盗人と母親
主人公が盗人とはいえ子供に暴力を振る表現があります。ご注意ください。
“黒蠅”は速かった。
川岸から駆け上がり、驚く通行人たちの合間を縦横無尽に走り抜けていく。気を抜けば見失いそうだ。
どちらかといえばこの場の有利は彼にある。体格的にうまく人混みを利用されたり、彼しか知らないような抜け道にでも入られたら、ドロシーに打つ手はない。
(……このまま追い続けるのは不利だ。なんとかしないと……)
だが、ドロシーの懸念とは裏腹に、“黒蠅”に大した動きはない。まるで後ろを気にせず、ただひたすら目的地に向かって走っているような大胆な走りをしていた。チラリとも振り返っていないようにすら伺える。
(……もしかして罠か……?)
何か裏があるのか、余裕の表れか。このまま付いて行ったら、大勢の敵が待ち受けているのではないかと一抹の不安が過ぎる。
“黒蠅”が平民街の路地裏に滑り込む。少し遅れて路地裏に入ったドロシーはグッと眉間にシワを寄せた。
光の遮られた薄暗い裏道。捨て置かれた物やゴミが散乱しており、先は長いようで出口から差す光が小さい。温い風に乗って鼻を突く酷い悪臭−−どうやらこの先は貧民街のようだ。
華やかな王都の暗い部分であり、大きな町であれば必ずと言っていいほど存在する場所。そこには貧しさ故にまともに働けなかったり、諸事情で働くことがままならない者たちが隠れるように暮らしている。中には逃亡中の罪人が隠れているとも言われており、貧乏人たちばかりとはいえけして油断できない。
(真っ直ぐ貧民街に向かうとは、本当に罠があるかもしれないな……)
何かあると思っても、戻る選択肢はドロシーに浮かばない。何故ならダンダリオンの所持品が盗まれているから。何を取られたかわからないが、今ここで引き返したら明日には売られてるかもしれない。そうなったら取り戻すのは至難の業。
物陰から急襲されることも考え、警戒しながら一本道の暗さに同化するように消えそうな“黒蠅”の後を追う。
路地裏を抜け、開けた場所に出ると、そこには荒屋ばかりが建ち並び、まともな建築物は一棟もない。表通りのように整備されておらず、剥き出しの地面にはゴミだけでなく、人が散見している。
死んだような目をして座り込んでいる者、闖入者をギラギラと睨めつける者、触らぬ神に祟りなしと身を潜めている者――大人も子供も入り交じり、雰囲気は最悪である。下手すればあっという間に身包み剥がされてしまうだろう。
辺りを見回し、“黒蠅”の姿を捜す。とある通りに入っていく背中を見つけ、そちらに向かう。
居た。丁度突き当りにポツンとある荒屋の扉に手を掛けていた。最後の全速力。押戸を開ける前に、ドロシーの手が黒髪を掴んだ。
「うわっ!? だ、だれだおまえ!? はなせブス!!」
「は?」
意外と幼い声が流れるように暴言を吐き、ドロシーの口元が引くつく。
別に自身の容姿の良し悪しなどどうでもいいが、突然の悪口にはカチンとくる。掴む髪を引きちらんばかりに引っ張れば、“黒蠅”は悲鳴を上げて自身の髪を掴む手を振り解こうと暴れるが、短い手足はドロシーに届かない。
「いででででっ!! くそっ、はなせって言ってんだろブス! はなせよおっ!」
「離して欲しかったら、さっきお前が盗んだものを返しな」
「はっ!? なんのこと……いっだぁ!!」
「しらばっくれても無駄だ。ダンダリオン……でかい男から革袋くすねただろう。それを返したら離してやる」
「な、なんのことだよっ! オレさまはしらねー! へんなこといってんじゃねーよばーかっ!」
「こっちはお前が盗むとこからずっと追ってきてるんだよ。落としたとか巫山戯たこと吐かしたら見つけるまで探させるぞ」
「え? ず、ずっと……?」
「ずっと」
「ずっと……オレさまのはしりについてきてたのか……?」
「……まさかお前、私が追っかけてるの気付かなかったのか?」
「っ! う、うるせーよブス! ちょうしのんなよばーか! しね!」
「図星か……」
どうやら罠でもなんでもなく、単に己の素早さに自信があったようだ。自分には誰も付いてこれないと過信し、だから一度も後ろを振り返らなかったのかと納得すると同時に呆れる。
「まあ、確かにお前は速かった。“黒蠅”と呼ばれるだけはある。そこは素直に賞賛しよう。だがな」
逃れようとドロシーの手に爪を立てる“黒蠅”を荒屋の石壁に叩き付ける。かなり手加減はしたが、子供には十分な衝撃だろう。
「かはっ!!」
「死ねなんて言葉は相手を殺せる覚悟や手段がある時に言った方がいい。でないと痛い目に遭うのはお前だ」
「くっ……」
「さっさと盗んだもの返せ。さもなくば、お前の服はただの布切れに変わる」
「な゛っ……!」
息を詰まらせた子供の細い首を軽く握り壁に縫い付け、双剣の片割れを抜いて服の襟元に切り込みを入れる。背中の痛みに顔を顰めていた“黒蠅”だが、鈍く光るそれを見て顔色を変えた。
「安心しろ。お前が暴れなければ傷は付かない。どうする? ここで全裸になるか? 家の前だしな、そこまで恥ずかしい思いはしないだろう」
「な……や、やめろよ……ず、ズボンには、はいっ、てる、から、か、かってにもってけば、いいだろ……!!」
ドロシーは本気だった。グレイシャーブルーの瞳は揺るがない冷気を放って“黒蝿”を見下ろす。確かに“黒蠅”の横ポケットが膨らんでいるのは気付いていた。この状況であれば、問題なく取り返せる。
だが、ドロシーはその提案を鼻で笑った。
「断る。私が仕事が失敗したら、どういう目に遭うかを実践で教えてやる」
「な……なんだよそれっ! じゃあかえしてもおなじじゃないかっ!!」
「違う。誠意の有無によって、罪状は変わるんだよ」
「せーい……? ウム……?? ざ……???」
「……謝るか、謝らないかで与えられるものが変わるんだよ。で、どうする? 五つ数える内にどうするか決めな。五、四、三、二、一……」
「なっ! ちょ、まっ……!!」
ひゅんっ、と背後から聞こえた風の切る音が聞こえたのはゼロと言おうとした時だった。
振り返る。目に飛び込んできたのは降り下ろされる棍棒と、その向こうには鬼気迫る女の顔。咄嗟に剣で受け止めるが、咄嗟のことで“黒蠅”を掴んでいた力を緩めてしまう。
ドロシーの手から“黒蠅”が力任せに逃れたことを見ると、棍棒を持った女が棍棒を一払いしながら距離を作る。
「かーちゃん!」
「マホト! 怪我はないかい?」
女の足に“黒蠅”が縋り付くと、女は右手の棍棒を威嚇するようにドロシーに突きつけたまま、もう片方の腕で“黒蠅”の肩を抱き寄せた。
年の頃は三十代後半くらいだろうか。長い黒髪をハーフアップにし、たわわな胸元を大きく開けさせた薄っぺらい安物のドレスを纏っている。この姿からこの年増は娼婦なのがわかった。
“黒蠅”ことマホトと呼ばれた少年は小さく頷いて見せると、女はホッと息を吐いた後、再びドロシーを睨み付けた。
「あんた、どこのどいつか知らないけど、うちの子をどうするつもりだい!?」
「……そう言うあんたは、そいつの母親か?」
「ああそうさ! この子は正真正銘あたしの息子さ! 何か文句でもあるかいっ!?」
「なら調度良い。あんたの息子が、私の大切な人の物を盗んだ。私はそれを取り返しに来ただけだ」
「……なんだって?」
子を守る母親の前で野蛮なことをするつもりはない。剣を鞘に収める。ドロシーの言動に、母親の片眉が訝しげに持ち上がる。
「素直に返してくれたらいいのに、あんたの息子が渋るもんでね。あんたが真っ当な母親なら、息子の横ポケットの見知らぬ革袋を返すように叱ってくれない?」
「……マホト? あの女の言ってることは本当かい?」
気っ風の良い母親の声が低いそれに変わり、マホトを横目で見下ろす。マホトはビクッと体を大きく震わせ、目を逸らして何も答えない。それが肯定と同等であることを彼は知らないのだろうか。母親は膝を折ってマホトのポケットを探る。ドロシーの言った通り、見慣れない革袋を取り出すとサァッと顔色を変えた。
「ま、マホト……あんた、またやったのかい……?」
「…………………………」
「ね、あったでしょ? それを返してくれたら私はとっとと」
「も、申し訳ございませんっ!!!!」
帰るから、と言おうとしたが母親が叫ぶような謝罪に遮られる。棍棒を投げ捨て平伏し、地面に頭を擦り付けた。
「う、うちの息子が大変なことをしでかしてしまい、申し訳ございません! 人様の物を盗むなんて、何をされてもなんの言い訳もできません! けど、何も知らなかったとはいえ、あたしも手を出しました! 合わせて罰は保護者であるあたしが受けます! どうか、どうかこの子には手を出さないでくださいませっ!!」
先程女が『また』と言ったように、マホトのスリがバレたのは今回が初めてではないようだ。物的証拠と合わせてあっさりと信じた母親は、誠心誠意の謝罪をドロシーに向ける。守るべき家族を守る為、自身を犠牲にしようとする気持ちはドロシーにも痛いほどわかり、眉を潜める。
「か、かーちゃん……」
土下座する母親の横で、どうしたらいいかわからず泣きそうな顔でオロオロしているマホト。彼を無視して、母親の元に歩み寄る。気付いたマホトが母親の前に立ちはだかろうとするが、すぐに母親に引き戻されていた。
地面に片膝を付き、母親の後頭部に話し掛ける。
「謝罪は結構。返してくれたら私はそれでいい。渡してもらえるか?」
「は、はい……。どうぞ……。本当に、本当に申し訳ございません……!」
「いい。当人ではなく、代理人の謝罪なんてなんの意味もない。あんたがすべきは息子への教育だ」
「はい……」
平伏されたまま持ち上げられた両手にはダンダリオンの革袋。何が入ってるかはわからないが、固いものが複数入っており、渡されるとカチャリと音を立てた。
それを受け取っても尚地面に頭を擦り付けたままでいる母親。
油断していたとはいえ、背後からの突然の急襲は流石“黒蠅”の母親だと思わんばかりの俊敏さであった。しかし、最初の威勢の良さはどこへやら。
かつて、遠い昔に見た同じような光景が重なる。あの時は、母親と幼子共々地面に頭を擦りつけて誠心誠意謝罪し、お互いがお互いの命を乞うていた。
それを思うと――侮蔑を含んだ眼差しをマホトに向ける。
「……お前、母親にこんなことさせて悲しくないのか?」
「…………………………」
「いっちょ前に母親を守ろうと騎士を気取る前に、母親を悲しませないようにするのが先なんじゃないのか?」
マホトは何も返さない。涙を潤ませた三白眼で憎々しげにドロシーを睨め上げ、唇を噛んでいる。
革袋が返ってきた以上、これ以上はドロシーの関与することではない。母親の肩にぽん、と手を置いてから立ち上がり、母子の元を後にした。
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