三姉弟
御覧頂きありがとうございます。ブックマークもうれしいです、ありがとうございます(^^♪
森を抜け、林を抜け、チラチラと雪の振り始めた平野を歩いていくと、足元の雪には人が通った痕跡を多く残し、雪を掻き、踏み締めた道を作り上げていた。今頃になって今日の獲物が人間になってしまったことを思い出す。兎に角早い内に明日も晴れたらまた山に行こうと考えている内に、視界に大きな建造物が入ってくる。近付くにつれ、それはドロシーの背丈の五倍以上ある塀と門だとわかるだろう。
かつては王族の屋敷ということで見事な細工が施されていたであろう格子状の門は、長い年月の間で錆び、破損だらけとなり、去年の初春に見た時など門扉が開かなくなっていた記憶が蘇る。なんとか修復出来たが、今は誰でも歓迎と言わんばかりに大きく内開きに開け放たれていた。
門を越えるとまず広がるのは庭園、その向こうにはグリエッタ男爵邸である横長の二階建ての建物がある。かつては整えられた石畳と美しい花々が咲き乱れた美しい箱庭であり、元王女が暮らすに相応しい豪華絢爛な屋敷であったことが絵画や記録に残されている。
しかし長い年月が経過した現在のグリエッタ邸は、草が生え放題の大地に、農作物を育てる畑と化した庭、修繕改善を繰り返された継ぎ接ぎだらけの襤褸屋敷の様相を呈している。今は雪に降られて全て隠され、なんとなく情緒ある佇まいに見られているが、春になると悲惨な光景を目の当たりにすることになるだろう。
建物の玄関前で、人影が二つ見て取れる。一人は梯子に上り、もう一人はその梯子が倒れないように支えているようだ。それが誰か分かると、ドロシーは口元を覆う襟巻きを外し、大声で呼びかける。
「おーい!」
「! お姉様ぁ----!」
静まり返った澄んだ空気に浸透して振動させる声に、二人が反応して振り返った。どちらも妙齢の男女である。
どんよりとした天気を払うような明るい声が響き、少女は満面の笑みを浮かべて嬉しそうに跳ねながらドロシーに向かって大きく手を振った。
「え、姉さ……? うわっ! え、ちょっ、パティーー!?」
「え? きゃああああ!?」
「セイン!!?」
少女が勢いよく手を離した反動で梯子が大きく揺れ、梯子の上部にいた少年が絶叫しながら倒れて雪の中に落ちていく。その現場を間近で見てしまった少女も顔を覆って悲鳴を上げ、いきなりカオスと化した現場に向かってドロシーは背中の荷物を放り出して慌てて走り出す。背後で潰れた蛙のような声が上がったが、ドロシーの耳には届かない。
「せ、セイン、大丈夫?!」
「……パティ、僕、手を離すなって言ったよね?」
「う……ご、ごめん……」
幸いなことに、ちょうど雪深い箇所に落ちたようで少年は怪我をした様子もなく上半身を起こすが全身雪まみれだ。少女が毛糸のミトンを装着した手で、自身を睨め上げるセインの頭と肩の雪を払い落としているところにドロシーは辿り着いた。
「セイン、大丈夫か? パティ、雪を払い落とす前にまずは立たせてやりな」
「ね、姉さん……ありが」
「お姉様ぁ!」
「うわあっ!?」
座らせていたままでは毛皮が水気を吸い込んで体を冷やしてしまう。そう思って少年に手を伸ばす。少年は一見娘のようだが、既に声変わりを終えている整った顔出しの少年だ。まだ少々の幼さを残しており、恥ずかしそうに顔を赤くし、礼を言いながらドロシーの手を掴もうとした。が、ドロシーが傍にいることに気付いた目の見張るような少女が、春を呼び寄せたような笑顔を浮かべてドロシーに飛び付いたので、少年の手は虚しく空を切る。その勢いで被っていたフードが外れ、男のように短い柘榴色の髪が空気に触れる。
「ああ、お姉様! お帰りなさいませ! どこもお怪我はありませんかっ?」
ドロシーの首に腕を回し、喜びを全身で表してる彼女の名はパティ・グリエッタ。輝く艶やかな長い金髪を三つ編みに纏め、煌めくエメラルドの瞳を持った十代半ばの美しい少女だ。健康的なきめ細かい白い肌は寒さから赤く、モコモコの防寒着を羽織っているが愛らしさを際立たせている。そんな可愛い子にきらきらと輝く瞳を向けられ抱き着かれて嬉しくない訳はない。が、パティの背後を見えているので素直に喜べない。
「怪我はないよ、大丈夫。でもパティ、まずはセインに謝ろうな?」
「え?」
ドロシーの言葉ではっと振り返るパティ。自らの力で立ち上がり、苛立たしげに雪を払っている後ろ姿から無言の怒りをようやく感じ取ったのだろう。ドロシーからゆっくり腕を外したパティは、おずおずと被害者の顔を覗き込んだ。
「え、えっと……ご、ごめんね、セイン。大丈夫?」
「……大丈夫に見えるなら、大丈夫なんじゃないかな」
冷たく言い放つセイン・グリエッタは清涼感のあるミントグリーンの大きな瞳を細め、姉であるパティを睨み下ろす。パティとよく似た美少年で、線は細いが身長は既に彼女を抜いていた。セインの方が一つ年下だが、纏う空気はパティよりも落ち着いている。着させられたようなごわごわした毛皮の防寒着を纏っているが、若葉のような溌剌とした美しさは損なわれていない。
「ごめんってばあ。怒らないでよお」
「へえ、僕が怒っているって分かるんだ。それなのによくもまぁ人を怒らせるような行動とれるね」
「だってだって、ドロシーお姉様が今日も無事帰ってきたんだもの! 嬉しいじゃない!」
「それは僕も一緒だよ」
「じゃあ、怒らなきゃいいじゃない」
「どうして? 離さないと約束した梯子を離されて倒されて雪の中に落とされて、姉さんが僕を立たせてくれようとしたのを邪魔された。パティは僕と同じ目に遭っても怒らないっていうの?」
「それは……」
台詞の一部をやけに強調したセインの静かな怒りの台詞。想像したのだろう、パティはばつが悪そうな顔をする。帰った早々険悪ムードを見せつけられているが、これが気を許した姉弟同士の喧嘩だということをドロシーは理解していた。
パティとセインはよく似た姉弟ではあるが、姉と呼ぶドロシーとは全く似ていない。明らかに違い過ぎる。
しかしそれも当然で、姉弟はグリエッタ男爵の後妻の子で、正当な跡継ぎはドロシーである。
とはいえ、こんな愛くるしい二人が門扉の修理作業をしなければならないグリエッタに正当も継承もない。各人の人柄が出来ていたお陰だろう。よく聞く家庭内不和等は一切無く、ドロシーもパティもセインも分け隔てなく平等に育てられ、三姉弟の仲もとても良かった。
「まあまあ、落ち着いて。私がいきなり声を掛けたのが悪かったんだし、喧嘩しないでくれ。ごめんな、セイン。怪我は無いか?」
「大丈夫です。全面的に姉さんは悪くないから、気にしないでください。ねえ、パティ?」
「う゛~……」
パティは不満げに唸り頬を膨らませているが、否定しないところを見るとセインの言葉を肯定しているようだ。多少意地っ張りな義妹に苦笑しつつ、ドロシーはついと伸ばした手でセインのふわふわな金髪に残る雪の結晶を優しく払い取りながら撫でる。途端にセインの顔は真っ赤に染まった。
「ちょ、ね、姉さん! 僕もう十五なんですよ? 子供扱いしないでください!」
「何言ってんだ。九つも下なんだから、私からすればずっーと子供だ」
「ず、ずっーと……?」
「ん?」
何故かショックを受けた様子の義弟に気付いたドロシーが不思議そうに顔を覗き込むが、その背後でパティが小馬鹿にした意地の悪い笑みを浮かべている。それに気づいたセインはすぐさま我に返って顔色を変えた。
「パ~テ~イ~!?」
「べーだ!」
二人でドロシーの周りをぐるぐると回り出す。そんな二人を微笑ましく思いながら各々の腰を両の腕で捕らえ、動けないように抱き寄せる。
「ほらまた、喧嘩しない。撹拌された私がバターになってもいいのか?」
「まあ! お姉様がバターになったら、きっと黄金のように輝いていて、とっても美味しいでしょう! 欠片も残さないで完食しますから安心なさってくださいね!」
「何言ってるんだよ、パティ。永久保存一択だろう」
「真面目に考えない。作業の邪魔して悪かったね。っていうか、扉どうした? 壊れたのか?」
「はい、今朝動かしたら右側から変な音がしてちゃんと閉まらなくて……。見たら蝶番が欠けていたのを確認しました」
「とうとう玄関扉もがたがきたか……」
二人を地面に下ろし、扉を見上げる。とうとうとは言うが、築二百年の歴史ある建物だ。ドロシー祖父の代から住んでいるが、門を修繕した記録は残っていない。前領主が居た時期を鑑みれば、最低でも百年は修繕されていないかもしれない。
「でも、まだ何とかなりそうだから、なるべく優しく出入りするようにすればまだ当分大丈夫だと思います」
「わかった。代わりの部品が無いか屋敷内に無いか探してみよう。無ければ、春までお預けだな」
「……あ、あの……」
三人で自身の屋敷を見上げていると、背後から控えめに声を掛けられる。咄嗟に二人を背後に庇い立ち、腰の剣に手を伸ばすが、そこには先程鳥女から助けた少年。すっかり頭から抜け落ちていた。
「あの、貴女はさっき僕を助けてくれた狩人ですよね……?」
「ここまで運んだことを助けたというなら、そうだな」
「え、えええ……?」
「お姉様のお友達?」
「いや、さっき拾った赤の他人」
「……君は、確か、ナビル子爵家の」
「あ、ああああ!? ぱ、パティ・グリエッタ様っ!!」
「え? どこかで会ったことあったかしら?」
先刻自分に向けられていた冷酷さが影を潜めた様子に戸惑っていたようだったが、ドロシーの背後から顔を覗かせたパティを見た瞬間、びん、と背筋を伸ばす。セインの渋い顔を見るに、特に親しい間柄でなさそうだ。
しかし少年はそんなことはお構い無しに目を輝かせ、鼻息荒く興奮している。肩の傷も抜けた腰も忘却の彼方のようだ。パティに向かって突進し、庇うドロシーの前で片膝を折った。
読んで頂き、ありがとうございました。