第二十九話 小さな綻び
第二十九話 小さな綻び
「梅乃ちゃん、じっとしててね」 玲が言うと、梅乃は頷く。
そして、玲は男性客と話をしている。
「……」 梅乃は黙って、会話を聞こうとしていたが
玲と男性客は、梅乃を警戒して見世の奥に行ってしまった。
そして数分後、玲が戻ってくる。
「梅乃ちゃん、ごめんね…… しばらく戻れないわ……」
梅乃は黙っていた。
両手を縛られ、猿轡をされた梅乃は声を出せずにいたのだ。
かえで屋に来た客は、急ぎ木箱に拳銃を入れている。
(このまま、私も死んじゃうのかな……) 梅乃は、自身の好奇心の旺盛さを反省している。
「さて、用意が出来た…… このガキはどうする?」
かえで屋に来た客は梅乃を見つめ、玲に相談していると
「う~ん…… 梅乃ちゃん、好きだけど……見られちゃったからな~」
玲は ため息をつき、腕を前に組んでいた。
●
その頃、三原屋では酒宴が終わる時刻を迎えていた。
小夜と古峰は、布団の中で深い眠りに入っている。
「そういえば、梅乃はまだ帰ってきてないのかい? 何やっているんだか…… あのバカ娘は……」
采がキセルを吹かせながら暇そうにしている妓女に話していると
「あの……私、探しましょうか?」 こう言ってきたのが 妓女の安子である。
安子は梅毒にかかり、回復してきてはいるが客が減っていて暇になっていた。
「そうだね。 安子、ちょっと外を見てきな」 采が言うと、安子は外に出て行った。
「……寒い。 こんな時間に何をしているのよ……」 安子はブツブツと言いながら仲の町を歩く。
他の見世も酒宴が終わり床入りの時刻、誰も外に出ている人は居なかった。
一時間ほど外を歩いた安子が妓楼に戻ってくる。
「梅乃は?」 采が安子を見ると、
「いいえ、誰も外に居ません……」
「まったく……」 采が息をこぼす。
「梅乃がどうかしました?」 二階から勝来が降りてくると、
「お前、何しているんだい? 客はどうした?」 驚いたように采が言う。
「寝てしまいましたわ。 相当、酔っぱらっていましたから」
勝来がクスッと笑う。
「それで、梅乃がどうかしたのですか?」
「さっき、寝れないから夜風に当たるって言って、一時間以上も帰ってこないんだよ」 采が言う。
「心配ですね。 私も探しに行こうかしら……」
勝来がソワソワしていると
「お前は客が居るだろうが―」 采が怒鳴った。
こうして時間だけが過ぎ、一階にいる妓女もソワソワし始めていく。
「仕方ない……行ってくるか」 采は腰を上げ、大門にある四郎兵衛会所に向かう。
采が会所で話すと、夜に大門から出た者は居ないと言われていた。
「まったく、あのガキは何をしているんだい」 采は、怒りながらも心配で仕方なかった。
明け方、外がまだ薄暗い中、妓女は後朝の別れを済ませる。
浅草寺の鐘が鳴る少し前の時間である。
浅草寺の鐘が鳴るのは朝の六時、その前くらいに客が起きて身支度を始める。
「また、逢えますか……」 勝来の細い指が客の頬に触れ、客は勝来を抱きしめていた。
そして客を見送り、勝来が振り返ると
「梅乃を探しに行きます……」 顔が険しくなる。
采は寝ており、外出をすることを片山に伝えると
「ま 待って! 私も行きます」 古峰が起きてきた。
「何かあったら危ないし、ここに居なさい」 勝来が言うと、古峰は頷く。
勝来は大門の前、仲の町と歩きだした。
客が帰る、人の流れに逆らうように水道尻の方へ向かっていく。
(何処に居るのよ……) その時、勝来は思い出していた。
「かえで屋…… 玲って言っていたわね……」 そう言って、小見世が立ち並ぶ京町二丁目まで来ると
(こんな小さな見世って……) 勝来は、小見世をマジマジと見るのが初めてだった。
そして、小さな看板を見つける。
「かえで屋……ここね」 勝来は、かえで屋の戸を叩く。
すると、かえで屋の店主らしき男性が戸を開ける。
「ここに玲と言う妓女がいると思うのですが、お目通りをお願いしたく来ました……」 勝来が緊張した様子で話すと
「玲ですか? 昨夜から出ておりますが、どちらさんで?」
「私は、三原屋の勝来でありんす……梅乃の姉でありんす……」
「随分と若い妓女ですな…… それで梅乃とは?」
男性は、梅乃と言う名前を知らないようだ。
「説明をしている暇はございません。 玲という妓女に合わせてくんなんし……」
「そう言われても、玲は明け方から出ていますが……」 男性が答えると
「何処に出掛けるのかしら? 妓女が吉原から出ることは出来ません。 教えてくんなんし……」 勝来は必死に男性にお願いをしている。
すると、少し離れた場所から声が聞こえる。
「勝来? 勝来じゃないか」 声を掛けてきたのは喜久乃である。
「喜久乃花魁……」
「九朗助稲荷に来たんだけど、勝来はどうしてここに……?」 喜久乃が不思議そうな顔をしていると
「実は……」 勝来は喜久乃に梅乃が帰っていないことを説明する。
また、かえで屋の玲が知っていんじゃないかと聞きに来ている経緯も説明していた。
「梅乃が……?」 喜久乃の顔が険しくなる。
喜久乃は、かえで屋の男性に凄み
「吐きな。 梅乃を返さないと承知しないよ」 まさに脅しのような口調で男性に言い寄る。
「あの……玲は、自由に吉原を出入り出来るんです」 男性の言葉に衝撃が走った。
「なんで自由に出入りが出来るんだ? そんな訳ないだろう」
喜久乃は男性に さらに言い寄る。
「玲は華族の者でして、何かの証書を出して大門を出ることが出来るのです」
「だからって、妓女だろ? お前、知っていることを吐け!」
喜久乃が男性の胸ぐらを掴むと
「花魁、ダメです」 勝来が慌てて止めに入る。
「勝来、お前も確か武家の娘だろ? 何とか出来ないのか?」
「私の家は旗本で、それも失脚して……」 勝来が暗い顔をする。
「くっ……」 喜久乃が奥歯を噛みしめる。
「そういえば、玲という妓女が出れても梅乃は吉原を出ることは出来ません。
この中に梅乃が居るのではないですか?」
勝来が男性に言うと、男性から返事が無い。
(何かあるな……)
「おい、貴様……ここは吉原だ! 大見世、長岡屋の喜久乃を知らない訳がないだろ? さっさと言いな!」 喜久乃の顔が険しくなり、男性に凄むと
「なら、この中を調べてみたらいい。 それで何も無かったら……わかるよね?」 男性が顔を強張らせながら、見世の戸を開ける。
「失礼する」 喜久乃が言い、勝来と一緒に かえで屋の中に入った。
(なんだ、この見世は……本当に営業しているのか?)
かえで屋は、見世の看板があるものの、見世の中は殺伐としたものであった。
「おい、客と妓女はどうした? 誰も居ないのか?」
喜久乃が言うと、男性は言葉を詰まらせる。
そして、黙ったまま十分が過ぎた頃……
「おーい、勝来―っ」 見世の外から菖蒲の声が聞こえる。
勝来が声に反応する。
「菖蒲姐さん、ここです―」 勝来が大声で叫んだ。
男性が外の声に気を取られ、視線が外れた隙に
『ドカンッ―』 喜久乃が男性に体当たりをする。
「ちっ―」 男性は後方に吹っ飛び、壁に身体をぶつけた。
「今だ、勝来―」 喜久乃か叫び、勝来が反応して入口を開けると
「勝来―」 菖蒲が駆け付ける。
「さあ、逃げ場は無いぞ。 観念して、梅乃を返せ!」 喜久乃が倒れている男性を上から睨みつける。
男性は観念したのか、白状をし始めた。
この、かえで屋は武器の隠し場所であった。
明治になり、武器の規制が厳しくなった。 そして、警察の目が届かない場所である吉原を選んでいたということだ。
ここで商売をし、利益を得ていた かえで屋は警察に引き渡すのだが……
「警察は後だ、まず梅乃と玲は何処だ?」 喜久乃が問い詰めると、
「二階に……」 男性は答える。
急ぎ、勝来と菖蒲が二階へ向かい
“ ドンッ ” 力強く戸を開けた勝来が
「梅乃―っ」 叫ぶ。
しかし、二階には誰もいない。 部屋の隅々を眺める勝来と菖蒲は息も荒くなっていた。
「梅乃― 梅乃―」 大声で叫ぶと、二階の部屋の押し入れから
『カタンッ』 と、音がする。
勝来が強引に押し入れを開けてみると、酒樽が二つあった。
(こんな場所に酒樽?) 不思議に思った菖蒲が、酒樽の蓋を開ける。
「これは……?」 菖蒲と勝来が驚く。
酒樽の中には沢山の拳銃が入っていたのだ。
「こっちもか?」 菖蒲がもうひとつの酒樽の蓋を開ける。
すると、手足を縛られ 猿轡をされた梅乃が酒樽に押し込まれていた。
「梅乃―ッ」 勝来と菖蒲が大声で叫ぶ。
喜久乃が慌てて二階の部屋に走ってきた。
「梅乃……?」
梅乃は、呼びかけに反応していない。
「勝来、医者を呼んで!」 喜久乃が叫ぶと、
「わかりました」 勝来は、三原屋まで全力疾走をした。
勝来が仲の町を走る。
「あれ、三原屋の勝来だろ? どうした?」 吉原の客は珍しい光景に驚いている。
勝来が息を切らし、三原屋に着くと
「赤岩先生― ゲホゲホ……」 苦しそうに声を出す勝来に
「どうしました?」 慌てて部屋から出てきた赤岩が驚く。
「来て!」 勝来が赤岩の手を引き、今度は かえで屋まで走る。
「どうしたんですか? 勝来さん―」 赤岩が聞いても勝来は返事もせずに走った。
そして、かえで屋に到着すると
「どうしたのですか、みなさん…… えっ?」 赤岩が驚く。
「梅乃ちゃん?」 赤岩が梅乃に近づくが、梅乃は動かない。
「梅乃ちゃん?」 赤岩が身体を揺すって声を掛ける。
「先生?」 喜久乃が赤岩に声を掛ける。
喜久乃と菖蒲が縛られていた縄を解いたが、梅乃は動かなかった。
「やだ……」 勝来が涙を流す。
「くっ……」 喜久乃は梅乃から目を背ける。
「まだだ……」 赤岩が梅乃を仰向けにし、胸を圧迫し始める。
七回の圧迫をし、人工呼吸を三回する。 この繰り返しを何回も行うと
「ゲホッ……」 小さな声であるが、かすかに梅乃が息を吐いた音がした。
「梅乃ちゃん、頑張れ」 赤岩は胸の圧迫と、人工呼吸を繰り返した。
「ゲホゲホ―」 今度は梅乃の咳がハッキリ聞こえる。
「梅乃――っ」 妓女たちの必死の願いが届いたのか、梅乃は奇跡的に命を食い止めた。
「梅乃ちゃん、よく頑張った」 赤岩が優しく梅乃の頬を撫でる。
今回の事件は、警察に通報。
かえで屋は廃業となる。
時代が変わる。 その度に小さな綻びを見つけては事件が起きる。
そんな危険と隣り合わせで生きている吉原であった。




