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スチームパンク・ワールド

悪役令嬢ドロシア・ファーレンハイトの華麗な転身

 大時計塔(ビッグ・クロック)から空気の抜けるような音、金属の歯車が噛み合い擦れるような音を立て、少しして巨大な鐘が打ち鳴らされた。

 正午だ。

 霧の帝都に正午を告げる鐘が重苦しく響く。

 時計塔から噴出した蒸気(スチーム)はすぐに街を覆う白い霧の一部となる。



 ドロシアは扇を口元に、鐘の音が身体を震わせるに任せ、その音の余韻が去るまで待った。

 鐘の音が去った学校の庭の中央で、彼女の唇が静かに言葉を紡ぐ。その音は大勢の人がいるにもかかわらず、しわぶき1つおきないガーデン・パーティーの会場の隅々まで通る。



「もう一度お言葉をお願いできますか?殿下」



 彼女の前に立つ金の装飾で飾られた白のスーツを纏う少年は、その美しい顔を歪め、ドロシアに(ケイン)を突きつけて再び先程と同じ事を宣言する。



「ドロシア、お前との婚約をここで破棄する!」



 この帝国の皇太子、ウォーレスの声が耳障りに響いた。それもファーレンハイト公爵家令嬢との婚約を一方的に破棄すると言う内容をもって。



「お前がソネット・ガードナー伯爵令嬢にした悪行の数々、余に気づかれぬとでも思ったか!

 斯様な者を帝室に入れる訳には行かぬ。余はここにドロシア・ファーレンハイトとの婚約を破棄し、婚約者の罪を贖罪すべく、ソネット・ガードナーを新たに婚約者とする!」



「ウォーレス様っ!」



 ドロシアの前で、ソネットという女が歓喜の声を上げてウォーレスに抱き着いた。

 薄い桃色のドレスを身に纏い、後ろの膨らんだバッスルスカートの上には白銀のコルセット。胸はどちらかと言えば慎ましやかで、頭には金の髪を緩く結い上げ、ちょこんと乗せられた小型のトップハットに無数の鮮やかな羽根を差している。



 つまりのところ、婚約者のウォーレスはこういう可愛らしく見える女性が好みなのだとドロシアは知っていた。

 ドロシアは自らの着る真紅のドレスを見て思う。その気質は自身のそれとは正反対であることも。



 全て貴族が着る衣装は偉大なる神、機械神より与えられたものである。

 帝国の全国民は10歳の時に機械神の端末ある聖堂に赴き、神より『表裏なき歯車(メビウス・ギア)』を賜る。『表裏なき歯車』は手にした者の想いに応じた形に変わる神秘の道具(ガジェット)、戦いを志す者が持てば剣や銃に、空を飛ぶ夢持つものが持てば翼に変わるのだ。



 しかし貴族は全て、『表裏なき歯車』を自らを飾る衣服とせねばならない。

 馬鹿げた慣習とドロシアは思っているが、民草の着る麻や綿とは異なる素材・形状の、決して解れず、破れず、持ち主の成長とともに、持ち主に合う形で姿を変える神秘の衣装。これを着る物のみが貴族を名乗り、皇帝と拝謁することができるのだ。



 ドロシアの『表裏無き歯車』は形状こそソネットと同様のバッスルスカートに袖口の広いドレスだが、色は燃える様な真紅、コルセットも赤金で、帽子も花飾りのついたつば広の大きなものだ。上半身は肩口から大きくカットされ、鎖骨を見せ、胸元を強調する様なデザインである。



 そうね、10歳を過ぎてから6年、美しいと称賛されたことは幾度もあったけど、家族以外に可愛いと言われたことはないものね。

 ドロシアはそうひとりごちた。



 その間にもウォーレスはドロシアがいかに悪辣な手段でソネットを虐めていたか演説している。

 馬鹿馬鹿しくて聴く気にもならず、観衆たるパーティーに参加する他の貴族たちも白けた思いでそれを眺めている。

 長々と聴く気にもならぬ演説を終え、ウォーレスはこう言った。



「ドロシアよ、申し開きはあるか」



「一切身に覚えがございません、正式に裁判を要求しますわ」



 彼女の言葉を聞き、ウォーレスとソネットの顔に邪な笑みが浮かんだ。



「いや、今は戦時中ゆえ、戦時特例法に基づき、皇太子ウォーレスの名において。ドロシア、お前を追放刑(エグザイル)に処す」



「なんという暴挙を!」



「追放刑!」



 観客の間に驚愕とざわめきが広がる。ドロシアが親しくしていた友人の一人がふらりと気を失い、パートナーの腕に倒れこんだ。

 ドロシアは思考を巡らせる。処刑や投獄ではなく追放。皇帝は北東(ノースイースト)戦線(フロントライン)、魔族との戦場へと親征に向かっている。彼女の父も含め、多くの貴族家はそれに従軍している。戦時特例法で皇太子が司法権を行使するのは、大いに問題だが理論上は可能。

 つまり、その間に決めたいということだろう。彼女にとって取り返しがつかない状態に。投獄では後で救われる可能性がある、皇太子には貴族を処刑する権限はない、最大で追放だ。



 と言っても実質的には処刑と変わらない、なぜなら……。



「これでお前は帝国法と機械神の加護を失った。誰がお前を殺しても、罪に問われないという事だ」



 皇太子がニヤリと笑う。



 ドロシアは意識を外に向ける。

 ……狙撃手に狙われているわね。どこにいるかまでは分からないけど。



「追放者は服を剥ぎ、水をかけて追い出すのが習い。脱げ、ドロシア」



 貴族にとって服を剥ぐというのは、恥辱を与えることに加え、神より賜った『表裏無き歯車』を奪うと言うこと。



 だがドロシアは何も言わず、扇を閉じて食器(カトラリー)の並ぶ机に置くと、毅然とした表情で真紅のドレスの上、赤金色に輝くコルセットに手をかけた。ゆっくりと両手を後ろに回し、両手で紐を引く。歯車がキリキリと回転し、バチンと音を立ててコルセットが緩められていく。

 周囲の令嬢から悲鳴が上がる。



 コルセットが裏返ったかと思うと、光を放って縮み、掌に乗る様なサイズの歯車となる。

 8の字のような形状のその歯車、何にも支えられる事無く宙に浮かぶそれこそ『表裏無き歯車』である。



 それは回転する毎にドロシアの着ている真紅のドレスを、その下のレースのビスチェをするすると吸い込んでいき、ドロシアは一糸纏わぬ姿となった。コルセットを外しても均整の取れた体型。雪花石膏(アラバスター)の如き白き肌。そして豊満な胸の上、宝飾の首飾りのみが残り揺れていた。

 ドロシアは宙に浮かぶ歯車が止まるのを待ってそれを掴むと、先ほど机に置いた扇の脇に並べる。



「わたくしの貴族の証をここに」



「ふん、惨めだな、ドロシア。何か言い残すことはあるか」



 喜悦と肉欲まじりの声でウォーレスが言う。彼の腰にしがみつく様に立つソネットの表情には隠し切れない優越感。



 ドロシアは彼らに頭を下げた。



「わたくしを追放するに当たり、その罪は我がファーレンハイト家の父母弟妹、家臣、領民には一切無縁のこと。処罰するのはわたくしのみにしていただきとうございます」



「彼らがお前に手を貸さない限りそうしよう。……まあすぐに死ぬお前に手を貸すことはできぬがな」



 皇太子の後ろから、男たちがぞろぞろと前へ進み出る。野卑な顔付きをした男共、貴族に似せた上等な衣服を着ているが、見る者が見れば明らかに偽物と分かる程度のもの。

 ぎらぎらとした獣欲に満ちた視線がドロシアに注がれている。



「彼らがお前を帝都の外まで連行する」



 そしてその後、慰みものにして殺すと言うことですか。とドロシアは思う。狙撃手が居なくなれば、あるいは射線の遮られるところへ連れ込まれれば……そこが抵抗する最後の機会になるか、とも。



「承知いたしました」



 下卑た笑みを浮かべながら男達が近づく。だが、彼等の手がドロシアに触れることは無かった。 



 上空から風を切る音、漆黒の塊が庭の外からドロシアに手を伸ばす男の上に落下し、塊から伸びた脚が、男の顔を地面にまでめり込ませる。

 漆黒の塊、それは執事服を隙無く着込んだ青年であった。



「あら、ダニー」



「は、お嬢様、おいたわしい。……少々お待ちを」



 暴虐が吹き荒れた。



 ダニーは瞬く間に男共を叩きのめす。さして力を入れている様子でも無く、男共の体が吹き飛び、地に沈む。



 ダニーと呼ばれた執事服の男、その耳は頭上にて2つの三角形を描いていた。獣相である。野趣溢れるが整った顔つきの青年、彼は狼族(ウルフ・トライブ)に属する獣人(セリアンスロープ)であった。



 男達を沈めた彼の瞳が剣呑な黄金に輝き、皇太子を睨んだ。執事服の下で筋肉が膨張し、爪が、犬歯が伸びていく。

 ウォーレスの脚が恐怖に震える。



「ダニー、待て(ステイ)。そんなことよりわたくし、風邪を引いてしまうわ」



 完全獣化しようとする男を涼やかな声が止める。ダニーは溜め息を1つつくと、机を1つ蹴倒しながら、白地に精緻な刺繍のなされたテーブルクロスを奪い取り、それを大きく広げてドロシアに被せた。



 ウォーレスが言う。



「つ、追放者に手を貸す者は、同罪として帝国法で裁かれるぞ!」



「そ、そうよ!やめなさいよ!そんな女に手を貸すのはやめて、あなたもこちらに来なさいよ!」



 ソネットもそう叫んだ。だが彼はそれを鼻で笑う。



「ドロシア様を帝国が追放するのであれば、帝国の庇護などいらぬ。そして聞かせて貰ったが、機械神様はドロシア様を見捨てたりなどしない。決してな。

 皇太子もその隣の雌豚にも災いあれ!」



 その言葉にウォーレスもソネットも顔を真っ赤にし、ウォーレスは右手を挙げる。



「狙撃せよ!」



 刹那、ダニーが懐から『表裏無き歯車』を取り出す。その歯車は光を放ちながら膨れあがり、瀟洒な日傘の形状を取る。彼はそれを広げると、紅と黒のレースによる傘の布地の部分で機構銃の弾を止める。

 向こうが透けて見える薄いレースにしか見えないそれは、見事銃弾を止めきり、彼はそれを仕える主たるドロシアに恭しく捧げた。



「ふふ、ダニー、ありがとう」



「勿体なきお言葉にございます」



 かけられたテーブルクロスから頭と腕を出したドロシアは、日傘を手の内でくるりと回すと、傘を閉じ、銃のように構える。



「居場所がばればれよ」



 ドロシアの視線の先、銃弾の飛んできた方向の建物には、三階の窓から蒸気の煙が上がる。



 ドロシアの構える日傘から金属音がしたかと思うと、把手が銃床に、石突きが銃口に変形。銃身となった傘の中央からは機構が飛び出し、大気中の霊子(エーテル)を収集する。霊子が炉にくべられ、タンクの水を加熱、発生した大量の蒸気は内圧を高め……。



 射撃。



 蒸気圧により押し出された銃弾は、建物の開けられた窓から中にいた男の眉間を貫く。機構銃を持ち、窓から地面へと落下する男。



 ドロシアの機構銃の排気口から余剰の蒸気が噴出する。



「か、傘型機構小銃……!」



「あ、あなたの歯車は奪ったのに!」



 ドロシアは笑みを浮かべる。



「わたくしが階梯(グレード)を上げてないとでも思っていたのかしら?……おめでたいわね」



 全ての帝国民は『表裏無き歯車』を10歳の時に授かる。だが、その後も神に認められる働き、多くの魔族を殺すことであったり、人類の発展に貢献したりすることによって、新たなる『表裏無き歯車』を授かる事が出来るのだ。それを階梯が上がると言う。

 とは言え、まだ10代(ティーン)も半ばの少女、それも帝都の学校に通う身分でありながら、階梯を上げるとは並大抵の事では無い。



 さて、とドロシアは銃を構える。



「追放刑にあるわたくしが、貴方たちを殺しても最早これ以上の罪には問われない。

 もっと安全を確保して行うべきでしたね、殿下」



「ひっひぃっ!」



 二人は後ずさり逃げようとするも、ウォーレスがソネットのドレスを踏み、縺れるように倒れた。



 ドロシアは彼らに近づくと、機構銃を手の内で回転させて銃身を握り、太く硬い銃床をハンマーのようにして2度フルスイング。

 ウォーレスとソネットの顎を殴打した。

 顎の骨を折り、脳震盪を起こして気絶する二人。失禁したか、アンモニアの臭いが漂う。



「殺す価値もない。……さよなら、殿下」



 彼女はそう意識のない皇太子に向かって呟くと踵を返した。



「殺さなくてよろしいので?」



 ダニーが問う。ドロシアは眉をひそめた。



「こんなのでも、今死なれると帝国が傾くのよ。それは神の御心にも背くわ」



「残念です。……仰せのままに」



 出口へと向かうドロシア、それに従うダニー。

 観衆がざわめき、彼女のための道を開ける。

 そこに一人の令嬢がスカートを持ち上げて駆け寄り、手を差し出す。そこには耳から外したばかりの、エメラルドのイヤリング。



「ドロシア様、これを」



 ドロシアは顔に困惑を浮かべた。



「受け取れないわ、セシリー。あなたも罪に問われてしまう」



 彼女は頭を振った。



「違います、これはわたしが差し上げるのではありません、ドロシア様に奪われるのです」



 ドロシアは笑みを浮かべ、イヤリングをセシリーの掌から奪うと彼女の手を握った。



「この恩は必ず返すわ」



「つ、追放者の言うことなど聞けません」



 ダニーは彼女に頭を下げ、セシリーの瞳からは涙が零れ落ちた。



 門から出ると、ダニーは胸元から自身の歯車を取り出す。歯車は空中で輝き蒸気を吐きながら回転し、光が収まるとそこには1台のサイドカー付き機構二輪車が出現していた。

 ダニーはドロシアを持ち上げると、サイドカーに神像を置くかのような慎重さで乗せて、自身も二輪車に跨った。彼がペダルを蹴ると、霊子が炉にくべられ、振動とともに機関内で水が加熱され、足下でクランクが回転を始める。二輪車の後部からは余剰の蒸気が煙を上げた。甲高い音とともに二輪車はゆっくりと前に進み、そして加速していく……。



 霧の帝都を抜け、国道を真っ直ぐ北へ。町を後方に田園地帯へ。一面の小麦畑、傾き始めた陽射しを浴びる黄金の草原の真ん中で、ダニーは二輪車をゆっくりと減速させた。

 轟音と振動が小さくなる。



「どういたします?お嬢様」



「もうお嬢様ではないわ」



 しばしの沈黙。機関の駆動する音、金属の擦れる音が小麦畑に吸い込まれていく。



「これから、どうなさいますか?」



 彼女は友から貰ったエメラルドの耳飾りを眺めながら言った。



「そうね、盗賊も良いかもしれないわね」



「ではお嬢様、わたしを1の子分にしていただけますか?」



 ドロシアはその口元に笑みを浮かべて言う。



「わたくしのことをお嬢様ではなく親分と呼ぶならね」



 蒸気を纏う風を受け、彼女の金髪が流されていった。







 これが、かの伝説の義賊、ドロシアの名が帝国史に刻まれた最初の事件である。



 女公爵(Duchess)ドロシア(Dorothea)と彼女の(and her)ならず者たち(Desperados)、通称DDD。



 後に皇帝となったウォーレスは、彼女の名やその盗賊団に女公爵と付けるのを止めるよう勅命まで出した。しかし民衆は決して従わず逆に彼を愚帝ウォーレスと呼び、その治世は極めて短く終わった。



 また、ソネットはウォーレスの父である当時の皇帝の命により時計塔に幽閉され、死ぬまでそこから出ることはなかったという。

ご高覧ありがとうございました!


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i521206
― 新着の感想 ―
[一言] ギミックがかっこよかったです
2021/05/19 16:05 退会済み
管理
[一言] 面白かったです。 斬新な設定、痛快な展開、通称DDDという粋な名前。 ドロシア様、カッコイイ! 惚れました、シビレました。 ウォーレスは、彼女の美しさも可愛いらしさにも気づけなかった可哀想な…
[一言] 若かりし愚帝ウォーレス!度々出そうな気がする。
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