13.再びのファンタジア
東京駅赤レンガ駅舎の三階、東京ガーディアンの役員会議室に入った。
蔭宮社長と美輪管理官、IT技術担当の光山、そして猪本とかいう防衛省から出向者がいた。
猪本は、情報統括という立場で入り込んできたようだ。私を見る目が陰険で、協力姿勢は期待できない。
美輪管理官が私に申しわけなさそうに渋面を作った。
案の定、猪本は、“ガーディアンの一社員にすぎない民間人と情報共有はできない。政府機関と連携して対処すべきだ”といったことを主張した。
つまり、私を外せと言いたいらしい。
美輪管理官は、「この非常時に、何を悠長なことを!」と机を叩いたが、猪本は私を指さした。
「社長はご存知でしょう?
あそこにいるのは、薬物使用で警察をクビになった男です。
それに、彼には七菜子と不適切な関係にあるという疑惑があります。
潔子の彼に対する執着も不自然だ。
国有財産を私物化している疑いのある者に、情報を開示するのは危険です」
私は口を開いた。
「あの子たちは誰のモノでもない。勘違いするな。
国の特定秘密に指定されてるのは、“技術”だ。
情報保全については俺も言いたいことがある」
私は立ち上がって、猪本を見おろした。
「ファンタジアに侵入したハッカーは、俺たちと同じ技術を使っている。
それこそ民間人にできることじゃない。
力を持った組織にインターフェースの技術情報を盗まれたと考えるのが自然だ。
で、東京ガーディアンの、特に技術分門への部外者の立ち入り記録を調べてみた。
去年くらいから、人民共和国の軍情報機関が頻繁に来てるよな?
機関員の受け入れ担当、アテンドはいつもあんただ」
猪本は激昂した。
「私は防衛省からの出向者だ。同盟国の関係者を接遇するのは当たり前だろ!」
「お前の当たり前なんか知らん。そもそも関係者って、どういう関係だ?
奴らとそんなに仲良くしたかったら、北京にケツの穴でも見せとけ」
怒りを抑え、私は蔭宮社長に向き直った。
「どっちにしても、今すぐファンタジアからハッカーを排除すべきだ。
おれにはその能力がある。
あのバカにはない」
「いい加減にしたまえ!」
蔭宮社長はこめかみを押さえ、ため息をついた。
「猪本管理官の指摘はもっともだ。君の言動には問題がある。
七菜子の担当から解任する。四十八時間以内に最終的な処分を言い渡す。
美輪さんと一緒に出ていきたまえ。
ああ、美輪さん。これも忘れないで」
彼は資料を美輪管理官に手渡した。
「さて、猪本さん。関係機関との連携について相談しよう…
私たちが会議室を出るとき、まだ蔭宮社長は猪本を引き止めていた。
ドアを閉めると私たちは駆け足になった。
「あれ本当?」
「何が?」
「クスリやってたって…」
「ああ。公安時代、敵勢力に捕まってアミタールって鎮静剤を自白剤代わりに毎日射たれて、依存症とうつ病になった。
だが、クビになった本当の理由は、その後のアル中だ」
同じころ、ユーラシア人民共和国の意向で公安警察が解体され、私には居場所もなかった。
「ごめん」
「いや、あの子たちも精神剤をチューブに入れられてる。ずっと毎日…」
「あの子たちの気持ちがわかるのね?」
「そうじゃない」
「でも、誰よりも共感できて信頼されてるみたい」
「俺が?」
「ええ。
…七菜子ちゃんに手を出したの?」
「いやいや、冗談じゃない。
殴られて、蹴られて、やられてんのは俺の方だ。
あの変態スーツ野郎だよ、あの子たちを狙ってるのは」
美輪管理官を信頼している。
だが、理解されないことを説明するつもりはない。
「いつも、悪役を買って出てくれてありがたいわ。
でもね。社長もあたしも、いつか庇い切れなくなる。分かってるわよね?」
彼女は足を速めた。
別棟に向かう通路で、武村が合流した。
「俺が運転手やります」と言うと、美輪管理官からバインダーを受け取って資料を広げた。
私も覗き込んだ。
資料のタイトルは、「“ゴルディアス”を名乗る者による“ファンタジア”への不正アクセス事案について」だった。
「目的地は江戸橋の辺りですね」と武村が言った。「こいつで移動しましょう」
彼は警備巡回用の車両のエンジンをかけた。
漆黒のボディに排気量2.8リットルのディーゼル・ターボエンジンを搭載したハイエース・スーパーロングだ。
遭遇戦に対応するための一通りの装備もあり、申し分ない。
乗り込むと、美輪管理官が情報のポイントを読み上げた。
「対象者の名前は、藤野真斗。年齢三十五歳。
地方の工科大学を卒業した後、地元でアルバイトを転々としたけど、三年前に都内に転入してきた。
昨日から、電力消費が跳ね上がってる。回線の通信量も異常ね。
決定的なのは、マルチ対戦系のオンラインゲームで“ゴルディアス”ってハンドルネームを使ってる。
いわゆる“チート難民”だわ」
荒廃した都内にまともな就職口はない。ブラッド・ワームに襲われる危険もある。
だが、あえて生活保護だけに頼り、最低限の生活を続ける若者たちがいる。
彼らは半ば放置された集合住宅に住みつき、通信インフラと電力を独占し、残飯を漁り、ひたすらオンラインゲームに興じる。
ゲーム中にブラッド・ワームの餌食になったり、病死や餓死する者も珍しくないが、地方で現実と戦って苦労するぐらいなら、“ゲームオーバー”を受け入れるそうだ。
「組織的な背景はなさそうね。
あ、ちょっと待って。大陸との通関記録が結構ある。大量の電子部品を個人輸入してる。
預金はぜんぜんないから、自力で調達できるはずがない」
「使い捨てのスリーパーですか」と武村が言った。
「うーん…
経歴を見ると、大学の研究室の教授が大陸出身者で、留学生も多かったみたい。そこで接点ができたのかもね」
「本人に聞こう」
私は武村を急かした。
“ゴルディアス”こと藤野真斗が住むアパートの前に到着した。
私たちは階段を駆け上がり、金属用のチェーンソーでドアを破壊した。
ドアを開ける前から、足もとが水浸しで、歩くとビチャビチャ音を立てた。黒ずんだドブ臭い水があちこちから染み出している。
部屋の真ん中に、浴室から運び出したらしきバスタブがあり、ドブ水を湛えていた。
周りを複数のパソコンや機材が取り囲み、大量のコードとチューブがバスタブの淀んだ水面に吸い込まれている。
手造りのアイソレーション・タンクのようだ。
私がコードの束を掴んで引っ張り上げると、人間の頭部が浮かび上がった。
「死んでるの?」
「いや、水死体なら膨らむはずだな」
異常にやせ細り、頭がい骨にかろうじて灰色の皮とまばらな毛髪が張り付いている状態だ。
眠るように目を閉じているが、痩せている分、まぶたの下の眼球が飛び出して見える。
後頭部に埋め込まれた大脳皮質コネクターにインターフェースが接続されていた。
「このゾンビが藤野?」
武村が呟いた。
「分からない。顔写真は役に立たないわね」
美輪管理官はハンカチで口と鼻を押さえている。
「こいつは何だってこんな…」
「ファンタジアにダイブしてるのさ」
「アバターは?」
「ゴブリンからドワーフに乗り換えた。美子のそばにいたドワーフが“ゴルディアス”のもう一つの顔だ」
私は藤野の頭からインターフェースを引き抜いた。
「いきなり抜いて大丈夫なの?」
「強制再起動以上に脳にダメージがくる。だが、知ったこっちゃない」
「くそっ」
私は電気に打たれたように飛び退った。
藤野がいきなり目を見開いたのだ。
その目が真っ赤だった。
灰色の皮膚の下をミミズのような何者かが這い回った。
鼻の穴から真っ赤な触手が伸びてチロチロと空気を探った。
バスタブの黒い水がヌラリと動いた。何者かが水中をのたうっている。
「ワームだ!」
「え?」
「ブラッド・ワームがこいつの体の中に潜り込んでやがる」
藤野が口を開いてゲップを吐き出した。
頬に赤い筋が放射状に広がった。
ブラッド・ワームに全身を侵されているようだ。
「…キミ…キミタちには解らないだろう」
藤野が言葉を発した。
「…ス…捨テラれ、永遠に虚無を彷徨う苦しみ」
私は藤野の腕を掴んで身体を引き起こそうとした。
「立チ去リ…タまえ。もうすぐ同胞がやってくる」
藤野は真っ赤な両眼で私を見据えた。
「君たちの仲間が目覚めるこトハ…ナイ…」
ゴルディアスに踊らされた美子たちは、ファンタジアの中でブラッド・ワームの幻想と闘おうとしている。
その結果、セブンス・センサーズはアイソレーション・タンクの中で眠ったままだ。
「ふざけんな。テメエらが出ていけ!」
私は上着を脱いで藤野の首に巻きつけ、バスタブから引きずり出した。
ブラッド・ワームの幼体が藤野の尻から這い出した。
暴れて吻を射出しようとしたが、私の銃撃の方が速かった。
幼体は真っ赤な体液を噴き出して動かなくなった。
「嘘、人間に寄生?」
「みたいだな。幼体だけの能力なのか…分からんが」
「知能もある。自分たちが宇宙に廃棄された記憶もある」
「ブラッド・ワームの中に、さらに寄生してるのかもな。異星から来た何かが…」
何千年か何万年か、宇宙を放浪してきた。異星系の文明から宇宙に廃棄された者たち。
彼らは巨大化したブラッド・ワームとして東京の地下に棲みつく。
だが、天敵が現れた。
セブンス・センサーズだ。
そこで彼らは藤野に寄生し、セブンスの安息地であるファンタジアに侵入した。
少女たちをファンタジアに足止めし、その間に東京ガーディアン本部を襲撃しようという目論見だろう。
謎は残っている。
藤野をファンタジアに侵入するための“ワームホール”に仕立て上げ、ブラッド・ワームをこの場に誘い込んだ者がいるはずだ。
「俺は行くよ」
「どこに?」
「ファンタジアに行って、あの子たちを起こしてくる」
「どうやって?」
「目の前にインターフェースがある」
私は汚れたバスタブを指さした。
「俺は大脳皮質コネクターを施術済みだし、このインターフェースは同じ規格を真似している。
だから俺なら、ここから行ける」




