風邪をひいたら、素直になれた可愛い皇女様
「こほっ、こほっ……」
それは突然のことであった。
いつも通りの時間に起床し、そのまま側仕えのディランが部屋に来るのをぼんやり外の景色を眺めながら待っている時のこと。
軽い咳をする音が部屋に響いた。
「あれ? ……どうしたのかしら」
部屋は侍女たちによって掃除が行き届いているため、埃が気管に入って咳が出たわけではない。それでも、咳は未だに出る気配がある。
「こほっ……あれ? もしかして風邪?」
咳が出続ける理由は、それくらいしか思いつかない。
けれども、身体が怠いとか、熱がでているとかそういう実感はあまり感じられない。健康そのもの、逆にいつも通り過ぎて、本当に風邪かどうかも怪しく思えてくるほどだ。
「こほっ……取り敢えず、ディランに私の部屋に極力寄り付かないように言ってあげなきゃ」
側仕えとはいえ、ディランがもし体調を崩すようなことがあれば、本当に申し訳ない。ディランは私のためにいつも頑張ってくれているんだから、こういう時こそ、ディランの健康を守るの!
呼び鈴を鳴らして、近くの侍女を部屋に呼ぶ。
「こ、皇女様……如何されましたか」
「ディランを呼んできなさい(あの、ディランを呼んできてくれませんか?)」
「ひゃっ、ひゃい! すぐにお呼び致します!」
……また、怖がらせちゃった。(猛省)
焦り走り去る侍女の後ろ姿を眺めながら、素直な気持ちを言葉にできないでいる自分に嫌気が差す。
「私は、ただお城の皆んなと仲良くしたいだけなのに……」
思い詰めたところで、どうにもならない。
意識して、棘のない言葉を選ぼうとしても、人前にするとどうしても高圧的な言い方しかできなくなってしまう。癖というよりも、呪いではないかと思うくらいにその傾向はとても顕著なものだった。
「こほっ」
咳もそうだが、また今日も普通に接することが出来なかったという不甲斐なさから、憂鬱な気分になる。
……こんなんじゃ、誰も私と仲良くしてくれない。
ディランは、私専属側仕えということもあって、毎日嫌な顔一つせずに私に接してくれているけれど、本当は私と一緒にいるのが苦痛になっているんじゃないかと時々心配になる。
けど、「無理してない?」とかって聞こうとすると「お前は虚勢を張っているのか?」なんていうとんでもない言い方になっちゃうから、気遣いしようと思っても、言葉を発しにくい。
「……はぁ、素直に話すことが出来たら、ディランや侍女の子たちとも打ち解けることが出来るのに」
変に喋れば、誤解を呼び、かといって黙っていると空気が重くなり、冷たい印象を与えてしまう。
「もう、なんでこんなことになっちゃうの……」
皇女はひたすらに頭を抱えた。
侍女の子にディランを連れてきて欲しいと伝えた数分後、私の部屋をノックする音が聞こえてくる。
「皇女様、失礼します。侍女から話を聞いて……ご用件はなんでしょうか」
「こほっ、こほっ……よく来てくれたわ」
私が返事をすると、ディランは青い顔になる。
「こ、皇女様!」
えっ、何! 私変なこと言ったつもりないんだけれど。
ディランがあんなに怯えた顔をするなんて……。(気のせい)
ひょっとして怖い顔でもしてたかしら、ごめんなさい。悪気はなかったの。
皇女がそう考えるのとは、裏腹にディランは皇女に駆け寄った。
「咳をしているじゃないですか。皇女様、私なんかと喋っている場合ではございません。すぐにベッドで横になってください。……医者を医者を呼びます!」
「そう、それを伝えたかったの。ディラン……私の風邪が移っちゃうかもしれないから、咳が出ている間は、出来るだけ私に近付かないようにして……お医者さんは、苦しくないし、まだ必要ないわ」
「……皇女様⁉︎」
要件を伝えたところで、心配したようなディランは、驚きを見せる。
「言葉遣いが、優しくなってます。……素が、素が出ちゃってます! 皇女様尊……じゃなくて、威厳が揺らいでしまいます(隠しきれない変態)」
「えっ、ウソ! ど、どうしよう」
そんな。いつものように冷たい言葉遣いでなくなっちゃうなんて、どうしたら元に戻るの?(戻るな)
どうしよう。ディランに嫌われちゃうかも。ディランに私が別人だとか言われたら、精神的ショックで数日寝込む自信があるわ。(可愛い)
「と、と、と、と、取り敢えず落ち着いてください(お前が落ち着け)」
「ディ、ディ、ディランこそ、落ち着いて、ね(ブーメラン)」
皇女とディランは大慌てである。
そんな中、二人が大慌てで、変則的挙動を続けている様子を少し離れたところからこっそり眺めている人物がいた。
「……ああ、お姉様が顔を赤らめて、平静を装えていない姿……いいわぁ。とっても可愛い」
皇女の妹のレイテ姫である。
「もう、風邪を引いてるっていう情報を聞いて駆けつけてみたら……なんたる幸運。お姉様の滅多に見れない柔らかい表情を見てしまいました(重度のシスコン)」
恍惚とした顔でいるレイテ姫は、なんと皇女の部屋にある窓の外からその様子を眺めていた。普通であれば、皇女の部屋(お城の三階)の窓まで登るという無謀なことをするわけがないのだが、レイテ姫の中にある姉への愛情は、それを余裕でこなせるほどに強力なものであった。(ストーカー)
「まあ、あの男が横にいるのは、ちょっと余計ですけど……。それを差し引いてもお姉様の可愛いお姿を記憶に刻み込めたというだけで、私の寿命は半年くらいは延びた気がするわ(適当)」
レイテ姫は、普段と違う皇女の様子に大層満足していた。
さて、レイテ姫が緩み切った顔で部屋の様子を伺っているとは、予想もしてない皇女は、普段と違う自分自身に順応しきれず、頭が真っ白になっていた。
……はわわわっ、どうすればいいの?
いつも通りの、相手を怯えさせるような言葉遣いが出来なくなっちゃった。すぐに治さないと。(治さなくていい)
「ディ、ディラン! とにかく今日は調子が悪いから。できる限り他の人が部屋に出入りしないようにしておいてくれる?」
「もちろんです。皇女様の可愛い……じゃなくて、弱っているお姿を見せるわけにはいきません(謎の独占欲発動)」
目配せをした二人は、両者共に行動へと移る。
皇女は、いち早くベッドへ潜り込み、そのまま毛布を頭まで被る。
そして、ディランはというと、皇女の部屋に急病により立ち入り禁止と緊急性の高そうな立て看板を置き、部屋に人が近寄らないように対策をした。さらにディランは、皇女様の部屋の中にだけ設置してあった盗聴器と同じものを外部にも設置。
皇女の部屋に近づく者がいたら迅速に対処できるように準備を整えた。(エリート信者)
「皇女様、バッチリ対策してきました。皇女様の部屋は私が責任を持って死守致します」
「ありがとうディラン。とっても嬉しいわ」
「ぐふっ……」
……ディラン、会心の一撃を喰らう。
皇女から面と向かって感謝されたことはディランにとって初めての出来事。彼にとって、皇女からの純粋で曲解しようのない素直な感謝の言葉は、まさに激薬なのであった。
「はっ、どうしたのディラン?」
「あ、いえ……なんでもないです(致死量スレスレの鼻血)」
異変を感じる。
絶対にディランの様子がおかしいわ。
もしかして、私の風邪がディランに感染しちゃったとか?(勘違い)
どうしよう。元々はディランに風邪をうつさないよう忠告するために呼び出したのに。そのディランに風邪をうつしちゃったら、意味がないじゃない。(うつされても喜びそう)
「ディラン、体調が悪いの?」
私がそう言うと、ディランは平然とした顔で否定する。
「違いますよ。私は至って健康そのものです(嬉しかっただけ)」
彼はそう答えるが、強がっているだけかもしれない。(本当に喜んでいるだけ)
無理をして、私のために近くに居続けてくれているなら、せめてディランのことを労ってあげなきゃ。
「……あのね、ディラン」
「はい、なんでしょう」
こうやって自分の思ったことを言える機会は、滅多にない。これを機に、ディランに言いたいことを全部伝えたい。
咳を挟みながらも、私はディランの方へ視線を向ける。
「……ディラン、私ね。貴方にとっても感謝しているの。私に酷い言葉を言われているのに、嫌な顔一つせずに私に対して笑い掛けてくれる。……私にとってディランは、かけがえのない人よ」
言い終わると、ディランの顔が真っ赤に染まっている。
「ディラン⁉︎ やっぱり熱があるんじゃ……」
「い、いえ! ……熱ではありません。はい、本当に」
ディランは、こほんと咳払いをして、何故か私の方へと近寄り、私の左手を両手で包み込むようにしてきた。
「皇女様……この機会に伝えておきます」
ディランの真剣な眼差し。
キラキラとした活気に満ちた瞳がとても綺麗だと思った。そして、ディランの言葉は、私の胸を満たすような温かい言葉であった。
「皇女様、もし世界中の全てが皇女様の敵になったとしても、皇女様が誰も信用できなくなったとしても、私は最後まで皇女様に付き従います。皇女様のために命が尽きるまで、この身を皇女様のために使います」
……嬉しかった。
ディランの言葉一つ一つに彼の真剣な気持ちが詰まっているのが感じられた。
こんなに慕われているとは、思っていなかった。ディランは仕事だから私の相手をしてくれているのかもと、少しだけ疑っていた。けれど、そんなことは不必要だと、自分を信頼してくれと、ディランが自身の気持ちを教えてくれた。
目頭が熱い。
……きっと風邪を引いているせいだ。だから、こんなにも心が揺れ動かされるんだ。嬉しさが込み上げてくる。こんなにも心が温かくなる感覚は、とても久しぶりな気がする。
感極まり、溢れる涙を私が拭っていると、ディランはさらに続けた。
「皇女様、私は皇女様のことを冷酷だとも、非道だとも思っておりません。皇女様の優しさを、私のことをとても大切に想ってくれていることも、ちゃんと分かっております。……ですから、涙を止めてください。皇女様が涙を流していると、私の心が締め付けられるような感覚に陥るのです」
「ディラン、大丈夫よ。これは嬉し涙だから」
「嬉し涙?」
「うん。ディランが私のことを信じてくれたことが嬉しくて」
風邪を引いたら私は素直に言葉を話すことができた。けれども、きっと一時だけのもの。
最後にちゃんとディランに分かっていてもらいたい。
私の望みを。
「ディラン……」
「はい」
「……ディランは私のこと。嫌いにならないでね」
言い切った途端に視界がぼやける。
風邪の症状が出たのだろう。意識が遠のき、気怠さもどんどん増してくる。
布団に伏したまま、私は目を閉じた。
心臓の鼓動がよく聞こえる。耳鳴りが酷くなり、このまま意識を手放したくなる。
「……皇女様、私は」
ディランがそう言ったところで私の意識は途切れてしまった。彼の言葉の続きは、聞こえないままに私は眠りにつくのだった。
「皇女様、私は皇女様のことだけを想っております」
私にとっての、幸せな時間は刹那の間に流れ去っていった。
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