第三十九話 心の豊かさ
第三十九話 心の豊かさ
明治五年、十一月。 吉原も冬支度となってきた。
「もう寒くなったね~ 火鉢まだかな?」
「お婆がまだだって…… ケチよね~」 妓女の会話も寒さの話しばかりである。
大部屋で文衛門が采に話している。
「さっき聞いたんだが、暦が変わるらしいぞ」
「暦? どういうこと?」 采はポカンとしている。
この時代まで日本は太陰暦という暦を使用していた。
しかし、明治五年 十一月に政府が発表する。
明治六年、一月より太陽暦を用いて世界基準に合わせるということ。
太陰暦は月の満ち欠けなどを用いた暦であり、一年が三五四日となっていた。
季節の誤差も出てきて、政府は改暦をすることになったのだ。
「つまり、歳を取るのが遅くなった訳だね♪」 采は喜んでいる。
「そ、そうだね……」 今更……と、言いたげで苦笑いする文衛門である。
「ごめんください」 三原屋の玄関で声がする。
「はーい」 采が玄関に向かうと、
「まぁ、大江様……」
「どうも、お久しぶり」 大江が頭を下げる。
「どうされました?」 采が聞くと、
「いやね、玉芳に言われてコレを持ってきたんです」
大江は、大きな紙包みを玄関に置いた。
「これは?」
「紙です。 これで新暦の暦表を作れと言っていまして……」 暦表……現代のカレンダーである。
「??」 采はポカンとしていると
そこに禿の三人が玄関にやってくる。
「こんにちは。 大江様……」 梅乃が頭を下げると、
「梅乃ちゃん、良いところに来た。 玉芳から預かってきたんだけど」
大江は紙包みを見せる。
「これは?」 梅乃は紙包みを見る。
「これで、新暦の暦表を作りなさいって持たされたんだ」
「暦表ですか……?」 梅乃や禿たちはポカンとする。
「そう。 新しい暦は こうなるからね。 これを日めくりにするようにと玉芳が言ってたんだ」
新しい暦表を渡し、大江は帰っていった。
そして梅乃、小夜、古峰の三人は新暦の紙を読む。
その横には文衛門もいた。 子供たちでは読めない漢字があるからだ。
「今度は、一か月が 三十日と三十一日になるんだ……」
梅乃たちは旧暦さえも知らなかったが、新しい学びになると楽しんでいた。
そして、大江が持って来た紙に日付を書く。
少し多めだが、各月、日付を書いていく。
「なんか小夜、上手に書くね~」 梅乃が感心している。
「う 梅乃ちゃん、綺麗に書かないと お婆に怒られるよ」
古峰が梅乃に注意すると、
「じゃ、古峰も書いてよ」 梅乃が挑発するように言う。
そして、古峰が書くと、
「古峰が一番上手だな」 文衛門が古峰を誉めていた。
苦笑いで誤魔化す梅乃を見て、古峰がニヤッとする。
『カチン』 梅乃は渋い表情をする。
「しかし、上等な紙だな~」 文衛門が感心している。
この紙は『小川和紙』と言い、現在から数えて千三百年の歴史があると言われている。
奈良時代、正倉院の文書には 七七四年に武蔵国から「武蔵国紙 四八〇張」が納められたとの記録が残っている。
そんな高級な和紙を禿の勉強の為にプレゼントするとは、玉芳の母心なのであろう。
文衛門は余った紙を切って、
「しっかり勉強しなさい」 そう言って、筆と硯を用意する。
それから三人は空いた時間に筆を持ち、文字の勉強をしていた。
まず、玉芳にお礼の手紙を書く。
こうして会えない時でも手紙を交換し、交流を図っていく。
ある日、梅乃は紙を持って外に出ていた。
仲の町にある瓦版を見て写していく。 書写である。
少しでも玉芳の気持ちに応えられるように、梅乃は頑張っていた。
小夜や古峰も同じように文字の練習しているのだが
梅乃は赤岩との往診の時でも持っていた。 そして、梅乃なりに往診での記録や学びを紙に書いていったのだ。
「……という訳なんです」 赤岩は、梅乃が勉強熱心になっていることを采に話すと
「へぇ~ あの梅乃がね~」 采が驚いている。
「そうなんです。 自分なりの医学書まで作っているんですよ」
「あの虫ばっかり集めていた梅乃が、勉強に目覚めるとは驚きだ」
これは采だけではなく、菖蒲や勝来までもが驚いていた。
それから梅乃は、吉原で多い病気などの治療方法などを書いていく。
赤岩から聞き、また医学書などからも写していった。
「結構、書いたね~」 赤岩が驚いている。
「はい。 勉強が楽しくなりました♪」 梅乃の言葉に赤岩が感心していると、
「それくらい芸も学んだらどうだい?」 采がツッコミを入れる。
「あわわわ……」 梅乃はショボンとして去っていった。
それからも禿たちは文字の勉強をしている。
だが、熱が入りすぎると新しい問題が出てくる。
「最近、筆ばっかり持って 妓女の勉強はしないのかい?」
こう言ってくる妓女が出てくるのだ。
「小夜、コッチ。 髪を結いな」 妓女は横柄な言い方をしている。
「わかりました……」 小夜が髪結いを始めると、
「そうじゃないだろ!」『パチンッ』 妓女が小夜の頬を叩く。
小夜は小刻みに震え、呆然としている、
「さ 小夜ちゃん」 古峰が小夜の肩を持つ。
「古峰~ お前、小夜の味方するのか? 生意気だな」
妓女は古峰を睨んだ。
寒くなってきた頃、客足が減って妓女もストレスが溜まってきている。
そんな時に八つ当たりをしてくる妓女も出てくる。
古峰も睨まれ、震えていた。
「ちょっと― 何をしているんですか?」 そこに顔を出したのは菖蒲である。
菖蒲は小夜と古峰を背中に隠し、妓女の前に出る。
「チッ―」 妓女は大部屋から去っていった。
偶然にも采が留守の出来事に、大部屋は静まり返っていく。
何も知らずに梅乃が三原屋に戻ってくると、
(何だ? やけに静かだな……) 大部屋に向かう。
すると、大部屋には震えている小夜と古峰の姿があった。
「小夜、古峰―」 梅乃が二人の元に行くと、
「ごめん…… 私がドジなばかりに古峰まで……」 小夜は泣き出した。
「う 梅乃ちゃん、私は大丈夫。 慣れてるから。 でも、小夜ちゃんが……」
そう言うと、古峰まで泣き出してしまった。
「外に行こう……」 梅乃は泣いている二人を外に連れ出した。
そして、お歯黒ドブを眺めて二人が泣き止むのを待った。
「落ち着いた?」 梅乃が二人に言うと、黙ったまま頷く。
「なんで禿って、こうなんだろうね……」 そこに現れたのは絢である。
三人は驚いた。 絢までもが泣き腫らした目でやってきたのだ。
「絢……」 梅乃は、そこから言葉にならなかった。
「私たちが妓女になったら、禿には優しくしようね……」
この日、四人で ニギニギをする。
「みんな、よくな~れ!」 この言葉は、絢にも入っていく。
翌日、小夜と古峰は叩いた妓女から距離を取る。
「なんだい? そんなに私が嫌かい?」 妓女が執拗に小夜と古峰に絡んでくる。
それを、横から梅乃が見ていた。
妓女は、梅乃が見ているのに気づくと
「梅乃、アンタ 何か言いたそうだね~」 妓女は梅乃に向かっていく。
大部屋は静まり返っていく。 全員が妓女と梅乃に視線を向けていた。
「姐さん、私たち 十二歳と十一歳です。 文句など言える訳がないじゃないですか……」 梅乃は軽く両手を挙げる。
「なら、何か言いたそうな目をしているのは何でだい?」
「姐さん、まだ気が済みませんか?」 梅乃が言うと、妓女は
「なんだい? 挑発しているのか?」
「いえ、ただ……玉芳花魁が言ったことをお忘れになったのかと思いまして……」 梅乃が毅然な態度を示す。
「くっ― 梅乃、段々と生意気になって」 妓女が睨むと、
「すみません。 ここいらで終わりにしませんか?」
話に入ってきたのが信濃である。
「信濃……」 妓女が信濃を見る。
「今まで何もせずに、ごめんね」
「信濃姐さん……」 梅乃は驚いている。
今まで自室に籠もりっきりだった信濃が、禿たちを助けにきたのだ。
「今更、禿を庇ってどういうつもり?」
「庇うつもりはありません。 ただ、醜いな……と」
「はぁ? 醜い? アンタ、中級妓女だからって……」
妓女の怒りの矛先が信濃に向く。
「いいえ……私も醜い妓女ですから……」 信濃の言葉に妓女が言葉を失う。
「実際、この子たちが迷惑を掛けましたか? むしろ、率先して働いていませんか? 今更ですが、この子たちは凄く良い子です」
毅然と話す信濃に周りの妓女が黙っているが、一人の妓女には響かないようだ。
「貴女は私と一緒。 気づかないまま終わるのよね……」
信濃は妓女を哀れむように見ると、
「な、生意気を言うんじゃないわよ。 何よ、その目は―」
妓女の怒りが信濃に向かう。
「ここから先、私も同じく悔いて生きましょう…… やっと気づいたんです。 この子たちが いかに凄かったかを…… でも、私もこの歳。 後の祭りでありんす……」
信濃が言うと、そのまま二階へ向かった。
(信濃姐さん、何をする気だろう?)
梅乃たち禿にとって、信濃から嫌がらせを受けた記憶はない。
部屋に入ったきりではあるが、叩いたり意地悪をされたりする訳ではなかった。
そんな信濃だが、考えがあったようだ。
すると、二階から信濃が荷物を持って大部屋にやってきた。
「信濃……?」
「今日から私も大部屋で暮らしていきます。 あの部屋は……私には相応しい訳がないんです……」 そう言って、信濃は何度も二階と大部屋の往復をしていく。
三度目の荷物を下ろした時、
「姐さん、手伝います」 梅乃が二階へ向かう。
「わ 私も……」 古峰が荷物を受け取り、空いているスペースに荷物を並べる。
「そんなんじゃダメだよ~ まず綺麗にしてから」
小夜が雑巾を持ってきて、信濃が使うスペースの畳を拭きだす。
「お前たち……」
(あぁ……なんで、こんな簡単な答えに辿り着けなかったんだろう……) 信濃の目に涙が溢れる。
これは、玉芳に言われてから信濃がずっと悩んでいた答えだった。
それから信濃は梅乃たちと仲良くしていた。
ある日、梅乃が采に買い物を頼まれると
「待って! 私も行くわ」 信濃が言う。
「へっ? 信濃姐さん……?」
「たまにはいいでしょ♪」 信濃が支度を済ませ、一緒に千堂屋まで歩いていく。
「すみません、姐さん…… 気を使っていただいて……」
謝る梅乃は、少し嬉しそうにしている。
「そんな事ないよ。 本当ならもっと早くにやるべきだったのさ……」
信濃が微笑む。
それから信濃と梅乃は楽しそうに買い物をする。
(なんで、こんな事が出来なかったんだろう…… お婆だって、捨て子だった二人を抱っこしながら面倒をみて……玉芳花魁だって一緒に育てて花魁になって……)
こんな後悔をしながら買い物をする信濃は、妓女としても、女としても心の幸せを知っていくことになる。
(全て、器が違ったんだ……)
その後、梅乃が玉芳に手紙を書く。
それは、三原屋の出来事である。 そこには、『幸せ』という文字が書かれていた。
「へ~っ♪ みんな良くなってるんだね~♪」
手紙を読んだ玉芳は笑顔だった。




