(9) 14:06
「村です!ソラさん、タンポポさん、村が見えましたよ!」
尾根から見えた集落に、コウセが声を上げる。
予定通り、俺たちはウィークス村にたどり着いた。総戸数100、住民300人程度の小さな村。川とほぼ同じ高さの土地に居を構えているため、何度も洪水の被害にあっている。それでも引っ越せないのは、先祖伝来の土地だからだろうか。
俺の後ろからソラが顔を出す。
「もうすぐですね!楽しみです!」
ウィークスの村には2日滞在。その後、ケファル、ドルプ、グラムの村と回っていく。グラムの村は対魔族の砦に隣接しているため、他と比べて大きく、数日滞在の予定だ。その後は王都へと戻っていく。
「やっとあなたの部下っていう演技をしなくて済むのね。本当にせいせいするわ」
「この旅の最中、お前が俺の部下らしくしてたことなんてあったかなあ」
タンポポに向かって悪態をつくと、馬車のスピードを少し緩めた。ここから先は下りになるので、慎重に手綱を取っていく。
「聖女様、そろそろ着替えを。村娘のような恰好では笑われますよ」
「タンポポ、もう少しいいじゃないですか。つく前にはちゃんと着替えます」
「お着替えには時間がかかります。さ、中に入ってください」
コウセが促すと、ソラは口をとがらせながら幌の中へと入っていった。可愛い。
「村についたら、どういうふうに動くんだ?」
俺が尋ねると、コウセが口を開くより早く、タンポポが答えた。
「まずは私とコウセが聖女様のそばに控えるわ」
でしょうね。
「それから、村中に響くような声で伝えるの。『聖女様が来た!』ってね」
「なるほど。それから?」
「村人はありがたさのあまり、涙を流しながら集まってくるわ!そこでコウセか私が言うのよ。『この村の長はどこか。聖女から話がある』ってね」
そんな上から目線なんだ……。大丈夫かな……。
「それで、聖女様がありがたいお話をして、場合によっては患者の治療とかをするの。大体そんな感じかしら」
「村人が集まらなかったらどうするんだ?」
「聖女様が来るのよ?集まらないなんてことはないと思うけど」
タンポポが顎に手を当て、首をかしげる。
「そうね。もし集まらなかったら、あなたが村中を駆け回ればいいわ。聖女様のありがたみを説きながらね」
「最悪の役どころ」
「あなたは私たちとは関係ない、ただの商人だもの。サクラにはちょうどいいわ」
サクラって言った!今確実にサクラって言ったな!
「今までもそんな感じで回ってたのか?」
「今までは大勢で回ってたし、聖女様を見たらみんな集まってきたからね。でも間違いないと思うわ。大体合ってる」
やべえ。とんだポンコツが牙をむいてやがる。
尾根を下り終え、村までは平らな道が続くばかりとなった。集落は見えないが、炊飯の煙だろう、彼らの暮らしの息吹が天高く上がっている。
「さあ、タンポポさん。聖女様のお着替えを手伝ってあげて下さい」
コウセは実に紳士的だ。
「まもなく村につきます。お二人が着替え終わったら、僕も着替えますよ」
村に馬車が到着する頃には、全員の着替えが完了していた。
タンポポとコウセは騎士団のフルプレートアーマーと儀式用の剣、ソラは『白の聖女』らしく、全身白の礼拝服に推奨をあしらったペンダントと杖を身に着けていた。すごいね。何も言わなくても聖女とわかるオーラ。
そして俺はというと、馬車から数十メートル離れた場所を、籠をしょって歩いていた。
「聖女を馬車から降ろして歩かせるの?正気?」
タンポポの言葉がよみがえる。
「聖女様が歩くなんてもってのほかよ。本当なら馬車だって、もっといいものであるべきなの」
「そりゃあわかるが、俺はお前らと一緒にいない方がいいんだろ?」
「自分のカッコ見てみなさいよ。『聖女様御一行です』って言える?」
確かに、皆がよそ行きの服を着ている中、俺だけ普段着だった。聖女と一緒に出掛ける服がない。
「じゃあ俺はどうすればいい?荷台にでも隠れてようか?」
「うーん、それでもいいけど……。そうだ、籠を背負って歩いて村に来ればいいじゃない。いかにも道に迷ったどこかの村人みたいな感じで」
人でなしだ。こいつ人でなしだよ!
「僕はどちらでも構いません。一緒に入るのでもいいと思います」
コウセ、今となりでタンポポがすげえ顔してお前のこと見てるぞ。気づかないふりすんな。
「私は、どんな格好でもいいんじゃないかと思いますけど」
さすがわが妹。なんてできた人間だろう。隣の悪魔みたいな女に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
だが妹が困る可能性があることはできない。兄ちゃん涙を呑もうじゃないの。
「わかったよ。後から入ればいいんだろ」
かくして俺は、あのスクラップ三太夫が「聖女様が来た!」と大声で叫んでいるのを、アリーナ席で見ている。
ていうか村人全然反応していないんだが。王都から離れすぎて、聖女のありがたみとかが全然伝わってないのかもしれない。
この村に教会がないことからも、その可能性は高い。
あの畑仕事してる人なんか、すげえ胡散臭いものを見てる目だしな……。
タンポポ、顔真っ赤じゃん。心なしか声も元気なくなってきたし。
あーあ、誰一人集まってこない。
あっ、タンポポが泣いてやがる。ソラが慰めてるよ、優しいにもほどがあるだろう。
これはあれだ。最悪の展開になっちまったな……。
俺は深呼吸を一つすると、先ほどタンポポたちをチラ見した畑仕事のおっさんに声をかける。
「聖女様がこの村に来たのかい?」
「聖女様ってなんだ?」
やはり知らないのか。この手合いに宗教の話をしても無駄だろうな……。
「知らないのか。どんな病気も治してしまう大魔法使いさ。この村は神に祝福されてるとしか思えないね。聖女様を見ることなんか、一生に一度だって叶わない連中がいるのに」
そういうと、おっさんは妹たちが通り過ぎた道を見る。
「うちの嫁が、産後の肥立ちが悪くてな。そういうのも、治ったりするのか」
待ってました。俺はにやりと笑うと、わざと声を潜めて言う。
「噂じゃあ、千切れた足もくっつけるとさ。王都じゃ順番待ちの列が門の外まで続いてるって話だ。物は試し、行ってみたらいいんじゃないか?本物なら、あんたこれ以上ない幸運をつかんだことになる」
村長の家を囲むように、大勢の村人たちが集まっている。
中心には、ソラたちがいた。エントランスで、護衛だろうか、若い男たちを従えた村長と向き合っている。俺は村人たちに紛れて、少し離れたところからソラたちをみていた。ていうかタンポポ。お前何誇らしげにやりきった顔してんだよ。何もできてねえぞ。
「それで、あなた方が、怪我や病気を治す不思議な力を持っているという」
「ええ。エルマーナ教のソラ・エルマーナと申します」
ソラが柔らかな表情で微笑む。さすがソラだ。村人たちの間に、歓待の空気が広がっていく。
「本来、聖女様は文化の華咲く場所で、信仰という実をならせているのですが、文明果つるこの地でも、皆のために足を運んでくださったのです」
タンポポ、伝えたいことはわかるけど、言い方よ。
「はあ」
今村長の口元が「知らねーよ」って動いたぞ。まあ気持ちはわかるが。
頭頂部が割とさみしい村長の態度は硬い。
空気を察したのか、コウセがフォローに入る。
「聖女様は、病や怪我で苦しんでいる皆さんを救いに来たのです。王国は皆さんのことを常に考えています。私たちも、騎士として、何か困ったことがあれば力になりますよ」
「しかし、病や怪我を治すといっても、どのように……?」
「皆さんの痛む箇所に手を添えて、我らの神に祈りを捧げます。すると、エルマーナ神がその原因を取り除いてくれるのです」
「しかし、我らはその、エルマーナ神という神を知りません」
「大丈夫ですよ。皆さんが神を知らなくても、神は皆さんを知っています」
ソラが聖女っぽいことをやっているのを初めてみたが、さすがに堂に入っている。考えてみれば、物心ついた時から聖女なんだから、当たり前か。
「そうです。無知な者にも、神は同様に微笑見ます。知らないことを恥じることはないですよ」
お前のフォローは逆効果だ。
あーほら、今度は唇だけで「埋めちまうぞ」とかいってるし。
周りの村人も殺気立ってるぞ。タンポポ、こんなスピードでヘイト集めるの、ある意味才能だと思うぜ。
「せっかくなのですが、我らには必要ありません。見ての通り、土とともに生きている者共です。もしも病が治らぬものということであれば、それが運命だったということ」
「そんな!聖女様が来られることなど、もう二度とないことですよ!」
「滅多にない機会に感謝いたします。それでは、お引き取りください」
村長が丁寧に断り始めた。そりゃそうだろう。というかタンポポお前もう喋るなよ。敗因明らかに君だよ。
周りの村人がそれぞれの家に戻ろうとする。俺だけが残っているのも変なので、合わせて背を向けようとした。
「お待ちください」
柔らかな表情を崩さないまま、それでも不思議な威厳を持って、ソラが語りかける。
「その土が、皆さんの元に私を連れて来たのです」
「む」
村長が思わず反応してしまう。
「病に苦しんでいる方や怪我に泣いている方、その方たちは治ります。土がそう判断したからこそ、私たちが今ここにいるのです。生きろ、と、土が皆さんにそう言っているのです」
「し、しかし……」
村長は逡巡している。それはそうだ。聖女の言うことは説得力があるが、彼は治癒魔術を見たことがない。信頼できないのももっともだった。彼にとって、傷や病は人間の体が頑張って治すものであり、手のひらをかざすだけで解決する問題ではないのだ。
もし万が一、病気が今より悪くなったら、「なぜあんな連中に村人を任せた」となじられるだろう。このままやり過ごせば、病人は治らないが現状維持だ。リスクが大きすぎる。
「そういえば、そこのあなた?足を引きずっていますね」
コウセが、俺を指差しながら言う。え?何言ってんの?全然引きずってないけど。
「格好からするに、旅の商人の方でしょうか。安心してください。旅の方でも、聖女様の奇跡をその身に受けることができます」
何かを察したのか、タンポポがズカズカと近づいてくる。おお、すげえいい笑顔だ。嫌な予感しかしねえ。
「どれどれ、見せてみなさい」
お前聖女じゃねーだろ、と言う俺の心のツッコミも虚しく、タンポポは無遠慮に俺の太ももを触る。左手で俺の左太ももに触れ、患部を探すかのようにゆっくりと動かした。くすぐったい。
「どれどれ、ここではないのかしら」
視線を左太ももに合わせたまま、タンポポの右手は俺の右足の小指を思い切りひねった。俺の頭の中で、「ボキン」と嫌な音が響く。ちょっと遅れて激痛。
こいつ、折りやがった……!いやなんとなくわかってたけど!なんなら指ちぎられるんじゃないかと思ってたからちょっと助かったとまで考えてるけども!これはちょっと痛すぎて動けないぜ。
「ああ、右足でしたか。これでは歩くのも辛いでしょうに。さあこっちです。聖女様が治してくださいますよ」
「歩かせるんだ」
靴を脱がされ、衆目に晒された俺の右足親指は、はたから見てもはっきり分かるほどおかしな方向に曲がっていた。鈍い痛みが絶え間なく俺に襲いかかる。
「大丈夫ですよ。その場で楽にしてください」
ソラマジ天使。唖然としている村長の横を通り、俺のそばまで来てくれる。
横になった俺の隣に座ると、斜め上から俺を見下ろし、右手を俺の折れた指にかぶせた。
「怖がらなくて大丈夫です。目を閉じて、ゆっくり呼吸をしてください」
なんのハーブだろう。ソラの身体からふわりと香る、いい匂いがする。睫毛が長い。我が妹ながら、俺に似ず美人だよな。こう見ると、母親にやっぱ似てる気がする。もうおぼろげにしか覚えていないけれど。
「主たるエルマーナ、我らの父よ。あなたの愛を、永遠の過去から永遠の未来まで、あなたの御名と共に行き渡らせてください。今あなたの前に跪き、あなたを賛美し、あなたと共にあることに感謝を捧げることをお許しください。あなたの御名に置いて、この者の苦しみを取り除いてください。あなたに、私たちの愛と感謝を捧げさせてください。わたしのうちに神のいのちを保ち、豊かにし、慈愛の賜物をお与えください」
白いローブの裾が、ソラの動きに合わせて揺れる。一瞬、妹ではない、別の誰かのように見えた。もしも女神がいるのなら、それはうちの妹だろう。
鈍痛がおさまり、同時に親指に暖かさを感じる。ありえない方向に曲がってしまった(いや、曲げられた)かわいそうな俺の親指。それが、明らかに人の意思ではない動きで正しい位置へと戻っていく。ちょうど、時間を巻き戻したらこんな感じに見えるだろうか。村人たちから、感嘆の声が漏れている。村長はと目をやると、驚きのあまり声も出ないようだ。それ以上驚くと、目の玉が飛びでちゃわないかな。
ソラが、親指か視線を外し、俺に笑いかける。
「もう大丈夫ですよ」
こりゃあれだ、聖女が信奉されるのが分かるわ。
俺の背後から、さっきの畑の人とその奥さんが、前に進み出すのが見えた。