ドロシーと子爵家の絆
こちらは以前投稿していた分の再投稿になります。
唐突に吐かれた慇懃無礼だが卑しめる物言いに、周りはぎょっと目を見開いた。確かに、パティとセインは本人たちの器量もあり、質素な見栄えが良い服を着ている為貴族然としているが、ドロシーは着慣れたパンツスタイルで腰に帯剣している為、そう思われても仕方がない。しかし、先に到着しているナビル子爵から話は通っている筈なので、思ってもみない無礼に全員が虚を突かれ言葉を失う。が、当の本人は涼しい顔をしていた。いち早く復活したマーティンが慌てて口を開く。
「さ、サリス!? お前、ドロシー嬢になんて失礼なことを!」
「マーティン様、貴方様が下々の者にお優しいのは存じております。しかし、屋敷内にまで入られては、ナビル子爵家の名誉に関わります。きちんと明確な線引をしていただかないと増長して……」
「馬鹿者! そんなことを言ってるんじゃない! 彼女は……!」
「ドロシー殿! ドロシー・グリエッタ殿!」
説明し掛けたマーティンの言葉を、屋敷の奥から響いた大きな声が遮る。二階から響かせた声の主は、がっしりとした体格の熊に似た男だ。エントランスホールの階段から勢いよく降りてきて、周りを蹴散らさんばかりに駆け寄ったかと思えば、棍棒のような腕でドロシーを抱き締める。
「やあやあ、ドロシー殿! 久しぶりだのう! よく来てくれた!」
「ご無沙汰しております、ナビル子爵」
御年五十五歳を迎えるナビル子爵家当主ロードレイク・ナビルだ。喜びを伝えるようにぎゅうぎゅとドロシーを締め上げる。
「ち、父上! ドロシー嬢が潰れてしまいます!」
「なーに、ドロシー殿はそんなにやわではない。そうだろう?」
「否定はしませんが、呼吸がしづらくて苦しいとは思いますね」
「おっと! これは失礼。この屋敷でお前さんを迎えることが出来て嬉しくてな」
硬い胸板を押し付けられて呼吸が薄くなっていたが、マーティンのお陰で事なきを得る。その後にはバンバンと力を入れられて肩を叩かれるが、それらがロードレイク子爵のドロシーに対する親しみと信頼から為される技なので、痛いことには痛いが、避けることなく素直に受け止めた。
「それから、君たちも数ヶ月ぶりだな。セイン君は少し大きくなったんじゃないかな?」
「ご、ご無沙汰しております。僅かですが、また背が伸びました。もう少しで姉さんに届きそうです」
「健勝で何より。やあやあ、パティ嬢、長い旅路だったが疲れてないかね?」
「お久しぶりです、おじ様! 大丈夫です! なんて言ったって、ドロシーお姉様と一緒だったんですから! 魔物と戦うときのお姉様のかっこよさを近くで見れて幸せでした!」
「なんと! それは羨ましい! ドロシー殿の剣技はまるで剣舞のようで見ていて飽きないからのう!」
「それは褒め過ぎです。単に手数多くしたゴリ押し戦法なので」
「ご謙遜なさるな! わしもこの腕がまともであればお相手願いたかったわい」
頭をわしゃわしゃとともみくちゃにされるがされるがままのセインと、自ら大きな胸に飛び込んで行くパティ。それらの様子は三姉弟とナビル子爵家の深い親密さを物語っていた。今だに理解できていないのは執事サリス。普段、見た目相応に厳格な主人しか見たことがなかった彼は、この様子に目を白黒させる。
「わかったろ? 私達が一番おもてなしをすべきなのは彼女だ。しっかりと謝罪するんだ」
「ま、マーティン様……」
「ん? どうした? 何かあったのか?」
「実は……」
縋るような瞳を投げかける執事を尻目に、一部始終を説明するマーティン。ロードレイク子爵の顔が見る見る内に憤怒のそれに変わる。
「サリス、お前は数を数えることもできないのか? 私は、グリエッタ男爵家から客人が何人来ると言った?」
「さ、三人と……。も、申し訳ございません! 男爵家の方々がいらっしゃるとは聞いておりましたが、幾らグリエッタとはいえ、このような不格好で、貴族として相応しくない姿で来るとは思わなくて……!」
「なっ……!?」
「サリス! あなたってサイテー!」
自己弁護を図ったようだが、正直に吐露しすぎて火に油を注ぐ。ロードレイク子爵だけではなく、ナビル子爵家一同の顔が怒りの色を顕にした。シャルティアナは今にもサリスに平手打ちをせんばかりだ。
「サリス! 貴様、我がナビル家の大恩人に無礼を働くとはなんたるか!」
「は? お、恩人とは……?」
「ドロシー嬢は我が領内で起きた事件を解決した立役者だ。彼女が居なければ、今のナビル子爵家は無かったんだぞ」
「なっ……も、もしかして、マーティン様とシャルティアナお嬢様が被害に遭われたあの……!?」
彼らが言っているのは、五年前に子爵領で起きた当時十七歳のマーティンと当時十一歳だったシャルティアナが、茶会の帰りに襲撃され、誘拐された事件のことだ。その頃、子爵領では領民の連続誘拐殺人が起きており、被害者があまりにも凄惨な姿で見つかるので魔物の仕業と考えられていた。二人の実子が誘拐されたロードレイク子爵は周章狼狽しながらも捜索に加わった、が、一人突っ走り過ぎたのが仇となって犯人に襲われて大怪我するなど、子爵領は連日大騒ぎとなった。
その犯人を捕らえたのが、別件を追ってグリエッタの山中を走り回っていたドロシーだ。マーティンら以外にも誘拐されていた人々を救助し、グリエッタ領で領民総出で介抱した結果、多くのナビル領民が救われた。生死の境を彷徨ったマーティンと、誘拐によって心の傷を負ったシャルティアナも、グリエッタ領民の献身的な優しさによって快復。彼らがこうして元気でいられるのは、ドロシーとグリエッタ領民のお陰といっても全くの過言ではない。以来、子爵領民たちはグリエッタ男爵領民に一目置いているし、子爵家はドロシーを筆頭に、男爵家に対して過剰なまでに敬意を示していた。
「そもそも! わしは身分や見た目に拘ることなく、他者には平等で優しくあれと常々説いてきた筈だ! だというのに貴様という男は!!」
「ひいっ! も、申し訳ございません! どうかお許しを!!」
「謝るのはわしではなかろう! この馬鹿者め!!」
サリス執事は立っては居られず額を床に擦りつけて許しを請うも矛先を間違え、ロードレイク子爵の怒りが爆発する。まるで自分が怒られたかのように、セインはびくりと体を揺らし、パティが小さく悲鳴を上げてドロシーにしがみついた。それを受けて、ドロシーが口を開く。
「ロードレイク子爵、気を静めください。私は全く気にしておりません。そもそも、お世話になる格上の家に、このような格好で訪問してしまった私にも非がありますから」
「そんなことはない! ドロシー殿は他の者とは違うのだ! どのような姿であろうと持て成すのが我が家の掟!」
「かつての恩を返しているというのであれば、もう既に十二分に果たして頂いております。そこまでご配慮頂かなくてもよろしいので。我が家としては、もう少し気楽なお付き合いをお願いしたいのですが……」
ドロシーらは少し引いているが、当主の言葉にナビル家の面々は力強く頷いて同意の意を示している。他人との関わりを拒絶しがちなドロシーも、並外れたナビル子爵家の数え切れない程の恩返しに徐々に絆され、今ではグリエッタ領民の次に信頼を置いている。だが、器の大きな優れた人格ぶりは尊敬に値するが、何が彼らをここまで義理人情を厚くしているのか、ドロシーには知る由もない。
「とにかく、私は気にしておりません。それよりも、子爵の声が大き過ぎて義妹たちが驚いてます。折角のナビル子爵家のタウンハウスなのですから、初っ端から苦い思い出は勘弁してください」
「む……これは失礼した。取り敢えず、サリス、沙汰は追って伝える。それまで自室で謹慎していろ」
「そんなっ、旦那様!」
「いいな?」
「ひっ……! は、はい……」
ロードレイク子爵にギロリと睨まれ、執事はすごすごと退散していく。肩を落として去っていく後ろ姿が見えなくなってから、ロードレイク子爵はドロシーに頭を下げた。
「改めて、我が家の執事が大変失礼なことをして申し訳なかった。この男は長年執事見習いとしてここで働かせて、前の執事の引退を機に、去年昇格させたのだが……長を名乗らせるのはまだ早かったようだ。本当に申し訳ない」
「頭を上げてください、ロードレイク子爵。こんなことで貴方様の頭を下げる必要はないのですから。それよりも、奥方様はどちらにおいでで? ご一緒に来ていると伺ったのですが」
「ああ、奥の奴は今出払っているよ。あやつめ、昨日までデイルが来んことを知らなかったようでな。聞けば、出掛けに何やらあったそうではないか」
「はい。デイルの奴が、父上の命に背いて馬車の荷台に忍び込みまして……。ドロシー嬢が気付かなければ、危ないところでした」
「ふむ。流石ドロシー殿。よくぞ気付かれました」
「たまたまです。馬車が揺れた際、間抜けな声がしたもので」
「これまでの行為を鑑みて、デイルには部屋で謹慎を言い渡しました。が、奴め、抵抗いたしましたので、監禁措置を取らせました」
「うむ、早馬で聞いておるよ。もしわしがその場にいれば、同じことを申し付けただろうな。それを奥の奴は、マーティンがデイルに謹慎処分を下したのは、領主であるわしを差し置いた越権行為だとぬかしおってな。叱り付けたらいじけおって、朝から知り合いの屋敷に行くと外出しおったわ」
ロードレイク子爵は義理人情に厚く、世話好きの良い人ではあるのだが、女癖が悪く、デイル少年の母である現妻は去年結婚して五人目の相手だ。しかも、女運がとんでもなく悪い。マーティンとシャルティアナの母である一人目の妻は殺害され、二人目は自殺、三人目は見解の不一致による離婚、四人目は浮気と、なかなか壮絶な結婚生活を送っている。熟れた女が好みでなかったら、どんな人格者であっても、ドロシーはパティとセインを絶対に預けなかっただろう。
「父上……以前から申してあげておりましたが、あの女は、父上がいるといないとでは態度が大きく異なります。父上の前では慎ましやかで貞淑な妻を演じていましたが、裏では家のものを酷使し、散財癖のある女ですよ。一体何度我々があの女の浪費を諌めたことか……」
「そうよ、お父様! あの人ってば、レレイお義姉様にはドレスも宝石も似合わないとか言って、お兄様からのプレゼントを持ってこうとしてたのよ!」
「何? それは本当なのか、レレイ?」
「え、ええ……実は……」
「そんな……どうして言ってくれなかったんだい?」
「一応、ご当主様の正妻ですし、貴方のお義母様ですから……。それに、いつもシャルが助けてくれたので、事なきを得てましたし、私の方に被害はありませんでした。でも、他の方の事を考えたら、すぐに貴方に言うべきでした。至らぬ妻で申し訳ございません」
「お優しいお義姉様がそんな告げ口みたいなこと出来る訳ないでしょ! そういうのはお兄様が何かされてないかとか気を使わなきゃ!」
「う……確かに、シャルティアナの言う通りだ。駄目な夫で済まない、レレイ」
「いえ、そんなことありませんわ。いつも大事にして下さってるのは伝わっております」
「レイ……」
「マーティ様……」
「ちょっとちょっと、お兄様! お義姉様! 二人の世界に入らないでよ!」
「わしもこんな夫婦になりたかったのう……」
頬を赤く染めて見詰め合う息子夫婦を、ロードレイク子爵が羨ましそうに見ている。普通逆じゃないかと誰しもが思うが、優しさゆえに誰も突っ込まない。
「それに、デイルだって、自分が正妻の子だぞとか言って、私達を下に見るのよ! その割に、自分は継子苛めに遭っているとか被害妄想ひどいし! しまいには、将来パティと王都で結婚するんだとかヤバいこと言ってたんだからね!?」
「ええっ!? わたし、あの子と結婚するの? ロード小父様と家族になるのは嬉しいけど、あの子はちょっとなあ……」
「姉さん!? 落ち着いて! 顔が凄いことになってるからね!?」
「ああ、ごめん。結婚なんて絶対許さないけど、そんな巫山戯たことを二度と口に出せないようにするにはどうしてやろうかと考えたら自然と表情に出ちゃった。次からは気を付ける」
「いや、気持ちはわかるけど、バレなきゃいいってことじゃないからね?」
「ほらほら、お父様! ドロシー様たちにこんなに迷惑かかってるのよ! あの人たち、どうにかした方がいいわ!」
「うむ、どうやら由々しき事態のようだ。離婚も視野に入れよう。全く、初めの頃はあんな女ではなかったんだがのう……」
ドロシーらの事になるとかなり行動が早いロードレイク子爵。領地に帰れば五度目の離婚劇が巻き起こりそうだが、それについてドロシーが関与することではなく、また知ったことではない。
やや重い雰囲気を払うように、掌を叩き合わせたドロシー。皆はっと我に返ったような表情で、ドロシーを見たので、場を取りなすようににっこりと笑うが、そこには有無を言わせない強さがあった。
「ま、こんな所でで話すことでもなし。皆馬車での長旅で疲れてますので、いい加減、中に入って一休みしませんか?」
「う、うむ、そうだな。すまんな、いつまでも玄関先に立たせて。狭い所だが、自分の家と思って、自由に寛いで行ってくれ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
こうして到着早々一悶着起きたドロシーらではあったが、兎にも角にも無事王都のナビル子爵家に腰を落ち着けたのである。
ご覧いただきありがとうございましたm(__)m