第四十八話 鬼と呼ばれた者
第四十八話 鬼と呼ばれた者
とある午後、菖蒲と勝来で買い物をしていた。 本来なら、立場的に御用聞きなどを頼めるのだが気晴らしがてらに外出をしている。
「千堂屋さんでお茶を飲みましょう」 菖蒲が提案すると、勝来は頷く。
「こんにちは~」 菖蒲が声を掛けると、
「あら、菖蒲さん。 いらっしゃい」 野菊が対応する。
「お茶と団子をください」 妓女である二人だが、年齢でいえば少女である。 こんな楽しみを満喫してもいい年齢だ。
そこに、ある張り紙が目に入る。
「姐さん、あれ……」 勝来が指さすものは、注意書きであった。
そこには、『円、両 どちらも使えます』という張り紙だった。
明治四年、政府の発表では日本の通貨が変更される事だった。 吉原では情報が遅く、いまだに両が使われていた。
通貨の変更から一年が過ぎ、やっと時代の変化に気づいた二人だった。
江戸時代であれば、両 文 匁などの呼称であったが、明治四年からは、円 銭 厘という通貨になっていた。
ただ、交換する銀行が少ない為に両替ができない場合もあり、両なども使えていた。
「時代が変わり、お金も変わるのね~」 実際、働いたお金のほとんどが年季の返済になっていて、手にするお金は小遣い程度だ。 価値などは分からなくて当然だった。
三原屋に帰ってきた二人は、采に通貨の話をすると、
「あ~ なんか聞いてたな……そろそろ用意しようかね~」
それから采は、他方へ向かい新しい通貨の事を調べていた。
「一円が一両みたいなものか……」
明治六年では、一円が現代の価格だと約二万円ほどになる。 一銭は百分の一であり、二百円相当になる。
「お金?」 梅乃と小夜は全然知らなかった。 持たされてない上に、帳簿でしか見たことのないことに戸惑っていた。
ある時、菖蒲が散歩をしていると河岸見世の看板が目に入る。
(ここは円だけなんだ…対応が早いな……) 菖蒲は感心していた。
吉原では妓女が外に出られない為、世間の情報には疎い。 しかし、この河岸見世は対応していた。 きっと、男性の妓楼主がマメに外に出ているに違いないと思っていた。
菖蒲が勝来に話すと、
「それは珍しいですね。 大見世なら金持ちが来るから早いものですが、河岸見世でなんてね~」 驚いていた。
この日、三原屋の禿は三人で九朗助稲荷に来ていた。 昼過ぎに来ると、色々な見世の妓女や禿がお参りをしている。
そこで、噂を耳にする。
「聞いた? 明け方に角を生やした鬼が出るって話し……」
梅乃は小夜、古峰と目を合わせる。 小夜の顔が強ばっていると
そこに、『首を突っ込む神様』 梅乃の登場である。
「すみませ~ん。 その鬼の話を聞きたいのですが~」 梅乃は噂をしている妓女に臆することなく聞きに行ってしまった。
(本当に躊躇いが無いのよね~) 長年の付き合いである小夜は、ため息をつく。
「なんだい? 鬼の事が知りたいのかい?」 妓女が言うと、梅乃は頷いた。
「なんでも朝方の暗い時間、お歯黒ドブの方で大きな身体の鬼が出たんだよ……」 妓女が説明をすると、
「ありがとうございます」 梅乃は頭を下げた。
「や やっぱり鬼が出るの?」 古峰も怖がっている。
「どうだろう……見てみたいけどね~」 梅乃の目が輝いていると
(好奇心の鬼なら、ここにいるけどね~) 小夜は梅乃を見つめている。
三原屋に戻り、禿の三人は勝来の部屋で鬼の話をしていた。
「鬼? 好奇心の鬼なら目の前にいるけど……」 勝来の言葉に、小夜と古峰が激しく同意している。
「うっ……」 梅乃が苦悶の表情をする。
「そんな話、聞いたことないわよ」 菖蒲が言うと
「今日、九朗助稲荷で聞いたんです」 梅乃は説明する。
「まぁ、何か聞いたら教えるわ」
数日後、団体客が朝の早い時間に帰っていく事になっていた。 浅草寺の鐘が鳴る前、勝来と菖蒲は暗い中での後朝の別れを済ませる。
「また会えますね……」 この言葉は玉芳が使っていた別れの挨拶だ。 みんなが真似をして使っている。
客を見送ると、「なんか早い時間だから余っちゃったね……」 菖蒲が軽くアクビをする。
「せっかくだから、河岸見世の方に行ってみません?」 勝来が提案すると、二人は河岸見世の方へ歩き出す。
「あ、あそこに人が……」
二人は河岸見世の前を通り、人が居る方へ近づくと
そこには、高い身長に角を生やしたような人が立っている。
「鬼……」 勝来が菖蒲の着物をギュッと掴む。
すると、鬼と言われた者が振り返る。
(食べられる―) 二人が目を閉じると
「あんれ? 菖蒲かい?」
「へっ?」 菖蒲は声に反応して声を出す。
鬼と思われた人が近づくと、 「やっぱり菖蒲じゃないか。 大きくなったね~♪」 微笑んでいる。
「も、もしかして定彦さん……?」 菖蒲が言うと
「えっ? 誰?」 勝来は二人を交互に見る。
「鬼って、定彦さんだったの~?」 菖蒲は拍子抜けしていく。
「なんだい鬼って?」 定彦がキョトンとする。
これは風貌である。 定彦は背が高く、頭に簪を挿していることから角のように見えて鬼と勘違いをしたように思えた。
「あ~ 明け方だし、見えづらいかもね~」
「まさか定彦さんだとは思わなかったわ……」 菖蒲は、少し乱れた髪を整えながら話す。
「あはは…… そういえば、采さんは元気?」
「元気すぎるわよ……って、定彦さん、色気が落ちませんよね~」
定彦は長いこと陰間をやっていた。
歌舞伎で女形をやる舞台にまだ出ていない修行の身を『陰の間』と呼んでいる。
それから陰間とは色を売る少年と呼び、舞台には出られない修行中の若い男性を舞台子と呼んでいた。
舞台子は収入が無い為、男性に身体を売り、芸を磨いていたのである。
そんな定彦は身長が高くなり、女形が出来なくなっていた。 仕方なく男性に身体を売って生計を立てている。 しかし、色っぽさは健在であった。
「じゃ、菖蒲が居るってことは勝来ちゃんかい?」 定彦は覚えていたようだ。 何年も会っていなかったが、勝来のことも覚えていた。
「えっ?」 勝来の目が点になる。
「そっか~ 勝来ちゃんに会ったのは吉原に来たばかりだったからね~」 定彦はニコニコしている。
「すみません……覚えていなくて……」
「仕方ないわよ。 改めて紹介するね。 こちらは定彦さん……玉芳花魁の師匠でもあるのよ」 菖蒲は自信たっぷりに紹介する。
「そんな……菖蒲、持ち上げすぎだよ」 定彦は、少しはだけた着物で照れくさそうに口元の袖を当てる。 仕草は女そのものだった。
「確かに玉芳花魁の仕草に似ているかも……」 勝来は定彦の仕草に見惚れていた。
「この色っぽい仕草とかは玉芳花魁に継承されたのよ」 菖蒲が説明すると、
「玉芳が禿だった頃に、よくここに来てね~ いきなり来て、「教えろ」って言うものでさ…… それで采さんからも、お金を貰ったしね~♪」 定彦は懐かしそうに話す。
「それで玉芳が花魁になった時も、一緒に道中をしたんだよ。 その時、勝来ちゃんもいたんだけどな~」
そんな懐かしい話をしながら時間が過ぎ、
「もう時間だろ? 采さんに怒られるよ」 定彦が上品に笑うと、慌てて帰っていく菖蒲と勝来であった。
「しかし、鬼と呼ばれていた人が定彦さんだったとは……」 菖蒲は鬼を信じていた分、拍子抜けの様子だったが
「でも、色気の鬼でありんした……」 勝来が笑う。
午後、鬼の一件を梅乃たちに話す。
「……だから、鬼じゃなかったのよ~」 菖蒲が言うと、
「それで、定彦さんは どんな方なのですか?」 梅乃は興味津々だった。
「それは凄く色っぽい人で、玉芳花魁の師なのよ……」 菖蒲の言葉に、
「どこの見世ですか?」 これには小夜が食いついてきた。
小夜は初恋も経験し、子供っぽさから脱却したいと思っていたのだ。
「とりあえず場所は言うけど、定彦さんの邪魔しちゃダメよ!」 菖蒲は釘を刺しておく。
その後、梅乃と小夜は河岸見世に向かう。
「陰間茶屋……ここか」
それから少しの時間、外で待っていたが定彦は出てこなかった。
それから数日間、時間を見つけては河岸見世に通うと
「おや、よく見かける子だね~」 定彦が梅乃たちに声を掛ける。
「見ていたのですか?」 梅乃が驚くように話しかけると、「ここ最近は男の格好もしていたからね」
「ところで、私に何か用かい?」
「あの……色気を習いに……」 小夜が小さい声で言うと、
「もしかして……?」
「はい。 三原屋の梅乃です。 こっちが小夜です」 梅乃が元気な声で自己紹介をすると、
「おやおや……三原屋さんとは縁が深そうだね~」 定彦が色っぽく笑う。
「こりゃ綺麗だわ……女の人より女っぽい……」 子供ながらに分かってしまうほどの美しい姿に見惚れてしまう。
「定彦さんは玉芳花魁の師匠とも聞きました」
「そんなことまで……?」
「はい。 玉芳花魁は、私たちの母親ですから……」 梅乃がドヤ顔をするが、その相手は師匠である。
「う~ん…… 君たちは禿でしょ? ちゃんと采さんに聞いてからにしなよ」
定彦が言うと、梅乃たちは帰された。
その後、梅乃が采に話す。
「ねぇ お婆……定彦さんて知ってる?」 梅乃が切り出すと、
「懐かしいことを言うもんだね……まだ吉原に居たのか……」
「習いたいんだけど……」 梅乃が言うと、采は黙ったままになる。
(あまり、良い反応じゃないな……) 梅乃は黙って采から離れていく。
しばらく経った頃、
「邪魔するよ……」 采が勝来の部屋にやってきた。
「珍しい……お婆から来るなんて……」 勝来は采の場所を空けて座り直す。
「菖蒲、お前 定彦に会ったのかい?」 采が聞くと、
「はい。 なんか鬼が出たという噂から見に行ったら、偶然に会いましたが…… それが何か?」
「いや、それならいい……あまりガキどもを近づけるな」 采は梅乃たちが定彦に近づかないようにと言うが、理由は話さなかった。
(よりによって、定彦が……) 采は何かを感じ取っていた。




