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(2) 03:45

 夜明け前。妹たちが寝ているキャンプに、一人でこっそりと戻った。

 

 太陽が上る直前の薄白い世界の中、楕円形の塊が二つと、馬車が見えてきた。馬車の中には、俺の妹が眠っている。楕円形の塊は、寝袋にくるまった彼女の護衛だ。聖女と一緒に寝るのは失礼だとか、そんな理由だったはずだ。


 静かに歩いていたつもりだが、起こしてしまったのか、寝袋の一つがもぞもぞと動き、中から気の強そうな女性が顔を出した。


「……どこに行ってたの?」


 聖女の護衛兼世話係としてこの慰問に同行している、女性騎士のタンポポ・タラクサカムが、不機嫌そうな声で言う。ただ、柔らかいアルトな声色なので、そこまで不愉快には感じない。眠るときに邪魔になるのか、亜麻色の長い髪をアップにし、上でくるりとまとめていた。きれいなミントグリーンの瞳が、半眼でこちらを睨んでいる。


「花を摘みにちょっとな」


「……そのへんでするのはやめてよ?落ち着いて寝られないじゃない」


「俺は全然気にしないけどね」


「そりゃあんたはそうでしょ」


「まあ安心しろよ。ちょっと離れたところまで行ったから。明るくなってから探しても見つからないと思うぜ?残念だったな」


「全然残念じゃないわよ。むしろ喜ばしいわ。そのままあなたも一緒に見つからなくなればよかったのに」


「辛辣」


 つまんないことで起こさないでよ。と言いながら、冬眠するクマのように寝袋の中に戻っていく。起こした覚えはない。とんだ濡れ衣だ。


 俺は背伸びをしながら、消えかけた焚火に向かい、薪をくべる。あと1時間もすれば日は昇りきるだろう。朝ご飯でも準備するか。




 二時間後、すでに太陽は高い位置にいる。俺が焚火の前でフライパンを振っていると、後ろから柔らかな布のような女性の声がした。


「おはよう。今朝は卵料理なのね」


「タンポポは早起きだなあ」


 彼女がいつ起きたのか見ていなかったが、肌着ではなく、すでに鎧を着こんでいた。騎士団用のフルプレートアーマーではなく、革の軽装鎧なのは、今回の旅程をあくまで商人の一団として過ごすため。


 そう、聖女の一団は、旅の商人に偽装している。商人役、というか実際に品物を取引するのは俺だ。こんな僻地にくるような商人役だから、大した品は扱えない零細商人という位置付けだ。聖女が所属する教団から、「零細商人を求める」とのお達しがあったので、身分を偽装している。


 どうして零細商人に限定しているのか、聖女の慰問にもかかわらず軍隊を使っての護衛をしない理由は色々あるが、一番は魔族の国との戦争回避の意味合いが大きい。聖女の慰問をダシに、こちらに攻めてくるのではないかという懸念を払拭するため。


 とは言っても聖女を一人で歩かせるわけにもいかず、いわば苦渋の策と言ったところだろう。


 そして、彼女たちは俺が本当に零細商人だと思っている。そういう風に紹介しろと、俺が大臣を脅したからだ。


「あなたが変な時間にうろうろするからじゃない。おかげで寝不足だわ。ま、聖女様を起こさなかっただけマシだけどね。もし聖女様を起こしたりしたら、あなたには罰を与えなければいけなかったもの」


「罰?」


「聖女様が起きている間、あなたの目を膠で閉じられないようにするのよ」


「本格的な拷問」


 女性にしては大柄な彼女だが、胸も、声も、俺に対する態度も何もかもが大きい。亜麻色の髪は長く垂らされており、革鎧と相待って、まるで町娘のように見える。聖女と同い年で、つまりは俺の11個下になるのだが、特に敬語を使ってくれるということもない。


 まあ、こちらはあくまで「たまたま選ばれた商人のうちの一人」だから、その態度も良しとしている。それに、その割には仲良くやれてるんだと思う。こうして軽口も叩き合えることだし。……軽口だよな?


「タンポポさん、アデルさん、おはようございます。朝から元気ですね」


 さわやかすぎる笑顔でやってきたこの男は、寝袋で寝ていたもう一人の護衛。名前をコウセ・イネーンという。容姿端麗、剣の腕も一流、イネーン伯爵家の長男で、騎士団の中でも傑物と評判が高い。野営にもかかわらずまったく汚れていない金の髪と、サファイヤブルーの瞳が、邪気なくこちらを見つめていた。


 彼もフルプレートアーマーではなく、革の軽装鎧だった。タンポポと同じく、役どころは商人見習いだ。水辺の方から来たのを見るに、顔でも洗っていたのだろう。


 ちなみにアデルってのが俺のことだ。本名はブルールというが、貧しい商人に化けなければならなかったため、偽名を使っている。


 フライパンに油を敷き、手早く卵を割り落とした。水分が蒸発する心地よい音とともに、卵白が名の通り白く染まっていく。まずは二人分を作るが、卵同士がくっついてしまわないように気を付ける。くっついた後でも、切ってしまえばよいのだが、見栄えが悪いからね。


 背中から、二人のやりとりが聞こえた。


「おはようコウセ。あなたは昨日起きなかった?」


「昨日ですか?いえ、朝まで寝てましたけど」


 ああ、なんてさわやかな。さらさらの金髪、こぼれる白い歯、嫌みの無い笑顔。彼の周りだけ木漏れ日が降り注いでるような気さえする。「人に騙されたことがありません」とばかりの純真無垢な笑みは、年相応に幼く見えた。たしか俺の10歳下。聖女やタンポポの一つ上だったはずだ。


 王都でその評判は聞いていたが、実際に一緒に旅をすると、噂以上だったことが分かった。何しろいいやつすぎる。この人当たりの良さは、もしかしたら剣の腕や容姿以上に彼の武器になっているのかもしれない。実際、伯爵家には貴族令嬢からのアプローチがひっきりなしに届いてるそうだ。すごいなあ。


 そして人を疑うということを知らない。コウセは俺のことを完全に、本業の商売がうまくいかないから今回の聖女を連れての旅に同意した商人だと思っている。


「この男が夜中に、人の迷惑も考えず花を摘みにいったのよ。おかげで起きちゃってさ」


「ははあ。なるほど」


 コウセは何か考えると、ポンと手をたたいた。


「わかります。商売の足しにしようと考えたんですよね」


「はあ?」


「昼間は私たちと旅をしなければいけません。自由に動けるのは夜だけ。その隙間を縫って、少しでも商いの種を探そうとするのは自然なことではないでしょうか」


 こいつの恐ろしいところは、これを本当に善意から言っているところだ。


「あんたね……花を摘むってのは……まあいいわ」


「あら、いい匂いですね」


 タンポポがコウセに文句を言うのをあきらめたと同時に馬車から降りてきたのは、俺の妹。「白の聖女」、ソラ・エルマーナだ。王国の国教、エルマーナ教の聖女。


 すっかり大人になった彼女は、とても綺麗になっていた。いや、決して兄の欲目ではなく。


 スラリとした肢体、背中まで伸びたストレートの金髪は、どちらかといえば白金に近い。それに透き通るような肌。王侯貴族の中にも、当然のごとく彼女を妻に、側室にという声が上がっている。それも当然だと思う。


 ただ不思議なことに、そう声を上げた貴族は、軒並み身内の不幸か不祥事に追われてしまうのだ。まったく、本当にミステリーである。


 そのため、最近は彼女に声をかける輩も減ってきているという。


 特に「側室に」と言っていた貴族については、不祥事4つと身内の不幸3人というスーパーコンボがお見舞いされ、彼の家はお取りつぶしとなった。本当に恐ろしい。これは勘だが、多分彼女のことを心から愛し、生涯をかけて守り抜くような男でなければ、この不幸の連鎖からは逃れられないのではないか。


「おはようございますソラさん」


 挨拶を返す。あくまで他人の振り。そして、聖女であるため敬語で接する。タンポポも年齢差や今回の経緯を考え、自身に対する無礼は許容しているが、ソラに対しては妥協しない。


 俺が「聖女様」ではなくソラさん、と呼んでいるのは、もちろん今回の慰問が商隊に偽装されているからである。こんなとこで「聖女様」などと呼ぼうものなら、すべてが台無しだろ?


「おはようございます聖女様」


 タンポポがやらかしているが、突っ込むのも面倒なので放置する。


 彼らにとって俺は「行き先が一緒だったから同行してもらってる商人」に過ぎない。当初は会話もぎこちなかったが、、何日も一緒に旅をし、同じ釜の飯を食べると、だんだんと連帯意識が芽生えてくるから不思議だ。今はもう、ともにクエストに挑む冒険者程度には仲良くなっていると思う。


「皆さんおはようございます」


 ソラが笑顔を見せる。ああーいいですねー。これ癒されますよねー。さすが聖女様。さすがわが妹。


「アデルさん、今日の朝ご飯はなんですか」


 肩越しに、甘い声が響く。ああ、駄目だよソラ。お兄ちゃんだから我慢できるけど、こんなん他の男にやっちゃいかんですよ。


「サンバドリの卵を、目玉焼きにしています。味付けはバターで。栄養がありますよ」


 俺は努めて無関心を装い、料理を続ける。溶けたバターが、何とも言えない芳香を漂わせる。


 サンバドリは王国ではメジャーな家畜で、腰を振り、踊るように歩く姿が印象的な鳥だ。肉は引き締まっており、卵は栄養がある上、コクが深くておいしい。


「卵、大好きです」


 わが妹が天使のような笑顔を浮かべる。お兄ちゃんはこの笑顔を守るためならなんだってするよ……!


「そういえば、私、サンバドリ以外の卵を食べたことがないです。アデルさんは他の鳥の卵、食べたことありますか?」


「私はないわね……サンバドリ以外も、確かに卵を産むはずなんだけど」


 タンポポが聞かれもしないのにしゃしゃり出てきた。そりゃ、王都のど真ん中で暮らしていれば、サンバドリ以外の卵なんか口に入らないよな。


「サンバドリ以外にも、おいしい卵はありますよ。でもほとんど市場には出回りませんね」


「なぜですの?」


「卵の大きさです。サンバドリの卵より小さな卵では、一食分を満たすことはできません。逆にサンバドリより大きな卵となると、これは冒険者が命懸けで取りに行って、成功するかどうかというところです」


 おいしいんですけどね、と付け加えた。ハチドリからフェニックスの卵まで、俺が食べたことの無い卵はない。


「まあ、それじゃ、もし大きい鳥に出会ったら、おいしい卵が手に入るかもしれないんですね」


 聖女はそう言って、いたずらっぽく笑うと、俺が取り分けた皿をもって、テーブルに向かった。


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