住処
花水城の庭での騒動後に結衣はとある場所に通された。入り組んだ回廊を無言で抜けていく。道案内をするランは一切話す気配がない。結衣は気まずい沈黙と未だに受け入れかねる状況との狭間で声をかける余裕がなかった。
随分と歩いてから見えてきたのは、昔話に出てきそうな一軒家だった。水車が付いており、小川のせせらぎはどこまでも穏やかだ。
まずは木製の引き戸の前に立った。ランが勢いよくスライドさせるとまず見えた物は、草木をモチーフにした華やかなタイルが敷かれた玄関だ。一段高く設置された木張りの床もあることから、タイル部分が靴を脱ぐ場所なのだろう。なんとも贅沢な造りだ。
落ち着いた色合いの調度品、程よく陽射しを入れている窓。壁はおそらく塗り壁だ。ところどころに先程同じようにタイルがはめ込まれている。
脚が低い木のテーブルにも花の模様が細かく彫り込まれている。座布団と思わしき物にも唐草模様のような刺繍が施されていた。
とりわけ一番目を引くのはベッドだ。色とりどりの布が敷かれており、大きな孔雀やオウムがベッドで寝ているかと思うほどだ。
この家を設計した人物は中東風な日本家屋でも目指したのだろうか。和風と言うには色鮮やかで、異国風と言うには馴染み深い光景が混じっていた。
「アラビアと日本の文化が混ざったみたい……」
見た印象をそのまま口に出した結衣は物珍しげに見渡した。
此処に来るまでも色んな棟を見てきた。白くて綺麗な中東風のドーム型の建物に、朱色の鮮やかな建物。石畳の造りもあった。ごちゃごちゃして統一感がない印象を与えるが、一つ一つは品があり細やかな装飾が目に鮮やかだ。
「この家を使え」
此処まで案内してきたランは仏頂面だ。この状況が不本意で仕方ないというのは伝わる。
「助けてくださってありがとうございます。でも、なんで恋人って言ったんですか」
そう質問をすれば彼は表情一つ変えないまま答えた。
「可笑しな身なりの癖に、護衛をかいくぐってきた上に不思議な技術を持っているだろう。それを手放すのがおしいと思ったからだ。善意で助けた訳ではない」
「でも助けられたことに変わりはないです。ありがとうございます」
本来ならば確実にその場で処刑されていた筈だ。結衣はその場で深々と頭を下げて、お辞儀をした。
ランは品定めするように彼女の様子を観察する。ややあってから視線を外して、素っ気なくこう言った。
「あとで侍女をよこす。その者に身の回りの世話を頼むように。あとは色々と教えてもらえ」
「ありがとうございます」
結衣はお礼を口にしながら頭を下げる。ランは一瞥してから何を言わずに部屋を出た。
完全にドアが閉まったのを確認してから、結衣は深く嘆息する。
「あー、これからどうしよ」
今にも髪をぐしゃぐしゃにかき乱して、大声で叫びそうな面持ちでそう言った。
彼女は自分の頬をつねってみる。――うん、普通に痛い。つまり夢ではない。
理不尽な出来事も、予測不可能な事態も、仕事柄請け負う事はある。――でも、これはさすがにキャパオーバーだ。頭が真っ白になり過ぎて、目の前の問題に機械的に対処するしか出来ない。
結衣は自分のスマホを取り出す。画面を見れば圏外になっている。当たり前だが、インターネットは使えないだろう。幸いなことに、仕事行く前にスマホの充電はしっかりしているからバッテリーはまだある。
おもむろに鞄の中を漁り出す。彼女は目当ての物を見つけて、安堵した表情を浮かべた。取り出したのはモバイルバッテリーだ。災害にも使える太陽光で充電できるタイプのものだから此処でも使えるだろう。
靴を脱いで玄関から上がり、木張り床を小さく踏み鳴らす。
思ったより天井が高く広々としている。周囲をぐるりと見渡した結衣は部屋の中をざっと観察する。大きく設置された窓から自然光が入ってきており、室内で動くには十分明るい。
カーテンらしき布も設置されており、色鮮やかな布地に刺繍が施されて非常に豪華だ。
なんとはなしに結衣が窓ガラスに触れようとした時だった。
「硝子は珍しいから見てしまいますよね」
声がした方向を振り返れば玄関口に二人の女性が佇んでいた。いつの間にか入ってきていたようだ。
一人は金髪碧眼の背の高い女性だった。緩く波打つ巻き髪に、色白の肌。ほっそりとした手足。モデルのように美しい人だ。
レースをあしらったベールを被っており、ベルベット生地のようなドレスの上から黒いベストのような物を着ている。ところどころにあしらわれた刺繍は浮世絵に出てきそうな牡丹や石楠花のような大輪の花だ。全てがちぐはぐな印象を与えるが、彼女自身も絵本に出てくるお姫様のように現実離れした容姿のため一層神秘的な存在に見せてくれた。
もう一人は小柄な女性だ。黒髪だが、毛先は痛んでいるのか茶髪になっている。カラーリングして色落ちしている状態とよく似ていた。
健康的に焼けた肌に素朴な顔立ちではあるが、彼女からもたらされる穏やかな雰囲気は親近感を覚えさせてくれる。
此方も異国情緒あふれる装いだ。上半身はどう見てもパステルカラーの小袖だが、下半身は濃色のスカートのようなものを履いている。着物の下にパニエを履いている印象を受けるが、結衣から見れば現代的な装いにも思えるのかもしれない。スカートや袖には刺繍がされており、色とりどりの花や草が幾何学模様に表現されている。
「申し遅れました。カルミアと申します。本日から此方で側仕えをするように仰せつかりました」
「……同じくリンドウと申します」
金髪碧眼の美女はカルミア、黒髪の女性はリンドウとそれぞれ名乗った。二人とも愛想良く笑っているが、どこかぎこちない様子だった。
「えっと、初めまして。玉村結衣って言います。よろしくお願いします」
深くお辞儀をしてから結衣は窓ガラスをチラッと見てから質問する。
「ガラスが珍しいってどういうことですか」
「言葉のままです。硝子は高価な物です。それをこのように大きな窓にはめているのは我が国の富の証ともいえます」
カルミアはニコッと微笑みかける。天使のような笑顔だ。
「何か御用命があればお申し付けください」
恭しく頭を垂れるリンドウに対して、結衣は少し考え込む。そして抱えていた荷物の存在を思い出すとこう言うのだった。
「すみません、食べ物を冷やせる場所ってありますか」