」
「―っ!」
これには菖蒲と勝来も黙ってしまう。 采には子供がおらず、妓女たちの母親となっている。 玉芳も強引に四人の禿を自らが引き受けていた。
(私たちは子供のままだった……)
「そ そうね……何を心配していたんだろう……」 勝来が気を引き締めていると
(ここで腹を決めるのは凄いな……さすが、元お武家様の家なだけある)
梅乃は安心したように微笑む。
午後、勝来の部屋で千が勉強をしている。
「まず、琴をやってみよう」 勝来が奏でる琴は、綺麗な音色を出していた。
「好きな音を出してごらん。 そうすると馴染んでくるから」
すると、先ほど勝来が弾いた楽曲を千が弾き始める。
「お前……」 「あ、まちがえた……すみません」
「い いや、いいよ……それより、一回でここまで弾けるんだな」
「いえ、先ほど勝来姐さんが弾いていた手順を見ていただけですから……」
千は謙遜しているが、見たことがない実力派のルーキーだった。
夕方になり、千は勝来と引手茶屋まで向かう。
「じゃ、客と会ってくるから待っているんだよ」 勝来は、千を待たせて茶屋の座敷に向かう。
「あら、千ちゃん……」 声が聞こえ、振り向くと
「……」 やはり顔の認識が出来ない為、名前が出てこない。
「千堂屋の野菊よ」 名前を名乗ると千は微笑み、頭を下げる。
「やっぱり顔は認識できないのね……」
「すみません……」 千は迷惑が掛かっていると思い、涙ぐんでしまう。
「ち 違うわよ。 どんな感じか想像できなかっただけよ」 慌てて野菊が説明すると、
「早とちりで、すみません……」
そうして千は勝来が入っていった座敷を見つめる。
(凄く真面目でいい娘ね……) 野菊は千の人柄が気に入ったようだ。
宴席に入り、千のもてなしは見事だった。
的確に客の心を掴んでいく。 客がキセルを持てば黙って横に灰皿を置き、お猪口の酒が足りなければ酌をする。
翌朝、勝来が菖蒲の部屋に入り
「凄いわよ、千って娘……ウカウカしていられないわ……」
「そう……でも、それ誉めているのと一緒よ」 菖蒲がクスクスと笑う。
それからも千は、勝来から妓女としての作法を学んでいく。
ある日の午後、三原屋に玉芳がやってきた。
「姐さん、お久しぶりです……」 妓女たちが集まってくる。
「ん~ 久しぶりだね。 みんな元気だったかい?」 玉芳が妓女たちに笑顔を見せていると
「なんだい? 随分と久しぶりじゃないか」 采も笑顔になっていく。
「そうだね。 お婆も変わりなく良かった。 じゃ、よろしく」
玉芳が佳を采に渡す。
「久しぶりだね、佳……お婆と遊びましょうね~」 采の優しい声に妓女たちの背中に冷たい衝撃が走る。
(あんな声を出すの……?)
これを知っていたのは古峰だけだった。 深夜、優しい声で『通りゃんせ』を歌っていたのを聞いていたからだ。
(この帯、付けてても大丈夫かしら……) 小夜も恐怖を感じている。
玉芳が二階へ行き、豪快に勝来の部屋の襖を開ける。
“ピシャン―” 「ひっ―」 勝来の肩がすくむ。
「玉芳花魁……」 勝来が声を出すと、
「はじめまして。 千と申します」 千が額を畳に付けて挨拶をすると、
「新造か? 頭をあげなよ」 玉芳が優しく声をかける。
「はい」 千が頭を上げると 「あれ?」 不思議そうにする。
「んっ? どうした?」 玉芳と勝来がキョトンとする。
「綺麗な人……」
「えーーっ?」 勝来が大声を出す。
“ビクッ―” 滅多に大声を出さない勝来が出すと、玉芳が驚いている。
「ビックリ……」
「ビックリしたのはコッチだ!」 玉芳が勝来の頭を叩く。
「す すみません…… それで、千……今、なんて?」
「はい。 綺麗な人です。 初めて人の顔が見れました」 千が涙ぐむ。
「??」 玉芳が首を傾げると
「千は人の顔が認識できないのです。 誰の顔を見ても、『のっぺらぼう』に見えるのですが……姐さんの顔を見て綺麗と……」
「そうなのか?」 玉芳は、初めてのことに戸惑っている。
「はい。 とても綺麗です」 千が見惚れていると
「そうかい そうかい♪ よく見ておきな」 少し照れたように玉芳は笑顔を出す。
「ところで、今日はどうしました?」 勝来が聞くと、
「そうだ。 今夜、旦那の知り合いが三原屋に来るんだよ! 今夜だけ私が付くことになってな…… 酒宴、入れるかい?」
玉芳の唐突な申し入れにも、「必ず入ります」 勝来の目が鋭くなる。
そして玉芳が采に言うと、
「本当かっ? そりゃ派手にやらないとね♪」 采も盛り上がっている。
夕方、吉原に拍子木が響く。
「誰だ? こんな時間に……」 喜久乃が振り向く。
「喜久乃~」 手を振っている女性を見ると、
「ほ 鳳仙?」 喜久乃の目が丸くなる。
「なんで吉原に?」
「アレよ」 鳳仙が指をさす。
「なんだ? あの派手な……三原屋にいたか?」 喜久乃が目をゴシゴシすると
「た た 玉芳??」
「そっ! 今夜だけの復活よ」 鳳仙がニコッとする。
「お前は出ないのか?」
「私は佳の子守。 先に連れて帰るのよ」
久しぶりの玉芳の復活に、たまたま居合わせた客は唖然とする。 中には手を合わせる者まで出てきた。
玉芳の両側には梅乃と小夜。 後ろに勝来と菖蒲、古峰が歩いている。 そして何より玉芳を囲んだ客たちの数である。
「す 凄い……」 これには千も驚いている。
「凄いでしょ。 これが三原屋を大きくした花魁なのよ」 横に来た信濃が説明すると、
「これが花魁なのですね……私、玉芳さんの顔だけ見れたのです……」
千が話すと、「目に焼き付けておきな。 これが菩薩となった人だから」
そう言い残して信濃は見世の中に入っていく。
少し遠回りをして玉芳は吉原の客に視線を送る。 世間を下に見るような仕草は健在だった。
梅乃と小夜も興奮している。 「やっぱり花魁ですね。 視線を独占しています♪」
「そうだろ そうだろ~」 ニコニコしてアピールしていると、
「おっ?」 玉芳が気づく。 そこには喜久乃が立っていた。
「よう、喜久乃。 ヤキモチか?」 玉芳がニヤッとすると
「そんなとこだ」 喜久乃もニヤッとして、玉芳と一緒に歩き出す。
「あはっ♡」 梅乃が声を漏らすと、
「お前たち、久しぶりの母の外八文字はどうだい?」 喜久乃が聞く。
「そりゃ、最高です」 小夜も堪らず声をあげる。
(これが吉原で一番になった人なんだ……)
これには古峰も圧倒されていた。
こうして喜久乃のサポートもあり、引手茶屋に入って行く玉芳。
「しかし、派手だな~」 客が拍手をして喜ぶ。 その隣には大江も座っていた。
そして引手茶屋から三原屋に向かう頃、まだ客や妓女たちは千堂屋の外で待っていた。
玉芳が出てくると歓声が上がる。 まるで世界的スターが来たような歓声だ。
当然ながら客には泊がつく。 良い気分で笑顔になっていた。
その中で、熱視線を送っていたのが葉蝉だ。
玉芳に憧れて花魁を目指した葉蝉にとって、まさに地上に降り立った神様のように見ている。
その視線に梅乃が気づき、
「花魁、簪一本いいですか?」 玉芳に聞くと
「うん? いいけど……どしたの?」 玉芳が梅乃に耳を近づけると
「あの人にあげてほしい……」 梅乃が葉蝉を見る。
「姐さんを目指して花魁になったんだよ」
「そうかい そうかい♪」 玉芳が葉蝉に手招きをすると、驚いてからモジモジして近づく。
「花魁になったんだって? しっかり頼むよ」 玉芳が簪を抜き、葉蝉の髪に挿すと
(じーん……)
葉蝉は感動で動けなくなっていた。
その後、お祭りのような雰囲気を出したまま客は三原屋の中に入って行く。
「こちらの部屋へ……」 二階へ案内するのが千である。
二階の酒宴は最上級の料理が並んでいた。
「久しぶりだね~」 玉芳が興奮している。 大江も久しぶりの花魁姿に嬉しそうだ。
こうして宴が始まり、千は客を見ては そっと灰皿を置いたり酌をする。 この気遣いを玉芳は見ていた。
後に玉芳から采に報告をする。 千の見事な『もてなし』に采は目を細めていた。




