第四十六話 袖を隠す者
第四十六話 袖を隠す者
昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。
「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」
「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。
菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取る準備をしなければならない。 それまでの準備期間となる。
「まだ早いんじゃないか?」 文衛門が采に言うと
「あぁ、そうだね……早いかもね」 采は冷静な口調で返す。
「だったら何故……」
「今、しなかったらアイツ等は ずっと悲しんでるだろ? 気を逸らしていくのさ」 采は、そう言ってキセルに火をつける。
これは、采の考えがあっての行動である。
赤岩の死後、落ち込んだ空気を一変させる必要があったのだ。 これは禿だけではなく、三原屋や往診に出た見世にも言えることであった。
これにより、三原屋の妓女は禿たちに芸を教えることになる。
二階の酒宴などで使う部屋が練習部屋になっている。
古峰は琴を習っていた。 その要領は良く、習得が早い。 教えていたのは信濃である。
「古峰……アンタ凄いわね」 信濃は目を丸くする。
「い いえ、信濃姐さんが優しく教えてくれるので……」
古峰が謙遜すると、「嬉しい事を言ってくれる~♪」 信濃は古峰の肩を抱く。
(なんか楽しいな……きっと、娘が出来たらこんな感じなんだろうな……)
信濃に母性が芽生えたようであった。
小夜は三味線を習っていた。 教えているのは菖蒲である。
菖蒲は芸子で育った経験から、三原屋では芸に秀でた妓女である。
「小夜、ここからもう一度」 少し強めに教えていると、
「菖蒲姐さん……もう少し優しく教えてください」 小夜は泣きそうな顔をしている。
(そんな厳しかったかしら……朝陽姐さんとか夕陽姐さんの方が厳しかったけどな……)
少し、頭を悩ませる菖蒲であった。
梅乃は大部屋にいた。 誰にも芸を教えてもらっていない様子に、
「お前は何をするんだい?」 采が上から顔を覗き込む。
「あの……えっと……」 困っている梅乃に
「コッチ来な! 私が教えてやるよ」 采が梅乃の手を引っ張る。
「えーーっ? いや、お婆は忙しいでしょうから、私に構わずに……」 梅乃の必死の抵抗も虚しく、遣り手の席に連れてこられた。
それを見ていた勝来が、(まさか、お婆……) 目を見開く。
「梅乃、これが客の帳簿だ。 頭に入れな!」 そこには日付や客の名前。 また、誰を指名して使った料金が書かれているものだった。
「お婆……こんな難しいのを私が出来る訳……」 言いかけた梅乃に
「だから出来るように教えてやるのさ。 早く頭に入れな!」 采は梅乃に帳簿を見せる。
「お~ん……」 梅乃は半泣きでページをめくる。
それから梅乃には遣り手の席の勉強をさせていた。
すると数日後には、「お婆、これは何ていう漢字?」 「この人の過去簿は?」
などと、着実に身につけていく。
(梅乃は何になりたいんだろう……?) やっぱり思われるようになっていた。
医学を学べば言われ、遣り手を習えば言われる。 これには梅乃も困惑していた。
「梅乃は何になりたいの?」 小夜が聞いてくると、
「わからない……私はどうなればいいんだろう……」 そんな会話になっていた。
ある日、梅乃が帳簿を見て気づく。
(あれ? ここの料理だけ高くなってる……)
梅乃は別の紙を持ってきて、高くなっている料理などを写していく。
「すみません……ちょっと出てきていいですか?」 梅乃が言うと、
「何処に行くんだい?」 采が呼び止める。
「あの……川本屋に聞こうと思って……」
川本屋は千堂屋と並ぶほどの大きな引手茶屋である。 宴席の料理を頼む際、千堂屋か川本屋に仕出しを頼んでいる。
采は、それを聞いてニヤリとするが
「お前ひとりは早い。 私と一緒に行こう」 采は、梅乃と川本屋に向かった。
「ごめんよ~」 采が声を掛けると、店の若い衆が出てくる。
「いらっしゃいませ。 今日は何か?」 若い衆はニコニコしている。
「主人、いるかい?」 采が言うと、若い衆は奥に向かう。 采はキセルを吹かせながら待っていた。
「お待たせしました」 店の主人がやってくると
「忙しいのに、すまないね。 ここ最近、仕出しの値段が上がっているが何かあったのかい?」 采が聞くと
「いえ? 上がっていませんよ。 三原屋さんは昔からの馴染みですから、そんな事はしませんよ」 主人が返答する。
「梅乃、出せ!」 采が言うと、梅乃は過去簿で川本屋の値上がり前と、値上がり後の写しを主人に見せる。
「ここが日付で、前はコレですが今はこうなっています」 梅乃が細かく主人に説明をすると、
「本当だ……お待ちください」 主人は、川本屋の売り掛け表を持ってくる。
「あれ? こっちは正規の値段だ……」 主人は、梅乃と采に帳簿を見せると
「おかしいね……」 采に表情が厳しくなる。
「すぐ調べて、返金しますので……」 主人は頭を下げた。
「よく気づいたじゃないか!」 采が梅乃に微笑むと
「これも、お婆が遣り手の勉強をさせてくれたおかげです」
梅乃がニカッと笑う。
(これで良かったかな……赤岩の事も忘れてくれるといいんだが……)
采は、悲しさを忘れさせようと強引に遣り手の勉強をさせたのが良かったと思っていた。
だが、梅乃にとって簡単に忘れられるものではなかった。
後日、川本屋の主人が三原屋にやってくる。
「すみません、値上がりの件なのですが……確認が不十分でした。 こちら、返金させてもらいます」
主人は返金と、お詫びの品を出してきた。
「そうかい……」 采は肩を落とす。 こんな狭い吉原で後味の悪いことが起きて、少しの寂しさを感じていた。
そこに梅乃が顔を出す。
「こんにちは」 頭を下げると、
「こんにちは。 梅乃ちゃん、指摘をありがとうね……信用問題に関わるとこだったよ」 川本屋の主人が頭を撫でる。
「あの……」 梅乃が何か言いたげな表情を見せる。
「どうしたんだい? 梅乃ちゃん」 主人が梅乃を見る。
(また何か感づいたか……) 采の眉がピクッと動く。
「いえ……あの、小用なので失礼しんす……」 梅乃は、その場を離れていった。
梅乃が戻ってくると、川本屋の主人は帰っていた。 そこに采が、
「お前、よく言わずに我慢したじゃないか」 そう言って微笑むと
「お婆……」 梅乃は采の顔を見上げる。
「何でも突っ走るお前も、少しは成長したのかね~」
「私も成長しますよ~」
そんな会話から、梅乃は遣り手の席に座り帳簿を確認する。
「梅乃~ 今日の宴席の料理なんだけど……」 こう言ってくるのは花緒である。 梅乃が遣り手の席に座っていたので頼んでいいと勘違いをしていた。
「はい。 五郎様の酒宴ですね。 いつものでよろしいですか?」
梅乃は過去簿から仕出しの確認をする。
「うん、お願い。 って、何で梅乃が遣り手なのよ?」
花緒は会話をしながら突然に驚く。
「色々とありまして……」 梅乃が渋い表情をすると、
「また悪さして、罰でも貰った?」 花緒はニコニコしている。
(失礼な……どれだけ私は爆弾なのだろう……) そんな事まで考えてしまう梅乃である。
梅乃は花緒の注文をメモして、「お婆……花緒姐さんの仕出しの注文に行ってきます」 采に言って川本屋まで出向く。
「こんにちは……注文です」 梅乃が挨拶をすると、
「梅乃ちゃん、こんにちは」 店主が対応する。
「これ、この値段でよろしいですよね?」 梅乃が確認すると、店主は頷いていた。
夕方、仕出しを運んできた若い衆がやってくる。
「いつもありがとうございます……」 仕出しを置くと値段を言うと
対応した梅乃が 「??」 困った顔をする。
「どうされました?」 若い衆は梅乃の顔を見ると
「あの……値段が違うかと……」 梅乃の言葉に、若い衆が睨む。
「違う? これで言われていますが」 若い衆は話しを進める。 仕方なく金を払った梅乃は采に報告する。
「あのガキ……やってくれるじゃないか」 采の顔がひきつる。
「お婆……私、行ってきます」 梅乃が行こうとすると、
「ちょい待ち!」 采は梅乃の襟を掴む。
服が梅乃の首を絞め、「うえっ―」 舌を出し、苦しんでいた。
「ゲホッ ゲホッ― なんで……?」 梅乃は止められた理由が分からなかった。
「なんでも突っ走るんじゃないよ! しっかり証拠を集めるんだよ」 采の言葉に、梅乃は考える。
梅乃は川本屋の外に立っていた。 若い衆が次の配達に行くチャンスを待っている。
すると、仕出しを持った若い衆が配達に向かう所を見つける。
配達に出向いたのは長岡屋だった。
(よかった。 ここなら面識があるし、話も通りやすい)
梅乃は黙って長岡屋の外で待っていた。
待つこと十分、配達の若い衆が長岡屋の外に出てきた。
「すみませ~ん」 時間を見計らい、見られないように長岡屋に入ると
「あら、梅乃ちゃん…… 今日はどうしたの?」 長岡屋の遣り手が出てくる。
「すみません。 今日の仕出しは川本屋さんですよね?」
「えぇ そうよ。 それが何か?」 遣り手はキョトンとしている。
「三原屋の仕出しの金額が合ってなくて、さっき配達を見かけたので確認で来ました」 梅乃が説明すると、
「ちょっと待ってね……」 遣り手は奥から帳簿を持ってくる。
そこに喜久乃がやってくると、
「どうした? 梅乃。 ここに来るなんて……」 喜久乃は不思議そうにする。
「えぇ……ここの所、仕出しの帳簿が合わなくて調べているんです」
帳簿を管理しているのは遣り手である。 一介の禿風情が帳簿の管理をしているのが不思議でならなかった。
(コイツは何を目指しているんだ?) やはり梅乃にはそう思ってしまう。
「誤解しないでください。 お婆に言われて目を通しているだけですから」
梅乃は喜久乃に言われる前に断っていた。
すると、「あった……確かに先月から値上がりしているわね……」
遣り手は不思議そうにすると
「そうなんです。 でも、川本屋さんの主人は「値上げしていない」と、言うんです」 梅乃が説明すると、喜久乃の表情が険しくなる。
「値上がりをすると、妓女の借金は増えるじゃないですか……そうすれば年季明けも遅くなる訳ですし、良くないと思いまして……」 梅乃は説明する。
仕出しの値段は客が払うが、まずは妓女の立て替えとなる。 それで値上がりをしても妓女の給料は一緒であり、見世の負担はないが妓女の年季の分に上乗せされてしまう。
「あの野郎……」 当然ながら喜久乃は怒っている。
喜久乃は按摩の件や梅乃が拉致された時など勇猛果敢に立ち向かうが、とても妓女思いで吉原のトップに相応しい人物だ。
今回も見世を馬鹿にされた行為であり、許せなかった。
「いくぞ!」 喜久乃が袖をまくると、
「喜久乃花魁、まだです」 梅乃が制止する。
「なんでだよ?」
「まず。 値上がり前の日付と、値上がり後の日付を書いた紙をください」
冷静に梅乃が指示を出すと、
「わかった」 遣り手には上手く伝わった。
ただ、横にいる喜久乃は鼻息が荒かった。
紙に書いた遣り手は、梅乃と一緒に川本屋に向かった。
喜久乃が来ると、話が大きくなってしまうので留守番となる。
「ごめんください。 ご主人様をお願いします」 梅乃が言うと、主人が出てくる。
「あれ、また梅乃ちゃんか……」
「何度もすみません。 長岡屋の仕出しなんですが……」
梅乃が説明をして、遣り手が紙を見せると
「アイツ……すみません。 すぐ返金させていただきます」
主人は何度も頭を下げ、返金した。
そこに配達の若い衆が戻ってくると、
「おい、貴様。 なんで集金を水増ししてやがる―」 主人は怒り、若い衆は解雇された。
「梅乃ちゃん、ありがとう……これは気持ちだよ」
長岡屋の遣り手は、袋にお金を入れて梅乃に差し出すが
「これは受け取れません。 ここの姐さんの年季の足しにしてください」
梅乃は頭を下げて、長岡屋を後にした。
「梅乃って、凄いでしょ! お婆……」 喜久乃は自分の娘のように自慢していた。
「ただいま~」 梅乃が三原屋に戻ってきたのは夕方になっていた。
「お前、何時まで掛かっているんだい! 早く支度しろ!」
良いことした後には、しっかり采からの制裁も付いていた。




