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女狩人と来訪者

お読みいただきありがとうございます。区切りごとで分けてみました。


 ドロシー・グリエッタが生まれ育ったのは、そんな不毛の土地であった。ファミリーネームが示す通り、現グリエッタ男爵家の一員で、れっきとした領持ち貴族のご令嬢である。

 

 だが、グリエッタの雪深い山中を一人歩くドロシーの姿は、常人が想像する貴族令嬢とは程遠い。


 分厚い毛皮の防寒着と手袋を纏い、幾重にも巻いた襟巻きは鼻と口を覆っている。露出しているのは左右の耳横から零れた一房の柘榴色の髪と、グレイシャーブルーの輝きを放つ眼の周辺という出で立ち。万全の防寒対策で動きはどっしり緩慢としているが、瞳は鷹のように鋭く、耳は兎のように澄ませて周囲の警戒を怠ることはない。もしも何かが襲ってきた際は、手に持った年季の入ったボウガンか、腰に下げた二対のショートソードのいずれか使う準備も出来ている。その佇まいはどう見ても狩人であり、彼女が貴族に籍を置いていると思う者はいないだろう。

 

 だがそれも仕方がないこと。前述の通り、グリエッタに居を構える貴族の生活は、一般的に想像されるものとは程遠い。男爵と言うのは名ばかりで、その生活は平民と変わりなく……否、そこらの平民より生活が困窮しているかもしれない。この地では身分も女子供関係なく、自給自足が当たり前なのだ。


(今年は雪が少なめだな)


 ふと、ドロシーは視線を空に向けた。葉のない木々の隙間から雲の少ない青空が広がり、穏やかで清涼な空気が漂っている。

 

 去年は豪雪の日が続き、食料の消費が著しかった。食料確保と枯渇回避の為、半月ほど山頂付近の山小屋で滞在したのは良い経験だ。それに比べて、冬がもう中盤に差し掛かっていても山にも海にも出易い日々が続いている。

 

 然しながら、最近の成果は芳しくない。元々冬眠に入る生き物が多いので、食料となりうる獣を獲れる日は少ない。


 極々稀にだが、毛皮や肉が豊富に採れる猪や、冬眠出来なかった熊も現れる。しかしそれらは普段見掛けるよりも気性が荒く獰猛で、数年前に熊に襲われた領民が三人亡くなり、数人が重軽傷を負った大事件があった。危険な分見返りも大きいが、山を知り尽くした男達と一緒の時ならまだしも、単独行動しているときにはあまりお目に掛かりたくない。

 

 そう思っていたのに、ドロシーの耳に静寂を切り裂く悲鳴が届く。


(誰だ!?)


 今日、ドロシーと共に山に入った領民は六人。各々行動している。脳裏に並んだ顔を思い出しつつ、声の聞こえたであろうに方向に弾かれたように走り出す。防寒具に身を包まれた体だが、それでも常人より遥かに軽快で、木々の合間を跳ぶように雪道を移動する。

 

 果たして、辿り着いた先で見たものは、確かに人が襲われている状況ではあったが襲っているのは獣でも人でもない。


(魔物だ。珍しい)


 空から滑空してきているのは、顔以外全身羽毛に包まれ、両腕の位置には巨大な翼、両足には鳥のような足に鋭い鉤爪を持った人の女の顔を持つ魔物。美しい顔立ちだというのに目は獲物を見つけた獣のように爛々と輝き、ぱっくり開いた赤い唇は大きく裂けていた。通称鳥女と呼ばれる魔物だ。他領はともかく、グリエッタの冬が厳し過ぎて、魔物を見るのは滅多にない。

 

(襲われているのは……誰だ?)


 襲われている人物が視界に入るや否や足を止め、身を潜めた大木の傍らで見に回る。山に入ったのは皆体格の良い男たち。今悲鳴を上げながら全力で鳥女から逃げているのは見慣れない防寒着を纏った小柄な人物。 冬季に雪深い男爵領を訪れる者はいない。 それは隣領の住人ですら忌避していること。となると、そこにいるのは運の悪い旅人ということになる。

 

(道に迷った旅人か。……()()()()()()())


 そこにいるのが見知らぬ他人だと悟った瞬間、ドロシーはボウガンを下ろした。


 まるで着慣れていなさそうな厚い防寒着で身を包んでいる被害者は、慣れない雪に足を取られて思うように進むことが出来ない。戸惑っている合間に鋭い爪が体に傷をつけられている。鳥女の血走ったような赤い目が細められ、金切り声のような哄笑が静かな銀世界に悍ましく反響する。その様子は、まるでボールを蹴って遊んでいる子供のようで、一撃で仕留めないのがわざとなのは明らかだ。


 呼吸を最小限に抑え、深く長く、静かに。引き金に指を置き、いつでも引けるように。獲物も射程圏内にいる。

 だが、構えない。怯えているわけでもない。警戒したまま哀れな被害者の様子を静かに観察する。

 

 鳥女の羽ばたきが小柄な体を煽る。勢いに押されて足をもつれさせ、被害者は雪の中に埋もれた。どれくらい弄ばれていたのかは定かでないが、それが限界だったのだろう。起き上がれず、それでも匍匐前進にも似た動きで四肢をバタつかせている。あまり前に進めていない様子に、なかなか滑稽だと片口端が震えたが、すぐに引き締め直す。

 

 両(あしゆび)が無防備な背中に喰い込まれ、引き絞られたような悲鳴が迸る。

 そこに来てドロシーはようやくボウガンを構える。狙いは鳥女の頭部−−だがまだ撃たない。


 止まり木を得た魔物の表情は、今日はご馳走に有り付けたと言わんばかりに歪んでいる。ぱっくりと開いた赤く艶めかしい唇の中には獣の牙が怪しく光った。

 肉が裂け、骨が砕かれ、牙同士がぶつかり合った音と絶叫が混ざりあった不協和音。ドロシーは引き金を引いた。


 矢が風を切る音は少年の絶叫に掻き消され、狙い通りに魔物の頭部に吸い込まれる。


 きょ? と間抜けな声を上げて上体を起こした魔物の頭頂部から顎にかけて矢が突き抜けている。何が起きたのかわからない表情のまま、目だけで辺りを見回していたが、やがて白目を向き、背中から倒れた女型の魔物は雪を捲き上げて倒れた。天に向いた二足はピクピクと痙攣していたが、やがて動きを止める。


 すると不思議な事が起こる。魔物の体はみるみるうちに黒い煙に変化して、ぐるぐると渦を巻きながら徐々に収縮。掌サイズの黒い塊となって転がった。

 

 念の為と二矢目を装填して待機してみるが、暫く待っても増援が来る兆候は見られない。警戒しながら雪面を赤く染める鮮血を踏まないよう歩み寄る。

 

 ゴツゴツとした黒い塊は太陽光の下でも一部たりとも輝かず、禍々しさを醸し出した闇色をしている。触れるのも厭うようなそれを、ドロシーは躊躇なく手に取り、腰の麻布に放り込む。袋の中の塊同士が重々しい音を立て収まった。

 

 それを合図にしたように、小さな呻き声が足元から聞こえてきたのはその時だ。視線を向ければ、体を身じろがせている被害者は上体を起こそうとして、右肩口の怪我に気付いて痛みに声を上げて再び雪に埋もれた。


(生きていたのか)


 意外にも魔物は彼を一撃で仕留めてはいなかったようだ。無言で目を見開く。散々玩ばれていたようなので、さっさと噛み殺されたと思っていたのだが。


(残念。死んでいれば身包み剥いで持って行こうと思っていたのに)


 冷たい色の瞳が煩わしそうに細められる。

 

 一連のその行動が屑だと言われても否定できない。良心的な人間であれば一も二もなく助けに入っていただろう。

 

 鳥女との戦闘経験はある。魔物の狙いが別に向かっていたなら負ける可能性は低い。だが、ドロシーはそうはしない。自分が間違いなく殺せると思ったところを狙うだけ。少しでも負ける可能性が考えられるようであれば手を出さない。そうすればこちらは大きな被害・消耗もなく敵を倒せる。そこに被害者の生死は関与しない。

 

 関与するのは領民もしくは知り合いのときだけ。それ以外はどうでもいい。赤の他人の不幸など全く関係のない事、路傍の石程度の存在でしかなく、その程度の存在を助ける為に命をかける理由は無い。ただ冬のグリエッタで魔物に遭遇した己の不幸を恨んでほしいものと思うだけであった。

 

 ざっと見たところ、着ているものほ質は悪くない。所々壊れているが、直せば使えていただろう。全く惜しい。悔しい気持ちをぶつける様に足の爪先を腹の下に差し込み、転がして仰向けにする。

 

 痛みに顔を歪めていたのはまだ若い少年だった。恐らく年の頃は十代前半くらい。彼は突然の方向転換に怯えを含んだ目を大きく開かせた。茶色の瞳がドロシーの姿を捉えた瞬間、幾度目かの悲鳴が静寂を破壊する。

 

 人気の全く無い雪深い山中にて、露出しているのは眼の周りという正体不明の人物が、武器を携えて立っていれば誰でも驚くだろう。当然のことではあるのだか、一々反応が喧し過ぎる。ドロシーは少年の顎を破壊せんばかりに鷲掴み、無理矢理上体を起こさせる。


「黙れ」


 短く命令すれば、少年は途端に騒ぐのを止めてドロシーを見る。目を丸くしている様子を見るに、目の前の人物から発せられた声色わが高いものだったことに驚いているようだ。


「ここで死ぬか、生きるか。選べ」


お読みいただきありがとうございました。

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