第四十二話 天照の岩戸
第四十二話 天照の岩戸
采が部屋に引きこもって二日目、菖蒲と勝来が采の部屋の前に正座をしている。
「お婆……もう出てきておくんなんし……梅乃も大丈夫ですから」
いくら二人が説得しても采は姿どころか返事さえしない。
「困ったわね……」 菖蒲がぼやくと文衛門がやってくる。
「まだダメかい?」
「はい……返事すらなくて……」 菖蒲が息を落とす。
これには文衛門も困った顔をしていた。
梅乃は元気になって二階の部屋を掃除していた。
采が引きこもって妓楼の空気が変わり、小夜や古峰も意識をしている。
『チラッ―』 横目で梅乃を見る。
梅乃は表情を変えず、一生懸命に掃除をしていた。
「さて、次は勝来姐さんの部屋か……」 梅乃は雑巾を絞り、
「勝来姐さん……失礼しんす」 襖を開ける。
「さ 小夜ちゃん……これからどうなるんだろ……?」 古峰は梅乃と采の関係を心配していた。
小夜は無言で廊下の雑巾がけをしている。
掃除が終わり、梅乃たちは一階におりてきた。 大部屋は静まり返っている。
「姐さんたち、どうしました?」 梅乃は目をパチパチさせると
「……」 妓女たちは黙って梅乃を見る。
これには、(誰のせいで、こうなったんだよ……) と言うような空気が漂っていた。
「う 梅乃ちゃん……本気で言ってるの?」 古峰が小夜に小声で話すと
「梅乃なら、ありうる……」 小夜も頷くしかなかった。
梅乃は外に出て掃き掃除をする。 「おはようございます。 潤さん♪」
これには片山も困っていた。
この空気に終止符を打つべく、片山が梅乃に話しかける。
「梅乃……」
「潤さん、どうしました?」 梅乃はキョトンとしている。
周囲は片山に期待をして、遠くから眺めていると
「い、いや……今日は良い天気だな~」 片山は笑って妓楼の中に入っていく。
「??」 梅乃は首を傾げた。
これには妓女たちも落胆している。
そして片山が大部屋付近で深呼吸をすると、
「ヘタレ……」 小夜が小声で片山に囁く。
「えっ?」 片山が驚く。 そして反対側から
「チキンナゲット、マスタード付き」 古峰が辛辣な言葉を投げかける。
「えっ? えーーっ?」 片山は、全員の期待を裏切った代償を受けた。
『シュン……』 落ち込んでいる片山を余所に、説得に諦めた勝来と菖蒲が外で作戦会議をしている。
「どうやったら お婆と梅乃が仲直りするかしら……?」
そんな会議をしていると、どこからか噂は風のように流れていく。
昼見世前の時刻。
引手茶屋、千堂屋では噂が早くも流れていた。
(えっ? お婆と梅乃が……?) 噂を聞いた野菊が慌てる。
「お父様、ちょっと出てきます」 野菊は三原屋まで走っていく。
「すみません― 誰か」 大きな声で叫ぶ野菊に、菖蒲が玄関までやってきて
「あんれ、野菊姐さん……」
野菊は馴染みの菖蒲でホッとする。 以前に三原屋で働こうとした野菊は、菖蒲の付き人をした間柄だからだ。
「さっき、噂になっていたんだけど……梅乃が三原屋を出るって本当?」
野菊は荒くした息のまま話すと
「へっ?」 菖蒲は目を丸くする。
「もう噂になってるよ! じきに梅乃を引き取りたい妓楼が押しかけてくるかも……」
「……へっ?」 菖蒲は『へっ?』しか言えなくなっていた。
「そんな事をしたらダメだからね! 忠告したわよ」 そう言って、野菊は慌ただしく茶屋に戻っていった。
「……へっ?」 最後まで言葉にならなかった菖蒲である。
その後、早速と言わんばかりに鳳仙楼の主人が三原屋にやってくる。
(うげっ― もう来た!)
妓女たちが慌てて二階に向かい、
「勝来、菖蒲! もう来たわよ!」 知らせにいく。
二人は慌てて玄関まで向かう。
(まず、噂を消さないと……)
玄関に向かうと文衛門が応対していた。
慌てて菖蒲が会話に入り
「あのっ! これは噂だけですから―」 必死に言うと、
「なんのことだ? 鳳仙楼の主人とは消防の話をしているんだが……噂って何だい?」 文衛門はキョトンとする。
「……へっ?」 菖蒲は呆然とした後、
“ガンッ ガンッ ” と壁に額を打ち付ける。
これに驚いた文衛門が
「何をしている― やめなさい! 菖蒲―」 止めに入る始末となった。
その後、菖蒲など妓女全員が大部屋で正座をさせられていた。
「まったく……そんな噂があったのか……」 文衛門は初めて聞いたようだ。
「根も葉もない噂を信じるな。 それに、慌てないこと」
文衛門が言うと、昼見世の支度に取りかかった。
そこに一人の妓女が頬を膨らませて怒っている。
信濃である。
「なんで私が無条件で やり手をしなきゃいけないのよー」
采が部屋から出てこない為、最年長である信濃が 遣り手席に座らせられる。
「これじゃ戦力外みたいじゃない……」
高級妓女となり、値段も高くなったままの信濃も三十近く。 段々と客は減っていた。 これにより信濃の扱いが悪くなったのは否めない。
昼見世が終わり、大部屋では信濃を中心に作戦会議が始まる。
「これじゃ、私がお払い箱になっちゃう……なんとしても、お婆に出てきてもらわないと……」
この会議には中級妓女から上である勝来、菖蒲、花緒も参加している。
最年長の信濃は危機とばかりに話している。
「それで、何か案はある?」 信濃が言うと
「小夜と古峰の意見は?」 妓女の一人が聞いてきた。
「そんな……私たちが意見など……」 小夜が言うと、沈黙が流れる。
そこに梅乃が手を挙げる。
(えっ? いたの?) 妓女が梅乃を見て絶句してしまう。
「そりゃ、全員居るんですから居ますよ…… それで、何の話です?」
梅乃は事態を把握していなかった。 話はいつも当事者である梅乃に聞かれないようにしていたからだ。
「えっと……その……」 信濃が言葉に詰まってしまう。
「……」 梅乃は、その先の言葉を待っている。
「お前、当人だろ? なんでキョトンとしているんだよ―」 信濃が梅乃に言うと、
「当人? ……あぁ、あれからお婆が出てこないんですか?」
「そうだよ! それに、お前が別の妓楼に行ってしまうなんて噂も出ているんだぞ」
「それは知りませんでした。 では、お婆の所に行ってきます」
梅乃が立ち上がると、
「いや、ちょっと待て! お前は躊躇いとか無いのか?」 信濃は驚くばかりである。
「でも、私のせいだから謝るのが先決かと……」 梅乃は無表情で言うと
「そこで拗れたらどうなるんだよ?」 信濃は慎重になっている。
「それは謝りまくりますよ」
「それとだ……他の妓楼に行くって話は本当か?」
「……」 梅乃は黙ってしまった。
これにより、更に大部屋が静まりかえる。
「ちょっと梅乃……」 勝来が声を掛けると
「ごめんください―」 そこに焦った様子の客人が来る。
「はい。 何でしょうか?」 これに菖蒲が対応する。
「すみません― お医者様はいらっしゃいますか?」
「はい。 医者は私ですが……」 岡田が玄関に顔を出すと
「先生……あの薬で……」
客人は、先日の堕胎剤で容体が悪化した妓女がいると言いにきていた。
大部屋に居た妓女たちが騒然となるが
この時、赤岩は不在だった。
岡田は急いで支度をすると、
「梅乃、支度してくれ」 梅乃を見るが、動く気配がない。
「……」 梅乃は、ただ前にいる司会の信濃を見ていた。
「梅乃―」 岡田が呼ぶと、
「私は行けません。 私が行くと、お婆が嫌な顔をします…… 私は、お婆に嫌な思いをさせたくないのです……」
「梅乃……」 菖蒲が言葉を漏らす。
「それに、私は医者じゃありませんし、妓女になる為に育てられたのです」
梅乃の言葉に全員が黙ってしまう。
「だからって、見殺しにするのかい?」 菖蒲が慌てたように言うと、
「それは岡田先生がいらっしゃいます。 私は、お婆の意に背くことはしません……」
「……わかった。 私一人で行ってこよう」 岡田が出ていこうとすると
「梅乃――っ!」 奥から大声が聞こえる。
全員が振り向くと、そこには采が立っていた。
「はいっ―」 梅乃の背筋が伸びる。
「お前に仕事だ! 吉原の女郎たちを救ってこい!」 采がニヤッとする。
「お婆…… はいっ!」 梅乃は立ち上がり、急いで岡田と飛び出していった。
こうして三原屋の天照は、岩戸から出てきたのであった。
「おいっ! 梅乃が言ってた薬、あれは捨てな」 采が言うと、所持していた妓女は薬を畳に置く。
それを信濃が回収して処分をした。
「まったくお婆も強情なんだから……」 菖蒲がボソッというと、
「今度は、お前のせいにして引きこもってやろうか?」 采が菖蒲を睨む。
「さて……夜見世の支度でもしようかな~」 菖蒲は二階に逃げていった。
そして、梅乃と岡田は具合の悪くなった妓女を診ていた。
「梅乃、どうだ?」 岡田が聞くと
「これ、鉛中毒と同じだと思います。 堕胎剤に入っている水銀とかの症状と似ています」 梅乃は医者のようになっていた。
「うん……私と同じ見解だ。 水を多く含ませて排尿を促そう」
梅乃は妓女に水を多く飲ませる。 しかし、嫌がるように水を拒んでいると
「ダメです。 このままだと死んでしまいます。 姐さん、お願いですから飲んでください」 梅乃が勧めると、妓女は水を口に含んでいく。
そして、妓楼の前には大勢の人が様子を見にきていた。
薬の入った紙包みを持ち、梅乃は大声で説明をする。
「この薬を持っている妓女は服用しないでください。 体に悪い影響を出します。 絶対に飲まないでください」
この言葉に多くの人が妓楼に戻っていった。
(梅乃……) 岡田は梅乃を見て微笑む。
その後、吉原で薬の噂が広まり被害は最小限に抑えられた。
梅乃は三原屋に戻り、
「お婆、すみませんでした……」 膝をついて頭を下げていた。
「ふんっ― まったく ロクでもないガキだね!」 采は後ろを向くと、
「お婆、もういい加減にしたらどうですか?」 菖蒲が言う。
背中を向けていた采は目に涙を溜めていた。
采も噂は文衛門から聞いていたのだ。
梅乃が他の妓楼に持っていかれたら玉芳に顔向けが出来ないと思っていた。
しかし、歳を取ってくると強情になってしまい、采は自分が悪いと思いつつも言葉がキツくなってしまう。 そんな面倒なお婆である。
そこに、噂話しを聞いた妓楼の主人が三原屋にやってくる。
「はい。 何か用でしょうか?」 菖蒲が対応すると、
「噂で聞きまして、こちらの禿を買い取りに来たのですが……」
これに采と菖蒲は目が点になる。
こんな騒動の中、三原屋は一流の妓楼として営業していくのであった。




