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『とりあえず離れて』
なけなしの理性を振り絞って伝えたのに、返ってきた言葉は意外なものだった。
「嫌です」
ティアラは小さい声でそう言って、俺の膝の上に乗ってきた。
嫌? 今、嫌って言った。
離れるのが嫌って事はつまり……?
それより、この状態は一体どういう事なんだ!?
目の前には白のレースのシュミーズ。目が行ってしまい、バッと顔を背ける。
「……重いですか?」
「い、いや。軽いけど。でも下りようか。うん。下りた方が良いと思う。落ちついて話もできないし」
今度は俺が、ティアラの方を向けなくなってしまった。
支離滅裂過ぎる。自分が何を言っているのかも、よく分からない。
……できれば察してくれ。
大事にしたいと言う気持ちも本物だ。それでも好きな子とくっつくなんて、今の俺には無理だ。
次は止められないかもしれない。
仄暗い感情を必死で抑える。
──こんなのを知られたら、絶対に引かれる。
ただでさえ密着しているのに、今度はティアラが首に手を回してきた。
待って! そんな格好でそんな事をしたら、駄目だから!
肩を押して距離を取ろうとしたら、次は耳にキスされてしまった。
「……っ!」
こんなの、無理だ……!
カァッと体が熱くなる。
耳に息がかかり、体が震える。耐えきれず、目を固く閉じた。
クソ……無心になれ!
せっかくティアラが話をしてくれる気になったんだ。全部台無しになる。
もうティアラの嫌がる事は絶対にしない。そう心に決めただろ。
これ以上の接触は危険だ。避けた方が良い。
おまけにゴソゴソやっていると思ったら、今度は俺の制服のボタンを外されてしまい、慌てる。
「ちょ、ちょっと待って! とりあえずボ……ボタンをして!」
もう格好悪いとか、スマートにとか、そんな事は言っていられない。
無理矢理膝から下ろし、引き離した。
ティアラがなんの為にそんな事をしてきたのか、全く理解できない。
もしかして仲直りをしようと思って……?
でも手なんか出したら、やっぱり怖がらせて、この前と同じになる。
甘い香りにクラクラしながら、必死に考える。
「……バート様」
ティアラに声をかけられたが、何も返せなかった。
勢いよくソファを立ち、身なりを整える。
「バート様……」
心臓が狂ったようになっていて、苦しくて胸を押さえる。
「ティアラ、お茶飲む? 俺が淹れるよ」
恐る恐るティアラを盗み見ると、ボタンは開けたままだった。
俯いたまま足元を見ている。
大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「……その間にボタン止めておいてくれる? その、目のやり場に困るから」
それだけ伝えて、その場を離れようとしたが──
ポタ……
床に水が落ちた。
驚いて、ティアラの顔を見ると、頬が濡れている。
「…………ご、ごめ……な……さい……」
涙声にドキッとする。
そこで初めて、ティアラが泣いている事に気付いた。
「ティ、ティアラ……?」
慌てて駆け寄り、膝を突く。
何日ぶりかに目が合い、ティアラの心の声が流れてきた。
(呆れられた……バート様、困ってる……やっぱり上手くいかなかった。ナディア姉様の嘘つき! 私から誘ったら、絶対に仲直りできるって言ってたのに! 『ボタンを開ける』『膝に乗る』『耳にキス』全部、意味がなかった! あの日、拒否してしまったのは、初めての事で動揺しただけだったって伝えたいのに……)
ナディアさんの入知恵だったのか。
あんなに怖がっていたのに、俺の為に……
胸が熱くなってくる。
「バー……ト、様……」
「……うん」
(ごめんなさい。嫌な思いばかりさせて)
ティアラのせいじゃないよ。
「……っ。ち、違う……ん……です!」
(あの日、自分からくっついて触ったくせに、いざバート様に触れられると怖くなったなんて……! きっと子ども過ぎてガッカリさせた。『バート様が好き』なのに、思うようにいかなくて。手も繋げなかった。また同じ事になったら……次は嫌気が差すかもしれない。嫌な思いをさせた、分かっているのに謝れなくて、段々と話しにくくなってしまって……)
嗚咽を堪え、話せなくなってしまったティアラを見つめる。
「わ、私の事……嫌いに……っ……な、ならない……で……」
ボロボロと涙を流しながら、訴えられる。
嫌いになるわけない……
健気な言葉に、キュンとしてしまう。
(どうしようどうしよう。婚約をやめたいって言われたら──)
学校での噂話を思い出す。距離ができてから広がった『婚約解消』の話。
……やっと繋がった。
だから、ここまでして……




