(7) 10:52
「足止めをお願い!」
タンポポのよく通る声が、青い空によく響く。
「任せてください!ここは通しません!」
コウセが答え、呪文を唱えつつ印を結ぶ。印を中心とした光の輪が生じ、そこから飛び出した四つの光弾がブルホーンベアを打ち据えた。光魔法「フォースライト」である。
悲鳴というにはあまりにも野太い雄叫びをあげながら、ブルホーンベアが体をよじる。あまりダメージはないに違いない。が、無視できるほど軽くもないといったところか。
特徴的な二本の角を持ち、人間二人を超えるほどの体高、およそ4メートル程度だろうか。全身を覆う毛は太く鋭い。並の剣では文字通り歯が立たないだろう。その牙と爪は、並の戦士や冒険者をたやすく引き裂く。山の中で出会ってしまったら逃げるしかない、まさに化物である。
ブルホーンベアのヘッドは4。対してタンポポとコウセは1。つまり本来であればまともに戦ってはいけない相手なのだ。
だが今、二人は強敵相手に互角以上の勝負をしている。
ブルホーンベアがその丸太のような腕を大きく振りかぶり、タンポポに向けて振り下ろす。しかし少し動きが鈍っているようだ。タンポポは剣を使い、丁寧に攻撃を受け流す。防御から攻撃への動きに無駄がない、綺麗な動き。
体が流れたところに、タンポポの一撃とコウセの光弾が襲いかかった。
ブルホーンベアが向きを変え、コウセに向かって走り出す。コウセは結んでいた印を解いて剣を構えた。その左腕にはバックラーがはまっている。
ブルホーンベアの突進をあれで受けるつもりか。ちょっと無謀すぎやしないだろうか。
嫌な予感てのは当たるもんだ。バックラーで突進を受けたコウセは、まるで馬に轢かれた狐のように弾け飛んだ。バックラーがベッコリとへこんでいる。あの様子では、左腕が折れたに違いない。
トドメを刺そうとブルホーンベアが迫るが、その背中に人の頭ほどの火の玉が炸裂する。タンポポが唱えた火の魔法「ファイヤボール」だ。ブルホーンベアが憎々しげな声をあげ、タンポポに向きなおる。
その様子を見ながら、ソラが心配そうに言う。
「どうしましょう。コウセが動きません」
「大丈夫でしょう。少し脳震盪を起こしているんだと思います。タンポポがブルホーンベアの気を引いていますから、その間に回復すると」
言っているうちに、コウセがフラフラと起き上がる。左腕に力が入らないことを確認しているようだ。右手で、壊れたバックラーを外す。痛みに顔をしかめながら。
「ブルホーンベアのような腕力がある敵と相対した時は、バックラーのような小さい盾で受けてはいけません。さっきタンポポがやったように、受け流すのが正しいセオリーです」
俺の解説に、ソラはそうなんですね、と頷いた。
タンポポとコウセが離れた場所で戦っているのを、俺とソラは馬車の荷台から見ていた。どちらも非戦闘員である以上、どう頑張っても二人の足手まといになってしまう。とはいえ、もしも二人が死にそうになった場合、助けに行かなければいけないだろうが。
昨日もらった渉外部からの通知通り、馬車での通行中に現れたブルホーンベア。牙と爪は短く折られ、突進力を削ぐためだろう、右脚にも深い傷があった。まさに満身創痍。これなら、ヘッドは2以下だろう。
二人が全力で戦って、なんとか倒せる程度。実に絶妙なバランス調整だった。我が社の社員ながら、見事と言う他ない。
「二人は勝てるでしょうか。もしも二人が死ぬなんてこと」
「大丈夫ですよ」
俺は妹の言葉を遮って言った。
「あの二人は勝ちます。ブルホーンベアも、今は最後の悪あがきと言ったところでしょう」
そう言った途端、ブルホーンベアが地響きを立てて崩れ落ちた。
大丈夫です、と言い切ったものの、心の中では安堵のため息を付いていた。まさかバックラーで攻撃を受け止めようとするとは思わなかった。戦闘のセンスが絶望的すぎる。本当によかった。死なれたらどうしようかと思った。
「二人が勝ちました!アデルさんの言う通りですね!」
「想像より二人の腕前が上だったことに驚いてます。ブルホーンベアを倒すってのはすごいことですよ。頼れる護衛をお持ちですね」
俺が笑いかけると、ソラも笑顔を見せた。
「ええ、私にはもったいないくらい。いつも助けられてますわ」
「もったいないお言葉。聖女様をお守りするのが、私の使命です」
タンポポが戻ってきていた。少し離れた場所から、コウセが歩いてくるのも見える。
「ありがとうタンポポ。どこか怪我はない?」
「はい、ございません。大したことのない相手でした」
「結構ギリギリだったけどな」
「ぶっ飛ばすわよ役立たず」
そう言われると弱い。確かに今回、俺は全く戦闘に参加していないのだ。
「ふっ。また俺の不敗記録が更新されてしまったか」
「今度私と試合してみなさいよ。不敗の伝説に土をつけてあげるわ」
「大丈夫です。どっちが怪我しても私が治して差し上げますわ」
「あ、止めてくれないんですね」
「いくら聖女様でも、死んでしまった者を生き返らせることはできませんよね」
「なにお前、俺のこと殺す気なの?」
「聖女様、ただいま戻りました」
「コウセさん、お帰りなさい。私たちのためにありがとうございます。腕を見せてください」
「もったいないお言葉です。ですが、私ごときに貴重なお力をお使いいただくわけには参りません。この程度、添え木でもしておけば治ります」
「ダメですよ。コウセさんの力を頼りにしていますの。ですから、いつでも全力を出せるようにしていただけないと」
「ありがとうございます。では、お願いいたします」
観念したように左腕を妹の前に出す。
ソラはコウセが差し出した腕に、両手をかざした。目を閉じ、深呼吸を一つ。
二言三言、何かを呟いたかと思うと、淡い光がソラを包み、続けてコウセの腕に光の粒子が集まっていく。
「はい。これで大丈夫です」
荒く息をつきながら、ソラが微笑む。
「痛く……ない」
冗談かと思うくらい簡単に、コウセの折れた左腕は治っていた。
完璧に折れたはずなのに。内出血の跡すらない。バックラーだけが、ブルホーンベアの攻撃を証明するかのようにへこんだまま。
これが聖女。俺の妹、ソラが持つ治癒の力。
その夜。俺たちは野営の準備を整え、各々が思い思いに過ごしていた。
俺は調理場を準備し、そこに立っていた。今日二人が狩ったブルホーンベアを捌いていく。見た目から、筋肉ガッチガチの赤身ばかりかと思われがちだが、実際は程よくサシの入ったきめ細やかな肉質をしている。なぜあのムキムキのボディに、これほどの脂身が存在するのか。生命って不思議である。
腕の部分には、大理石のように入ったサシが日の光を受けてきらめいている。おそろしく綺麗な脂身、火を入れたらまるで宝石のように輝くのだろう。
部位別に切り分けていく。4人では多すぎる量だが、あと一日で最初の慰安先、ウィークス村に到着する。そこで売ることができるだろう。腿肉はむっちりとして手に吸い付くかのような触感だ。右足、左足と丁寧に取り出していく。
ブルホーンベアの掌部分に移る。特に左手の掌は、蜂の巣を壊し、中の蜜を掬い取って舐めるため、肉の中にまで蜂蜜がしみこんでいる超高級珍味だ。仕留めた後に蜂蜜につけても、この味は出ない。
口に入れると、プルンとしたゼラチンが口をくすぐり、続けてどっしりとした肉の味、続けてとろける脂のうまみと続く。呑み込もうとすると、どこからともなく蜂蜜の香りが追いかけてくる。
味もさることながら、ブルホーンベアの狩猟自体が難しく、一頭からとれる量も少ないため、貴族でも躊躇するほどの値が付く。
今日はせっかくなので、各部位をちょっとずつ味見できるようにしよう。捌いた部位を一口大に切り分けていき、塩・胡椒を振って下ごしらえをする。
「私も手伝おうか?」
「ヒェッ」
タンポポだ。今の声は決していきなり声をかけられたから驚いたのではない。
「何、今の豚が絞め殺されるような声。手伝った方が早いじゃない」
「……ありがた迷惑っていうけど、その実は単純な迷惑だよな……」
「は?聞こえないんだけど」
「わかった。じゃあ悪いけど手伝ってくれ」
「いいわよ」
「まず火をおこす」
タンポポは手早く枯れ木を集めると、印を結ぶ。印から飛び出した火球が枯れ木にあたり、パチパチと木の爆ぜる音が聞こえてきた。
「ありがとう」
「次は?」
「もうおしまい。一番難しいところをありがとう」
「料理させてよ!」
ブーブー文句をいうタンポポを相手にせず、胸、腹、足、首、頬、そして掌と切り進めていく。調理法はシンプルに焼くだけだ。
コウセはベコベコにへこんでしまったバックラーを修理している。せめてウィークスに到着するまでは持たせたいと考えているのだろう。
そういや、コウセがソラのこと好きなのかもしれないのか……。
昨晩のやり取りが脳裏によみがえる。確かにここまでひと月以上、ともに旅をしてきた。今までは遠くから見ているしかなかった聖女と会話を交わし、その人となりを知ることで、恋心を抱いたとしてもおかしくはない。なにしろほら、ソラってすげーいい子だし。
例えばこれが、「私聖女なんだから特別扱いしなさいよ!」的なキャラだったら、コウセも好きにはなっていなかったんじゃないかな。
誰もがちやほやする環境にあるだろうに、全く高慢になっていないというのは驚異的なことだと思う。本人の資質がそうさせるのだろう。
コウセの方はどうだろう。顔よし、家柄は伯爵家でまあまあ、性格はとびきり良い。物事を打算で考えず、純粋でまっすぐ。まさに日向を堂々と歩く人間だ。俺みたいな日陰を歩く者からすれば、眩しくて仕方ない。眩しすぎるとさえ思う。
もうちょっと人間の悪意を感じ取れるようになってほしいが、これからの経験次第だろう。まだ18歳だ。成人しているとはいえ、騎士団の世界しか知らないひよこに、世の中のすべてを教えようとしても無理だろう。
そう考えると、もしかしてあの二人お似合いなんじゃないの?さっきコウセの腕を直しているときもすっげーいい感じだったし。
聖女は、別に結婚できないというわけではない。伴侶ができたからと言って治癒の能力が消えたりすることはなく、また聖女の子供も聖女になる可能性があると信じられており、そのため適齢期には王侯貴族のもとに嫁ぐのが一般的だった。
変な奴に引っ掛かる前に、コウセで手を打っておくのが得策か……?
「おいしそう!アデルさん、まだですか?」
考えている俺の肩越しに、ソラが肉をのぞき込みそう言った。何かの香水だろうか、柔らかい花の香りが鼻腔をくすぐる。
「もうすぐできますよ。荷台の中から兜を取ってきてくれるよう、コウセに伝えてもらえますか」
「兜ですか?」
「ええ。今切っているこの肉を、火にかけた兜の上で焼くんです。余分な脂が落ちて、とってもおいしいですよ」
「わあ!それは楽しみです!すぐにコウセにお願いしますね!」
妹は嬉しそうに駆けていく。コウセが気づき、何か声をかけた。直してもらった左腕のお礼を言っているのだろうか。すこしして、荷台に向かったコウセが、兜を取り出してこちらに歩いてくる。
ソラはニコニコしながら後をついていく。
うん、やはりソラとコウセの関係は悪くない。美男美女だし、コウセのやつ、誰にでも気を遣えるいいやつだし。
もう少し調べてみて、ほかによさげな奴がいなければコウセにしよう。
『ラブラブ妹ウェディング大作戦〜お兄ちゃん絶対泣いちゃうから手紙はやめて〜』を実行に移すべく、俺はほくそ笑む。