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「人を想う」ってのは、ものすごいパワーを発揮するもんだ。それが好意であれ、悪意であれ。
俺がその真理に行きついたのは、13の頃だった。
大好きな妹が、突如理不尽な理由で連れ去られた。両親が早くに亡くなり、兄妹二人、なんとか生きていこうと思ってた矢先だった。妹は当時2歳だった。今となっては俺のことなんか、まったく覚えちゃいないだろう。
この国の『聖女』としての素質があったらしい。魔族に対する希望。この王都の光。周りの大人たちは大喜びで、俺の叫びなんぞ、蚊の鳴き声ほども気にしていなかった。
あのときゃ周りのすべてを憎んだね。そして同時に、自分の無力さをこれでもかってくらい思い知らされた。金もない、学もない、力もない、ないない尽くしのクソガキが、妹を引き留める手段なんかあるはずもなかった。
かくして俺は、いつだか街でやっていた、遠くから見た舞台のように、たった金貨3枚で妹と引き裂かれることになった。
「……くれ」
妹をつなぎ留められなかった非力野郎のその後だが、そのまま自分の無力を呪いながらバッドエンド、とはならなかった。自分に宿っている特殊能力を発見したからだ。神様ってのがいるならぜひ感謝申し上げたいね。いや待て待て、そもそも妹が聖女になんかならなければこんな思いをすることもなかったわけだしな。つまりこうだ。抱きしめてからボコボコにしたい気持ちだわ。
俺に宿っている特殊能力、それは『願いを叶える能力』。
字面だけだと、どんな悪魔的な能力かと思うだろう。俺も思った。ただ世の中ってのはそんなにうまくいかないもんで、当然何のリスクもなしでこんなチートが成り立つわけもない。代償が求められるわけだ。まあそういう意味ではまさに悪魔的な能力だよな。
代償はその時々によって違うが、概ね努力を要するものだった。願いの大きさに伴い、その量は加速度的に増していく。
「お……だ、……が……った、……くれ」
例えば、妹を奪われ、俺が最初に願ったのが「力が欲しい」だった。この場合の力ってのは、腕力とかじゃない。妹を金貨三枚と交換したこの身に、最も強いものとして刷り込まれたもの。それが「金の力」だった。金は全てを曲げる力を持つ。世の中のルールさえも、これを持っているものが決めることができる。
『願いを叶える能力』は代償を求める。俺はその日から、荷物運びとして働き始めた。この国の成人は15歳。あと2歳ほど足りなかったが、かねてからの魔族との戦争による人手不足の折、すんなりと仕事を得ることができた。「仕事に就こう」と思ったことも、その時にちょうど戦争が起きて人手不足だったことも、すべて『願いを叶える能力』の働きによるものだ。じゃなけりゃ、こんなタイミングよく物事が進むもんか。
ちなみに仕事は過酷だった。他の連中が日が高く昇ってから沈むまでしか働かないのに対し、俺は夜中まで働いた。荷車一杯に荷物を積み、寝るときは人通りの多い場所で休んだ。まあ、今にして思えばちょっとオーバーワークだよな。でも当時の俺はその生活に、何の疑問も抱いていなかった。
荷物運びを3年したのち、手持ちの金貨は300枚になっていた。俺は荷物運びをやめ、つぶれかけた小さな宿屋を買った。客室数が6室の、ささやかな建物。
街道沿いの宿場町にあるが、メインストリートからはちょっと離れた場所にある、なんの変哲もない宿屋。設備が並のため料金も平均的。お世辞にも清潔とはいいがたいが、それを言うなら王都や帝都の宿以外は、どこもこんなものだ。場所さえまともなら、今でも俺のものにはならなかったに違いない。
宿屋のスタッフは、昼はちょっと部屋の掃除をするくらいで、夜に向けてパワーを充電するというのが一般的だったが、俺は昼間も働いた。夜の余り物の食材でランチを作り、宿屋兼食堂とした。ランチには荷物運びで訪れた他国の味付けを。また6室あった客室を3室にし、その代わり一部屋あたりの部屋面積を広くした。それまでは簡易的なテーブルと狭いベッドしかなかった部屋を広くしたので、知り合いの家具職人に作らせたゆったりしたベッドと書き物用の机、それに来客用のソファと背の低いテーブルを用意した。また部屋には港町の承認から買い付けた異国のお香を焚き、リラックスできるようにした。
値段は結構上げたつもりだが、お客さんはひっきりなしに訪れた。なにしろ平均的な宿屋は、この宿屋に比べれば本当に狭くて汚い。荷物運びならともかく、貴族や大商人は王都の宿のような環境を求めているのだ。メインストリートから離れているかどうかなど、関係なかった。
当然他の宿も真似しようとしたが、どいつもこいつも失敗していた。だってそうだろ?俺が作る料理や、知り合いの家具職人が作る備品、港町から仕入れているお香も、俺が経験したことをもとに、独自で考え、調達してきたものだ。「なんかいい匂いするな」とは思っても、それが何で、どうやったらそんなものが手に入るのか、誰もわからなかったんだから。
かくして俺の宿屋は大盛況となり、管理運営を信頼できるスタッフに任せ、俺は裏方に回ることになる。もはや俺がいなくても事業は順調に回りだしていたが、人間というものをまるっきり信用していないので、仕入れだけは他のスタッフに任せるわけにはいかなかった。
「お願いだ……、……が悪……った、助……くれ」
6年がたち、俺が経営する宿屋は各街道の宿場町に12店舗を構えるまでになっていた。このころは、設備投資に回す金が余り過ぎて、尖ったコンセプトの宿を作ったりしていた。魔族の町で使われている家具や装飾を使った宿とか。本来はご禁制の品だが、流れるところには流れているものなのだ。
同じ頃かな、王都に、逢引専用の宿屋風施設を作った。宿泊もできるが、食事はなく、「休憩」という概念を導入したんだが、まあこれが大ヒット。実家暮らしの恋人達は「いろいろ」不自由だろうと考えて作ったのだが、庶民のみならず貴族も利用するありさまである。プライバシーに配慮し、男女別々の入り口と他のお客とのバッティングが発生しないようにした高級版施設も建築し、こちらも爆発的人気を博した。
それからさらに2年、自然発生的に、宿屋での金の貸し借りが行われるようになった。なにせ俺の店は全国に支店を持つ。帳簿の情報があれば、預けた金を別の店で引き出すことが可能なのだ。手数料を取り、また融資の際には利子を取った。そうして得た金を、有望な職人や商人に貸し付ける。事業の権利を証文として握ることで、彼らが頑張れば頑張るほど俺に金が入ってくる。
このころは、もう仕入れも自分ではやらなくなっていた。人間は信用できないが、それならそう割り切って、監視する体制を作ればよいのだ。監視専門の部隊を創設し、俺は新たな投資や商売のアイデアを膨らませていった。
俺の金は、もはや数えるのが面倒なほど膨らんでいた。店という単位をやめ、「会社」という一つの単位の下、部門を創設。効率化を進め、年商は加速度的に増していく。まさに『願いを叶える能力』の面目躍如。俺は努力を代償に捧げ、その恩恵を受け続けた。
そして、妹が聖女になってから15年。
俺は王国だけでなく、帝国、共和国、通称連盟、はては魔族の国までを股にかける大商人となっていた。
多分今なら、国も買える。お釣りも来るんじゃないかな。
「お願いだ、俺が悪かった、助けてくれ……!」
そうして俺は、妹を守るべく暗躍した。これも、俺の『願いを叶える能力』を使えば簡単なことだった。
「妹を守りたい、なるべく近くで、絶対に傷つけないように」
あとは能力のほうで勝手にレールを引いてくれる。俺は動き出せばいいのだ。ただ懸命に。
今回は、まず財務大臣とのつながりができるところから始まった。大臣が、例の「宿屋風」施設を利用したのだ。いや、ただ利用するだけならいいよ?そりゃ恋愛は自由だし。何しろ高級版施設の方はプライバシー保護が売りだ。そこを犠牲にしてまで、何かをしようと思わない。
問題は利用した後だった。何を血迷ったのか、ロビーでことをおっぱじめ、従業員に取り押さえられたのだ。相手は自分の孫ほども年の離れた子で、しかも薬物の使用痕も見られた。これはもはや言い逃れできるレベルではない。
最初は居丈高に従業員をののしっていた大臣も、用心棒が現れ、30分もしたころには事務室で裸で正座をさせられていた。彼は国の重要機密である他国との取引やひいきにしている商会、これから予定している施策について次々と暴露していた。本来であれば秘密を守らないことを責められてしかるべきだが、彼の目の前に植木ばさみとペンチが置いてあったことを思えば、彼の口が軽くなってしまったことにも同情の余地はあるだろう。
その席上、彼の口から出たのが「聖女慰問計画」だった。現在王国に聖女は4名おり、それぞれ白、赤、青、黒の色が冠されている。
妹は『白』。その『白』を、魔族との国境沿いにある村に派遣するという。
聖女の慰問は、通常一個大隊、400人程度の護衛をもって行われるが、他国との国境沿いの場合はその限りではない。戦争を仕掛ける意思があるとみなされるからだ。聖女は隠密裏に村に赴き、無事に帰った暁には、国からその旨が発表される。
王国は辺境の村も見捨てない、だから安心しろと。
反吐が出るね。
他の聖女にできないかと詰めさせたが、他の聖女がそれぞれ別の場所に赴き慰問をしていることもあり、彼の一存ではどうにもならず。今回、妹はとある商隊の一員という役どころで、その村へと赴くという。
やだ、俺の能力、仕事しすぎ……!
「お願いだ、やめてくれ……!二度と手出しをしないと誓う!」
さっきからうるせーなこいつ。人が思い出に浸ってるときに。
思考を現在に引き戻されたことに対し怒りを覚えながら、俺は隣に立つ部下に声をかけた。
「おかしいな、死体が口を利いていやがる。モラル、お前の常識じゃあ死体ってのは口を利くもんなのか?」
「いえ、まさか」
「だよな。じゃあ俺がさっきから聞いてるこの耳障りな雑音はなんだ?壊れた楽器か?」
「聞いてくれ!何かの間違いなんだ!俺はそんなつもりじゃなかった!」
聞くに堪えないね。俺は男の頬を力いっぱい殴ると、髪の毛をつかんで顔を引き上げた。
「ち、ちくしょう!誰か!誰か!」
残念ながら俺と俺の部下、彼のほかに、生きている人間はもはやこの館にはいない。高い天井に、男の声が遠く響く。
豪奢な石造りの館は、しかし今はもう彼の棺桶に等しい。この辺りの領主を務める魔族の男は、でっぷりとした顔に脂汗を浮かべながらこちらを睨みつけてきた。魔族特有の浅黒い肌に黒い髪。そして紫の目。
両手足を拘束され、鎖につるされた姿は、町の屋台で売っている羊の炙り焼きを思い出させる。
「いいかよーく聞け。俺は3日前に、確かにお前に会ったよな。『この辺りを大事な荷物を載せた馬車が通りますので、安全を保障してください』ってな。いくらか包みもしたはずだ。で、お前はそいつを受け取った。そうだなモラル?」
隣にいる部下に確認する。
「はい。間違いありません」
「にもかかわらず、お前は約束を反故にして、俺たちの馬車を襲おうとした。200人の部隊でな。4人しかいない、小さな商隊だから、襲って埋めちまえば足はつかねえとでも思ったんだろう。俺の言っていることは間違っているかモラル?」
「いいえ。合っております」
200人の部隊を用意しているとの報告がモラルから入った時、俺の頭にあったのは怒りのほかに、この状況をどう乗り切るかという冷めた思考だった。なにしろ俺には能力様がついている。万が一にも失敗はない。
王都からの出発時、「山賊が出たら怖いですわね、でも見てみたいかも」とかのんきなことを妹が言っていたが、出たのは山賊ではなくて魔族だった。まあどのみち、妹の目に触れることなく消滅させることになるのだが。
モラルに出した指示は、「皆殺し」だ。その指示は今のところ、忠実に実行されている。馬車を襲おうとした兵士はもちろん、この館にいる連中まですべからく。
俺の会社の「渉外部」は、暗殺術のみならず、必要であれば剣も魔法も火薬も使う。装備、練度、タイミング、すべてがこちらの味方をしている今夜、魔族の連中に勝ち目はなかった。
領主の髪の毛をつかんだまま、額がくっつくのではないかというくらいに近付く。
「俺には許せねえことが3つある。嘘をつくこと、約束を破ること、俺の大事なものに手を出そうとすることだ。てめえは全部やらかしやがったな?ええ?」
「ち、違う……」
「はあ?」
「馬車を襲おうとしたのは、上からの命令だったんだ……。あの日、貴様……いえあなた様からお金をいただいた後、ボデムから王の使者が来た……。馬車を襲えと」
だから俺は悪くない、と領主は嘯く。
ボデムは魔族の首都だ。つまり彼の言う王とは、魔王のことになる。
「馬車を襲え?それを王が?」
「そ、そうだ!あの馬車に積んでいるのは商材ではない、もっと貴重なものだ、と」
「……!」
「使者はこう言っていたぞ。あの馬車には王国の希望が詰まっている、とな」
俺は奴の髪の毛を離し、踵を返して歩き出す。ほっとした空気が、後ろから流れてきた。
「モラル!」
「はっ」
「この館ごと燃やしちまえ。それから『品質管理部』のヤブルに指示を出せ。王国の中にスパイがいる」
王国の中にいる。妹を売ろうとしている奴が。それでなければ、こんなピンポイントで彼女を狙えるはずがない。漏れているのだ、情報が。
それが誰であれ関係ない。領主が売るなら、領ごと。王が売るなら、国ごと亡ぼすまで。
妹は当時2歳だった。今となっては俺のことなんか、まったく覚えちゃいないだろう。
だが俺は覚えている。何が何でも、妹を守らなければ。
後ろから聞こえてくる、壊れた楽器のような音が、少しして止んだ。俺は用意されていた走竜に乗り込む。馬の数倍のスピードで駆けるこいつは、妹たちが眠っているキャンプまであっという間に連れて行ってくれるだろう。
外は一面の静けさ。草も木も眠っているようだ。後数刻もすれば、すべてのものに生の息吹を吹き込む、朝がやってくる。
さあ、帰ろうか。