第五十四話 のっぺらぼう
第五十四話 のっぺらぼう
明治六年 『芸娼妓解放令』が発令されてから吉原が変わっていく。
それは『遊女屋』と言われていたものが『貸し座敷』となったことだ。
女衒などから若い娘を買い、見世で育てて花魁にしていったのが政府の方針で禁止となっている。
このやり方は“奴隷契約”となってしまうからだ。
過去にキリシタンとして日本に来ていたポルトガル人が奴隷として日本人を海外に連れて行き、これを知った豊臣秀吉が怒り狂って伴天連廃止をしたほどだ。
日本は奴隷廃止制度で吉原や花街に厳しい取り締まりをする。
これにより吉原全体の妓女不足、女衒などの廃業が慢性的となる。 そうなると、地方などの貧しい家庭にも打撃が来るようになる。
貧しい家庭は娘を花街に売ることで金が入ってくる。 そんな希望さえも失っていくが、人身売買は密かに続いていたりもする。
「千……すまない」 「父様、母様……私、どこに行くの?」
「お前が美味しいご飯が食べられる場所だよ……」
こういう会話から少女は吉原に連れて行かれる。 これも親孝行だったのだ。
「今日から妓女として入る千だ。 お前たちより年上だが、同じ禿として働く」
采が言うと、そこには物静かな女の子が立っている。
「千です。 よろしくお願いいたします……」
「千は、もうすぐ十五歳になる。 少しの禿をやってから新造出しの予定だ。 そうだな……班長の小夜が面倒を見るんだよ」
采が言うと、小夜の背筋が伸びる。
「はい」
「小夜さんですね。 よろしくお願いいたします」 千が頭を下げると
(なんか年上の人に小夜さんって……変な感じだな……)
三原屋では古峰が後から入っても、『ちゃん』付けだったので違和感しかなかった。
「千さん、二階の掃除からやりましょう。 はい、これに着替えてね」
小夜が新しい禿の服を渡す。
「ここ使って」 小夜は風呂の脱衣所を案内する。
千は急いで着替えに入った。
「お待たせしました」 千が着替えると、小夜の元に向かってくる。
「早いね。 私も帯を交換してくる」 小夜は化粧帯から禿の帯に替える。
二階に向かい、以前に玉芳が使っていた部屋に入る。
「ここは、昔……でもないか、玉芳花魁って方が使っていた部屋なんだ……この部屋から掃除するって決まっているの」
小夜はニコニコと説明する。 玉芳が引退しても、まだ居るかの様に話せるのが嬉しかったりするのだ。
「わかりました……」 千は雑巾で窓の枠から拭いていく。
「千さんは、どうして吉原に来たの?」 小夜が聞くと
「家が貧しくて、私が働くことしか出来なかったので……」
「そうなんだ……」
それから二階の掃除をしていると、
「千さん、ちょっと下に行ってくるから終わったら下に来て」 小夜が言うと、千は頷く。
それから十分後、 「小夜さん、終わりました」
それを梅乃に声を掛けている。
「??」 梅乃が困った顔をする。
千は梅乃の前に立ったまま次の指示を待っていると
「千さん、私はコッチだよ~」 後ろから声を掛ける。
「小夜さん、すみません……」 慌てて小夜に向かっていく。
それから千は度々、禿を間違えている。
(どういうこと? 見分けがつかないのかな?)
勘の良い梅乃は、千の行動に疑問を持ち出す。
「掃除、終わりました。 小夜さん……」
この日も古峰に言いにくると、
「わ 私、古峰です……」
「……」 梅乃は黙って見ている。
午後、梅乃が提案する。
「古峰、帯に紙を挟んで。 白いのを見えるように」
「小夜は化粧帯をしよう」
「千さん、これで見分けがつきますか?」 梅乃が聞くと、
「梅乃さん……知っていたのですか?」 千が驚きと、ショックを受けたような顔になる。
「??」 小夜と古峰は首を傾げる。
「千さんは顔の認識が出来ないんじゃないかな?」 梅乃が言うと、千は黙って頷く。
これは後に 一九四七年 ドイツで発表になるが、相貌失認という病気である。
この時代では明確な病名は付いていないが、発達障害や病気として取り扱われることになる。
「そうなんです。 私の家では男は父、女は母でした。 そして赤子が弟……と言うようにしていました。 人も少ない農村でしたので不自由は感じませんでしたが、病気と分かると親が吉原に行けと……」
千の目に涙が浮かぶ。
「こうして分かったのだから、私たちが何とかするわよ……」
小夜が千の両肩を抱くと、
「ありがとうございます」 千は笑顔を見せる。
「それに、梅乃は医者の卵みたいなものだしね♪」
「そうなのですか?」 千が驚くと、
「卵なんて……医者の岡田先生の付き人をしているだけだよ」 梅乃がニコッとするが、千には見えていない。
それから梅乃が采に報告をする。 本来なら小夜が班長なので報告をするのだが、医術的要素を持っている為に梅乃が報告する。
「なんだって?」 采も驚いている。
「医学書には出ていないけど、そういうものなんだろうな~って」
「そんな大事なことを、あっけらかんと……」
采が悩んでいる時、梅乃が
「でも、いい事もあるんじゃないですか?」
「いいこと?」 采がポカンとする。
「だって顔の認識が出来ないってことは、見た目で判断しないし惚れる要素が少ないかと……」 梅乃が言うと、采が驚く。
「お前……」
「お婆、女を悲観的に見過ぎです。 みんな良いところがありますから……」
梅乃が采を見つめ、ニカッと笑う。
これは少し前のこと、古峰の盲腸で傷物と騒いだ采への警告でもあった。
その時に妓女たちから抗議を受けていたことを心配していたのだ。
梅乃は采が好きである。 よく叩かれているが、これも愛情として受け止めていた。
それから目印を貰った千は、見間違うことなく話ができていく。
妓女たちも梅乃から教えて貰い、会話をするときには
「私は信濃だけど、これから頑張るんだよ。 それと、先に名前を言ってくれれば目の前に立つようにするからね」
このようにして千のサポートをするようになっていく。
(信濃姐さん、優しいな……) お気に入りの古峰が微笑む。
「千、これから買い物に行ってきな! 顔で覚えられないなら場所と声だ」
采が言うと、小夜と一緒に千堂屋に向かった。
「ここね。 看板は見れるんだっけ?」
「はい。 出来ないのは顔の認識だけですから」
「こんにちは……買い物をお願いします」 小夜がメモを野菊に渡す。
「あら、小夜ちゃん こんにちは。 新しい禿? それにしても大きいような……」 野菊が言うと、
「はじめまして。 千と言います」 頭を下げると、
「あら、立派な挨拶ありがとう♪ 私は野菊よ」 野菊は屈託のない笑顔を見せる。
「ここの主の娘さんなの♪ 三原屋にも禿としていたんだよ~」 小夜が説明すると、
「私、本当に三原屋で良かった…… みんな理解してくれて……」
千が涙を流すと
「あらあら……千ちゃん、これからが大変だからね。 泣いていちゃダメよ」
野菊が優しい声をかける。
「すみません……私、顔の認識が出来ないもので……でも、みんなが優しくしてくれるのが嬉しくて……」 千の涙が止まらなくなっていく。
「吉原に居る人で、何も無い人はいないわ……小夜ちゃんも捨て子だったしね」 野菊が説明すると、千は目を丸くする。 そして小夜を見ると、
「そうよ。 私と梅乃は、生まれてスグに吉原大門の前で捨てられていたの。 それをお婆が拾ってくれて、ここまで大きくしてくれたの……」
小夜が説明をすると、千が泣き出す。
(また泣く……)
こうして泣き虫の千と小夜のコンビは成長していくのである。
数日後、
「千、そろそろ新造出しをするよ。 服を合わせるから来な」 采の部屋に千が通される。 そこには信濃と小夜も一緒に入った。
「信濃、お前はどう思う?」 千の着物を合わせながら聞くと、
「千はどう思う?」 信濃が聞く。
「こ こんな綺麗な衣装を、私……」 そして千は泣き出した。
「えっ? あの……」 これには采と信濃がオロオロしてしまうと
「あの……千さん、スグに泣いてしまうんです……」 小夜が困ったように説明をする。
「まったく……私が泣かしたと思って、また妓女たちから抗議されるかと思ったよ……」 采は『やれやれ』というような顔でキセルを吸い出す。
そして新造出しの初日、千は勝来に付いた。
「私、勝来だけど……よろしくね。 千、笑顔だけは忘れないでね」
こうして勝来と千は、引手茶屋まで向かう。 勝来の一歩うしろを歩いている。
「こんばんは……」 勝来が千堂屋に入ると
「今日の指名ですね。 あら? 千ちゃんも一緒なのね♪」 野菊は優しく声を掛けると
「覚えてくれていたのですね。 野菊さん……」 千が頭を下げると、涙が溢れてきている。
(早いわよ。 それに泣くとこじゃないでしょ―)
早くも勝来の顔色が変わっていく。
なんとか泣くのを我慢した千は、三原屋での酒宴に参加をすると
「新しい子なんだね♪」 客は新顔にご機嫌になっていく。
「あら、私も十七でありんすが……」 勝来が拗ねたような表情を見せると
「そりゃ勝来さんも若いよ」 客が焦ったように勝来を持ち上げる。
そこに片山が料理を運んでくる。
「おっ♪ きたきた。 ほら、お嬢ちゃんも食べなさい」
客が千に食事を出すと、
(まさか……?) 勝来の額に汗が流れる。
「お客様……こんな私の為に優しいお言葉を……」
「待ちなさい、千……」 勝来が言った瞬間、
「びえーん……」 千は号泣してしまい
勝来と客は後ろにひっくり返ってしまう。
「んっ? なんだ?」 小夜は別室で上を見上げてキョロキョロしていた。




