遠すぎた丘
この小説は職業小説企画参加作品です。
読者の皆さんに自衛隊について少しでも知ってもらいたいと思い書いた次第です。
文章表現等で未熟な部分があるかも知れませんが楽しんでもらえれば幸いです。
なお、この物語はフィクションです。
実際の名称、人名等一部に架空の物を使用しています。
ご注意ください。
その日、空は曇りだった。既に日は落ち、暗闇が周りを支配する。
周りの景色は続く限りのススキと平原。
すっかり枯れ果てたススキが時折吹く冷たい風に靡く。
虚しさ漂う、そんなような何も無い景色だった。
しかし、そのススキの平原で蠢く者がいた。一見、この平原に住む野生動物の様だった。
しかしその姿は体毛に覆われた獣ではなく、その身に周りと同じススキを纏っている。
その生き物は地を這いながらゆっくり進んで行く、時折頭を上げて周囲を確認している。よく見なければ誰も気付かないだろう。
よく見るとそれは人だった・・・。
陸上自衛隊第三師団独立第三普通科中隊に所属する浪川一士は小銃を片手に寒さに震えながら掩体の中で警戒に当たっていた。
ちなみに掩体とは、飛んでくる弾や砲弾の破片から身を護る為の携帯スコップで掘った一人用の穴である。
もう既に季節は冬で地面から昇ってくる冷気が容赦なく体温を奪ってゆく。それをなけなしの携帯カイロで誤魔化しつつ警戒に当たっていた。既に手足の感覚が無くなりつつあるが、もうすぐ交代が来る時間なので我慢する。なぜなら後方にある集結地に行けば暖かい飲み物にありつけるからだ。
「あと少しで交代できる」と身を震わせながら考えていたところで背後の草むらがガサッと揺れた。
浪川は素早くその音に反応し銃の安全装置を解き揺れた草むらに銃口を向ける。
「誰か・・・」
浪川が誰何をすると「俺だ」と短く答えが返ってきた。再び草が揺れて一人の人物が姿を現す。
その正体は浪川が所属する分隊の分隊長である坂田二曹だった。その体は百八十センチを超え迷彩服越しにも鍛えられた筋肉が威圧感を醸し出している。
しかし体中にススキを貼り付けて擬装(カモフラージュ)された体は遠くからでは中々判別できないだろう。
敵ではないことを確認できた浪川は銃を下ろし警戒に戻る。
その横に坂田二曹はその巨躯を器用に這わせながら近づく。
「どうだ、何か変化は?」
「いえ、何も今のところは」
「いいニュースと悪いニュースを持ってきたがどっちから聞きたい?」
「じゃあ、悪い方から」
「さっき中西がやられた」
その言葉に浪川の表情が歪む、中西とは浪川の教育隊からの同期で親しい間柄だったからだ。坂田二曹と中隊で双璧をなす巨漢だが、中西の場合は筋肉ではなく脂肪だったが。しかしその人当たりの良い性格は中隊内でも評判だった。
「あいつ、みんなの飯取りに行くって出て行って敵の砲弾にやられたんだ」
「あいつらしいって言えばあいつらしいですけどね・・・」
「「・・・・・・」」
しばし両者の間で沈黙が流れる。
が、再び浪川がこの沈黙に耐えかねたのか再び口を開く。
「それでいいニュースってのは?」
「小隊長もやられた」
「それいいニュースなんですか?」
さっきの中西とは正反対に小隊長の方はというとどちらかと言えば評判は悪かった。あまり部下の面倒見は良くなかったし、すぐ感情的になり部下を怒鳴り散らす人物だった。しかしいくら評判が悪いからといって小隊を指揮する人物が戦死してしまっては部隊の行動に支障が出てしまう。
「いや、あれが死んだのはどうでもいいんだ。どっちかって言うとこのまま放って置いてもうしろから撃たれてたろ」
「ハハ、違いない」
「それでさっき中隊から無線が入って俺が変わりに小隊の指揮を執る事になった」
「野戦昇任ですか?」
「そうだ、それで俺の第一分隊を指揮するのがお前だ。どうだいいニュースだろ」
「エエッ!俺がっスか?副分隊長の伊藤三曹は?」
「あいつは昨日地雷で片足吹っ飛ばされて後送されたろ。だから今分隊で生き残ってる奴で一番頼りになるおまえが分隊長だ」
「買いかぶり過ぎですよ。俺、指揮執った事無いし・・・」
浪川は突然降って湧いた分隊長任命に驚きその重責に辞退しようとするが失敗する。
「経験だ経験。やってみなけりゃ判らないだろう?」
「ウエェー、分かりましたよ。やりますよ、やればいいんでしょ」
浪川は渋々ながら結局押し切られる形で一分隊の分隊長任命を了承した。
そんな中再び背後の茂みからガサガサ音を立てながら人が出て来る。これも先輩の陸士長だった。
「浪川、交代だ。現状報告を・・・・ってどうしたんだ?」
先輩はこの二人の間に流れる微妙な空気の正体が分からずただ困惑するだけだった。
その後、警戒を交代した浪川は自分の分隊集結地へと戻った。時刻は深夜の三時を回っており、辺りはシンと静まり返っていた。少しでも暖を取ろうと自分の背嚢からコーヒーセットを出そうとすると背後に気配を感じた。
「動くな・・・銃を置け・・・」
相手はガチャリと銃を自分に向けると誰何してきた。しかし浪川は全く気にも留めず。
「おい、疲れてんだからふざけるのはやめろ」
と、湯を沸かす準備を淡々と進める。
そんな様子に浪川の後ろに立つ人物はため息をつくと構えた銃を下ろす。
「何や、面白みの無いやっちゃなあ」
声の主は昼間から敵陣地の偵察に出ていた同期の有坂だった。彼はいたずらが失敗したのに不貞腐れてその場に胡坐をかいて座り込む。
「そりゃあ、六時間の警戒から戻ってきて人の冗談に付き合う物好きは居ないぞ」
「こっちも半日かけた偵察から戻って来たばかりやで。おかげでめっちゃしんどかったわ」
「だったら下らない事なんてすんな」
浪川はこんな状況でも余裕をかませる同期の神経の図太さに感心しているとズイッと目の前に紙コップが差し出される。コップからは湯気が立ち上り、コーヒーのいい香りが漂ってくる。有坂が作ってくれておいたらしい。
「ほれ、これでも飲みいな。体冷えてるやろ?」
「おっ、サンキュ。気が利くな」
「気にせんでもええで、どうせ俺の残り湯で作った奴やし」
そう言う有坂の心遣いに浪川は渡されたコーヒーを啜りながら笑みを浮かべる。
「そういえば浪川、深雪ちゃんとは最近どうなん?」
有坂のいきなりの振りに浪川はコーヒーを噴出しかける。
「どうって・・・」
「いや最近会ってないやろ?」
「お前には関係ないだろ!」
「ええやん、聞かせてーなぁ!」
「うるさい黙れ!」
コーヒーを飲み終えたところで浪川は有坂に自分が臨時に分隊長に任命されたことを話す。
有坂の反応はごく普通で変に他の分隊の陸曹や士長が指揮を執るより見知った同期が分隊長だった方が気分的に楽だと言った。それは浪川が逆の立場だったとしても思えることだった。
「で、分隊で結局生き残ってるのは何人なんだ?」
「俺とお前だけや」
その答えに浪川は一瞬自分の耳を疑う。
「すまん、よく聞こえなかったもう一度言ってくれるか?」
「だから俺とお前二人だけやっちゅうねん」
「・・・・・・・・・・・」
浪川は天を仰いで沈黙する。
最悪だった。昨日からの人員の損耗で既に一分隊は浪川と有坂だけになっていた。
しかしここで浪川は何かが引っかかった。
これだけ損耗した分隊をなぜそのままにしておくのか、普通ならば他の分隊や小隊に編入して再編成するのだがそこが分からなかった。しかもまだ一士の自分に何故分隊長を任せたのか。疑問は尽きなかったが命令ならば従うのが自分達自衛官だ。そこでふと重要な事を思い出す。
「そう言えばまだ偵察の報告を聞いていなかったな」
「こっちも忘れとったわ、ハハハ」
「こら」
浪川は有坂を軽く注意すると報告を聞く。
「敵の様子はどうだった?」
有坂はその質問に地図を出して答える。
「まず当面の敵はこの先にあるこの陣地やな」
有坂が地図で示した陣地は周囲より五メートルほど高くなっており、なだらかな丘となっている。そして敵はその丘の上から低い方の我々を射撃できる形になっていた。攻撃する浪川達にとっては不利な陣地だった。さらに有坂は話を続ける。
「それに加え陣地の正面には地雷原、何重もの鉄条網それを突破したと思ったら今度は何丁もの機関銃が銃口を向けとる。小銃に至っては最低一個小隊は居るやろうなあ」
敵が浪川達に用意したのは強固に守られた陣地だった。全く歯が立たないとは言い難いが相当な苦戦を強いられるという事が浪川には容易に想像がついた。さらに有坂がとどめの一言を告げる。
「おっと忘れとった。陣地のさらに後方に迫撃砲の陣地らしき物もあったで」
浪川はそこで大きくため息をついた。
「遠い丘だな・・・」
「まあ、元気だして頑張ろうや」
有坂のフォローがススキの平原に虚しく響く。
(明日はどうなることやら・・・)
明日の攻撃に向けての不安は浪川の心に募るばかりであった。
数時間後・・・。
東の空が明るみ始める。夜明けが近い。浪川は腕にはめた時計を見ると針は五時過ぎを差す。
浪川と有坂は集結地に停車している高機動車の車内で攻撃に行く準備をしていた。向かい合わせに座席に座る二人は真ん中に置いた弾薬箱の中から弾を取り出しそれをせっせと手持ちの弾倉に込める。浪川には弾倉に込められる鈍く金色に輝く弾丸がその身を銃口から飛び出すのを今や遅しと待ち侘びている様にも感じた。ふと有坂を見ると有坂は機関銃用の弾を準備している。
ここで小銃と機関銃の使い方の違いを説明しよう。
小銃と機関銃は弾こそ同じだが撃つ方法が違う。小銃は弾倉と呼ばれる金属の箱に弾を込め、その箱を銃に差し込み発射する。機関銃はリンクと呼ばれる金属の接続部品で弾同士を繋ぎ、何百発も繋いだ物を機関銃に挟み発射すると言う物である。機関銃はとりあえず敵の居る方向に弾をばら撒き、動けなくなった敵を小銃で狙って撃つというのが基本的な使い方である。話を戻そう。
浪川は準備が終わったので車から降りて歩き出す。この車はと言うともう使わないのでここに置いて行くこととなる。まあ、動かせる者が居ないというのが浪川の本音だが。遅れて有坂も降りて来る。その手には機関銃が握られており安全装置を解けばすぐにでも何百発もの弾を撃つことが出来る状態だ。他にも背中に太い棒状のものを背負っており先端は少し突起状になっている。これは個人携帯対戦車弾と言い、俗に言う対戦車ロケット砲である。もしも戦車がいた場合、非常に頼りになる武器だ。しかし重さが十キロ以上と重い。装備と機関銃合わせて四十キロ近い、一般人なら直ぐに疲れる装備を付けていながらも有坂は涼しい顔をしながら浪川の後に続く。これも今までの訓練の賜物だろう。
二人はススキを掻き分けながら攻撃準備地点へと急ぐ。二十分ほど歩くと敵の陣地の前方二百メートルほどの位置にある窪地にたどり着いた。前日の偵察で有坂が事前に見つけておいたものだった。窪地の底に着くと浪川は胸に付けた無線機の送信スイッチを押し小隊長の坂田二曹に連絡を入れる。
「31(サンヒト)、31(サンヒト)こちら01(マルヒト)攻撃準備地点ニ到着。オクレ」
<<31了解。爾後、全周警戒ヲシツツ待機セヨ。攻撃開始時刻0600(マルロクマルマル)オクレ>>
「了解、待機スル。オワリ」
31とは小隊長である坂田二曹の事であり01とは分隊長の浪川の事である。陸上自衛隊の無線交信では氏名や部隊名は言わず割り振られた番号で呼び合うのが決まりとなっている。
配置に付いた二人は時間になるまでこの場で待機する事となる。
浪川達が居る地点から百メートル後方では小隊長になった坂田二曹が各分隊に指示を飛ばしていた。
「小隊長、各分隊攻撃準備地点に到着しました」
小隊付の通信手が大きな箱型の無線機を背負いながら小隊長である坂田に報告する。
坂田はうむと頷くと次の指示を通信手に伝える。
「良し、中隊本部に第1小隊準備完了の報告した後に後方の迫撃砲小隊につなげ」
通信手は直ぐに中隊本部に報告するとさらに迫撃砲小隊との無線をつないだ。
「つながりました」
「迫撃砲小隊に「攻撃準備射撃を要請する。座標我が小隊より二百メートル前方の敵陣地、弾種榴弾、信管着発、0545から0550までの間、5分間」と伝えろ」
「了解」
指示通りに迫撃砲小隊に射撃要請をする通信手を横目に手に取った双眼鏡で前方に見える敵陣地を悠々と見据える坂田ではあったが、その顔は曇っていた。
(今出来る全ての手は打ったが・・・。しかし何だ? この違和感は)
<<攻撃準備射撃、初弾発射! ・・・・・・。初弾弾着五秒前、五、四、三、二、一! 弾着、今!>>
前方で空気を揺るがす爆発音がするのを浪川は窪地に伏せながら感じていた。遂に攻撃が始まったのだ。
段々昂ってゆく気持ちを小銃を持つ手の力を強めて紛らわす。これから弾が飛び交う地に行こうとするのに興奮するとは我ながら暢気なものだと浪川は心の中で自嘲する。
隣で伏せている有坂はと言うとこれも暢気に欠伸をしながらガムを噛んでいる。
するとお互いに目が合い互いの行動に苦笑する。
「暢気だな有坂」
「そう言うお前もな」
「「ハハハハハ」」
こんな殺伐とした世界の中で自分達は笑っている。
後、数分後には死ぬかもしれないのに。
馬鹿らしく笑っている。
こんなに可笑しい事は無い。
「「ハッハッハッッハッ!!」」
二人の笑いは止まらなかった。
味方の砲弾が敵陣地に落ちている五分間、二人は笑い続けた。
<<最終弾落下五秒前! 五、四、三、二、一! 弾着、今!>>
先程まで響いていた振動は無くなり、爆発の残響だけが辺りに響く。
<<小隊! 前へ!>>
遂にその時がやってきた。
二人は次の瞬間、窪地を飛び出し走り出す。
自分達の任務は分かっていた。それは他の分隊が敵の側面から攻撃するのを正面から援護する事。つまり、囮だった。
走っている最中に敵の陣地から敵兵が這い出して機関銃を構えるのが見えた。浪川はそれを見て素早く指示を出す。
「有坂アァァ! 前方十一時の方向、機関銃陣地! 撃てエェェー!」
有坂も気付いていたのか素早く機関銃を構え射撃姿勢をとると引き金を引いた。
連続した射撃音が辺りに響く。二、三秒経っただろうか先手を打たれた敵の機関銃は一発も撃たないままその役割を果たす事無く陣地に引っ込んでしまった。「やったか!」と浪川が思うも束の間。今度は四丁の機関銃が姿を現し射撃を開始した。さらに倍ほどの小銃もこれに加わる。絶え間ない射撃が浪川の頭上を支配する。流石に堪らず今度は浪川たちが引っ込む番だった。
「浪川!これやったら援護でけへん!どないしょう!」
「待て!今考えてる!」
そうは言ったものの浪川は何も考えておらず苦し紛れに言った一言だった。
その時、背後から甲高い腹の奥底まで響くような音が響いてきた。
「味方の戦車だ!」
有坂が叫ぶと後ろの方から地響きと共に鋼鉄の塊が姿を現した。
小山の様な車体にカモフラージュの草や木の枝を付け車体の上から伸びる大きな戦車砲が威圧感を放っている。機関銃の弾なんてものともしない、敵にすれば恐ろしいが味方となればこれほど頼もしい存在は居ない。
戦車は浪川の近くで止まり敵陣地に砲口を向けると耳をつんざく轟音と共に戦車砲を放つ。
砲弾が命中するとあんなに苦労した敵陣地が一撃で沈黙する。
浪川はそんな光景に喝采を上げる。
初弾で敵の陣地の一つを沈黙させた戦車は続けて二発三発と陣地に撃ち込む。まさに圧倒的と言っても良かった。
そして粗方の陣地を片付けた戦車は近くに居た浪川の存在に気付いたのかハッチを開ける。すると中から若い戦車長が現れ浪川に尋ねる。
「支援に来た! 敵は!」
戦車の活躍に浪川はいささか興奮していたがその一言で冷静さを取り戻す。
「まだ分からない、突入予定の分隊がまだ到着していないんだ!」
戦車長は頷くと浪川に提案をする。
「この車両はこのまま突入する!このまま君達は後方から続いてくれ!大丈夫だ上からの許可は下りている」
「「了解!」」
そう言うと戦車長はハッチを閉め中に消えていった。思わぬ戦車との共同戦闘に二人は興奮冷めやらぬ調子でゆっくり前進して行く戦車の後に続いた。
「良かったな戦車が来てくれて」
「ほんまやで、俺達だけやったら今頃どうなってたか」
さっきとは一転して余裕が現れた二人は無駄口を叩きながら前進する。しかし敵陣地の手前五十メートルまで接近したところでその余裕は打ち砕かれる事となる。
最初にその異変に気付いたのは有坂だった。
「何かあそこの茂み動いてへんか?」
有坂が指で示す方向を見ると確かに何かが動いていた。そして茂みが割れるとそこから筒状の物が姿を現した。浪川は逸早くその正体に気づく。
「ATM(対戦車ミサイル)だ! 下がれぇぇー!」
そう叫ぶが遅かった。発射されたミサイルは浪川の前方を進んでいた戦車に命中した。戦車は煙を吹き前進したまま路肩に突っ込む。あの様子では生存者は絶望的だろう。さらに不幸は続く、戦車がやられた瞬間に今まで遅れていた敵陣地を迂回攻撃するための分隊が姿を現したのだった。迂回した分隊は機関銃陣地が先程無力化されたので、いけると思ったのだろう。しかし甘かった、敵も奥の手を隠していたのだ。突如、彼等の行く手にあった小山が動いたのだ。それは巧妙に隠された敵戦車だった。敵もこの戦車の存在を悟られまいと奥の手として最後の最後まで隠していたのだ。
突然の敵戦車の登場に彼等は大混乱に陥る。戦車に向かって小銃や機関銃を乱射する者も居たが無意味に等しい。先程、味方の戦車にやられた敵の機関銃が全てを物語っている。
歩兵相手に戦車砲を使うまでも無いと思ったのだろうか敵戦車は戦車砲を撃たず、変わりにその上に搭載された機関銃で攻撃する。しかも同じ機関銃といっても浪川達が持っている機関銃とは訳が違う。戦車が積んでいる機関銃は重機関銃と言い、弾丸の大きさ、威力が段違いなのだ。一発でも当たれば人間を挽肉に変えるほどの威力を誇っている。
そんな物が彼らに向かって放たれる。バタバタと薙ぎ倒され彼等を浪川には黙って見ている事しか出来なかった。
このままではやられると思っていたその時、浪川に無線が入る。
<<31ヨリ全部隊へ。攻撃一時中止、攻撃一時中止。各部隊ハ行動ヲ中止シ、直チニ後退セヨ。繰リ返ス、攻撃一時中止。各部隊ハ行動ヲ・・・>>
その無線を聞くなり浪川は声の限りに叫ぶ。
「攻撃失敗!後退するぞ!下がれえぇぇぇええーー!下がるんだあぁあぁぁぁーー!」
その声が聞こえた何名かの隊員が下がり始める。それを確認した浪川も近くの茂みに向かって走り出した。後ろから有坂が続く。
今回の攻撃は失敗した。多くの犠牲者を出して。
「畜生! 戦車がやられた上に二分隊も壊滅かよ!」
再び出発地点の窪地に押し戻された浪川達はやり切れない思いで一杯だった。自分達の目の前で味方がやられていったのだから無理も無い。
「そう荒れるな浪川、有坂。二時間後に再びあの陣地に攻撃を仕掛けるぞ」
その声に二人は振り向く。
「「坂田二曹!」」
そこには坂田二曹とそれに率いられた小隊の残存兵力が居た。十名に満たない隊員で、みんな目の下に隈を作り憔悴しきっているがその眼光は鋭く、士気は旺盛の様だった。
しかしこんなに損害を被った小隊でもう一回攻撃するのは無理な話である。
「もう一度仕掛けるんですか?」
有坂がその疑問をぶつけるがその答えはあっさり返ってきた。
「もう直ぐこっちに増援部隊が到着する。全く、中隊本部の奴ら増援を寄越すならもっと早くしやがれってんだ」
坂田の愚痴に周囲の隊員は笑い声を漏らす。
「ハハハ、違いない」
その後、次の攻撃に向けて簡単な打ち合わせをした坂田は最後に隊員達へ気合を入れる。
「何としてでもあの忌々しい丘を堕とすぞ」
「「「了解!」」」
隊員達は坂田へ敬礼をすると自分達の配置に散って行った。
「もう失敗は許されない」その決意を胸に刻みつけて。
二時間後・・・
「おった、おった。野郎、こっちが諦めたと思って油断してんで」
有坂は個人携帯対戦車弾の照準器越しにあの忌々しい敵戦車を睨み付ける。
敵陣地の裏側へ回り込んだ浪川達は新たに敵戦車を撃破する任務を与えられていた。この敵戦車への一撃が再攻撃開始の合図となる。確実に仕留める為距離は二百メートルを切っていた。
もし外したなら敵戦車に探知され自分達も先程の分隊と同じ運命を辿るだろうと思うと冷や汗が出てくる。しかし敵は油断しているらしくそれほど警戒を強めては居なかった。だからこそここまで接近できたのだ。
浪川は不敵に笑いながら有坂に射撃命令を下す。
「では教育してやりますか?」
「了解や。安全装置解除、照準ヨシ」
照準器の十字マーク越しに敵戦車の姿が一杯一杯に広がる。この距離で外す訳が無い。
「撃ェ!」
「発射ァ!」
有坂が引き金を引く。
次の瞬間、戦車から爆煙が噴出すと周囲に居た数名の敵兵が慌てて散っていく。
「よっしゃあぁぁーーー! 撃破!」
「よし! ずらかるぞ!」
長居は無用と二人は急いでその場から離れる。もちろん戦車撃破の報告も忘れずに。
「敵戦車撃破確認!」
「戦車、小隊前へ!」
浪川の報告を受けた坂田は新たに増援で来た戦車二両を先頭に小隊を前進させる。先程の攻撃より装備、人員共に充実しているのだが、敵に対戦車ミサイルがあるので油断は出来ない状態だった。そうする内に再び敵陣地が見えてきた。
「小隊長、ATMです!」
「ああ、分かっている」
隊員の一人が報告する。このままでは先程の二の舞になってしまうが坂田は冷静だった。
突然、ミサイル発射機に取り付いていた敵兵が糸の切れた操り人形の様に倒れる。少し遅れて乾いた銃声が数発遠くから響いてきた。その正体は通信手が直ぐに答えてくれた。
「小隊長、狙撃班から報告。<<敵ATM操作員ヲ狙撃、無力化ニ成功>>」
坂田はその報告に大きく頷く。前回の反省を踏まえ予め狙撃班を待機させていたのだった。それと同時に通信手から無線機のマイクを受け取ると小隊全員に伝える。
「小隊突撃準備! 目標前方百八十敵陣地!」
遂にこの丘を巡っての戦いに終止符を打つときが来た。
坂田は大きく息を吸うと最後の命令を下す。
「突撃にィ!!進めエェェーーーー!」
「「「「ウオオオォォオオォオォォォーーーー!!!」」」」
坂田に指揮された隊員達は雄叫びを上げながら敵陣地に向かって突撃していった。
浪川達からは敵陣地から敵兵が逃げ出しているのが伺えた。小隊が突撃したのだろう。激しい銃声と怒号が浪川達が待機している場所まで聞こえる。
「有坂、俺達も行こうか」
「せやな、いっちょやったるか!」
こっちに向かって逃げ出してくる敵兵を射撃しながら浪川達は敵陣地のある丘に向かって走り出した。敵の抵抗は微弱で難無く陣地の目前まで迫る事が出来た。既に陣地の殆どは突撃した小隊主力が制圧を完了したという報告が浪川の耳にも入る。あと少しだ。
「あと少しでこの戦いが終わる」「故郷で待っているあいつにももう直ぐ会える」そういった考えが浪川の判断能力を鈍らせていたのかも知れない。
浪川は気付かなかった。自分に迫っている危機に。
隣の有坂が気付いた時にはもう遅かった。
敵兵の一人がこちらに向かって銃を構えていた。
浪川には視界の端に小さな閃光が見えたに過ぎなかった。
頭に強い衝撃が浪川を襲う。
そして一気に全身から力が抜けていくのが感じられた。
そのまま地面に倒れ伏す。
倒れた地面から見上げる空は綺麗だった。
透き通った水色が視界に広がる。
今まで見た中で一番綺麗な景色だった。
意識が薄れる中、浪川は呟いた。
「あいつにも見せたかったな・・・・・・・」
それを最後に浪川の意識は暗闇へと墜ちていった・・・・・・。
「きろ・・・。おい、起・・・・。おい! 浪川起きろ!」
何者かが浪川の名前を呼んでいる。
自分の体に加えられる振動と呼び掛けに浪川の意識は少しずつ覚醒する。
まだ覚醒しきらない意識の中、薄っすらと目を開けた浪川の視界に赤十字の腕章を付けた自衛官が写る。
「なんだ・・・。聖塚か、どうしたんだ?」
聖塚と呼ばれた隊員はやっと目を覚ました波川に安堵すると状況を説明する。
どうやら浪川は走っている最中、目の前の枯れ木から張り出した枝に気付かずに頭をぶつけそのまま昏倒したらしい。
浪川が後ろを振り返ると折れた木の枝が転がっている。
同時に軽い頭痛が襲ってきた。浪川が頭に手をやると包帯が巻かれておりぶつけた箇所が少しこぶになっていた。
「痛ててて・・・」
「全く、実患者が出たって言われて来てみれば。何だよそのザマは情けないにも程があるぞ」
「面目無い・・・」
浪川が聖塚にボロクソに言われてへこんでいると一人の人物がそこに割って入った。
「あのー、大丈夫ですか?」
その人物は浪川達の迷彩服とは違い深緑色の服を着ている。しかも武装していて持っている銃も違う物
を持っていた。まあ、簡潔に説明すると先程まで自衛隊と戦っていた敵国の兵士の服装である。
何故敵国の兵士がここに居るかという理由は聖塚が語ってくれた。
「ああ、軽い脳震盪ですよ。どうもご心配をお掛けしてすいません、仮設敵なのにお忙しいところを」
仮設敵、それは自衛隊が演習場などで戦闘訓練をする際に敵役が居ないのでは話にならない為に訓練用に用意された敵である。普通は近くの部隊から応援を頼んだりするのだが、陸上自衛隊には敵役専門の部隊も存在する。その為装備なども専用の物も持っている訳である。
「こっちに走って来ると思ったら、急に木に激突して動かなくなるものだから焦りましたよ」
「この馬鹿にはちゃんと言って聞かせますのでどうぞ原隊にお戻りください」
そう言われ仮設敵の隊員はその場を後にして去っていった。
一方、浪川は聖塚に散々馬鹿にされ言い返したかったが相手にも迷惑をかけたため何も言えなかった。
「さて帰るか」
聖塚はそう言うと味方にいる方向に向かって歩き出す。
「おい、ちょっと待てよ」
浪川も自分の装備を身に付けるとその後に続く。
帰る途中、聖塚はにやけ顔で浪川に伝える。
「そう言えば小隊長なかりお冠だったぞ「怪我なんぞしおってからに」って」
「ゲッ! マジ!」
見る見る浪川の顔は青ざめてゆく。
あの小隊長に長いお説教とその後数日に渡る小言をいただくなんて真っ平御免だった。それほど浪川は小隊長の事が苦手なのだ。
「まあ、一週間は覚悟しておいた方が良いよ」
「いーーーやーーーだーーー!!」
演習場のススキ原に浪川の絶叫が響く。
こうして浪川の所属する中隊の五日に渡る訓練が終了したのだった。
「もしかして一ヶ月かもね」
「ノオォォオオォォーーーーー!!」
どうだったでしょうか?
この作品は現在執筆中の作品の中から企画用に抜き出して短編にしたものです。
本編についてはまだしばらく掛かりそうです。
無理矢理短編にしたのでかなり歪なものになってしまいました。
反省していますスイマセン。
設定などの細かい質問については感想などで答えていこうと思います。
ご意見、ご感想をお待ちしております。