第一章 物語/主人公 ~その1~
長いです。それに自分がこのシステムに慣れていないせいか、読みにくいかもしれません。ですが、それでも最後まで読んでいただけると幸いです。
第一章 物語/主人公
1
これはまだ藍乃英雄が人類史上最年少主人公に選出される前の出来事。
始まりは、僕が在籍する私立英雄譚高等学校。通称、英譚高校。午前の授業が終わり昼休みとなり、各々が自由な時間を過ごす時間。そのとき僕は屋上のいつもの場所でお弁当を食べ、顔にタオルを置いてうたた寝をしていた。この日はとても澄んだ空をしていた。快晴ではなく、晴れ。適当に配置されている雲が太陽を隠しては、その影が僕の上を通過するたび涼しく吹く風も心地いい。太陽の熱による温暖な気温、上がった気温を下げる雲の影と運ぶ風。
加えて、校内は生徒たち先生たちの声で満たされている。駄弁り声、笑い声、運動部の声、談笑、物音、足音、流れる音楽。すべての音が入り混じり、学校全体に充満している。これ以上にないほど完璧なシチュエーション、絶好のうたた寝日和。そうして深い眠りに入ろうとしていたとき、屋上のドアが開く音が聞こえた。ドアの方から聞こえた足音は僕の方へ一直線に来る。僕は顔に置いていたタオルを取り、太陽の日光に若干目をくらましながら、ドアがある方へ視線を送る。
そこには見覚えのある姿があった。
綺麗に整えられた前髪に、漆黒色をした胸元まで伸びる艶やかな髪。目元はぱっちりしていて、人形みたいな瞳。程よく焼けた肌に、血色のいい唇。スタイルもモデル並みで、例えるなら大和撫子風美少女。何より、学校指定の制服ではなく何故か、紅色を基調とした鮮やかな袴を着ているので、より大和撫子感が際立っている。
藍乃英雄だ。
僕とは顔なじみ――というか、幼馴染。幼稚園生から今日に至るまで、ありがたいことに友達という関係を続けさせてもらっている、友人の藍乃英雄。
「そこで何しているの?」
僕は藍乃を見上げながら答える。
「ええっとー。昼飯も食べたし、いい天気だし、風は心地いいし、そのまま昼寝でもしよう・・・・・・かと」
ふーん。と藍乃は既に用意してあった言葉を機械のように発し、僕の横へと移動した。僕の真横に座ると何も言わず、ただ遠くを眺めながらじっとしていた。
藍乃と話すのは――会うのはいつぶりだろう。
昔の頃はよく遊んでいたが、藍乃とは中学入学を機に疎遠気味になっていた。それでもまだ友達でいれたのは、藍乃の方から接点を作ってくれたおかげなのだが、昔ほど頻繁に遊ばなくなったし、会わなくなった。英譚高校――つまりはこの学校に入学してからは会う頻度はさらに減り、現在、高校二年生の春。藍乃とはまったく会っていない。僕の積極性のなさが原因のひとつであることには間違いないけど。
しばらく沈黙が続き「最近さ、どんな感じ? 元気してるか?」と、特に何も思いつかず、近況報告も兼ねて僕は藍乃に訊いた。久しぶりに会ったこともあり、少し他人行儀っぽくなった。藍乃はため息を洩らしつつ、口を尖らせながら静かに答える。
「元気だよー。元気だけど不健康。忙しさは一年の頃と変わらないけど、プレッシャーは前よりも感じてるねー。お肌がかっっさかさ」
「・・・・・・そうか」
藍乃はそう言うと自分のほっぺたを触りながら少ししょぼんとした。やはり女性にとって肌の状態というものは、自分の髪と同じくらい大事らしい。そんな藍乃を見て、忙しいのも無理はない。と、思った。
ここ英譚高校は物語の役を育成するという、ほかの学校と類を見ない特殊な高校だ。主に普通科と特進コースのふたつに分かれており、僕が所属している普通科は文字通り他の学校と変わらない基礎科目を勉強する。しかし藍乃が所属している特進コースは、基礎科目に加えて物語における重要な役を担えるほどの素養と資質を磨き、自身の才能を伸ばすようカリキュラムが組まれている。その内容はハードで、入学してすぐ辞めた人は幾多もいる。だが英譚高校の特進コースを卒業した者は、将来必ずと言っていいほど物語に関わる。スパルタ教育ではあるが、そこには実績と約束された将来がある。
その中でも、藍乃英雄という人物は校内でも有名で、知らない人はいないレベル。
何故なら、藍乃英雄は、次世代の主人公候補の一人。
しかも、藍乃英雄は、物語の主人公に一番近い存在。
学校中の人たちが藍乃に期待している。そして藍乃は入学してから期待値以上のものを求められている。噂によれば、あの前・物語の主人公である天宮剣一も一目置いているらしい。そうなってくると、嫌でもプレッシャーを感じるだろう。
そして僕が藍乃に声を掛けなくなった理由がこれだ。
普通科の――端役でしかない僕にとっては、友達だった、だけでも誇らしい。幼馴染だった、だけでも喜ばしい過去の名誉。脇役にしては上出来な経歴だろう。
「兎音はどう? 久しぶりに会ったけど・・・・・・友達作れた?」
藍乃は煽るように、冗談めいた口調で訊いた。
「そりゃあ、いるさ」
「本当にぃ?」
「本当だって――おい、コラ。眉をひそめるな。疑うんじゃあない」
「じゃあ言ってみてよ。あたしと?」
藍乃は僕を見ながら手を耳に当てて促す。その表情は先ほどと違い、笑みが零れる。
「お前と・・・・・・」
「うん。うん。あたしとぉ?」
「・・・・・・・・・・・・ぼく」
「くふッ」
藍乃は手で口を抑えながら、ニヤニヤ笑っている。まるで人を馬鹿にしているような顔だ。ひょっとして僕は今、藍乃に煽られているのだろうか。久しぶりに会った友人の態度に少しイラッとしながらも、不思議と嫌な気持ちがしない。どちらかというと、懐かしい感覚がする。久しく会っていなかったが、今までのブランクをまるで感じさせない。
やっぱり、変わらない関係というのは、居心地がいい。
藍乃は、はぁーと息を洩らし潤んだ瞳を指で拭った。
「兎音は昔から人付き合いが苦手だったからね、今でもそうなのかなって思ったけど、想像以上に想像通りで安心したわ。それでこそ兎音だよ。やっぱ久しぶりに会っても、変わらない関係って居心地がいいもんだー」
そう言いながら藍乃は笑顔のまま、僕の背中をペシペシ叩く。
どうやら僕の記憶通りの藍乃に近づいてきたみたいだ。久しぶりに会ったとしても、他人行儀で礼儀正しい人じゃあ面白くない。――と思いつつも一番よそよそしくて他人行儀だったのは僕の方で、面白くないと感じ取ったのは、藍乃だろう。
「奇遇だな。僕も同じことを考えてた」
「え? なにそれ、あたしの心読んだの? キモー」
「キモい言うな、傷つくだろ」
ここで言い返しても、どうせ傷つくのは僕なので話題を変えた。
「そんなことより。久々に会ったんだし語り合おうじゃないか」
「急に強キャラ感出さないで、あたし困るよ?」
と、藍乃はヘラヘラ笑って答えた。
そのまま藍乃は胡坐をかこうとしたが、やめて横座りに落ち着いた。
「藍乃はここの特進コースにいるわけだろ。正直な話、特進コースってどう? ハードだってことは聞いているけど、どんなことすんの?」
英譚高校の特進コースは、物語に関わる人間を育成する場所だということは知っている。そのため特進コースにかける費用は尋常ではない。どでかい施設型の別館を創るくらいには金をかけている。そんな将来有望な人材を育成する学科のカリキュラムは気になる。現にこのご時世には珍しいスパルタ教育だと聞くし、途中で止める人もチラホラいるらしいので、さらに興味が湧く。
まあ藍乃が心配というのも・・・・・・、一割あるかもしれない、けど。
ともかく。
特進コースで行っていることを知るのはこの機会をおいてほかにない。
まあ、これは僕の単純なる好奇心だが、訊いて損なし知って損なし。
僕の問いに藍乃は指を使って、下唇をふにふにした。
「いいよー、別に話しちゃダメとかないし」
「よっしゃ。ラッキー」
「基本的には基礎科目プラス、それぞれの生徒に個別のカリキュラムが設定されていて、それに従って授業を受ける感じかな。あたしは主人公を目指しているから、基礎科目と主人公養成課程に入っているから、主人公に関しての勉強をしているの。スパルタ教育だと思われてもいるけど、あれは嘘よ。追い込むときは追い込んで、そしてしっかりと休む。それが鉄則だから。・・・・・・まあ、辞める人もそりゃいるけど」
なるほど、スパルタではないのか。
最後の一文は気になるところではあるが、ひとまず安心した。
どうやら僕は、噂に踊らされていたらしい。
「へぇーカリキュラムが違うってのは知ってたけど、個々によって違うんだな。それに専用の先生もいるのかよ。へぇーやっぱ特進すげぇー」
「ふっふん! 凄いでしょ? ドヤャー」
「うわー、頭がたけー」
お互い談笑しながら、話題を変える。最近没頭していること、少しイラっとしたこと、滅茶苦茶に爆笑したこと。他人が聞いたら失笑するような、どうでもいい話をして盛り上がった。
今までの空いた時間を穴埋めするかのように。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「はぁー。ほんっと、くだらない」
ケラケラ笑いながら、藍乃は僕に寄りかかる。
「でもそれがいいんだろ?」
「そりゃそ。勿の論」
「――あっ、それと憶えてるか、近所でこっそり飼ってた猫のニャー助。野良猫だったけど人懐っこくて、久々に会いたいなー」
「・・・・・・・・・・・・」
「今頃どうしてっかな? 寿命とかで死んでなきゃいいけど」
「うん。そうね、そうだね」
「どっかの裕福な家で飼われてりゃいいけどな」
藍乃は俯いて、黙って僕の話を聞いていた。
藍乃も寂しかったのかもしれない。なんせ〈ニャー助〉とはもう数年は会っていない。
途端、僕も少し寂しくなったが、藍乃は僕の背中を叩きながら、にんまりと笑う。
「きっとそうだよ! ニャー助ってとっても元気だったし!」
そう言うと、藍乃は姿勢を崩し続けて話した。
「じゃあー、兎音。時間も迫っていることだし、最後にあたしとあんたで、ひとつずつ質問し合いっこしようよ」
「ははっ、なんだよそれ」
「いいじゃん。兎音だって色々あたしから訊いたんだし、あたしもーいろいろー、ききたいなー?」
「あーはいはい。わかった、わかった」
やったぜ。と、藍乃は両腕をパタパタして喜ぶ。
「じゃーまず僕から・・・・・・そうだなー、物語についてどう思う?」
「え? なんて?」
「いや、だから、物語についてどう思う? だって藍乃は特進で主人公になるために、勉強してんだろ。だから色々知ってんじゃないかなーって」
藍乃は難しい表情を浮かべながら、腕組する。
「因みにぃー、どうして物語について訊こうと思ったの?」
藍乃の問いに対し、僕は「なんとなく。ふと、そう思ったから」と答えた。
僕としてはあまり大それた質問を投げかけたつもりはなかったが、藍乃からしてみれば、シビアな質問だったのかもしれない。そう考え、僕は少し後悔した。ある程度悩み考えた末、藍乃は両手を後ろ出して支え、空を見上げる。
「あたしの全部、かな。だってほら、あたしって物語の主人公になるために頑張ってるから。それはもう魂を削っても成し遂げたい目標であり、ゴールであり到達点だよねっ!」
「ほほう、なるほどねー」
やはり、僕の想像を超えるほどの気概だ。身を粉にするというレベルではなかった。たしかに藍乃は幼稚園児の時代から、主人公になるためのレッスンを受けていた。それが功成したのか、今じゃできないことの方が少ないほどに、その才能は開花している。
藍乃は僕の顔を覗くと変わらずの笑顔で訊ねる。
「兎音はどう思っているの? ほら、物語について」
「どう、と訊かれてもなー」
僕自身ふと思いついたことで、なんとなく。としか言えない。
だが、藍乃が求めている答えが別にあることはわかっている。
僕にとっての物語とは何か。それを訊きたいのだろう。
「うーん、難しいな。今まで考えてきたこともなかったし」
「だよねー。そう言うと思ったよ」
藍乃は見透かしていたかのように、頷いた。
「だから、あたしの思う物語について、もうひとつだけ教えたげるっ」
「なんだよ、お前の到達点ってこと以外に、まだあるのか?」
「あるよ。それはね、担当の先生に色々と教えてもらったから、思いついたんだけど――」
次の言葉に、僕は度肝を抜かれた。
「物語の存在そのものに疑問である。ということだよ!」
「はあ? それって意味わかんねーぞ?」
「つまりだね、小説、漫画、映画、アニメ・・・・・・それらはあくまでも創作上の物語であって、現実じゃない。では、現実に存在する物語とは? 一体何なのでしょう?」
藍乃の言っていることが、もし、〈本来物語は存在などしない〉という意味なら。僕には到底理解できない考えだ。そもそも、物語とは昔から伝わる――いわば各国共有の伝統であり文化だ。日本の歴史を遡れば、その物語はごまんと出てくる。
最も古い物語の主人公は弥生時代から伝わる卑弥呼や日本武尊。そして最もメジャーな物語の主人公としては、宮本武蔵、織田信長、坂本龍馬の名がすぐに出てくる。数多くの過去の遺産、伝記や伝聞から物語の存在は周知の事実。今もなお語り継がれる伝説的な物語だってある。
日本だけじゃなく各国でも、現在進行形で物語は紡がれている(まあ日本は今、物語の外伝が紡がれているわけだが)。その規模は国家レベルで行われ法律まで存在し、多くの者が関わり後世へと語り継がれている。それを否定することは即ち、現実を否定することと同意義ではないだろうか。
藍乃は今、すべてが虚像なのだと、言っているようなものだ。
僕には到底理解できない質問だ。
それに、もし――絶対にありえないが、物語そのものが空想の産物だとして。今行われているモノは何なのか、歴史とは何なのか。藍乃の成し遂げたい夢を全否定するような、そんな疑問だ。
「えっと、つまりは〈物語の存在〉が曖昧である、みたいな感じか?」
「うーんっとね。簡潔に言えば〈物語の存在そのものに違和感がある〉って感じかな」
「どうだろう。僕の頭じゃよく理解できないや」
「ムムっ! もしかして本気で考えちゃった? 物語とか主人公とかが存在する理由」
「ん? まあ、そうだな」
そう返事をすると、ゲラゲラと藍乃は笑い出した。
おおよそ、麗らかな女性から出そうもない、ガチ笑い。
「あーもう。本当に兎音ってば真面目ちゃんなんだから」
「な、なんだよ」
「あんなの素朴な疑問と一緒よ」
「素朴な疑問って。素朴にしては重かったな」
「そう? 人はどうして生まれて、何故生きているのか。くらいじゃない?」
「うん。十分重いな、それ」
そう話し、藍乃と僕は二人してケラケラ笑った。
人前で平然と笑えるのは、おそらく藍乃だけだな。
いや、藍乃の前だから笑えるのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、昼休みが終わる予鈴が校内に鳴り響く。
「あれ! もうこんな時間!」
「らしいぞ、随分と話に夢中になっていたしな」
「う~ゆぅ~」
と、藍乃はほっぺたを膨らませ、しょぼんとした表情を浮かべる。別にこれが最後ってわけでもないし、また機会があれば会えるだろうに。
「じゃーあー、あたしからの質問ねっ!」
「さっきのは質問じゃなかったのか?」
「違うよー。あれは、兎音の質問を質問で返しただけー」
それは質問ではないのか。とも思ったが、野暮なことは言うもんじゃない。
藍乃は立ち上がり、袴についたゴミを払う。
両腕を天高らかに伸ばし、ついでに背も伸ばすと僕へ質問した。
「あたしがさ、もしも・・・・・・、もしも兎音を失望させることをやっていたとしても、あたしと友達でいてくれる?」
「ふっ、なんだよそれ」
「いーから。答えて」
「どうなろうと親友だ。僕には藍乃以外いないんだから」
藍乃は僕の返答を聞くと、振り向き僕を見る。
一瞬複雑な表情を浮かべながらも、最後には最高の笑顔で言った。
「やったぜ!」
藍乃はそう言うと、屋上のドアを開けその場を去って行った。お互い奇妙な質問をしたな、とひとつ息を吐き僕はその場に横たわった。顔にタオルを置くと物語について多少考えつつ、眠りについた。