大輪の茨婦(しふ)
長文だと読みにくいかと思ったので分けました。以前投稿した分の再投稿となります。
時は流れて、王都でのニ日目を迎えた。春告祭まであと五日もあるが、元々早く着きすぎた上、支度金もまだ手元に無い状態である。ただ徒に時を過ごすことが出来ない、悪く言えば貧乏性のドロシーは街に繰り出し、諸々の用事と日雇いの仕事を探しに行くつもりであった。
洗濯して汚れを落としてもらった、いつものパンツスタイルに着替える。着慣れたそれらを纏うと、気心知れた仲間と居るようでかなり落ち着く。昨日はかなり疲れた。ドロシーの口からは鉛のような疲労が溜息となって溢れる。
というのも、昨日はグリエッタ三姉弟の着せ替え大会が執り行われたのだ。言い出したのは実はドロシーなのだが、彼女の思惑とは異なる方向に進んでしまったことは誤解される前に言っておく。
(もっとあっさり終わると思ったんだけどなぁ)
昨晩全くの不意に(誰かしらから衣装を借りれれば支度金を使わないで済むのでは?)と天啓が下りてきたのだ。ものは試しと軽い気持ちで「もし良かったら春告祭用のドレスを貸して貰えないだろうか」とお願いしてみたら快く承諾。ドロシーとパティはレレイとシャルティアナの、セインはマーティンら男兄弟の所持していた衣服で衣装合わせが行なわれた。この時点で、(パティとセインは兎も角、自分の分は適当に見繕ってさっさと終わらせよう。特にパティは時間がかかるだろうな)等と考えていた。
しかし、蓋を開けてみればその考えとは掛け離れた展開になったではないか。
まず、予想外にも一番スムーズに進んだのがパティだ。シャルティアナと似た背丈の彼女はどのドレスも選びたい放題で、終始楽しそうに選んでいた。最終的に、一目惚れしたというレースのフリルがあしらわれた可愛らしい桃色のプリンセスラインドレスに決めたようだ。
次に決まったのは思った通りセイン。男は燕尾服または公式の場で着る騎士服といった正装であれば良く、選択肢が少ない為すぐに決まると思われた。だが、悲しいかな、すっきりとした細身のセインに比べて、ナビル子爵令息たちの体格は逞しい者ばかり。マーティンが十三才の時に着ていたものですらセインにはぶかぶかでだらしなくなったのだ。唯一長けていたのは足の長さだったが、セインはかなり複雑そうな顔をしていた。結局、ナビル子爵次男が去年着ていた燕尾服のサイズを手直しすることに。
最後まで問題だったのはドロシーだ。女性にしては背は高く、手足も長いし、小振りだが出てるところは出てる引き締まったバランスの良い身体をしている。ふくよかなレレイとも小柄なシャルティアナとも体型が異なっているのは明らかで、彼女らの手持ちでドロシーに見合う物はない。ならば結婚して家を出たシャルティアナの二つ上の義姉のドレスはどうかとタンスをひっくり返してみた。長身だった彼女のドレスは一応サイズは合ったのだが、どれも型遅れの古臭いドレスばかり。いや、それ以前の問題として、ドロシーの凛々しくクールな顔立ちには似合わないファンシーなデザインかつ体型を隠すようなドレスばかりだったのだ。なんとかならないかとメイドや下働きの女達までもが頭を抱え、知恵を振り絞り、ドロシーは何度も着せ替えさせられたが、結局の所どうにもならなかった。
昼休憩を取った後もそれは変わらず、とうとう面倒臭くさって、「これかこれでいい」と、ドロシーの中では一番着心地の良かったシンプルなタイトドレスとAラインドレスを提案したのだが、「ダサい」「地味」「似合わない」「古臭い」「色がヤバい」「どこの乳母か家庭教師ですか?って感じ」とばっさりと切られ、女性たちの真剣なドレス選びに口を挟めなくなったのであった。
残る手段として、レレイが「お義母様の……」とナビル子爵現妻のことを告げた瞬間、「却下」が半数以上、「(着こなすのは)無理」が約三割、「(頼むだけ)無駄」が約ニ割の、満場一致で否決された。ダメ元の提案だったようで、レレイも「そうよねぇ」と大して気にした様子もなく呟いていた。ちなみにだが、ナビル子爵現妻の姿はこの場に無い。昨晩行ったお友達の家にそのままお泊まりしたようで不在である。
ナビル子爵の現妻のドレスは、一言で言えば『ケバい』に尽きる。彼女が所持しているのは、性的魅力に溢れた肉体を惜しげも年甲斐もなく露出させる、テラテラと輝く派手なドレスなのだ。これで一体どう言い含めれば貞淑な妻を演じれるのかと突っ込みたい。そんな訳で、サイズもデザインも合わないのだが、そもそもドロシーの肌にはこれまで負ってきた大小様々な傷があちこちにある。故に、露出の多いドレスなど論外なのだ。本人も、「あれだけは御被る。着るくらいなら男装する」と断固拒否の姿勢だ。
かくして、ドロシーの衣装は決めらないまま日が暮れて。これはもう諦めて買うしかない、とドロシーの分は購入することになったのである。
さりとて、支度金が無ければ何もできないグリエッタ男爵家。到着の翌朝に城に使いを出したが、支度金が届くのは二日後との返事。ならば何も予定が無いその間は、自分の足で稼ぐに限る……ということで、本日の予定は昨晩の内に決めていた。ロードレイク子爵の許可も貰い済みである。
剣帯を腰に巻きつけて、最後にリュックを背負う。中には小銭、干し肉、そして異様な雰囲気を漂わせるずっしりと重い革袋だ。準備万端と部屋を出た。
ドロシーが与えられたのは二階にある客間でも、一等日当たりも眺望も良い角部屋である。隣にパティ、向い側がセインの部屋となっている。朝食後に、庭でお茶しないかと誘われていたが、やることがあると断っていた。恐らく今も庭にいることだろう。長い廊下を進み、エントランスホールに下りる階段に差し掛かった所で、顔を合わせるのが億劫な人物と鉢合わせする。
「あら、ドロシーさん。お出掛けですの?」
「どうも、アリス夫人。ええ、まあ」
アリス・ナビル。ロードレイク子爵の五番目の妻である。長いピンクゴールドの髪をアップにした、まるで大輪の花のような存在感の美女だ。スレンダーなのに、はち切れんばかりの豊満な肉体が艶やかな紫色のドレスの上からでも見て取れる。確か年齢はエーミール男爵と同じ位と聞いているのだが、まだ三十代のようで、これが一児の母とは思えない若さを放っている。
「どちらに行かれるのかしら?」
「ちょっとした野暮用です。あなたには関係ないことですよ」
「あら、そう。幾ら旦那様がお許しになったからと言って、好き勝手して我が家に面倒事を持ちこまないでくださいませ」
「それは重々承知しております。では」
言いながら、視線はドロシーの下から上へと流れ、眼が合うとすっと細められる。扇で目元以外を隠しているが、その裏で自分とドロシーを比較し、嘲笑を浮かべているのは手にとるように分かる。初めて会った紹介された時から気付いていた事だが、彼女は立場と美しさを鼻に掛け、周りを見下すタイプのようだ。こういった輩とは一緒にいても疲れるだけで得はない。適当に流し、軽く頭を下げて断りを入れてから横を通り過ぎる。その際、アリス夫人の背後にいた侍女が鋭い形相で睨みつけてくるが、気付かないふりで往なす。友好的な子爵家のメイド達の中で、唯一敵対心を見せているのが彼女だ。名前は知らないが、ドロシーより少しばかり背が高いプラチナブロンドの中性的な顔立ちの美女で、アリス夫人と並んでも見劣りしない。だからこそ付き人に選ばれたのだろう。
「ああ、そうそう。ドロシーさん」
玄関扉の前に立った所で、呼び止められて顔を上げる。二階の踊り場にいるアリス夫人に見下ろされる形となる。
「我が家の品格が疑われてしまいますから、そんな黴臭い格好で表門から出入りなさらないでくださいね? 幾ら厚顔無恥とはいえ、己の立場を弁えることは出来るでしょう?」
畳んだ扇から現れた顔には、自分より下の人間を見下す不快な嘲笑いが浮かんでおり、クスクスと漏れる忍び笑いはアリス夫人の背後から流れてくる。主の客人に対する態度ではないが、立場的にはアリス夫人の方が上なのだし、ドロシーも好き勝手やらせてもらう多少の後ろめたさも持っている。しかし、辞めるつもりがあったら最初からここに来てはいない。
「それはお互い様じゃないですかね。ま、私は誰かさんと違って自覚して自重できるだけマシでしょうよ」
呆れた様に肩を竦め、にやりと挑発的に笑って見せる。一瞬呆けたアリス夫人だったが、すぐに顔を赤くして、唇を歪めた。「まっ……! ちょっと、お待ちなさい!」甲高い怒鳴り声を背に、悠々と玄関扉を開けて外に出る。
ご覧いただきありがとうございましたm(__)m