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第四十五話 名も無き朝

 第四十五話    名も無き朝



 深夜から明け方にかけて、岡田は梅乃の身体を温めていた。


 心配もあり、以前に玉芳が使っていた部屋を借りている。

 「梅乃、まだ寒いか?」 声を掛けると、


 「うぅぅ……」 声は小さいが、かすかに反応を見せる。

 (よかった……) 岡田は梅乃と同じ布団に入り、体温の低下を防いでいた。



 そこに小夜と古峰が部屋に入ってくる。


 「梅乃―っ 大丈夫…… って……あの、何を……?」

 小夜と古峰が見たものは、一緒の布団に入っている二人の姿だった。



 「いやっ― これは体温低下を防ぐ為にだな……」 岡田が説明していると、


 「そんなのは、どうでもいいです。 梅乃はどうですか?」

 小夜は顔を強ばらせている。



 「体温は戻ったようだ。 何か温かいものを飲ませてくれ」 岡田は布団から出て、赤岩の部屋に向かった。



 外は、まだ暗いが朝が近づく。

 これから妓女たちは『後朝の別れ』をしなくてはならない。 岡田は息を潜めるように赤岩の横に座った。



 二階も騒がしく、菖蒲、勝来、花緒の三人も後朝の別れを始める。


 二階を使う妓女たちは、朝の目覚めの茶を入れる。

 そして客が飲み干し、満足そうにしたら後朝の別れとなるのだ。


 勝来の細い指が客の頬に触れる。 客は抱きしめて、昨夜の感触を思い出すのだ。

 「また、会えますね……」 勝来は抱き合ったまま、客の耳元で囁く。

 こうして、客は仕事に向かうのである。



 客を見送ると、勝来の表情が一変する。

 「梅乃―」 勝来が部屋に入ると、小夜と古峰が座っている。 梅乃は布団に入ったままである。



 「小夜、梅乃はどうなんだい?」


 「はい。 深夜にととさまが見つけてきて、体温が低かったということで岡田先生が一緒に布団で寝てくれてました」


 「何っ?」 勝来の眉間に力が入る。


 「いやいや……こんな時に、まさか……」 小夜が慌てて弁解すると、

 「そ、そうだよな……まだ、赤岩先生は下にいるのかい?」


 「はい。 後朝の別れが済むまでは動かさないはずです」 小夜が言うと、勝来は静かに一階に向かう。



 「梅乃……辛いね……」 小夜が梅乃の頭を撫でると、

 「小夜…… うわぁぁ―」 梅乃は小夜に抱きついて泣いてしまう。



 部屋の外では菖蒲が立っていた。 「先生……あんまりです……梅乃は、まだ子供なんですよ……」 菖蒲は両手で顔を覆い、膝から崩れていった。



 全員が後朝の別れを済ますと、文衛門が白い大きな布を岡田に渡す。


 岡田は亡骸を包み、静かに頭を下げた。



 そして、梅乃が一階に降りてくる。 菖蒲に支えられ、小夜と古峰も一緒に降りてくる。


 「梅乃……」


 三原屋の者は、梅乃の顔を見て言葉を失う。 やつれ、青白い顔、なにより泣き腫らした顔であった。 深夜の外で低体温になり、身体も回復していない状態でも梅乃は自分で下に降りてきたのである。



 梅乃が開いている赤岩の部屋に近づく。


 「先生……」 梅乃は、教わった沢山のメモ紙を赤岩に見せると


 「これ、先生から教わった医術でありんす…… こんなにいっぱい…… もう、誉めてくれないんですか? 先生…… いや――っ―」

 梅乃は また泣き崩れた。



 「梅乃―」 菖蒲が抱きしめる。

 「嫌― 嫌―」 梅乃が大声で叫んでいると、小夜と古峰までもが大声で泣き出す。



 その後、赤岩の家族がやってきた。


 吉原での活躍や功績などの話をし、岡田も挨拶をして後任としての紹介を済ませる。


 「ありがとうございました……」 赤岩の家族が挨拶をすると、文衛門や采……そして、妓女の全員が頭を下げた。



 この時代、車というものはない。 亡骸は大八車という荷車で運ぶようになっている。

 家族が用意し、岡田と片山が赤岩を荷車に乗せた。



 「では、行ってくる。 梅乃、行くよ」 文衛門が手を差し出す。

 「??」 梅乃は呆然としている。



 「お前の師だろ? 最後まで見送らないと……」 文衛門が微笑む。


 梅乃は、よく分からないまま文衛門と一緒に大門まで行く。

 すると、四郎兵衛会所の男性が立っていた。 男性が梅乃に近づくと、


 「これ、証書だ。 しっかりお別れをしてきなさい……」

 そう言って証書を梅乃に渡した。 梅乃は驚き、何度も証書と文衛門の顔を見ている。


 「行こう……」 文衛門と梅乃は手を繋ぎ、赤岩の実家まで見送った。




 「先生、ありがとうございました…… 私、ずっと先生の弟子でいいんですよね?」 涙を流す梅乃の言葉に、赤岩の家族は号泣してしまう。



 「先生、おさらばえ……」 梅乃は涙を流しながら笑顔を作った。


 これに文衛門は涙を流し、頭を下げる。

 そして、赤岩の実家の外では玉芳と鳳仙が泣いていた。



 梅乃と文衛門が挨拶を済ませ、家の外に出ると


 「梅乃……」 小さい声がする。 梅乃が振り向くと、玉芳と鳳仙が立っていた。 


 「うわぁぁぁん……」 梅乃は、玉芳に抱きついていた。

 「辛かったね……」 玉芳も力強く梅乃を抱きしめる。



 「母か……」 鳳仙は、この愛情が羨ましく思えた。



 梅乃と文衛門は、玉芳たちに挨拶をして吉原に戻っていった。

 梅乃の人生初である大門の外は、涙の苦い味となったのだった。



 こうして、見送りをすませた梅乃は

 「ととさま……先生が生きていたら、こんな朝じゃなかった……こんな朝って、何ていう朝なの?」 聞いてみると



 「そうだな……何て言えばいいかな……これから生きていく上で、通り過ぎる一日なんだ……そんな朝に名前なんて付けられないな……」


 そう言って、『名も無き朝』の日差しを浴びている。 二人は手を繋ぎ、吉原を目指して歩くのであった。



 大門を通ると、梅乃は会所の者に証書を渡す。 朝の男性は交代していたようだ。


 「ご苦労様でした。 お通りください」 会所の者は笑顔だった。

 梅乃も微笑み、三原屋に戻っていく。




  “ガラッ……” 「ただいま戻りました」 梅乃が三原屋に戻ってくると、大半の妓女は眠っていた。


 ただ、勝来と菖蒲は梅乃が戻ってくるのを待っていた。


 「おかえり……あのさ……」 菖蒲が何かを言おうとして梅乃の顔を見る。

 「はい……」 梅乃の顔は泣き腫らした目であるが、表情は普段のように見えていた。


 「大丈夫かい?」 菖蒲は梅乃の頬に手を掛けると、

 「はい。 父様が教えてくれました。 これから生きていく中の、悲しく通り過ぎていく一日だということを……」


 この言葉で、菖蒲たちはホッとする。



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