出戻りでも令嬢名乗っていいですか?
「貴様とはこれまでだリトリー! 二度とその顔を見せるなア!!」
ふっくらとしたお腹のおじ様――私の旦那様が叫んだ。
あっ違うか、これで元旦那様かな。
たった今絶縁されたからね。
おじ様がヒステリックに燭台を払い飛ばして部屋を出ていく。
声なんかひっくり返しちゃって。
男の人もあんな高い声出せるんだ~…なんて笑ってられる場合じゃないか。
だって火のついた蝋燭が落ちて燃えてる。
慌ててカーペットの後処理をしている彼の使用人たちが私を睨んでるから。
ひとまずここはたーいさんっと。
自分の部屋に戻ってふかふかなベッドに体を放り投げる。
うん、ほんとにふっかふかだ。
でも困っちゃったな。
急に前世の記憶が戻るんだもん。
事件は今日のお昼に起きた。
私?が不倫していた相手の騎士が処刑された。
罪状は不貞。もちろん私?との。
よっぽどショックだったんだろうね。
断頭台で彼の首が落ちた瞬間、私?は意識を失った。
そして寝てる間に、遠い国で農家の娘として生きてた前世を思い出した。
昔の記憶の方が新鮮で、どこか他人事になっちゃう。
ところで、貧乏農家の娘が大貴族様に転生って何の冗談?
女神様、ああ女神様。
確かに病で死ぬ時、次の人生があるならお金持ちの家に生まれたいってお願いしたけど、限度ってものがありませんか。私は大変戸惑っています。
いろんな記憶がごちゃごちゃになって何をしたらいいのか分からないよ。
前世で崇めていた女神様は、この国でも神様なのかな?
誰に文句を言ったらいいのかも分からない。
ともあれ……私は他国のとある公爵家の娘だったけど、この国の王族に嫁いできた。
お腹の立派なおじ様はこの国の第四王子様だったのでーす。
……で、お国の関係上、私は騎士さんと違って死刑にはできないみたい。
あっぶな。
なにしてんのよ私。
だけどこれからどうなるのかな。
実家に強制送還かな。それしかないか。
まぁ生きてられればいいや、とりあえず寝よ。
貴族様は愛だの恋だので怒っちゃって、余裕があってうらやましいね。
私は前世じゃキスもしたことない内に流行り病で死んじゃったってのにさ。
それから半年、私は生まれ育ったランドール王国に帰ってきた。
居場所のない故郷に……
「おお、私の可愛いリトリー。今はこの父の下でゆっくり傷を癒すといい」
なんて、私に甘々なお父様は言ってくれてるけど、
「アナタみたいな娘を産んで恥ずかしいわ!」
「これで我が国から木材の輸入を減らされたらどうするつもりだ!」
お母様とお兄様たちはもうカンカンだった。
またどこかに嫁にやって他国や他家と軋轢が出来たら困る!
そう言って療養の名目で私を田舎の別荘に閉じ込めた。
何もない田舎に。
前世と同じ、広大な大地しかない田舎だ。
だから私は――
畑を耕すことにした!
「お嬢様!? そのようなこと私たちがやります。お嬢様がご自分の手で土を触るなどなさってはいけません」
「いいのよ。たまには運動したいし、人にばっか頼ってても落ち着かないし」
「お嬢様……ご立派になられて」
「苦労なされたのですね……」
使用人のゴルドフとマルドフがそう言って涙を流した。
私が農業に興味を持ったくらいで……大の男二人が泣くほどのことかな。
でも……いいね。
二人ともすっごく立派なガタイしてる。
顔も悪くない。
私の護衛も兼ねてるからね。当然よね。
前世では結婚するなら体の頑丈な男って決めてた。
そう言えば不倫相手だった騎士の彼も鍛えていたものね。
前世の影響だったのかしら。
少し、思い出しちゃった。
頭をからっぽにして、土をいじっているといろいろ考えてしまう。
彼はかわいそうだったけど……最後の方、私に覆いかぶさる彼は、私の眼を見ないようになっていた。
他国の醜男に嫁いで、寂しい想いをしてる娘を助ける騎士の自分に酔っていたのかしらね。色には溺れてなかったみたい。
……あら? そう言えば、私帰ってきてからお嬢様って呼ばれてる。
もう人妻じゃないのはたしかだけど、また令嬢を名乗っていいのかしら。バツイチになっちゃったけど。
……いいわよね。
心はまだ乙女だもの。
愛なんてよく分からないけど、せっかく貴族の家に生まれ変わったんだし、私も誰かと恋をして幸せな人生を送りたいわ。
そのためにも、まずはお金よ。
お母様とお兄様たちのあの怒り様……なにをされるか考えたら……ぶるぶる。
こうなったらお金で自分の立場と恋愛相手を買うのよ!
ガンバレ私、貧乏農家の娘は強いんだぞ!
この国の主な産業は麦と林業だ。
すごい土地が肥えてる。
放っておいても毎年大粒の麦が育つし樹もすくすく育つ。
だからなのかなぁ。
農業国として発展してないみたい。
元から土地が恵まれてるからって、当たり前の手入れをしてるだけ。
良い肥料を作ろうなんて誰も考えてないし、土地に合った新しい作物を外から取り入れようともしていない。
だから私が変えてやるんだ。
この国にない、いろんな果物や野菜を育ててやる。農業が無駄に発達してた前世の国のマネをしてね。
娘でもスパルタだった前世のおとうちゃん、ありがとう。
前世では爪がぼこぼこになるまで鍬を持たされて、いつかケツに一発フルスイングしてやるって思ってたけど……今、おとうちゃんの教えが役に立ってるよ。
「リトリーお嬢様、このくらい掘ればいいでしょうか」
「んーそうね。前に作らせた肥料をスコップ一杯分混ぜてから植えてあげて」
マルドフが掘った穴に苗木を下ろし、土をかけていく。
この国にはないブドウの苗木だ。
私は嫁ぎ先から帰る時に、せめて思い出が欲しいといくつか植物の苗木と種を拝借してきた……勝手に。
……違うの。
私悪くないわ。
盗んできたんじゃないの。
慰謝料よ。
王子が私を求めなかったのは本当だもの。失礼しちゃう。
早くに妊娠してたら、また違った人生だったかもしれないのに。
過ぎたことを気にしてもどうにもならないけどね。
前を向こう。前を。
まずは育つのが早くて、加工もしやすいブドウと栗の木を植えるわ。他にも持って帰ってきた種も植えて、ワインを作れる人も呼ばなくちゃ。
お金持ちのお父様にまたせびらなきゃね。
「ああ、だめよマルドフもっと間を開けて穴を掘らないと。その苗が育ったら、あなた達よりずっとずーっと大きくなるんだから」
「へい、すいませんお嬢様」
「うおぉ、あのリトリーお嬢様が国外でこんな勉強して帰って来られるなんて」
あらやだ、注意したらまたゴルドフが泣きはじめたわ。
でもいいわね。農家の娘をやってた前世の知識だけど、これは使えるわ。
お母様とお兄様にいじめられそうになったら、故郷のために毎日勉強をしていたって言いましょう。
忙しいけど、こういう生活の方が私好きよ。
三年が経った。
苗木は実が収穫できるようになり、分けた枝も植えた種も順調に育っている。
そしてあれからたくさん考えてる。
恋について。
愛について。
考えている内に、私ももう十九歳。
再婚はまだできていない。
でも分からない。
前世ではとにかく頑丈な男と結婚しろとおとうちゃんから言われてた。
農家を継がせるなら体力がなきゃ駄目だって。
今の私には家から求められる制約がない。
他国から不貞で返された娘。
公爵家の令嬢でも貰い手はないんだって。
だから土地と家をやるから自由に生きなさいって。
そうなったら、誰と結婚すればいいのか分からなくなっちゃった。
「今日から、あなた達がこのぶどう農場の責任者だからね」
「申し訳ありません、お嬢様の護衛を辞めるだけでなくこのようなご温情まで」
「いいのよ、今度私にも子供を抱かせてね」
去年、初めて生った酸っぱいブドウの実をワインにするために、移民してきた農家を呼んだら、ゴルドフとマルドフはあっという間にそこの娘さんたちと子供を作って結婚しちゃった。
二人は私が目をつけてたんだけどなぁ……
でも悲しくなかった。
むしろ嬉しかった。
結局、二人を恋愛対象には見れてなかったんだなって。
ずっと近くいたらその人を好きになるって前世のおかあちゃんは言ってたのに、どうしたら人を好きになれるんだろう。
私は恋がわからない。
処刑されてしまったあの騎士さんの呪いかな。
それとも弱い公爵令嬢だった頃の私が自分にかけた呪いなのかな。
最近ではちょっとした出会いも増えた。
畑の噂を聞いたお父様の知り合いが訪ねてくるようになったの。
ついでに今年はお客さんをこの国にはない野菜や果物でもてなしてみた。
お父様には迷惑かけてるからね、親孝行してあげないと。
それが評判を呼んで私と話したいって人も出てきた。
だんだん私の世界が広がっていく。
前世と同じことしかしてないのに、公爵家の娘がやると違うのね。
そこから一年経つと、ようやく私にも再婚の話が出始めた。
でも、みんな私を見ていない。
私の後ろにある私の畑を見てる。
中には私の体を見てる人もいるけど。
筋肉がついて胸が大きくなったからかしら。
とにかく、今のところ結婚したいと思える相手はいない。
昔と違って実家が大貴族だと男のお金にも憧れないのよ。
……だんだん私わがままになってる?
「リトリー、このとうもろこしのスープは薄味だけどおいしいね」
「でしょう? 今日は私がキッチンに入ったのよ。今年も甘くて実の詰まった野菜ばかり人気だけど」
「よければレシピも売ってくれないかな」
「ミックスにならそんなのタダであげるわよ」
私の畑が実を結び始めてからずっと付き合いがある客人はこのミックスだけだ。私が男になびかないと分かると、畑の話はお父様に行く。
ミックスは従兄で貴族だったけど、上にお兄さんが五人もいるせいで、今は商人をやっている。
お父様の紹介で私の畑を広げる手伝いをしてもらってるんだ。
正面に座って、おいしそうにスープをすするミックスの顔を眺める。
見てるとなんとなく落ち着く顔だわ。
……最近たまに、一人だと淋しさを感じる時がある。
今の私は貴族。使用人だってたくさんいる。
人との付き合いは途切れない。
でも、なんだろう、淋しい。
ずっと一人だったらどうしようって不安になる。
「ねぇミックス」
「なんだい」
「私と結婚しない?」
「ぶふぉっ!?」
汚いわねっ、すっかり貴族だった頃の凛々しさがなくなってるわ。
こういう雰囲気の方が落ち着く私もだけど。
でね、私、思うわけ。
物語みたいな愛って必要かしら。
その愛って本当に冷めないの?って。
どんな熱い炎だって最後には灰になるじゃない?って。
きっとお空の太陽もいつかは無くなるのよ。
「私と結婚して、畑が上手くいったら、お父様が貴族に戻してくれるかも」
「んーそういう理由で結婚するのは……」
あら、ミックスも案外ロマンチストなのね。
でも馬鹿になんてできない。
羨ましい。
心に恋なんて神話を持っている人が。
「お互いそんな悪くないと思ってると感じてたのに……残念だわ」
「僕はね、手の綺麗な女性と結婚したいんだ。あとやっぱりプロポーズは両想いの相手に自分からしたい」
「そう、じゃあやっぱりダメね」
顔より手かぁ。
貴族だといろんな趣味の人がいるけど、それじゃあ無理だ。
行儀など気にせず頬杖をつくと、テーブルに放り出していたもう片方の手をミックスが取った。
「だから、僕がリトリーと釣り合いが取れるようになったら結婚して欲しい」
「あら?」
「だめかい?」
ミックスは私の手を撫でて褒める。
今の私は前世と同じで指は太いし肌はカサカサ、はがれたことのある爪はぼこぼこで隠しようがない。
そんな手を優しく撫でてくれる。
半分冗談で言ったのに、ミックスは私が好きだったみたい。
私は……正直、恋ってほどじゃないわ。
これまでミックスを男として見てなかった。
でもミックスに手を握られていると、ちょっと胸が温かくなる。
恋じゃなくても。
愛じゃなくても。
男の人と一緒にいて幸せに感じることってあるのね。
これがいつか、恋に変わるのかしら。
「最近私モテるんだから、あんまり待てないわよ」
なんて、指を絡めて私も力を入れ返す。
「ははっ、ありがとう。すぐに追いつくよ」
また誰かを好きになる予定なんてないけど、誰かに人生を決められる令嬢より、こういう生活の方が幸せなのかもね。