表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

8.森の中の追跡


 私はベッドの中で目覚めた。


 最初に目に入ったのは、はりが縦横に渡った丸太組みの天井。若草の匂いが漂い、開け放したドアと窓から夕陽が差し込んでいる。


 起き上がって鏡の前に立ち、乱れた三つ編みを一旦ほどくと、毛先から始めて全体を丁寧にブラッシングした。

 仕上げに柑橘が香るヘアオイルをなじませると、鏡台からリボンを一つ取り出し、うなじのあたりで結んだ。


 鏡の中からは、険しい表情の潔子きよこが見返している。


「大丈夫。俺に任せてください」と笑いかけると、鏡の中の潔子もぎこちなく微笑んだ。


 西日にしびが消える前にランプを灯し、外の井戸から水を汲み上げ、たらいに満たした。

 窓やドアを閉めてかんぬきを掛けると、血のついた寝間着を脱ぎ捨て、しゃがんで下半身を洗った。


 清潔な下着を身に着け、身体にフィットする木綿の黒いつなぎを着ると、その上から幅の広い革ベルトを腰にしめた。

 足には、ふくらはぎまでの編み上げブーツを履いた。


 倒れたテーブルをどけて、床板を一枚剥がすと、フェルトに包んで隠しておいたつるぎと弓矢が現れた。

 弓に弦を張り、武具を携行するための皮帯を両肩から背中にかけて巻き付け、肩越しに剣と弓を収めた。

 

 夕闇が迫っていた。


 外から振り返ると、潔子の小さな家に邪悪な暴力が侵入して吹き荒れ、彼女が必死にあらがった跡が否応もなく目に入った。

 引き裂かれたベッドのシーツには、潔子が流した血の跡が残っている。

 

 私はそっとドアを閉めた。




 潔子の丸太小屋は、“エルフ村”のはずれにあって、集落よりも“みのりの森”に近い。

 実りの森は、彼女が造った。

 様々な果樹が重なりあって生い茂り、交代で花を咲かせ、果実をつけてエルフたちの味覚を楽しませる。


 私はそこに分け入った。


 侵入者を追跡するのは簡単だった。


 追われることを気にしていないのだろう。来た路をそのまま戻っている。

 足跡もはっきりしており、下草や灌木の乱れと合わせれば、月明かりで十分だった。


 潔子の感覚や肉体にも徐々に慣れてきた。


 公安刑事デカだった頃、私は様々な身分偽装を行った。ビジネスマンやジャーナリスト、アウトロー、過激派などの活動家…

 ブラッドワームを神の使者と崇めるカルト教団に、信徒となって潜入したこともある。

 メタバースでの偽装工作オペレーション経験もある。


 だが、うら若きエルフに偽装するとは思いもよらなかった。


 私は足取りを早め、やがて走り出そうとしたその瞬間、もんどり打って転倒した。

 宙に放り出された感覚だった。


 一瞬戸惑ったが、原因はすぐに分かった。

 左手首に巻かれたシルバーのバングルに東京ガーディアンからのメッセージが浮かび上がっていた。

 IT担当の光山がアバターのチューニングを完了したという。


 インターフェースを通じて、私と同等の身体能力になるよう諸元スペックを書き換えること。

 それは、私が潔子のアバターを使ってファンタジアに潜入する条件の一つだった。


 だが…


 私は手近にあった切り株をメリメリと引っこ抜いた。

「やりすぎだよ、光山さん。

 これじゃゴリラだ」

 私は苦笑いした。

 

 走り出した。

 また徐々にスピードを上げる。




 五分ほど全速力で疾走はしると、森の奥に明かりが見えた。

 焚き火の炎のようだ。


 私は慎重に近づき、闇に紛れて状況を観察した。

 やや逡巡したが、武器を構えずに焚き火の明かりの輪の中に踏み込んだ。


 潔子を襲ったモノが、焚き火をぼんやり眺め、地べたに座って爪で地面を引っ掻いていた。


 彼女は“ゴブリン”と呼んだが、身長は二メートル近くもありそうだ。

 全身の筋肉がいびつに盛り上がり、黒光りする体毛が覆っていた。さらに頭から背中にかけて、たてがみが生えている。

 ハイエナの化け物といった見た目だ。


 私に気づくと驚いた様子を見せたが、すぐにニヤリと笑った。

 両眼に赤い光が灯り、アゴからはみ出した乱ぐい歯に唾液が滴った。


「そーかあ!潔子ちゃん、

 初めてのオトコが忘れられないんだねえ?」


 ゴブリンが甲高い声で嗤うと、先の尖った真っ赤な舌がダラリと垂れ下がった。

「いいところに来たねえ!

 トモダチも来てるんだ。

 ほらあ!」


 森の暗がりから仲間のゴブリンが十匹ほど涌いて出た。

 そのうちの一匹が私の腕を掴んで鼻をうごめかせた。

「ふうう、エルフの戦闘服姿あ…堪らん!

 ささ、楽しもう」

 汚い爪が潔子の細い腕に食い込む。


「離っせえ!ボケ!」

 私は怒りに任せてゴブリンの手首をへし折ると、抜いた剣を下から振り上げ、そいつの肩から先を宙に斬り飛ばした。


 切り刻んでやる。


 簡単に死ねると思うな。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ