第三十二話 想い人
第三十二話 想い人
梅乃が回復して数日。 玉芳から一通の手紙が届く。
「梅乃……お婆に渡してくれるかい? 玉芳花魁からの手紙だ」
片山が梅乃に手紙を渡す。
「えー、なんて書いてあるんだろう?」 梅乃は手紙の封筒を空にかざし、透かして読もうとしていた。
「こら、読まない」 片山は、梅乃に優しく注意をする。
梅乃は、残念そうな顔をしながら采に手紙を届けた。
「手紙? 初めて よこしたね……」 采は驚いている。
そして手紙を読んでいくと、いくつかの事柄が書いてあった。
まず、妓楼内の雰囲気のこと。 玲の事まで書かれている。
そして、最後の部分を読むとき
「ごめんください……」 と、三原屋の玄関から声がする。
「はいはい……」 采が玄関に向かうと
「えっ? お前……」 采が目を見開く。
「お久しぶりです……」
三原屋の玄関に立っていたのは鳳仙だった。
「善くなったかい?」 采が優しく声をかけると
「はい。 すっかり善くなりました」 返事をする鳳仙の顔が眩しかった。
「この度は、誠にありがとうございました。 心から感謝を申し上げたく、鳳仙楼より先に来ちゃいました」 小さく舌を出す。
「会所のヤツラもビックリしただろう?」 采は、ご機嫌にキセルに火をつけた。
「それで、先生と梅乃はいらっしゃいますか?」
「赤岩なら往診に行っているよ。 梅乃は、まだ布団で休ませているよ」
采が話すと、
「梅乃? まだ寝ているんですか?」 鳳仙は目を丸くする。
「知らなかったのか……花魁と言えど、やっぱり吉原だけなんだね~」
采はガッカリしたような声を出す。
吉原での噂はすぐに入るが、外に出ると全く聞かない小さな世界だと言うのを采は知った。
そして、采は梅乃の出来事を話す。
すると、
「なんですか……そんな者が吉原に出入りしていたなんて……それに梅乃まで巻き込まれて……」
鳳仙が肩を震わせながら憤りを見せたが、
「それは違うな……梅乃は巻き込まれた訳じゃない。 アイツが勝手に飛び込んだのさ。 小夜なら絶対にしないしな……」
「ぷっ! そうですね」 采と鳳仙は笑っていた。
鳳仙が三原屋を出ようとすると、片山が話しかける。
「無事で良かったです」 そう言うと、
「ありがとうございます。 まだ、神様は此処におりんすな~」
そう言って、鳳仙は胸に手を当てる。
去っていく鳳仙の後ろ姿を見送る片山は、見えなくなるまで目で追っていた。
妓楼の二階から見ていた小夜が 「おやおや~♪」 と、楽しそうに見ている。
それからの片山は、ため息ばかりついていた。
「おいっ! 聞いてるのかい?」 采が片山に怒鳴ると
「すみません―」
「おやおや~♪」 またも小夜が見ていた。
「潤さん!」 小夜が片山に話しかける。
「小夜、どうした?」 片山が返事をすると、
「鳳仙花魁……」 小夜が名前を呟くと、片山の身体がすくんだ。
「好きなの……?」 小夜が真面目な顔で聞く。
「そんな……俺なんかじゃ相応しくないから……」 片山は否定もせずに、自分との差を話す。
「行ってみれば? 鳳仙楼……」 小夜が言うと、
「馬鹿言うなよ~ いくら掛かると思っているんだよ……」
これには片山もムキになってしまう。
大見世の花魁を指名するなんて夢の話しであるからだ。
「いつから?」 小夜は、意外にも食い下がってきた。
「ずっと前から……」 片山の顔が赤くなる。
「言うなよ。 お婆に知れたら百叩きじゃ済まなくなるから……」 そう言って片山は、仕事を続けに見世の中に入って行った。
十時、梅乃が目を覚ます。 いつも早起きの梅乃だが、この騒動で体力が落ちていた。
「よく寝た~ けど、まだ体が重い…… いつまでも小夜と古峰ばかりに負担を掛けれないな……」 梅乃は起き上がり、はだけた着物を直す。
「おはようございます」 梅乃は采に挨拶をする。
「おはよう……って、よく寝てたな」 采はキセルを吹かせながら梅乃を見る。
「ようやく三原屋に帰ってきたって感じです。 今日から働きます」 梅乃は布団を畳んで昼見世の準備に取り掛かる。
(本当に生きてて良かった…… 玉芳の あんな顔を見せられたんじゃ、コッチが生きた心地しないよ……) 采は、玉芳の怒った表情が忘れられなかった。
「おい、潤……この買い物を梅乃と行ってきておくれ。 急いで歩くんじゃないよ。 梅乃のペースで歩いてやりな」 采は優しかった。
そして千堂屋に着くと、
「こんにちは。 注文をお願いします」 そう言って梅乃がメモを渡す。
「おっ! 梅乃ちゃん、元気になったかい?」 千堂屋の主人が笑顔で話しかける。
「はい。 ありがとうございます」 梅乃も笑顔で応え、ふと奥座敷に目を向ける。
奥の座敷では、鳳仙がお茶を飲んでいた。 気づいた梅乃が、すぐに声を掛けると
「梅乃―」 鳳仙は立ち上がり、梅乃に抱きついた。
「花魁……?」 梅乃はキョトンとする。
しばらく無言で梅乃を抱きしめてから、ゆっくりと離すと
「梅乃、今回は大変だったね……」 鳳仙が話し出す。
「はい、みなさんのおかげで助かりました」
「私も、お前や赤岩先生に助けられたよ……梅乃には感謝しているよ」
鳳仙が胸に手を置く。
「本当に治って良かったです。 また吉原で働けるのですね?」
梅乃がワクワクして話すと
「もう、妓女では無理さ……こんな胸の女郎を買うヤツなんて居ないわよ」
「そんな……」 梅乃の肩が落ちる。
「それに、ここに来たのは梅乃に会いたかったからさ……」
鳳仙の表情は、晴れやかな空のようであった。
「じゃ、鳳仙楼には戻らないのですね?」 梅乃が聞くと
「まぁ、年季も開けたし働く理由が無いと言うか……」 鳳仙が複雑な表情を見せる。
「三原屋ではどうですかね?」 梅乃が言い出すと
「いやいや……私が何をするのさ?」
「それは……お嫁さんです」 梅乃の言葉に鳳仙が目を丸くする。
「お嫁さんて、誰が誰の……?」
鳳仙の言葉に梅乃が立ち上がり、襖に話しかける。
「???」 鳳仙は、意味が分からず首を傾げる。
『シャ―』 と 襖を開けると、そこには片山が立っていた。
「――っ」 思わず身をすくめる片山。
「貴方は、確か……」 鳳仙は、また目を丸くする。
「こんにちは。 鳳仙花魁…… すみません、梅乃と買い物に来ていまして…… ここで梅乃と鳳仙花魁が話し終えるのを待っていまして……」
片山が恥ずかしそうに説明をする。
すると、梅乃が 「この潤さんと結婚なんてどうでしょう?」 と、言い出した。
「こらっ、梅乃」 さすがに片山が梅乃を叱る。
「え~ いいと思ったのに~」 梅乃は口を尖らせる。
「すみません……梅乃が変な事を言いまして……」 片山がペコペコと鳳仙に頭を下げると
「いいんですよ。 クスクス……」 鳳仙は上品に笑った。
こうして買い物を終えた梅乃と片山が妓楼に戻っていくと
「だから~ こうすれば上手くいくんじゃないかな~」 と、小夜と古峰が話し合っていた。
「何の話し~?」 梅乃が二人の会話に入る。
片山は見世の中に入って行った。
「私、見ちゃったんだ~ 潤さんが鳳仙花魁を目で追うとこ……」
小夜は楽しそうに話していた。
「それで、それで?」 梅乃の目がキラキラしていた。
そんな子供ながらの恋バナに盛り上がっていたところに
「いつまで話しているんだい? さっさと働きな!」 采のカミナリが落ちてきた。
「ひぃ~」 三人は走って見世の中に逃げ込んでいった。
それから禿の三人の目が片山に向く。
片山は黙々と働いていた。
ある時、梅乃が采に
「お婆~ 玉芳花魁からの手紙って、何のことだった~?」 と、聞いてみると
「あぁ、手紙な……お前の身体を気遣うことや、玲の情報さ…… 玲の正体は不明のままってことだよ」 采はキセルに火をつける。
「そっか~」
「それと、鳳仙の身を案じてだな……」
「鳳仙花魁の?」 梅乃が目を丸くする。
「もう妓女としては無理だ。 どうするか心配でね~」 采はキセルを吹かせながら言う。
「なら、聞いてきましょう!」 梅乃は立ち上がり、出掛けようとする。
「コラコラ!」 采が梅乃の襟を掴む。
「ぐえっ―」 梅乃の喉に服が入って苦しそうにすると
「お前はどうして余所の妓楼に首を突っ込もうとするんだ? それで殺されかけただろうが……」 采が怒るのは当然である。
『シュン……』
落ち込む梅乃を見て、采が口を開く。
「鳳仙楼を追い出されるのであれば、ウチで引き取れと玉芳の手紙に書いてあるんだよ! だから何でも突っ走るんじゃないよ、このガキッ!」
そして采は、梅乃の頭にゲンコツを落としたのであった。
頭を押さえながら大部屋に逃げてきた梅乃に古峰が声を掛ける。
「う、梅乃ちゃん、いつも叩かれてる……」
「きっと、叩きやすいんだろうね……」 梅乃も呆れ顔だった。
それから数日後、梅乃は仲の町を散歩していた。
すると、鳳仙楼の主人とバッタリ出くわす。
「こんにちは~」 梅乃が挨拶をする。
「おぉ、梅乃ちゃんだったかな? 鳳仙の件はありがとう」 そう言ってニコニコしている。
「あの……鳳仙花魁は……どうなるのでしょうか?」 采に忠告されていたにもかかわらず、つい話しだしてしまった。
「まだ考え中さ……」 鳳仙楼の主人は、大人の対応でかわす。
「私、鳳仙花魁が好きなので……」 梅乃が言い出すと
「じゃ、絢と一緒にウチで働くかい?」 主人はニヤッとする。
「あわわわ……それを言われると……」 梅乃は困ってしまう。
「鳳仙は大人だよ。 身の振舞は自分で決めるよ。 私は、鳳仙が選んだことを見守るだけだよ」 鳳仙楼の主人が笑顔で言うと
(こんな優しい主人だから鳳仙花魁も素敵なんだろうな~) と、梅乃は思った。
「ウチの男性も鳳仙花魁が大好きなんです」 つい、梅乃の口が滑ってしまう。
「へぇ、それは私も嬉しいね~ ウチの妓女が他所の見世の若い衆からも人気だったとは」 まんざらでもない主人の表情であった。
その頃、片山は ため息ばかりついていた。
「どうしました? ため息なんて……」 声を掛けてきたのは鳳仙である。
「ほ、鳳仙花魁……」 片山の顔が赤くなる。
「どうしました? 顔が赤いですよ?」 鳳仙が片山の顔を覗き込むと
「ひゃ~」 と、言って片山は背を向ける。
色恋が飛び交う吉原で、花魁を何年も勤めてきた鳳仙はすぐに気づいてしまった。
そして、鳳仙は片山の顔に手を伸ばして頬に触れる。
「ありがとう……」
鳳仙が声を掛けると、片山の意識が遠のいていった。
それからの片山の記憶が無かったのは言うまでもない。
そんな片山の想いは募るばかりであった。




