第三話 豪華絢爛
第三話 豪華絢爛
あれから二年。 梅乃は十歳になった。
「花魁、失礼しんす……」 玉芳の部屋に勝来がやってきた。
最初の禿だった菖蒲は十五歳になり、下級の妓女となっていた。
それにより、禿の最年長は勝来である。
「本日の予約は……」 勝来が予定を読み上げると
「へー 初見さんか……」 玉芳は驚いていた。
玉芳が驚くのも無理もない。
少し前だが、戊辰戦争が起こり 上野周辺は瓦礫や死体の山であった。
ここ吉原も、彰義隊の避難所として利用している為、戦争に巻き込まれたくない客は遠のいていった。
「少し、客さんは戻ってきたのかしら……?」
玉芳がキセルを吹かしながら空を見ている。
吉原は幕府公認の妓楼街であったが、大政奉還により幕府が権力を失う。
大名は吉原から足が遠のき、金が安く済む夜鷹を使っていた。
※夜鷹は、吉原外の売春のこと
また吉原に来ても大見世である三原屋を使わず、吉原の壁側にある河岸見世を使う客も増えていった。
吉原の妓楼は四つのランクに分けられている。
三原屋のような格式が高い見世は、大見世。
格式が低く、引手茶屋を通さずに遊べるのが小見世。 その中間にあるのが中見世である。
そして、吉原を囲むように川の水が溜まったのが『お歯黒ドブ』と呼ばれ、そのドブの近くにある見世が、河岸見世と呼ばれていた。
河岸見世は安く、格式など無い。
年季が明けて、行くところが無くなった妓女が多く在籍する。
また、三十路過ぎの女性が多いところでもある。
そして戦争により、一気に客足は遠のき三原屋も経営が苦しかった。
「久しぶりに、景気よくいこう」 玉芳は嬉しそうであった。
この落ち込んだ景気を回復しようと、強く思っていたからだ。
玉芳は一階にいる “鑓手婆 ” の所に出向く。
鑓手婆とは、妓楼の一階に座り、妓女の管理や会計などを行う人である。
三原屋で言えば『采』である。
「お婆、今日の客さんは どんな方?」 玉芳が采に聞くと
「確か……金貸しの旦那とか言ったね。 アチコチの妓楼に顔を出すヤツさ…… そこいらで品定めでもしているんじゃないかい?」
「お婆、今日は車を出してくれない?」 玉芳は、珍しく采に頼み事をする。
「そりゃ構わないけど、ケチられたらどうするんだい?」
采の言うことは尤もである。
ケチる……車などを頼んでないから、値引けと言ってくる客である。
「お婆、ここは勝負です。 大見世として生き残れるかの勝負です。 もし、ケチられたら私が車代を払いましょう」
「玉芳……」 采は、花魁の玉芳の気迫に圧倒された。
「わかった! 手配しとくよ」 采はニヤリとして、親指を立てた。
「ありがとう お婆♪」
「さぁ 風呂に入って、やるよ」 玉芳が大きな声を出し、妓女たちに活気を与えていく。
「それと、酒宴は……菖蒲、それと勝来も入りなさい」
「あ、はい……」 勝来は驚いていた。
菖蒲は妓女として入ったばかりで勉強の為に呼ばれたのだと分かるが、勝来は『新造出し』と言って妓女の見習いという身分で、妓女としては経験していなかった。
そして、新造出しからお披露目として変わっていくのでる。
「勝来、勉強よ。 私、赤飯を用意するわ」 菖蒲が励ましたが
「……はい」 返事に元気が無かった。
梅乃は大部屋を見渡していた。
(勝来姐さんに元気がないのは、周囲の目だ! 嫉妬、妬みが当たり前の妓楼では花魁と一緒に仕事が出来れば、上客のオコボレを貰えるチャンス……みんなが欲しかったチャンスを妓女の見習いが選ばれるのだから、嫉妬の目は当たり前だよ……)
梅乃は、まだ十歳だが分かっていた。
「それと……梅乃、八時まで酒宴に参加しなさい」
玉芳の言葉が十歳の小娘の意識を遠ざける。
「しっかりしなさい、梅乃……」 梅乃は後ろに倒れ、気絶していた。
梅乃の目が覚めると、大部屋の空気が一変していた。
“ザワザワ…… ”
「じゃ、頼むわね」 そう言って、玉芳は自室に戻っていった。
「すごいじゃん、梅乃~」
「小夜……どうしよう……」 喜んでくれた小夜に、泣きついていた梅乃である。
「とにかく決まったのだから、精一杯 勤めるんだよ」 菖蒲は、梅乃の肩に手を置いた。
梅乃は酒宴に参加をするが、もちろん禿の仕事もある。
一層の気持ちが必要だったが……
「なんでお前が……」 いつも梅乃に絡み、蹴ってきた妓女が言いよってくる。
「すみません……」 とりあえず、梅乃は謝ったが
「生意気な……」 見下ろしてくる目が怖かった。
そして夕刻、玉芳が引手茶屋に向かう時間である。
「花魁、通ります」 大きな声で迎えをアピールすると、周囲の目が玉芳に向く。
『この景気の悪い時に車で花魁だと? 一体、誰だよ……』 こんな噂が吉原に響いた。
幕府が崩壊し、景気が悪くなった吉原に玉芳が風を流し込む。
そして、他の妓楼と差をつける為に車まで用意したのだ。
まさに、これが玉芳の作戦であった。
そして精一杯の声を出してアピールをする梅乃と小夜。
ここが見世の運命の分かれ道であった。
「お待たせしました。 三原屋の玉芳でありんす……」
(えっ?) 梅乃は驚いていた。 普段なら、初見の客には笑顔を見せない玉芳が優しい言葉で迎えていた。
「お、おぉ……」 客は面食「めんく」らっていた。
「本日は車で失礼しんす……お嫌でしたら、車代は私が……」
玉芳が言いかけた所で、客が言葉を被せてくる。
「構わんよ。 私が持つ」 客は軽く手を胸に置いた。
「ありがとうございます……では、こちらへ」
客の男は車に乗り、動くのを待った。
「では、普段ならお客さんが先に歩くものですが……私が案内を致しましょう」
そう言って、玉芳が先頭を歩く。
そして、外八文字を見せると仲の町に歓声が上がった。
“こりゃ、変わった案内だが、これもいい…… ”
仲の町に様々な声が飛んだ。
これは、どこの妓楼もしたことのない事であった。
そして、普通に歩けば数分の場所ではあるが、三十分を使って三原屋に到着した。
「それでは、二階の酒席へ……」 ここからは禿の出番である。
酒席の部屋へ案内をすると、菖蒲が酌をする。
玉芳は、自室で小夜と酒席の衣装へと着替えていた。
酒席の部屋の隅で、勝来と梅乃は正座をしている。
そして十分が過ぎた頃、玉芳が部屋に入ってきた。
「……」 玉芳は『お待たせしました』の言葉さえ出さず、客とは少しの距離を取って座った。
実際は初見の客とは言葉も交わさず、酒宴の料理にも手を付けないのが普通である。
玉芳は、セオリー通りに接客をする。
これは花魁なりの品定めである。
酒宴を盛り上げるのは客であり、花魁のご機嫌を伺っていくものである。
花魁は笑顔ではあるが、あまり言葉は交わさない。
そこで 「お嬢ちゃんたちも、どうぞ……」
禿の梅乃にまで食事を出していた。
そして、三時間の酒宴が終わる。
階段まで見送る玉芳が
「今宵は、本当にありがとございます」 深々《ふかぶか》と礼をする。
いつもと違う感じの対応に、客は驚いている。
そして菖蒲が妓楼の出口まで見送ると、
客は 「また、同じ面子で頼むよ……」 と、言ったのである。
そして、二階の窓から玉芳が見ていた。
ふと、客が二階を見上げると、玉芳と目が合った。
玉芳が微笑むと、客は手を挙げて帰っていった。
「よくやったよ」 采が玉芳の部屋に来て、言葉を掛ける。
「しかし、いつもと違うじゃないか?」
「えぇ……いつもと同じなら、あの客は いつもと同じく別の見世に行くでしょう……」 ここからは真剣勝負をしないと、生き残れないと感じての行動だったようだ。
「大したものだよ……」 そう言って、采は一階に降りて行った。
そして、二日後に その客は来た。
今度は、普段通りに歩いて迎えに行った玉芳に
「今日は普通だな……」 つい、言葉を漏らしてしまう。
「毎度、同じですと飽きますから……」
それだけを言うと、サッと先導を促す。
そして、梅乃が客の横を歩くと
「お嬢ちゃん、どうなっているんだい?」 客は、初回と今回の違いを不思議に思い、梅乃に聞いていた。
「花魁は……こうして皆に幸せをくれるのです。 まるで、夜に出るお天道様なのです」 梅乃は、こう言ってニコッとする。
そして、妓楼に到着する。
客は妓楼の二階の酒席に通され、玉芳を待っていた。
菖蒲が客に酌をし、会話を楽しむと玉芳が入ってくる。
「お待たせしました……」
玉芳の言葉で、全員が驚いた。
(普段、言わない言葉だ……いつもはツンとしているが、ここで変化を出したんだ……) 梅乃には、まさに生きた教材であった。
この変化は、男の気を引くのに時間は掛からなかった。
「ありがとう……これからも楽しませてくれよな」 客は、玉芳が席に付いてからスグに心を持っていかれたようだ。
アチコチの妓楼を渡り歩いてきた客は、玉芳に堕ちた。
時代は変われど、男はツンデレに弱いようだ。
「そこで……コレを……」 玉芳が手を叩くと、部屋に赤飯が運び込まれる。
「どうした?」 客はキョトンとしていた。
「今宵、この勝来が妓女としての初日でございます」
「そうか、めでたいな♪」 客は、めでたい日に立ち会えた事を喜ぶと
「お召し上がりください。 これは、私の奢りです。 さっ、勝来も……」 玉芳は勝来を近くに呼び、全員で赤飯を食べた。
その時、勝来に涙が溢れて化粧が取れかかってしまった。
「あらあら……」 玉芳がクスッと笑う。
これも変化である。 玉芳が客の前で笑うことは少ない。
いつもなら張りつめた空気で存在感を出していたが、今回は違った。
(姐さん……何かあったのかな?) 梅乃は、小さいながらに疑問を抱く。
酒宴は進み、梅乃は子供なので先に失礼をする。
そして、三時間ほどすると酒宴が終わった。
丁寧に挨拶をし、階段まで見送る玉芳。
そして、階段を下りてから菖蒲と勝来が外までの見送りをする。
客が歩いて帰ろうとした時に、玉芳は妓楼前まで速足でやってきた。
少し息を切らした声で、
「また、会えますか?」 と、言ったのである。
客は面食らった顔で
「あぁ、すぐ来るよ」 そう言って、客は帰っていった。
これは、全て玉芳の演出である。
ただ、この変化により玉芳自身にも変化が出てきた。
そして、朝の六時になると浅草寺の鐘の音が鳴る。
新造になった勝来は、菖蒲に同行して客の見送りを行っていた。
そんな中、梅乃はバタバタとうるさい妓楼の中で熟睡をしていたのであった。