(5) 20:11
気が付くと夜だった。昼食をとった場所ではないから、たぶんあの後馬車に乗って移動したのだろう。まったく記憶がない。
近くに古びた寺院があり、地図に載っていたため、自分たちが正しい道を進んでいたことが分かった。予定よりほんの少し遅れているが、まあ問題はない。意識がない状態で、崖から落ちなくてよかった。二度とタンポポに料理はさせねえ。
寺院を斜め左前方に見ているところで俺は意識を取り戻した。隣に座っているコウセは未だうつろな目。時折、「混沌の神、いわゆるカオス・ゴッド……!」だの、「わかりました!道をお示しくださりありがとうございます!」だのとブツブツ呟いている。俺もああだったのだろうか。でも崖からは落ちてないんだよな。混沌の神に感謝だ。もしも本当にいるならな。
右側に崖があるとはいえ、比較的道も広くなっている。この辺りは昔から人類と魔族が領土を取ったり取られたり。そのたびにお互いの色に染め上げるもんだから、寺院の像とかがひどいことになっている。最初はおそらく人類側で作られたと思われる石像に、魔族独特の華やかな色彩の絵の具が塗られ、それが粉々に砕かれている。再占領した人類が破壊したものだろう。
ほんの僅か、地平線から出ていた太陽が落ちたのだろう、とっぷりと暮れた夜の森で、俺は馬車を止めた。今夜はここで休むことにしよう。大まかな現在地もわかったことだし。
「おいコウセ。コウセってば。しっかりしろよ」
ペシペシと頬をたたく。こいつ、なんてモチモチした肌をしてやがるんだ……!
「え?あ……?アデルさん?僕、いったい……」
「悪い夢を見てたんだ。気にするな。今夜はここで寝ることになる。準備を始めよう」
コウセは頷くと、支度を始めた。若干足元がおぼつかない。馬を繋ぎ、荷台にいる二人に声をかける。それから明かりのついていないランタンを右手で持つと、左手で印を切った。
「来たれ光の精霊」
ランタンに明かりが灯る。コウセが得意とする、光の魔法だ。あたりを照らしながら、開けた場所の真ん中にランタンを設置する。
後ろでは、タンポポとソラが焚火の準備をしていた。タンポポが印を切っているのが見えたので、おそらく火魔法で着火するのだろう。
コウセとともに荷台に向かう。幌内部のランタンに光を満たしてもらい、夕食の材料を見繕う。もうスープはごめんだ。しばらく見たくねえ。何がいいだろうか。
考えた末、干し肉を使ったメニューにすることにした。コウセに水を汲んできてもらう。
チラチラと、タンポポがこちらの様子をうかがっている。あいつ何?まさかさっきので自信つけたの?どこかにそんな要素があったかな?お前のせいで俺たちは混沌の神に会うことになったのに。
「ねえ、料理つくるなら手伝おうか?」
キタコレ。あなたのそのポジティブさは尊敬に値します。
「え、いやー大丈夫だよ。超簡単なやつだし」
「えー、そんなんじゃ味気なくない?」
「簡単なのにバリうまなのがすごいんだよ、いいから座って待ってて」
タンポポの肩越しに、妹に目で合図を送る。ウインクバシバシだ。気を引いてもらわなければ彼女の手料理がふるまわれ、この夜の帳の中、もしかすると命にかかわる事態に発展しかねない。ノータンポポ、イエスおいしい食事。
「タンポポ、あちらでちょっとお話しません?」
「聖女様、でも彼も手伝ってあげないと」
「いや、俺の方は大丈夫だぞ。ソラさんと一緒にいてやってくれ」
タンポポの耳元に口を寄せる。
「(聖女様を一人にしちゃまずいと思うんだ)」
タンポポがソラを振り返っている間に、妹と再びのアイコンタクト。妹よ、よくやった。これで今夜の食事は安泰だ。
干し肉を使った料理だが、本当は生肉があれば一番良い。帝国で食べ、あまりの美味しさに自分のホテルのメニューに取り入れたほどだ。きっと皆も気に入ってくれるだろう。
まずは香味野菜とともに干し肉を煮て、柔らかく戻す。それから柔らかくなった肉を細かく刻んでいく。その上から、お昼にはその存在を全く発揮できなかった胡椒と塩をまぶしていく。
続いて香味野菜もみじん切りにし、肉と混ぜ込む。グニュっとした肉の触感が何とも言えない。
よく混ぜたら、全体が平べったくなるように形を整え、角を丸める。ちょうど、貨幣を縦に伸ばしたような形になった。
中央にくぼみを作る。これがコツだ。
油を引いたフライパンの上に、成型した肉を並べていく。じゅわーっという心弾む音とともに肉と油が溶けあう良い匂いが漂う。
表、裏、再び表の順で焼いていく。コウセが皿を持ってきてくれたので、取り分けた。
「ありがとう。これ、頼むわ」
「承知しました。これ、なんていう料理ですか?すごくいい匂いがします」
「帝国の料理で、ハンバーグっていうんだ。生肉を使えばもっとうまくできるんだが、まあ旅の途中だし、勘弁してくれ」
「王国でも食べられたらいいのに」
「出してるとこあるから、今度紹介するよ。この旅が終わって王都に戻ったら、彼女と一緒にでも行ってくれ」
俺の店なんだが、それは言わない。
「恥ずかしながら、彼女はいないんですよ」
おいおい、嘘だろ。こんなさわやかかつイケメンに彼女がいない?あれか、謙虚に言っているだけか?
「へえ、意外だな。モテるだろうに」
「確かに、僕のことを好ましく思ってくださる方は大勢います」
全然謙虚じゃなかった。
「でも僕は、僕が人生をかけて愛せる人でないと嫌なんです。僕のすべてを預け、僕にすべてを預けてくれる。お互いが溶けあい、まるで一つになるがごとく……!髪の毛一本、血の一滴まで僕のものにしたい……!そんな人でなければ、と思っているんですが、なかなか現れませんね」
重たいよ。愛がめっちゃ重たい。いいやつだけど重たい。
夜も更け、フクロウだろうか、ホーホーと鳴く声が聞こえる。
俺とコウセは火の中に薪をくべながら、たわいもない話をしていた。ソラとタンポポはすでに荷台で就寝中。まもなくコウセが休み、3時間交代で朝まで。今日は二人だが、この中にタンポポが入るときもある。
こないだみたいに、「特殊」な用事があるときは、食事に眠り薬を入れることもある。周りの安全はうちのスタッフが確認してくれているので、その間にやるべきことを済ませるのだ。
「最初にアデルさんを紹介されると聞いたとき、ちょっと不安でした」
笑いながらコウセが言う。
いろんな意味で不安だっただろう。零細商人が紹介され、しかもそれとともに旅をしなければならないのだ。
「商人のイメージが全くなかったもので、どんな方が来るか不安でした。聖女様と一緒に旅をするのですから、女性の商人さんがいらっしゃるかと考えていたんですが、まさか男性とは。聖女様やタンポポは女の子ですからね、万が一があってもいけない、と考えていました」
「そりゃごもっともだね。ただ、実物見たら安心したろ?いたって人畜無害」
「不安でしたね。頼りなさそうだったんで」
どうせいっちゅうねん。
「4人で、55日。しかも魔族の国のすぐそばを通りながら。正直不安です。もっと大人数で、聖女を守りながら進めればどんなに楽かと思いますよ」
うん、まあいるけどね。
うちの「渉外部」に属する30人が、俺たちの馬車を取り囲むようにして動いている。渉外部を統括している「取締役」のモラルは魔法を使う格闘僧「モンク」で、俺が最も信頼を置いている社員の一人だ。
先行しているメンバーは手ごわそうなモンスターを駆除、もしくは適度にダメージを与えてくれている。コウセやタンポポがさほど苦労せずここまで来れている理由がそれだ。
先ほど来た伝書鳩からのメッセージによると、明日は道中で、先日捕獲したブルホーンベアを放つらしい。爪や牙は折ってあるが、力が強いので打撃には注意とのこと。そんなん言われてもコウセやタンポポには伝えられねえよ。
「今のところ順調だし、なんとかこのまま無事に行けるといいけどな。明後日には最初の村につく。そしたら久しぶりのベッドでの睡眠だ。細かいこと考えずに、走り切っちまおうぜ」
「……アデルさんは」
「ん?」
「この話が来たとき、どうでした?革鎧も準備してくれていたし、正直あまりお金になる依頼ではないでしょう?別に受けなくてもよかったのでは?」
よし通った、と思ったとは口が裂けても言えない。
「うーん、エルマーナ教は俺たちの『芯』みたいなもんだからなあ。その聖女を守るなんて、なかなかできることじゃない。商人の俺でも、エルマーナ教のためになることができるなんて、なんてすごいことなんだろうと思ったよ。だから、光栄に感じたってのが一番かな。利益度外視で受けようと思ったね。」
真っ赤な嘘である。俺は妹を奪ったエルマーナ教を許さない。偉いやつから順に殺したいと思っている。
いや、利益度外視というところだけは本当だ。俺はソラを守るためなら、魔族相手に戦争することも辞さない。
「聖女が『聖女』たる由縁。ご存知かとは思いますが、『治癒』の魔術が使えるというところにあります」
「治癒ね。コウセ、見たことは?」
「もちろんあります。二度ほど。まさに奇跡の御業。千切れていた腕がくっつき、再び動くようになった時に抱いた恐怖と尊敬……。未だに強く胸に残っています」
死に瀕している権力者がいたとして、その寿命を延ばせる者がいたとすれば、権力者はその者に取り入ろうとする。
愛する息子がいる大商人が、その子が抱える重い障害を取り除いてくれる人物を見つけたら、金に糸目をつけず治療を頼むだろう。
エルマーナ教とはつまりそういう教えだ。女神エルマーナに祝福されし者は、治癒の魔術を使えるようになる、と経典にあるのだ。
ホウリ聖公国で発生したこの宗教は、現在では帝国および王国で国教となっている。一応いいことも言っていたりするのだ。「友達と仲良くしましょう」とか、「嘘をついてはいけません」とか。
聖女の数が多いのは断トツで王国である。白、赤、青、黒の四人。他の国では、発祥の地である聖公国に一人。帝国には一人もいない。正確に言えば、昔は一人いたが失踪してしまった。帝国は総力をあげて探しているが、未だ見つかったとの連絡はない。
妹の治癒の才能をどこで見つけたのかは知らないが、王国のエルマーナ教は妹を聖女にすることで、その数を増やすことに成功した。それはつまり、王国におけるエルマーナ教の発言力が強くなることを意味する。
そんなことのために、まだ物心もつかぬ幼子を、家族から引き離すのだ。
俺は焚火の中で赤く燃える薪を枝でかき混ぜながら問う。
「コウセはどうしてこの旅に?イネーン伯爵家の長男なら、無理してこんなところに来なくても出世はできるだろうに」
「最初は断りたかったんですよ。でも騎士団長からの命令で仕方なく。あとはもう意地みたいなものです。聖女様を護衛するのは自分には荷が勝ちすぎるんじゃないか、そんな懸念もありました。聖女様やタンポポさん、アデルさんを見て、最初はどうなることかと思いました」
と自分で言って、くつくつと笑った。美形がやると、悔しいが本当に絵のようだ。王国の有閑マダムなら、大枚をはたいてこの芸術品を買うだろう。
「今はもうちょっと複雑な気持ちです。近くにいて、会話をして、人となりを知って」
焚火が爆ぜる音が響く。いつの間にか、フクロウの鳴き声は聞こえなくなっていた。
俺をまっすぐ見据えながら、コウセは迷いなく言い切る。
「もしかしたら、これが恋なのかもしれませんね」