(8) 21:30
結論から言うと、ブルホーンベアの肉盛り合わせは大好評だった。頬と掌が特に人気で、タンポポがお代わりをしたせいでウィークス村に売ろうと思っていた分がなくなるほどだった。
ブルホーンベアは冬眠する前、体に栄養をため込んでさらに美味しくなる。時期が来たら、会社でプロの料理人を呼び、レシピを開発してもらおう。これは確かにうまい。
食事の際はソラとコウセの席が隣になるよう、それとなく調整を行った。あまりに自然だったので、二人とも気づいてはいまい。ククク……。気が付いたらお互いのことをトゥンクッ……。と意識する間柄にしてやるぜ。
あとはあれだな。コウセはまだ18。多分ソラのことをうまくリードできない可能性が高い。少し鍛えてやる必要があるかな。
周りから、済んだ鈴のような虫の鳴き声が聞こえてくる。俺は食事の後始末を行い、一人崖下の川べりに兜やほかの食器を洗いに来ていた。3人は崖の上で今夜の寝床を整えている。昼間にブルホーンベアが出没したため、万が一に備えて聖女を二人が守っているのだ。仕込みだとは知らないので、まあ仕方ないことではある。
「もしまたブルホーンベアに襲われたら、崖の上の私たちに声が届くよう、大声で叫びなさいよ」
「おう。お前らが助けに来てくれるまで逃げ切ってみせるぜ」
「聖女様を守るために逃げる支度をするのよ。だから、しょぼい魔物で叫んだりしないでよね。迷惑だから」
「魔族の王だってもっと思いやりあるぞ」
タンポポとの会話を思い返すと、一言二言文句を言ってやりたい気持ちもあるが、まあソラが最優先なのは仕方がない。ここにはブルホーンベアはおろか、ボールワームさえも出てくることはないが。
「ボス」
俺がヘチマタワシで鍋をこすっていると、後ろから男の声がした。聞くものをほっとさせるような、柔らかなテノール。俺は手を止めずに返答をする。
「モラルか。報告を」
「はい。まずボスたちの半径500メートルに、魔物および魔族の影はありません。すべて処分しております」
「お疲れさま」
「また、ウィークス村を中心として、同じく半径500メートルを捜索いたしましたが、こちらも魔族の影はございません。魔物も、コウセ様とタンポポ様にて対応可能と判断できるものばかりです。こちらは、そのままにしております」
振り返る。銀の髪をぴったりとなでつけ、長身でがっちりとした体つき。角度を測ったかのようにぴったり頭を下げている、
服装は夜の闇に溶けるような上下の誂えで、フロックコートと呼ぶには丈が短すぎる。裾が長すぎるのだ。フロックコートでは、人を蹴り殺すのに。
エルマーナ教の聖女制度に疑問を持ち、破戒僧の烙印を押されたモンク。あの教えを憎いと思う、その一点だけで、何よりも信頼できる。俺の右腕。「取締役」モラル。「渉外部」をはじめ、対外的に重要なセクションをいくつか任せている。
「ここは、こないだ潰した連中が狙ってた場所だろ?じゃあしばらくは安心と思っていていいか?」
「はい。ただ、かの領主の壊滅を受けて、その息子が家督を継ぎ、体制を立て直しているとの報告があります」
「家族も皆殺しじゃなかったっけ?」
あの夜、あの家にいた連中の息の根は全て止めてきた。その上で火を放ったのだ。生きている魔族がいるとは思えない。
「魔都に進学していたようです。家督を継ぐためにこちらに戻り、精力的に活動しているとか」
「はあー、それじゃ無理か。なるほどねー」
モラルが頭を下げたまま答える。
「お望みであれば、今からでも対応できますが」
なんでもないことのように言う。確かに「渉外部」だけでは無理でも、「営業3部」を動員すれば、地方領主くらいならたやすいだろう。
「いやいいよ。もう一番危ないところは通り過ぎてるし」
「さようですか」
「それより、ウィークス周辺をもうちょっと広く見ておきたいね。できそう?」
「人数に限りがありますので、どうしても難しいかと。あまり距離を広げすぎると、見落としが出る可能性もあります」
それもそうか。ブルホーンベアなどは、巣穴に隠れている可能性もある。500メートルしらみつぶしに探したのなら十分だろう。
「オッケー。ソラの護衛は?」
「社長及びソラ様については、それぞれ4名の護衛がついております」
コウセとタンポポにはついてないんだよなあ。まあいいか。死ぬようなことにはならないだろう。うちのスタッフが先行しているし。
おまけに戦争を煽る可能性があるので軍隊での警備はできない。そこでコウセとタンポポの出番なんだが、明らかに経験と実力が不足していた。この采配をした王国の上の連中は絶対に許さない。
怒りで話が逸れそうになったが、つまり足りない分の警護を俺の部下に任せている。ソラ他2名には絶対に言えない。もともと少人数で行動しろと言われているのだし、俺の役どころは零細商人だ。これが何かの経緯で上に伝わったらまずい。俺自身がお役御免になる可能性がある。
そのため、情報伝達は暗号文での伝書鳩のやり取り、もしくは今日のように他のメンバーがいないところでの打ち合わせとなる。
「俺たち以外に、ウィークスほか、今回の目的地となっている村へ向かっている連中はいるか?」
「おりません。あの辺りは、こういっては何ですが僻地と呼ぶべき場所でして……。商人も、半年に一度向かうかどうかです。基本的には、自給自足でやりくりしているようですな」
「そうか。まあ、今回の役どころの商人が行くには、割とぴったりだな」
ソラ達三人には、俺は「貧乏な商人」だと認識されている。それも、馬車や積んでいる品物を彼らが見たら、最底辺と思うような商人だ。だから、そういった危険な場所にも商売に向かわなければいけない。他の地域は他の大手商人の縄張りだから、といったわけだ。
「……どうかお気を付けて。」
モラル達取締役は、ソラが俺の妹であることを知っているが、大多数の社員は、そのことを知らない。今回の依頼の成否を握っている、くらいにしか考えていないだろう。
まあ俺にとっても好都合だ。俺の弱みを握りたい奴なんか大勢いるからな。肉親がいるなんて、口が裂けても言ってはいけない。大事に思えば思うほど。
「よし。じゃあ引き続き頼む。他に相談事項はあるか?」
「はい。一点、至急で確認したいことがございます。レイノ王国に新しくオープンするレストランについて、社長に名前を付けていただきたいという」
「えー。それ俺が決めるの?もう勝手にやってくれていいんだよ?」
モラルが苦笑いしながらうなずく。
「社長が決めると、必ず売れる店になるというジンクスがあるので。また、メインはブオノ牛のサーロインですが、何か追加のご希望があれば教えてほしいとのことです」
なんだそのジンクス。変なプレッシャーがあるわ。あとモラル、俺をそんなキラキラした目で見るな。
開き直って、どう考えてもおかしいネーミングにしてやれ。一回くらい失敗したって何でもないし、むしろこれで俺に相談しなくなるだろう。
「……『ニクニクしいほど君が好き』だな」
「『ニクニクしいほど君が好き』ですね。メニューへの追加はどうしましょうか」
俺は笑いながら、洗っていた兜を指さす。
「ブルホーンベアの掌の肉をカットして出そう。うまいぞ」